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おまけ

おまけ フィナンシェが呼び起こす記憶

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※水月ママ視点 741話~の裏、水月の居ない日曜日にお菓子作りをする話。



週に一度の休日、私は暇を持て余していた。葉子はどうせ見つからない職探しのためフラフラ出かけてしまったし、水月も彼氏と約束があるとか言って出かけてしまった。少し前に口説き落とした本屋の店長は今日は都合が付かない。

葉子は浮気者が嫌いだから万が一にもバレないようにとセフレと粗方手を切ったのがまずかった。暇、めちゃくちゃ暇。葉子と店長の二人じゃ暇を持て余すのも当然、四人くらいにしておけばよかったかな。

《秋風ー、お話しな~い?》

《しな~い》

もう一人の息子は愛想が悪い。水月なら用事がなければ話し相手になってくれるのに……っと、比べるのはよくないわね。

「ええ子やよ~」

「溶けるぅ……」

話し相手になってくれそうな天正くんは狭雲の相手中。狭雲は早苗に苗字が変わったんだっけ? ややこしいからセイカでいいかな。セイカ……半年前までは水月を虐めていたクソカス野郎、美少年の膝枕でお昼寝とはいいご身分ね。腹立ってきた。

「……! そうだ」

お菓子を作ろう。暇でイライラしている時には凝ったパンやお菓子を作るのが一番だ。最近水月が手芸用を買い込んでいるのを見て、物作りの心が刺激されていたところだしちょうどいい。

「ねぇ、ちょっといい?」

「はい?」

「はっ、はい」

ソファでくつろいでいる二人に話しかけるとセイカは慌てて身体を起こした。なんでコイツ私のことちょっと怖がってるのかしら、そういうとこもムカつく。

「お菓子作ろうと思うんだけど、何か食べたいのある? 材料はある程度しか揃ってないから作れないのもあるけど」

「えーお菓子? お菓子……あ、久々にたこせん食べたいですわぁ」

「……どんなのだっけ?」

聞いたことがあるような気はするけれど、パッと浮かばない。

「エビせんにソース塗ってぇ、天かす振ってぇ、青のり振ってぇ、欲しかったらマヨネーズかけて、っちゅう駄菓子ですわ。幼稚園の頃それが昼飯やったんです」

「天かすは確かあったわね……エビせんはないわ、買ってきなさい」

天正くんの手のひらに五百円玉を落とす。

「ええんですか!? あの、目玉焼きが足された豪華なバージョンもあるんですけど……」

「卵ならあるわ。いいわよ、そっちも作ってあげる」

「わーい! 行ってきます!」

五百円玉だけを握り締めて天正くんは走って家から出ていった。可愛い子ね、水月が小学生の頃を思い出すわ。

「……いや私が作りたいのはもっと凝ったもんなのよ」

卵を焼く以外せんべいにトッピングしていくだけでは私のストレスが解消されない。バター焦がしたいし、バニラエッセンス滴らせたい、ベーキングパウダーで膨らませたい。

「アンタはなんかないの? リクエスト」

「へっ? お、俺……俺、いいんですか?」

「聞いてるんだからいいに決まってんでしょ。お菓子作りたいんだけど自分じゃパッと思い付かないのよ、材料あるか分かんないけどパッパと言ってちょうだい」

「え、えっと……えっと」

緊張と混乱が見て取れる。鬱陶しい。腹立たしい。これを好きになれるなんて水月の趣味は私とは違うのね。

「……ふぃ、なん……しぇ?」

「…………フィナンシェ? ほどよく面倒臭いわね。いいとこ突くじゃない、それにするわ」

引き攣った笑顔で頭を下げるその仕草も気に入らない。昔水月を虐めたクソガキを、今は大人しくなり過ぎて鬱陶しく面倒臭いこんなヤツを、そこそこの金と手間をかけて分捕ったことを思い返すとため息が出る。どうせならホムラくんの方が欲しかった。いえ、水月のためよ、水月の彼氏だからクソみたいな環境から引き上げてやっただけ、私の手間も感情も関係のないことね。



バターを焦がす音と匂いがたまらなく好き、ストレスも一緒に溶けていく。生地を掻き混ぜるのも好き、ダマを潰す度に悩みも一つずつ潰れていく気がする。

《ユノぉー、何してんのー?》

《お菓子作ってるの。アンタは何か食べたいお菓子ある?》

《ブルヌィ》

《ペラペラのんじゃなくて膨らむのがいいのよ、ベーキングパウダー使いたいの。フィナンシェはどうしようかなー、使ったらふわふわ食感で使わなかったらしっとりめ……どっちも美味しいのよね》

