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紅葉邸へ
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火曜日の朝、ミフユからの電話で目が覚めた。九時に迎えが着くからそれまでに用意を済ませておけとの内容だった。
「九時ぃ……今、八時半!?」
俺は慌てて飛び起きてキッチンに走り、食パンをオーブントースターに突っ込んだ。洗面所までまた走って顔を洗い、部屋に戻って着替えたら、焼けた食パンにジャムを塗って食べた。
(荷物、荷物はどうしましょ。スマホだけでいいんでしょうか、香典とか仏花とかっ……い、一応財布は持っていきまそ。あわわまさかこんな早くからだとは、デートの予定のない休日にアラームなんかかけてませんぞ~)
ミフユは規則正しい生活をしているだろうから、夏休みの間でも学校がある時と同じように寝起きしているのだろう。その感覚で庶民に接されては困る、庶民は怠惰なものなのだ。
(あっアキきゅんとセイカ様のご飯用意しておかないと……あぁあ時間ない! お二人とももう十代後半なんですから食事の準備くらい出来ますよな、出来ます出来ます行ってきまーす!)
数十年前のものとはいえ遺体が帰ってきたのだ、紅葉家と年積家は喪にふくしているかもしれない、念のため俺は学生服に袖を通した。
「よく来たな、鳴雷一年生……何故制服を着ているんだ? ジャケットまで……暑くないのか?」
「…………喪中かな、と」
家の前に停まっていた車に乗り込み連れられた先、紅葉家で俺を出迎えたミフユは俺の格好に首を傾げた。
「あぁ……そうか、心遣い感謝する」
「ミフユさん黒い服着てなくていいんですか?」
「……亡くなったのがずっと前な上に、ミフユとの関係は薄いからな。長期に渡って喪に服すのは大抵の場合、近親者だ。二親等まで……だったかな。この辺りはまだ詳しく習っていないのだ、すまない」
「いえ……」
「…………ネザメ様のひいおじい様の元まで案内する。着いてこい。ジャケットは預かろう、暑いだろう」
せっかく着てきたジャケットを脱がされてしまったけれど、紅葉邸の中は廊下でさえも外の真夏を忘れるほど涼しかった。全館空調なのだろう。
「……ミフユさん?」
ある扉の前で止まったミフユはくるりとこちらを振り向き、俺に人差し指を突きつけた。
「いいか鳴雷一年生、貴様が霊魂と交信出来るだとか警察犬以上に鼻が利くだとか、そんな特殊能力の持ち主かどうかはどうでもいい。そんなことは関係ない。いいか、この扉の奥に居るのはネザメ様の曽祖父、ひいおじい様だ、隠居した身とはいえ紅葉家で最も敬うべき方なのだ。いいか! 鳴雷一年生! 絶対に粗相のないようにな!」
その大声、そのおじい様に聞こえてんじゃなかろうか。
「は、はい……」
「……よし」
ミフユは扉を叩き、声をかけた。程なくして鈴の音が鳴り、音の方向を見上げると扉の隙間から出た糸が扉の上に取り付けられた鈴を揺らし、鳴らしていた。
「あまり声を張れないお歳なのだ……失礼します!」
そっと俺に鈴の理由を伝え、ミフユは扉を開けて頭を下げた、俺も慌てて下げた。中に入ると大きなベッドに老人が横たわっていた。
「こちらが鳴雷 水月。年積 沙季彦を発見した男です」
ベッドが機械音を立ててゆっくりと折れ、老人の身体を起こす。まだらに亜麻色の髪が残った白髪の彼は、皺だらけの顔をしているが鼻筋が通っており、美しい目をしており、夢で見たサキヒコの主人の面影があった。
(ご老体の海外俳優さんなんかの昔の写真見ると傾国レベルの美しさでびっくりしますよな、でも確かに同じ人と分かって……そんな感じでそ)
美少年が歳を取るとこうなるのか、としげしげと眺めてしまっていると、老人はにっこりと微笑んだ。
「ごきげんよう」
「あっ、おはっ……ご、きげんよう……?」
挨拶を返そうとして「おはようございます」と言いかけ、慌てて揃えた。ごきげんようってごきげんようだけでいいのか? 目下の人間はごきげんようでございますとか言うべきなのか?
