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イラストレーター
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コミケ三日目も大満足に終わった。だが、今目の前に居る人物には不満の残る結果だったようだ。
「ドタキャンとか酷いっす」
コミケ会場から少し離れたところで待ち合わせたレイは、むすっとした顔で俺を睨み上げている。
「ご、ごめん……あんな壁サーとは」
「当日に場所確認とかおかしいっすよせんぱいは!」
「それはそう……でも近く通った時チラッと見て思ったよ、これ並んでたら他のとこ行けないなって。それにさ、行っても話せないだろ?」
「まぁ、それはそうっすけどぉ」
二日目にハルと長々話せたのはハルの姉のサークルが不人気だったからだ。レイのような超人気サークルではそうはいかない。
「……ま、いいっすよ。じゃあ今回のイラスト本、千二百円っす」
「厚みの割にはリーズナブル……はい」
「ちょうど助かるっす」
イラストレーターのコノコノとしてレイが作った本を紙袋に入れ、軽くなった財布をポケットに詰める。
「あと、せんぱいに会ったら渡そうと思ってたんすけど」
「なんだ?」
「暑かったっすけどクーラーボックス入れてたんで大丈夫だったとは思うんすけど、変な匂いしたらもう捨てちゃっていいんで……」
遠慮がちに渡してきたのは可愛らしい小袋に入れられたクッキーだった。冷たい。たった今までドライアイスに囲まれてクーラーボックスの中に入れられていたらしい。
「手作りか? ありがとう、今食べていいかな?」
「はい……」
「食べてる間スケブお願いしていい?」
「いいっすよ、版権でも三題噺風のお題でも何でもどうぞっす」
「じゃあ血の悪魔……一部ラストに出た方、腕四本ある悪魔形態の方。あの形態めっちゃ可愛くて好き」
「あー、はい。分かるっす。じゃ、描くっす」
スケッチブックを受け取ったレイは迷いのない手つきで線を引いていく。俺はその手つきと真剣な表情だけを眺めながら開封したクッキーを齧った。
(かっったっっっ! なっ、何、何これ、小麦粉とバターとその他諸々でこんな固くなります!? 食品サンプル!?)
到底食べ物とは思えない硬さに食品サンプルか何かではないかと思い始めた俺に、レイは不安げな表情で尋ねた。
「……美味しいっすか?」
その表情は俺をからかっているものではない。つまりこれは、信じ難いことだが、食べ物。
「ちょっ、と……待ってくれ。喉カラカラなの忘れてた、クッキー食べたら水分全部奪われちゃうよ……ちょっと先飲むな」
「焦らすっすねー」
レイはそう言うとスケッチブックに視線を落とした。
(クッキーを口に含んだまま水を……)
水でクッキーをふやかす作戦だ。俺は僅かに口を膨らませたままクッキーが食べ物には柔らかさが必要不可欠なのだと思い出す時を待った。
「っし、描けたっす。自画自賛っすけどなかなかいい出来っすよ。せんぱい、そろそろ味の感想教えて欲しいっす」
これ以上はレイを待たせられない。俺は口に含んだ水を飲み干し、クッキーを思い切り奥歯で噛んだ。
「んっ……んん、美味い! 甘くて美味しいよ」
味は甘さ控えめで風味のないクッキーだ。ただ、硬すぎる。
「でも、晩ご飯入らなくなっちゃうから残りは明日のおやつにしていいかな?」
「はいっす、それはもちろんせんぱいの自由に……」
「ありがとう。スケブも……うっわ神絵! はぁ……やっぱ可愛い~、可愛いのぉー、これワシの絵じゃないか? はぁー、レイの絵柄だとこうなるんだなぁ。ありがとうございます、いくらお支払いすれば……?」
「タダっすよ……スケブに描いたん久しぶりっした。せんぱい、誕生日プレゼント使っていいんすよ?」
レイからの誕生日プレゼントは絵依頼チケットだ。売れっ子イラストレーターのレイに好きな絵を依頼出来るという贅沢過ぎる権利を、俺はまだ使えずに居る。
「歌見せんぱいはもう使ったんすから」
「そうなの!? 何頼んだか教えてもらっても……?」
