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ちょっと疲れただけ

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服を着たまま浴室に座り込み、項垂れた黒髪の少年は確かにシュカだ。右手から血が流れている。俺はまず出しっぱなしだったシャワーを止めた。

「シュ、シュカ……シュカっ……?」

彼の髪やシャツには米粒がたくさんついている。ほんのりといい匂いのするシミは味噌汁か? いや、今はそんなことどうだっていい。

「て、手当て……止血っ」

タオルが入っていそうな棚は空っぽ、脱衣所の床に落ちたタオルや洗濯機から零れたタオルなんて使える訳がない。ティッシュじゃ血や水で濡れてちぎれて傷跡に入ったりするかもしれない、ラップ、そうだラップだ、清潔だし密封出来る。

「あった、これで……!」

キッチンでラップを見つけて浴室へ戻り、シュカの右手首を恐る恐る手に取る。

(傷は……手首にはない、リストカットとかじゃありませんな。よかった……血は手のひらから? 握ってて傷口が見えませんぞ。パーしてくだされシュカたま、パー)

怪我をしている箇所に強く触れるのは躊躇われるが、手を開かさなければ傷がどんなものか分からないし、手当ても出来ない。俺は手を震わせながら恐る恐る力を強めていき、シュカの右手を開かせ──

「痛っ!」

──られなかった。無理に開かせようとしたせいで痛がらせてしまったようで、シュカの右手は俺の手の中から逃げてしまった。

「…………ぁ?」

濡れた黒髪の隙間から、ズレた眼鏡と寝起きとは思えない鋭い眼光が見えた。

「……っ、シュカ俺だ! 水月だ!」

ぴた、と血まみれの拳が眼前で止まる。左手が胸ぐらから離れ、眼鏡の位置を直したシュカが深いため息をつく。

「驚かせやがって……」

他人が傍に居ると何日眠っていなくても眠れないと語っていたシュカが、近寄っても声をかけても起きず、傷口に痛みを与えてしまってようやく起きるなんて、一体何日眠っていなかったのだろう。それとも寝付けないというだけで、アキと違って眠りが浅い訳ではないのだろうか。

「シュカ、大丈夫か?」

「何が…………ぁあ? 待て、待て……なんでてめぇがここに居る。ここは……オレん家だ、そうだよな? 連れ込んだか? いや、そんな覚えは……」

「ごめん、勝手に来た。調べて……シュカ十日以上音信不通で、心配だったんだ」

「あぁ、そうか……そりゃ悪かったな、忙しかったんだ……」

「そんなことより怪我を見せてくれ」

「あぁ……? あぁ、てめぇこれ好きだな。ほら」

シュカはシャツを捲り上げて腰を捻り、脇腹にある派手な切り傷の跡を見せてくれた。

「違う! 傷跡じゃなくて傷! 現在進行形の怪我! 手だよ手、右手!」

「右手……」

「手開けるか? 痛いか?」

シュカは眉間に皺を寄せながら握り拳を開いた。するとカツンッ、コツン、と床に茶碗の破片らしき物が落ちた。

「今手当てするからな。あっ……」

手のひらは真っ赤になってしまっていて分かりにくいが、茶碗の破片は全て床に落ちてはいなかった。シュカの手に刺さったままの物もあった。

「ど、どうしよう……シュカ、これ、こういうのって抜いちゃダメなんだよな。病院、病院行こうこのまま」

びしょ濡れのまま行くのはまずいか、頭の米粒も取ってやった方がいいか、血の赤色を目の当たりにして思考が酷く遅くなっている、なかなか結論が出ない。そうこうしている間にシュカは自分で刺さっていた破片を抜いてしまった。

「……っ、あぁっ!? あっ……そんな深くは刺さってなかったんだな、あんまり血出てこない……よかった。て、手当て……手当てを」

包帯を巻くようにシュカの右手にラップを巻く。透明のラップなら絆創膏や包帯と違って傷が見えるかと思ったが、内側がすぐに真っ赤になって何も見えなくなった。

「シュカ、シュカ……何があったんだ?」

「何……」

「手、なんで怪我しちゃったんだ?」

「……なんでだったかな」

ぼーっとしているようにも見えるし、まだ寝ぼけているのだろうか。

「…………あぁ、皿が割れたから、片付けようとして……切ったんだ」

「素手で割れたもん触っちゃダメだろ? もぉー……病院行くぞ! あぁその前に着替えないと、びしょ濡れだ。なんで服着たまま風呂入ってたんだよ」

「汚れたから……皿片付ける前に、頭洗おうと……服? あぁ……服脱ぐの忘れた。あ、そうか、風呂の最中に寝ちまってたのかオレ」

寝ぼけているなんてレベルじゃないし、寝る前からその調子ならそれはもう……何だ? どうしたんだシュカ、何があったんだ。疲れているのか?

「……と、とりあえず病院行こう。なっ」

髪に絡んだ米粒を手ぐしで取ってやり、濡れた米粒の感触の気持ち悪さにゾワゾワしながら手を洗った。

「ふぅー……カピカピであって欲しかった。シュカ、立てるか?」

左手を掴んで引っ張り、立ち上がらせ、服を脱がす。着替えが脱衣所には見当たらなかったので外に干してあった物から取ってきた。

「こっちに着替えて……よし、病院行こう」

青息吐息とゴシック体で書かれたシャツを着せ、玄関へと引っ張っていく。

「……待ってください」

ようやく自分が敬語キャラだということを思い出したのか?

「何? あ、保険証?」

「病院なんて行きませんよ。割った茶碗でちょっと切っただけじゃないですか。っていうかなんでラップ巻いてるんですか……あなたの仕業ですか?」

「それくらいしか思い付かなくて……! いやいや俺の手当てが気に入らなくてもいいけど病院には行ってもらうぞ」

「縫うレベルじゃないんですから行きません」

シュカは俺の手を払って右手のラップを剥がし、洗面所で血を洗い流し、アルコール除菌スプレーを右手に振りかけ、軽く馴染ませた。

「……っ! ぐ、ぅ…………ふーっ、終わりましたよ。ほら、病院なんて必要ないでしょう」

「めちゃくちゃ痛そうな顔してるぅ! なんてことするんだよ大丈夫なのか!?」

「大丈夫ですってば、後は絆創膏でも貼ります。じゃあ水月、さようなら」

「……へっ?」

「出てけっつってんですよ不法侵入者、警察呼びますよ」

「痛い痛い蹴るな蹴るな! 病院行けよ! 利き手怪我してちゃ色々不便だろ? 今日一日くらいは俺面倒見るっ、痛いって全然やめないなぁ蹴るの!」

「今後はちゃんとスマホ見ますから、二度と来ないでくださいね」

シュカによって家から蹴り出され、勢いよく閉まると同時に鍵がかかる音がした扉を見つめて俺はしばらく呆然としていた。
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