《どっちも作ろうぜ》

そういえばろくに食事も取らせてもらえなかったらしい家で育ったセイカがどうしてフィナンシェなんて知っていたのかしら。あの女がフィナンシェを作れるとはとても思えないし、買うとも思えない。

「ただいま戻りましたぁー」

水月が教えたのかななんて考えていると天正くんが帰ってきた。

「おかえり、エビせんあった?」

「はいー、ぁ、お釣りどないしましょ」

「机に置いといて」

「はい~」

レシートに包んだ小銭をダイニングの机に置くと、天正くんは私の傍にやってきて手元を覗いた。アキも同じように覗きに来ている。
水月を産むよりも前に付き合っていた男達の何割かも私がキッチンで作業しているとよくこんなふうに背後をちょろちょろ歩き回って邪魔だった。でも、躾のなっていない犬のような仕草は可愛らしいと思う。犬は好きだから。

「そういえば……天正くん理系よね。料理は文系でお菓子作りは理系って話を聞いたことあるんだけど、どう? お菓子作り」

「家庭科やないんですか?」

「そうなんだけどね。ほら、お菓子って分量が大事でしょ? 料理みたいに味見しつつアレンジとかはあんまり好かれないの。ベーキングパウダーなんて特に化学反応感強いし」

「ベーキングパウダー……?」

「これ。簡単に言うと重曹ね」

「あぁ……ぁ? 重曹でええんです? なんや見た目ちゃいますけど」

「……! 見て分かるのね。その通り、実は重曹とベーキングパウダーはちょっと違うわ。ケーキを作る上で純粋な重曹だと何がまずいか分かる?」

「えー、ケーキよぉ分からんのですけど……焼くもんに重曹混ぜたら……ガス発生して……えー、スポンジふわふわにさせるっちゅうことやろうし…………変なタイミングで膨らむとまずい?」

「そう! タイミング調整のために他の材料や焼き時間に合わせてベーキングパウダーには重曹に加えてあるものが入ってるのよ。何が入ってると思う?」

「えー……ミョウバン?」

「焼きミョウバンね、それもあるわ」

「……酒石酸」

「あるわね。酒石酸水素カリウムもよく入ってるわ」

「ようは中和するもんっちゅうことでしょ? 酸性で食えたらええんちゃいますん」

「まぁ……ざっくり言うとそうかもね。ガス発生剤、酸性剤、遮断剤が要るのね。はちみつとかヨーグルト使う時は重曹だけでいいかもね、分量や焼き時間によるけど」

「遮断剤っちゅうんは何です?」

「箱とか袋に入れて輸送中とか自宅で保存中に反応しないよう、ガス発生剤と酸性剤を分けておくものよ。小麦粉とかね」

「ほぇー、ちゃんと考えられとりますなぁ」

楽しい! 水月にはこういうことを何度説明しても「重曹は掃除にもお菓子作りにも使える魔法の粉」から認識が進まない。中学生レベルの内容すら怪しい水月には心配が募る。成績なんて留年しない程度ならいいけれど、理科に関しては中学生レベルの内容はちゃんと理解しておく必要があると思う。水素が溶けてるなんて戯れてる水を買う程度ならまだしも素人が作ったカビだのキノコだの食うようになったら命に関わる。

「興味出てきた? お菓子作りやってみない? ハマるわよ~」

「うーん……」

「水月お菓子めちゃくちゃ好きなんだけどあの子めちゃくちゃ太りやすいのよ。ローカロリーで美味しいお菓子を作れたら、水月すっごく喜ぶんじゃない?」

「……!? やります!」

「よーしよしよし、連絡先交換しましょ。日曜はいつでも家来ていいわよ」

「わーい」

水月は男子高校生にしては母親と仲良くしてくれている方だと思う。買い物に誘えば着いてくるし、料理を教えてやれば覚えてくれる。けれど、ファッションに興味がないから服を考え合う喜びはないし、料理も覚えるだけで味の組み合わせを考えないから新レシピ創作の楽しみもない。

