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やっぱり勝てないけれど

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シャバに、いや、この世に居られる最後の夜かもしれない。彼氏達を全員集めて乱交パーティでも開きたかったが、サンの髪を愛でて終わった。最後の晩餐を食べられる人間は少数派なのだ。

「美味しい?」

俺にとって本当の意味での最後の晩餐、いや、朝食はフレンチトーストだった。どうやら昨日の晩から漬けていてくれたらしく、とても美味しい。

「すごく美味しい!」

「よかった。ね、お昼ご飯は何食べたい?」

「ぁ……ごめん、この後……行かなきゃいけないところがあって」

「そっか、レイちゃん取り返しに行くの? 無理だと思うなぁ、もっと怪我しちゃうよ」

「……今日はやめとく。他の彼氏達とも話して、いい手を探すよ」

「そう……ごめんね、相手が形州でさえなければボクがどうにかしてあげられたんだけど」

「俺の方こそごめん、サンを利用しようとしてた」

沈黙が無音にならないのはパンのおかげだ、心地いい咀嚼音がダイニングに響いている。

「……ごちそうさま。もう、行くよ。またね、サン」

「…………うん。行ってらっしゃい、水月」

残念そうに、だが健気に微笑んでくれたサンを抱き締め、唇を重ねる。舌を絡めて、互いの唾液を飲み合って、数十分口で交わり続けた。

「……っ、はぁ…………水月、ねぇ……もう少し居ない? アンタも歩きにくくなってるだろ」

「うん、でも……また今度、必ず続きをしよう」

「…………そ。じゃあさっさと行ってらっしゃい」

前戯と呼ぶに相応しいキスで僕達は二人とも勃ってしまった。けれど俺は日常に未練を残すため、あえてサンとの触れ合いを中断し、包丁を持って元カレの家に向かった。



戸鳴町の工場地帯、タイムスリップしたかのように空気が澱んだこの辺りに、レイは居るはずだ。

「ここ、かな」

マップアプリを頼りに着いたのは工場そのもの、働いている人は居るが住む場所には見えない。家は別にあるのだろうか、だとしても近所だと思うのだが。

「……どうしよう」

炎天下、汗を拭って工場周辺を歩き回る。

「おーい坊主! 何してんださっきから!」

数十分そうしていると、工場の従業員と思われる中年男性に呼びかけられた。

「あっ……ぁ、の、俺っ、えっと……あっ、形州 國行くんの友達なんです! 今日遊ぶ約束してて、でもちょっと迷っちゃって……形州さん家、知りません?」

「おぉ、坊ちゃんの。えっとな、裏の方回ってな──」

親切な男性に元カレの家の場所を教えてもらった。俺は深く頭を下げ、男性に手を振ってその場を離れた。

「ありがとうございます!」

俺がニュースで報道されたりしたら、彼も落ち込むんだろうな。いや、報道なんてされない。この包丁は脅しのためだ、脅すために本気で刺しに行くけれど、刺さらないでくれと祈っておくのだ。

「…………」

宅配便に扮したり、扉の陰に隠れたり、色々と策を考えてはいたが俺は結局バカ正直にインターホンを鳴らした。服の中に隠していた包丁は右手に握っている。

(出ますかな……?)

応対するのが元カレではない可能性もある、彼の父母や兄弟姉妹かもしれない、包丁を持つ右手は背に回しておこう。

(来たっ……!)

ドアノブが傾いた。瞬間、扉が勢いよく開き、腹にドンッと衝撃が与えられて吹っ飛んだ。

「……なんで俺の家まで知ってるんだ」

深いため息をつきながら扉をくぐった元カレは不愉快そうに俺を睨む。彼は扉を開けてすぐに俺を蹴ったのだろう。吹っ飛ばされたけれど包丁が背中に刺さるなんてアクシデントは起こっていない、包丁はまだ手放していない、立て。

(あ、足っ、足ガクガクするっ……嘘だろ腹一発蹴られただけでっ)

