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泊まりたいのに

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油絵は一日で描き上がるものではないらしく、今日描かれた絵は二枚とも乾燥室に運ばれた。名前の印象に反して温度も湿度もそこそこあるように感じた。

「あんまりカラッとしてないけど、ここで本当に乾くの?」

「水彩とは乾くメカニズムが違うんだよ、空気中の水分量はあまり関係ないんだ」

「ふぅん……? この絵、まだ完成してないんだよね?」

「表面がもう少し乾いたら重ね塗りして、それを繰り返したり他のところにも手を加えたりして……いい感じになったら完成、この部屋の奥の方に入れて完全乾燥を待つよ」

「それが半年かぁ……」

気の長い話だ。俺は気が短い方だから、これからも一途にラッカーを推していこう。

「もう外暗いね」

アトリエや乾燥室の窓は塞がれていた。廊下の突き当たりの窓から見える空には星が瞬いている。

「夜? そっか……夜に外歩くの危ないよね、泊まってく?」

「いいの!? やった……!」

時間をかければ付き合える可能性が出てきたばかりなのに、泊まりと聞いてすぐにセックスが浮かんでしまうバカな頭をどうにかしたい。

「あ、母さんに電話かけていい?」

「うん。ボク先に手とか洗っておくから電話終わったら洗面所おいで」

エレベーターを使って共に一階に降り、俺はエレベーターの前で立ち止まって母に電話をかけ、サンは洗面所に向かう。サンの行き先を目で追って洗面所の場所を把握し、壁にもたれる。

(わたくしも顔にちょっとついてますよな、多分。なんか爪に引っかかりますし……ぉ、ママ上)

サンに触れられた際に顔などについた絵の具を引っ掻いていると、母が電話に出た。

「もしもし、あなたの愛息子こと水月ですが」

『水月? 出かけたって聞いてるけどまさか泊まり?』

「お察しの通りでそ。今日はお泊まりしますので、晩ご飯と明日の朝ご飯は要りませぬ」

『買い物前に言って欲しかったわね……まぁいいわ、今日は誰のとこ泊まってるの? レイちゃん?』

「サンさんでそ。まだママ上には紹介していませんでしたな、今度機会を作りまそ。えぇと……アキきゅんのお部屋を作ったという会社の社長の弟さんでそ」

以前ヒトが家に来た際、アキの部屋やサウナやプールを作ったのは穂張興業だと教えてくれた。思わぬ繋がりに世間の狭さを実感したものだ。

『アキの……え、穗張?』

「大正解でそ~」

『……ちょっと待ってアンタ穗張のとこに居るの!? ダメダメ嘘でしょ今すぐ帰ってきて!』

「えっ? どうして……ひゃんっ!?」

冷たい手が頬に触れ、思わず甲高い声を上げてしまった。

「ふふふ、びっくりした?」

「するよ……もう、心臓止まるかと思った」

『水月! 水月!? 大丈夫!? どうしたの!?』

「あぁ母さんごめんごめん、ちょっとイタズラされちゃって」

「お母さん? こんにちは~……こんばんは? 息子さんに口説かれてま~す」

のほほんとしたサンの言葉はノイズキャンセリング機能によって母には届いていない。サンにちゃんと挨拶してもらうべきだろうか。

「母さん、ちょっと電話代わるね。はい、サン」

「……もしもし、お電話代わりました。穗張 蚕と申します。わたくし画家をやらせてもらっていまして、本日は水月くんに絵のモデルを頼んでおりました。遅い時間に帰らせるのも何ですので、うちに泊まってもらおうと思ったのですが……はい、はい……しかし…………少々お待ちください」

初めて聞いた落ち着いた声色に胸がときめく。静かな美貌に似合う冷静な表情を眺めていたかったけれど、彼はすぐにスマホから耳を離して俺を見つめた。

「迎えに来るってさ」

「えぇ!? ちょ、貸してっ……母さん? 今日は泊まるってば。いつも普通に泊まらせてくれたじゃん、なんで今日はダメなの? なんかあるの?」

相手がサンだと分かる前は許可してくれていたようだったのに……いや、サンと言うよりは穗張か? 穗張の名を聞いた瞬間に母が焦り出していたような気がする。穗張には何かあるのか? 増築を頼むような仲のくせに?

「とにかく今日は絶対泊まるから!」

「水月、ダメだよ。お母さんを困らせちゃダメ。また今度おいで。お母さんに心配かけちゃダメだよ、ね?」

ぼんやりとしたままの白い瞳に俺を映さないまま、立てた人差し指を俺の唇に触れさせて俺を窘める。

「…………分かった。母さん……一人で帰れる、すぐ帰るから……うん、うん……切るね。ばいばい」

ここで駄々をこね続けてはサンからの好感度が下がってしまう。母への文句は後で面と向かって言うとしよう。

「……えらいね、いい子だ」

電話を切って深いため息をつくと、サンに頭を撫でてもらえた。

「…………水月はまだ高校生なんだもんね。よく分からない男の家に泊まるってなっちゃあそりゃお母さん心配だよ。ごめんね水月、実感するまで考え至らなかった、やっぱりボクはまともな大人じゃないや」

「サンが謝ることなんか何もないよ……今まで他の彼氏の家に泊まったり、何日もお世話になったりもしたのに、今日急に……! こんなの理不尽だ」

「……今日だけなの? 他の彼氏のとこにお泊まりするのは大丈夫だったのに、ボクのとこだけダメになったの? 用事あったとかじゃなくて?」

「うん……」

「そう…………そっか……」

暗い顔になってしまったサンは深いため息をつくと俺の首に腕を絡ませ、俺の唇に唇を押し付けてきた。当然俺はサンを抱き締め返してサンの長い舌を受け入れ、舌も口内も痺れ切るまで深いキスを続けた。

「…………っ、はぁ……」

口を離し、唾液の橋を切り、サンの扇情的な表情を見つめる。いつの間にかサンの手は俺の頬に触れていた、紅潮も恍惚もサンにはバレてしまっているだろう。

「水月……お母さんの言うことよく聞くんだよ」

「……俺は歳の割には素直な方だよ」

「ふふっ、そんな感じがするね。じゃあね、水月……水月に好きになってもらえたのはすごくいい体験だったよ、水月に会えて嬉しかった。さようなら、水月」

「……? ばいばい、サン。またね……すぐ呼んでね?」

アトリエで過ごした時間は有意義なものだったと思うけれど、性的接触がディープキス一つなのはやはり不満だ。ムラムラとイライラが下腹部と胸と頭に不快な熱を溜めている、帰ったら母に文句を言って、セイカに手軽な手コキか素股でも頼んで、すぐに発散しなければ。
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