「創造性が低いのよねぇ水月は……再現力はすごいんだけどね……」

アニメキャラが持っている武器をダンボールで作り、髪飾りを端切れで作り、キャラそのもののぬいぐるみやフィギュアを作り──あの辺りの能力は本当に高いと思う。

「元絵からポーズちょっと変えたフィギュアは作れるけどオリキャラは作れない……微妙なとこよねぇ……」

「……独り言多いとこも水月に似てはりますなぁ」

「あっ、ごめんごめん。今回作るフィナンシェは普通に作るんだけど、スイーツのローカロリー化のコツってのはねぇ……」

焼き上がりを待つ間、天正くんにお菓子作りのイロハを叩き込んでみた。彼はとても吸収力があり、細かいところまでよく気付く、あえて隙を作った説明をするとちゃんとそこを質問してきてくれる。

「はぁ……人に物教えるの楽しい……! 色んなタイプの彼氏作ってる水月に感謝ね、色んなタイプの息子が出来る……あ、ねぇねぇ天正くん、ファッション方面強い子っている?」

「ハルやろか……霞染っちゅう子はいっつもちゃう服着とりますよ」

「……他の子いつも同じの着てるの?」

「似たり寄ったりですわ、みんなだいたい制服とおんなし半袖に長ズボン。せやけどハルはスカートやら短パンやら何やらかんやらころっころ変えて、髪型もよぉ変えとります、そんでもまだ服欲しいやらアクセ欲しいやら言うてますわ」

「なるほどねぇ。あの女装してる子か……確かに結構オシャレだったわね。料理得意な子は居る?」

「年積さんは水月の弁当作ってました、後は……鳥待が自分で飯作っとるくらいですやろか」

そういえば居たわね、味と栄養とカロリー全てのバランスが完璧に近い弁当を作る子。あの子とは一度じっくり話をしたいと思っていたところよ。

「なるほどね~……やっぱりいいわねぇ、たくさん居るって。私何人キープしても似たような子ばっかりなのよね、好きなタイプ固まっちゃっててさ。水月すごいわー……」

水月の彼氏についての話も緩やかに終わりを迎えた、けれどまだフィナンシェは焼けていない。

「目玉焼き作っちゃうからたこせんの準備しててくれる? 四枚ね」

「はいー」

エビせんにソースを塗り、天かすを乗せ、青のりを振る。豪華版は目玉焼きが乗り、お好みでマヨネーズをかける。私にはあまり馴染みのない食べ方だけれど、天正くんは幼い頃よく食べていたらしく懐かしがっていた。

「んん……! この味や、懐かしいわぁ」

《俺マヨネーズなしが好きだな》

「割と美味しい……なんでこれたこせんって言うんだ? エビせんべいだろ?」

「ほんまやったらエビせんにたこ焼き挟んだもんをたこせん言うねん。卵のんは正確には目玉せんやで」

《天かすのザクザクがイイ。チープな美味さがクセになるぜ》

「へぇ……たこ焼きって、なんか……丸いのだよな。アレ単体で一つの料理だろ? なんで挟むんだ?」

「焼きそばパンにも同じこと言うんか?」

「言うけど……」

《パリッとしたせんべいが最高だけど、ソース染み込んでしなっとしたせんべいも美味いな》

「食えるもん器にしたらゴミが出んでエコやからや。知らんけど」

「知らないのかよ」

《片手で食えるってのもイイ》

私もセイカも相槌すら打っていないのに一人それなりの声量で食レポを続けているアキには奇妙な感情を抱かされる。マイペース過ぎて呆れる? 可愛い? うーん……可愛いが圧勝ね! だって私の息子だもの!

「美味しかった……ごちそうさまです」

「ごっそさん。アキくんどないや、俺ん故郷くにの駄菓子、気に入りはった?」

《美味かったかって》

「おいしい、する、したです」

「ほんまぁ、よかったわぁー。んふふ……かわええのぉアキくんはほんま可愛いわぁ」

完全同意! 白髪を掻き混ぜるように頭を撫でられているアキはとても可愛い、もちろん笑顔でアキを撫でている天正くんも可愛い。可愛い光景を眺めて平穏な幸福を噛み締めている様子のセイカは……ちょっと殴りたいわね。