腹の鈍痛と足の震えを押して立ち上がり、両手で包丁を握った。

「…………何のつもりだ?」

「分かってんだろ……レイを返せっ!」

「……嫌だ」

「殺すぞ!」

本気の殺意を見せれば流石にたじろぐだろう。そんな考えは甘かった、元カレはずんずんと俺に向かって歩んでくる。

「本気だからなっ……!」

握り締めた包丁を少し引き、一気に突き出す。本当に刺す気で振るった包丁は元カレの脇腹の横をすり抜け、彼の右手は俺の両手首をあっさり捕まえた。

「…………気持ちは伝わる」

極度の三白眼が、いや、四白眼が、俺を見下ろす。

「……身体が着いてきていないな」

ドンッと、重たい衝撃。また腹を蹴られた。呻く暇もなく二発目、三発目と繰り返される。

「ぐっ、ゔあっ……げほっ、ぉえっ……」

嘔吐した瞬間、元カレは俺の手首を離して俺を蹴り飛ばした。

「げほっ、げほ、げぼっ……はっ、はぁっ……はぁ……あぁ、あ……はぁっ……」

痛い。苦しい。頭がグラグラする。喉が焼ける。内臓がおかしくなった。閉じられない口から無意味な声が漏れる、肺に空気が入っていかない。

(何、何この苦しさ、腹蹴られるってこんなキツいの、無理無理無理無理、無理! もう無理! 頑張った、水月くん頑張った! ド陰キャネガティブ引きこもりキモオタにしてはよくやった! もういい、もういいでしょ、もう痛いのも苦しいのもやだ!)

元カレは俺の吐瀉物を避けて歩き、四つん這いで胃液や唾液を零し続ける俺の脇腹を強く蹴った。

「……汚い。敷地外で吐け」

「ご、め……なさ……」

「…………レイは俺のものだ」

「もう、やめて……くださいっ、痛いの……いや、だ」

近寄って来い。頭を踏め、腹を踏め、そうしたらその足に包丁をぶっ刺してやる。もっと惨めに這いつくばっていれば来るだろう、そういうヤツなんだろお前は。

「……狙いは分かる、策としてはいい。詰めが甘い、そういう時はな……」

狙い通りに近寄ってきた元カレは俺の頭も腹も踏まず、俺の右手を思いっきり踏み付けた。

「あぁああっ!?」

「…………得物を握り締めるのはやめた方がいい、何かを狙っていると丸分かりだ」

「いだっ、痛いっ、重い痛い痛いぃっ! 折れるっ、指折れるぅっ! やめてっ、離してやめてぇっ! お願い痛い痛いっ、いだいのっ! やめてくださいっ、セイカ様ぁっ! 許してください!」

「……? 俺は形州だが」

「せんぱいっ!」

レイの声が聞こえて中学時代に戻っていた脳が現代に帰還した。視界は涙で歪んでいたけれど、玄関のところに紫色の人影が見えた。

「せ、せんぱい……? せんぱいっ! なんで、ぁ、くーちゃんっ! くーちゃんやめてっ、せんぱいに酷いことしないで!」

走ってきたレイは元カレの腕にしがみついて引っ張ったが、彼はビクともしない。

「……コイツが包丁持って乗り込んできたんだぞ」

サンのように拘束具を使ってレイを閉じ込めていた訳じゃなかったみたいだ。首に爆弾が巻かれているなんて映画みたいなこともないだろう。俺は俺の手を踏んでいない方の元カレの足を両足で挟んだ。

「レイ逃げろ!」

「へっ……?」

「逃げろ! 早く! 勝てなかったけど、全然勝てないけどっ、時間稼ぎくらい出来る! 早く逃げてくれ!」

「そ、そんなっ、そんなこと出来な……」

「せめてレイが逃げてくれなきゃ俺殴られ損なんだよ!」

「……今日はまだ殴ってない」

こんなこと言ったってレイは逃げてくれないだろうな、俺は何も為せないんだろうな、なんて半ば諦めた心は全力で走り出したレイの後ろ姿を見て塗り変わった。

「………………意外だな」

「いいぞレイっ、行けっ……行けぇっ!」

右手を踏み付ける手に力が込められたが、レイの足を止めてしまわないよう俺は「痛い」なんて言わなかった。頑張った。誰か、褒めてくれないかな。
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