「君が……サキヒコを、見つけてくれたんだってね。どうやって……?」
「ぁ……え、と、俺っ……わ、私達、海で遊んでいて……洞窟を、見つけて……気になって、入ってみたら……その」
「…………ミフユ」
「はいっ!」
「……下がりなさい。後でまた呼ぶ」
「はっ! 待機しております!」
ミフユは深々と頭を下げ、部屋を後にした。何故二人きりにさせられたのだろうと困惑していると、老人はベッド脇に置いてあった花柄の布のような紙のような何かに包まれた、人の頭ほどの大きさの物を手に取った。その包みは紐で留められているように見える。
(…………こ、骨壷入れる袋? てことは、あの中には……ほっ、ほ、骨が。サキヒコ……くんが)
老人は骨袋を愛おしげに撫でると、俺を見上げた。慈しみに満ちたその視線はネザメによく似ている。
「鳴雷、水月くん……本当のことを言いなさい。私は何を聞いても、怒ったり……疑ったり、しないから。サキヒコの話を……聞かせておくれ」
「…………はい」
俺は覚悟を決め、息を整えた。
「ある夜……海で溺れている少年を見つけたんです。私は慌てて彼を助けました、どこかミフユさんに似た……おかっぱ頭の男の子でした。別荘に連れて帰って、お風呂に入れたりスープを飲ませたりして温めたのですが……いつの間にか消えてしまって。探しても……見つからなくて、それで、夢を見たんです」
「……夢?」
「はい。ネザメさんに少し似た人と、一緒に山道を歩く夢……大人の男、三人だったかな……に、襲われて、私は主人を逃がして刺されて……海に捨てられて、主様を守るため主様の元へ戻るため、どこへ行けばいいのかも分からぬまま、貴方を求め這いずって……暗く寂しい洞窟の奥で果てました」
「…………水月くん? どうしたんだい、様子が……」
「海に囚われ人をいざなう悪霊に成り果てた私を、この男が救いました。私が夢に見せてしまった私の命の終わりの記憶を頼りに私の死体を探し当て、祈って……呪縛を解いたのです。ようやく戻ってこられた……主様、主様っ、ご立派になられて!」
「…………サキヒコ、なのかい?」
「……! はい、主様! 私です主様ぁ……よくぞご無事でっ、私は務めを果たせず情けない限りです、主様に合わせる顔などない……! でも、でもぉ……寂しかったぁ、主様……暗かった、冷たかったぁ、怖かった、痛かったぁ……会いたかった、主様……主、さま、あるじさま……」
ぽん、と頭に誰かの手が触れた。いつの間にか閉じていた目を開けると視界が真っ暗だった、不思議に思いながら自分の体勢を確認すると、俺は何故か老人に抱きついていた。
「へっ……?」
「……? どうしたんだい?」
「お、俺、何してっ……ご、ごめんなさいすいませんご無礼をどうかお許しくださぁいっ!」
幽霊のサキヒコと知り合い、骨を見つけるまでの経緯を説明していたはずなのに、俺はいつの間に老人に抱きついていたんだ? そこまで節操なしじゃなかったはずだ。
「えっと、俺どこまで話して……あれ?」
サキヒコを見つけるまでの話、したっけ、俺……良く思い出せない、脳に霧がかかっているみたいだ。ミフユが部屋から出されたところまでは覚えているのに、そこから先が酷く曖昧だ。
「九時ぃ……今、八時半!?」
俺は慌てて飛び起きてキッチンに走り、食パンをオーブントースターに突っ込んだ。洗面所までまた走って顔を洗い、部屋に戻って着替えたら、焼けた食パンにジャムを塗って食べた。
(荷物、荷物はどうしましょ。スマホだけでいいんでしょうか、香典とか仏花とかっ……い、一応財布は持っていきまそ。あわわまさかこんな早くからだとは、デートの予定のない休日にアラームなんかかけてませんぞ~)
ミフユは規則正しい生活をしているだろうから、夏休みの間でも学校がある時と同じように寝起きしているのだろう。その感覚で庶民に接されては困る、庶民は怠惰なものなのだ。
(あっアキきゅんとセイカ様のご飯用意しておかないと……あぁあ時間ない! お二人とももう十代後半なんですから食事の準備くらい出来ますよな、出来ます出来ます行ってきまーす!)