「……ぉ? なんか鳴りましたで」

「フィナンシェ焼けたわね。焼きたては食感が違うのよ、体験してみたいわよね?」

「みたーい!」

ミトンをはめてオーブンから取り出したフィナンシェを型から外し、皿に乗せてダイニングのテーブルへ運ぶ。

《熱っ、熱……うっま! 高ぇ甘さがする》

「熱つ……んんっ! ん~……んっまい! カリふ
わ~」

「時間が経つとどんどんしっとりしていくから、外側のカリッと感が楽しめるのは焼きたてだけなのよ。冷めてしっとりしたのも美味しいし、いっぱい焼いちゃったから、天正くんお土産に持って帰りなさいね」

「ええんですか? ありがとうございます!」

久々に作ったがいい出来だ。流石私。

「…………これだ」

二人とは違い黙って食べていたセイカがぽつりと呟いた。

「この味だ……」

セイカはフィナンシェを一つ食べ終えるとポロッと涙を零した。そんなに美味かったのか? なかなか可愛いところがあるじゃないか、だからって過去のことを許す気は毛頭ないけれど。

「……鳴雷」

何? って私じゃないわね、水月のことかしら? やっぱり水月が奢ったりしたのね。

「鳴雷ぃ……ぅ、うっ……ぁ、あぁああぁあっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃっ!」

突然大声で叫び出したセイカに驚いてアキが噎せる。

「せーか!? どないしたん、せーか!」

天正くんがすぐに席を立ってセイカを抱き締めるも落ち着かず、彼は長さの違う腕を振り回し始めた。私はアキの背をさすり、水を飲ませた。

《ふぅ……びっくりしたぜ。またかよスェカーチカ、どうするユノ、落とす?》

《……幻肢痛じゃなさそうよ、ちょっと様子見ましょ》

アイツがいきなり泣き出したり叫び出したりするのは珍しいことではない。物を壊したり怪我をしたりしないよう押さえ付ける役は普段水月かアキが請け負っている、今日はあのまま天正くんに任せてしまおう。

「落ち着きぃやどないしたんなせーか! 大丈夫やなんも怖いことない!」

「もうやだっ、いやぁあっ! ごめんなさいっ、ごめんなさいごめんなさいっ、もう放してっ、死にたいっ、憎んでくれよっ、死なせてくれよぉっ!」

「なんやの急に……! そんなん言うたら水月悲しむで」

「……! ぁ、あっ、あぁあああああーっ!? ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ」

「悪化してもうた……す、すまんなせーかぁ、安易やったな、今辛いんせーかやもんな、水月のこと考えてる余裕ないなぁ」

本当にそうなんでしょうね。セイカは他人に迷惑をかけるのが嫌だとよく泣いたり落ち込んだりしているけれど、迷惑をかけないよう努力出来ていない。

「はぁ……」

薬まで使ってギリギリ現世に踏みとどまっているような追い詰められた子供にこれ以上努力しろなんて言えない、言ってはならない。でも、ムカつく。私の息子を虐めたくせに、水月は精神を病みまではしなかったのに、どうして虐めたアンタが壊れかけているのか、心が理解と納得を阻む。

こういう時、自分がセイカの母親のような感情的な女でなくてよかったと思う。理性的にセイカにとっていい環境を用意してやれる人間だということに優越感すら覚える。同時に、あの女のように直情的にセイカを殴ったりしたら気持ちいいんだろうなぁ……と羨ましくも思う。

《うるさい……頭痛くなるわ。落ち着きそうにないわね。アキ、落としなさい》

《はいよ》

セイカの首に腕を巻き、数秒で絞め落とすアキの手際の良さに思わず拍手をする。

「あーぁー、容赦のぉ絞め落としてもうて……」

天正くんは強制的に意識を落とすのには反対なのかな?

「……羨ましいわぁほんま」

そういえばドMなんだっけこの子。





その後も私は湧き続けるストレスを消すためにお菓子を作り続けた。ベーキングパウダー使用と不使用、ココアパウダー入り、アーモンドパウダー増量版などなど色んな工夫を凝らしたフィナンシェを作った。

「こんなによーさんお土産もぉてええんですか?」

夕方、自宅に帰るという天正くんに各一種類のフィナンシェを持たせた。

「もちろん」

作り過ぎてしまったので後二セットくらい持って帰って欲しかったけれど、天正家の方に要らぬ気遣いをさせてしまうかもしれない。次に天正くんが家に来た時にお菓子を持参するかもしれない。そういうのは面倒臭いから嫌。

