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抑圧嫌いの髪

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窓からの眺め、そして互いの表情、何気ない会話、それらを楽しむ穏やかな時間は一本の電話によって終わりを告げた。

「……失礼」

鳴り響くスマホに舌打ちをし、ヒトは苛立った様子で電話に出た。

「もしもし……はぁ? その件ならアキタに……チッ、使えない…………はい、はい、分かりました。すぐ向かいます」

電話を切ったヒトはスマホをベッドに勢いよく投げ、たった今まで座っていた椅子を蹴り飛ばした。

「ちょっ……!?」

椅子は窓にぶつかり、ゴーン……と鈍く大きな音が響いた。窓にヒビなどは入っていないようだ。なんてことするんだコイツ、短気なのは分かっていたつもりだが八つ当たりの仕方のタチがここまで悪いとは思っていなかった。

「ヒ、ヒトさんっ」

「……ぁ?」

今正論で八つ当たりを咎めるのは逆効果だ。俺は用意していたヒトを叱る文章を捨て、新たなプランを立てながら彼の前に膝をついた。

「大丈夫ですか!? 裸足でこんなの蹴っちゃ爪割れたり間接グキってなったりしちゃいますよ! 何ともありませんか? 痛みは?」

「………………ありません」

「そうですか、よかったぁ……」

「…………」

ヒトの足の甲を撫で、立ち上がる。先程までの不機嫌を丸出しにした表情は、バツの悪そうな表情へと変わっていた。

「……ごめんなさい」

おっ、八つ当たりを自ら反省するのか?

「トラブルがあったみたいで……急いで事務所に戻らないといけないんです。もう、帰らないと」

違ったか。

「あっ、そうなんですね。じゃあ早く用意しないと」

「はぁ……もっとあなたとゆっくりしたかった」

「……また今度、そうしましょう?」

「…………はい。ぁ、急げば鳴雷さんを家に送る余裕くらいはあるかもしれませんね」

「俺のことはいいですよ、事務所にコンちゃん達残したままですし、このまま事務所行きましょう。俺は勝手に帰りますから」

「……そうですか? では、そうします」

スーツを着直したヒトは残念そうな顔のまま部屋を後にした。エレベーターに乗り、しわくちゃなシャツのボタンを俺が上まで留め、ネクタイを締め直す間、ヒトはヘアワックスで髪を整えた。

「…………よし」

「ネクタイ結べました!」

「ありがとうございます鳴雷さん」

にっこりと微笑んでみせたヒトはいつものオールバックヘアに戻っていた──が、ビンッ、と一束、また一束と髪が立つ。くりんっと外へハネる。

「あっ、あっ、ヒトさん髪が、立ってます。ワックスで固まってる分なんかビンッてウニみたいになってます!」

「ウニ!? クソっ、もっと要るか……!」

「あっエレベーター着きました。続きは車でやりましょ車で」

「ウニでチェックアウトをしろと? 嫌です!」

「ぁう……と、とりあえず降りましょう!」

エレベーターから降り、柱の影に隠れてオールバックを作り直す。今度こそ完璧に固まったようなので受付へ。

「チェックアウトを……」

「はい、少々お待ちください」

ホテルって泊まらなくても値段一緒なのかなー、なんてぼうっと考えていた俺の目に、ビンッとヒトの髪が立つ瞬間が映った。

「……!?」

感触はないのだろう、ヒトは気付いていない。受付の者の視線は一瞬髪に向いたが、すぐにヒトの顔に戻った。プロだ。

「ありがとうございます。また来ますね」

何も知らぬヒトがにこやかなまま首を傾けた瞬間、ビンッ、ビビビンッ、と何束もの髪が立った。

「はっ……い。お待ちしております、穂張様」

流石の受付の声も裏返った。だが表情は崩さなかったため、ヒトは何の疑問も抱かず受付を離れ駐車場へ向かった。

「急がないと……」

独り言のように呟きながらヒトは車に乗り込む。席に座った瞬間、車の鍵を持ったままヒトは静止した。車の天井に立った髪が触れたからだろう。

「…………また、立ってる。鳴雷さん……これ、いつからまた……」

「い、今ビンッてなりました! 座ったり、ドア閉めたりの衝撃ですかね?」

「……なら誰にも見られていませんね、よかった……本当なら鳴雷さんにもあまり見られたくはないんですけどね。やっぱり恥ずかしいですし」

「可愛いと思います!」

「…………あなたが頭の悪い女子高生くらいに可愛い可愛い言うタチで助かります」

ヒトははにかんで車を発進させた。髪を直すのは事務所に着いてからにするようだ。それまではヒトの強情な髪を眺めて楽しませてもらおう。



事務所の駐車場で、ヒトは車のミラーを使って髪を整えた。

「やっぱり鏡あった方がいいですか?」

「毎日やっていることなので手癖で出来ますが……まぁ、あった方がいいですね。ウニになるのにはあまり関係なさそうですけど」

「あはは……ヒトさんの髪の毛頑固ですごかったです」

「困ったものですよ。では、鳴雷さん。私はこれから仕事で……おそらくまたすぐに事務所を出ると思います。そろそろ暗くなり始めますし、フタ辺りに送ってもらうよう頼むのを勧めておきますね。それでは」

そう言うとヒトは小走りで事務所に入っていった。俺はヒトとの関係を推測されないよう、念の為従業員達に見つからないようこっそりと入り、エレベーターへ走り、最上階のボタンを押した。

「ぁ、手ワックス臭い……」

ベタついた手の匂いを嗅ぎ、何気なく呟く。フタの部屋の扉の貼り紙を横目に扉を叩く。

「ミツキ、おかえりなさい」

「サキヒコくん? 猫ちゃん達どうかな、脱走しそう?」

「確認してくる…………ミタマ殿と昼寝中だ。大丈夫だろう」

「よかった」

扉を開け、念の為素早く閉める。殺風景な部屋にはミタマの姿も猫達の姿もない。

「寝てるんだっけ?」

「あぁ、二十分ほど前から」

「割と最近だね。幽霊は寝ないのに妖怪……付喪神は寝るんだなぁ」

扉をそっと開けてフタのベッドを覗くと、大柄な三尾の狐と白猫と黒猫がのびのびと眠っていた。

「二十分くらいなら起こすのは可哀想かな。もう少し待とうか」

「うむ」

「……サキヒコくん、師匠とお話は出来た? パワーアップの方法、分かった?」

「あぁ、話そうと思っていたところだ。実はミツキの協力が必要不可欠でな」

俺にはサキヒコが実体化出来るほどの強い霊になるのを待つことしか出来ないと思っていた。俺の協力が必要だということに俺は浮かれ、内容を聞く前から「何でもするよ!」と喚いてしまった。
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