数十年前のものとはいえ遺体が帰ってきたのだ、紅葉家と年積家は喪にふくしているかもしれない、念のため俺は学生服に袖を通した。
「よく来たな、鳴雷一年生……何故制服を着ているんだ? ジャケットまで……暑くないのか?」
「…………喪中かな、と」
家の前に停まっていた車に乗り込み連れられた先、紅葉家で俺を出迎えたミフユは俺の格好に首を傾げた。
「あぁ……そうか、心遣い感謝する」
「ミフユさん黒い服着てなくていいんですか?」
「……亡くなったのがずっと前な上に、ミフユとの関係は薄いからな。長期に渡って喪に服すのは大抵の場合、近親者だ。二親等まで……だったかな。この辺りはまだ詳しく習っていないのだ、すまない」
「いえ……」
「…………ネザメ様のひいおじい様の元まで案内する。着いてこい。ジャケットは預かろう、暑いだろう」
せっかく着てきたジャケットを脱がされてしまったけれど、紅葉邸の中は廊下でさえも外の真夏を忘れるほど涼しかった。全館空調なのだろう。
「……ミフユさん?」
ある扉の前で止まったミフユはくるりとこちらを振り向き、俺に人差し指を突きつけた。
「いいか鳴雷一年生、貴様が霊魂と交信出来るだとか警察犬以上に鼻が利くだとか、そんな特殊能力の持ち主かどうかはどうでもいい。そんなことは関係ない。いいか、この扉の奥に居るのはネザメ様の曽祖父、ひいおじい様だ、隠居した身とはいえ紅葉家で最も敬うべき方なのだ。いいか! 鳴雷一年生! 絶対に粗相のないようにな!」
その大声、そのおじい様に聞こえてんじゃなかろうか。
「は、はい……」
「……よし」
ミフユは扉を叩き、声をかけた。程なくして鈴の音が鳴り、音の方向を見上げると扉の隙間から出た糸が扉の上に取り付けられた鈴を揺らし、鳴らしていた。
「あまり声を張れないお歳なのだ……失礼します!」
そっと俺に鈴の理由を伝え、ミフユは扉を開けて頭を下げた、俺も慌てて下げた。中に入ると大きなベッドに老人が横たわっていた。
「こちらが鳴雷 水月。年積 沙季彦を発見した男です」
ベッドが機械音を立ててゆっくりと折れ、老人の身体を起こす。まだらに亜麻色の髪が残った白髪の彼は、皺だらけの顔をしているが鼻筋が通っており、美しい目をしており、夢で見たサキヒコの主人の面影があった。
(ご老体の海外俳優さんなんかの昔の写真見ると傾国レベルの美しさでびっくりしますよな、でも確かに同じ人と分かって……そんな感じでそ)
美少年が歳を取るとこうなるのか、としげしげと眺めてしまっていると、老人はにっこりと微笑んだ。
「ごきげんよう」
「あっ、おはっ……ご、きげんよう……?」
挨拶を返そうとして「おはようございます」と言いかけ、慌てて揃えた。ごきげんようってごきげんようだけでいいのか? 目下の人間はごきげんようでございますとか言うべきなのか?
「君が……サキヒコを、見つけてくれたんだってね。どうやって……?」
「ぁ……え、と、俺っ……わ、私達、海で遊んでいて……洞窟を、見つけて……気になって、入ってみたら……その」
「…………ミフユ」
「はいっ!」
「……下がりなさい。後でまた呼ぶ」
「はっ! 待機しております!」
ミフユは深々と頭を下げ、部屋を後にした。何故二人きりにさせられたのだろうと困惑していると、老人はベッド脇に置いてあった花柄の布のような紙のような何かに包まれた、人の頭ほどの大きさの物を手に取った。その包みは紐で留められているように見える。
(…………こ、骨壷入れる袋? てことは、あの中には……ほっ、ほ、骨が。サキヒコ……くんが)
老人は骨袋を愛おしげに撫でると、俺を見上げた。慈しみに満ちたその視線はネザメによく似ている。
「鳴雷、水月くん……本当のことを言いなさい。私は何を聞いても、怒ったり……疑ったり、しないから。サキヒコの話を……聞かせておくれ」
「…………はい」
俺は覚悟を決め、息を整えた。
「ある夜……海で溺れている少年を見つけたんです。私は慌てて彼を助けました、どこかミフユさんに似た……おかっぱ頭の男の子でした。別荘に連れて帰って、お風呂に入れたりスープを飲ませたりして温めたのですが……いつの間にか消えてしまって。探しても……見つからなくて、それで、夢を見たんです」
「……夢?」
「はい。ネザメさんに少し似た人と、一緒に山道を歩く夢……大人の男、三人だったかな……に、襲われて、私は主人を逃がして刺されて……海に捨てられて、主様を守るため主様の元へ戻るため、どこへ行けばいいのかも分からぬまま、貴方を求め這いずって……暗く寂しい洞窟の奥で果てました」
「…………水月くん? どうしたんだい、様子が……」
「海に囚われ人をいざなう悪霊に成り果てた私を、この男が救いました。私が夢に見せてしまった私の命の終わりの記憶を頼りに私の死体を探し当て、祈って……呪縛を解いたのです。ようやく戻ってこられた……主様、主様っ、ご立派になられて!」
「…………サキヒコ、なのかい?」
「……! はい、主様! 私です主様ぁ……よくぞご無事でっ、私は務めを果たせず情けない限りです、主様に合わせる顔などない……! でも、でもぉ……寂しかったぁ、主様……暗かった、冷たかったぁ、怖かった、痛かったぁ……会いたかった、主様……主、さま、あるじさま……」
ぽん、と頭に誰かの手が触れた。いつの間にか閉じていた目を開けると視界が真っ暗だった、不思議に思いながら自分の体勢を確認すると、俺は何故か老人に抱きついていた。
「へっ……?」
「……? どうしたんだい?」
「お、俺、何してっ……ご、ごめんなさいすいませんご無礼をどうかお許しくださぁいっ!」
幽霊のサキヒコと知り合い、骨を見つけるまでの経緯を説明していたはずなのに、俺はいつの間に老人に抱きついていたんだ? そこまで節操なしじゃなかったはずだ。
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