「最近仕事が立て込んでて、息抜きに描いてるんであんま進んでないんすけど」
「絵の息抜きに絵……! ホンモノって感じするなぁ」
興奮する俺にレイはスマホにも一応保存してあるというラフ画を見せてくれた。
「十九歳エレンっ……!? な、なるほど……いいセンスしてるなパイセン。レイの絵柄だとこうなるのか、清書が楽しみだ……」
「一番好きな漫画らしいっす。せんぱいもそろそろ決めてくださいっす、また誕生日来ちゃうっすよ」
「うぅ……だってぇ……」
「せんぱい自身をイラスト化とかでもいいっすよ? カミアくんにやったんすよ、前、ソシャゲのコラボイベントで……あー、でも、せんぱい顔が良過ぎて描ける気しないっすね……」
「俺の顔描いてもらっても俺はつまんないしなぁ、それならアキとかがいい。あっ待ってこれ決定じゃないから! 待ってて……決める、絶対決めるから」
「……まだまだかかりそうっすね」
やれやれとため息をつくレイを呼ぶ声が一つ、人の群れの向こうからした。
「あ……すいません、仕事仲間と飲みに行く約束してるんすよ」
「レイそういう付き合いあるんだな、意外……」
「フリーランスこそ横の繋がりも縦の繋がりも要るんすよ……何かあった時のためにとか、今回みたいに本出す時とか、とにかく色々…………コミュ障だからとか、一人でやりたいからとか、そういうのでフリーランス選ばない方がいいっすよ」
「俺は特殊技能ないからフリーランスがある職に行かないと思うけど、肝に銘じとくよ」
レイはパーカーのフードを目深に被り、仕事仲間だという人の群れの方へと走っていった。どれも知らない顔だが、イラストレーターなんてのは顔出ししている方が少数派だ。もしかしたらあの中には著名なイラストレーターや俺の好きなイラストレーターも居るかもしれない。
(くっ……う、ぅうゔ…………帰りまそ! たかが高校生が突っ込んでっていいとこでは……サインくらいなら……あーっ! ダメでそダメでそ! こんな無礼な知り合いが居るとなったらレイどのにも迷惑が……サイン欲し……ぬぉおおおおーっ!)
誘惑を断ち切り、駅まで走った。電車に乗ってからの俺は抜け殻同然だったが、家に近付き彼氏達に会えると思うと次第に中身がハッキリとし始めた。
「ドタキャンとか酷いっす」
コミケ会場から少し離れたところで待ち合わせたレイは、むすっとした顔で俺を睨み上げている。
「ご、ごめん……あんな壁サーとは」
「当日に場所確認とかおかしいっすよせんぱいは!」
「それはそう……でも近く通った時チラッと見て思ったよ、これ並んでたら他のとこ行けないなって。それにさ、行っても話せないだろ?」
「まぁ、それはそうっすけどぉ」
二日目にハルと長々話せたのはハルの姉のサークルが不人気だったからだ。レイのような超人気サークルではそうはいかない。
「……ま、いいっすよ。じゃあ今回のイラスト本、千二百円っす」
「厚みの割にはリーズナブル……はい」
「ちょうど助かるっす」
イラストレーターのコノコノとしてレイが作った本を紙袋に入れ、軽くなった財布をポケットに詰める。
「あと、せんぱいに会ったら渡そうと思ってたんすけど」
「なんだ?」
「暑かったっすけどクーラーボックス入れてたんで大丈夫だったとは思うんすけど、変な匂いしたらもう捨てちゃっていいんで……」
遠慮がちに渡してきたのは可愛らしい小袋に入れられたクッキーだった。冷たい。たった今までドライアイスに囲まれてクーラーボックスの中に入れられていたらしい。
「手作りか? ありがとう、今食べていいかな?」
「はい……」
「食べてる間スケブお願いしていい?」
「いいっすよ、版権でも三題噺風のお題でも何でもどうぞっす」
「じゃあ血の悪魔……一部ラストに出た方、腕四本ある悪魔形態の方。あの形態めっちゃ可愛くて好き」
「あー、はい。分かるっす。じゃ、描くっす」
スケッチブックを受け取ったレイは迷いのない手つきで線を引いていく。俺はその手つきと真剣な表情だけを眺めながら開封したクッキーを齧った。
(かっったっっっ! なっ、何、何これ、小麦粉とバターとその他諸々でこんな固くなります!? 食品サンプル!?)