「んー……そんなに賞味期限長くないのよねぇ、水月が学校行ってる間なら持って行かせて彼氏に配らせたんだけど、夏休み中じゃそんなに都合つかなさそうだし……まぁ何人分かは分けとくとしてよ、残り……水月に食わせたらまたあの肉ダルマに……秋風、秋風は大丈夫なのかしら」

私は何をどれだけ食べても太らない体質だから、水月が太りやすいのは多分誰とも知らぬ父親からの遺伝、もしくは突然変異や隔世遺伝? 秋風はどうなのかしら。

「運動量がアホみたいに多いから水月より多く食べても平気なだけで、食わせ過ぎたらヤバそう……ぁ、セイカ! アンタは太った方がいいんだったわね。フィナンシェ処理係に任命するわ」

「へっ? ぁ、はい、身に余る光栄です……?」

目を覚ましたばかりのセイカにフィナンシェを押し付けると決めたはいいものの、まだまだ少食の彼には荷が重い量だ。仕方ない、残りは会社にでも持ってって配るか。




とは考えたものの、どう配るかは重要だ。下手に男に配って惚れられたら面倒だし、もしそいつが既婚者だったら面倒臭さが数倍に跳ね上がる。女なら大丈夫? 私の美貌の前には性別なんて躓きやすい段差程度の高さの壁になる。

「休憩室にビニール袋に入ったフィナンシェが置いてあって、ご自由にどうぞって書いてあったら……何人が取ると思う?」

「個別包装されてれば取るでしょうけど、このビジュアルだとキツいですね。ケーキ屋のゴミって感じです」

同意見だから休憩室に置いてこず、気心の知れた男の元まで運んでやったのよ。

「ケーキ屋のゴミ漁るなんて野良犬っぽいじゃないの、食べなさいよ」

「はぁー? クッソ態度悪っ、それが上司に対する言い草ですかぁ? 自力で処理出来ない量作っちまう方が人間未満だと思いますがね」

「私、犬は好きだからアンタにあげようと思ってたんだけど……人間ならいいわ。休憩室に捨ててくる」

「ワンワン!」

「欲しいなら最初から素直になりなさいよ」

結局、今回もとある既婚者の男の昼飯になった。彼には以前にも何度か残飯処理を頼んでいる。

「しかし自力処理不可能な量作っちゃったってことはまたストレス溜め込んでるんです?」

「……息子が昔イジメてきた相手と付き合ってんのよ」

「へぇー、倒錯ぅ~」

「興味なさそうね……」

「ないもん」

薄ら笑いを浮かべる男の視線は私に向いているようで、どこも見つめていない。昔からそうだけれど、やっぱり不気味な目ね。

「……ちなみに俺このベーキングパウダーなしアーモンドパウダー多めのフィナンシェが一番好きです」

「よく分かるわね」

ベーキングパウダーのあるなしは焼いてから一日以上経っている今ではもう私には分からない。

「上のお口も敏感なもので」

「私はすっかり不感症ね、何個も食べてるとアーモンドパウダーの量の違いも分からなくなってきたわ」

「…………この量全部食うのは俺にも無理ですよ、筋肉が脂肪にジョブチェンしちゃう」

「アンタ配ってきてよ。アンタが誰に惚れられようが私は関係ないし、問題解決よ」

「自己中が許されるのはアルビノ美人だけってこの世の真理をご存知ないようですね、全く…………おーいお前らぁー! 専務の手作りフィナンシェだぞ~!」

「あっアイツ……! まぁいいか……手渡しじゃなきゃ変な勘違いするバカ居ないでしょ」

私の手作りだと喧伝しながらフィナンシェを配り歩き始めた彼を横目に仕事を再開した私はその日の終業時間近くになって知ることになる、この会社には私の想像よりも遥かにバカが多かったことを。

「終業までに五人に告白されたわ、びっくりよ。フィナンシェ一つでこんな……私にフラれて能率下げるヤツが出たらそのカバーはアンタの仕事、私に危害を加えようとするヤツが出たらアンタが何とかする。いいわね」

「よだきい……」

幸い今日は何事もなく帰宅出来たけれど、今後もそうとは限らない。ストレス解消のために作ったお菓子で悩みが増えたのは誤算だった。

「おかえりなさいませませママ上~」

「……ただいま、水月」

「おわっ!?」

今思い出した、頭がゴチャゴチャしてきた時に一番効くのは愛しい息子を抱き締めることだった。
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