到底食べ物とは思えない硬さに食品サンプルか何かではないかと思い始めた俺に、レイは不安げな表情で尋ねた。
「……美味しいっすか?」
その表情は俺をからかっているものではない。つまりこれは、信じ難いことだが、食べ物。
「ちょっ、と……待ってくれ。喉カラカラなの忘れてた、クッキー食べたら水分全部奪われちゃうよ……ちょっと先飲むな」
「焦らすっすねー」
レイはそう言うとスケッチブックに視線を落とした。
(クッキーを口に含んだまま水を……)
水でクッキーをふやかす作戦だ。俺は僅かに口を膨らませたままクッキーが食べ物には柔らかさが必要不可欠なのだと思い出す時を待った。
「っし、描けたっす。自画自賛っすけどなかなかいい出来っすよ。せんぱい、そろそろ味の感想教えて欲しいっす」
これ以上はレイを待たせられない。俺は口に含んだ水を飲み干し、クッキーを思い切り奥歯で噛んだ。
「んっ……んん、美味い! 甘くて美味しいよ」
味は甘さ控えめで風味のないクッキーだ。ただ、硬すぎる。
「でも、晩ご飯入らなくなっちゃうから残りは明日のおやつにしていいかな?」
「はいっす、それはもちろんせんぱいの自由に……」
「ありがとう。スケブも……うっわ神絵! はぁ……やっぱ可愛い~、可愛いのぉー、これワシの絵じゃないか? はぁー、レイの絵柄だとこうなるんだなぁ。ありがとうございます、いくらお支払いすれば……?」
「タダっすよ……スケブに描いたん久しぶりっした。せんぱい、誕生日プレゼント使っていいんすよ?」
レイからの誕生日プレゼントは絵依頼チケットだ。売れっ子イラストレーターのレイに好きな絵を依頼出来るという贅沢過ぎる権利を、俺はまだ使えずに居る。
「歌見せんぱいはもう使ったんすから」
「そうなの!? 何頼んだか教えてもらっても……?」
「最近仕事が立て込んでて、息抜きに描いてるんであんま進んでないんすけど」
「絵の息抜きに絵……! ホンモノって感じするなぁ」
興奮する俺にレイはスマホにも一応保存してあるというラフ画を見せてくれた。
「十九歳エレンっ……!? な、なるほど……いいセンスしてるなパイセン。レイの絵柄だとこうなるのか、清書が楽しみだ……」
「一番好きな漫画らしいっす。せんぱいもそろそろ決めてくださいっす、また誕生日来ちゃうっすよ」
「うぅ……だってぇ……」
「せんぱい自身をイラスト化とかでもいいっすよ? カミアくんにやったんすよ、前、ソシャゲのコラボイベントで……あー、でも、せんぱい顔が良過ぎて描ける気しないっすね……」
「俺の顔描いてもらっても俺はつまんないしなぁ、それならアキとかがいい。あっ待ってこれ決定じゃないから! 待ってて……決める、絶対決めるから」
「……まだまだかかりそうっすね」
やれやれとため息をつくレイを呼ぶ声が一つ、人の群れの向こうからした。
「あ……すいません、仕事仲間と飲みに行く約束してるんすよ」
「レイそういう付き合いあるんだな、意外……」
「フリーランスこそ横の繋がりも縦の繋がりも要るんすよ……何かあった時のためにとか、今回みたいに本出す時とか、とにかく色々…………コミュ障だからとか、一人でやりたいからとか、そういうのでフリーランス選ばない方がいいっすよ」
「俺は特殊技能ないからフリーランスがある職に行かないと思うけど、肝に銘じとくよ」
レイはパーカーのフードを目深に被り、仕事仲間だという人の群れの方へと走っていった。どれも知らない顔だが、イラストレーターなんてのは顔出ししている方が少数派だ。もしかしたらあの中には著名なイラストレーターや俺の好きなイラストレーターも居るかもしれない。
(くっ……う、ぅうゔ…………帰りまそ! たかが高校生が突っ込んでっていいとこでは……サインくらいなら……あーっ! ダメでそダメでそ! こんな無礼な知り合いが居るとなったらレイどのにも迷惑が……サイン欲し……ぬぉおおおおーっ!)
誘惑を断ち切り、駅まで走った。電車に乗ってからの俺は抜け殻同然だったが、家に近付き彼氏達に会えると思うと次第に中身がハッキリとし始めた。
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