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おまけ
おまけ おみまいです!
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前書き
※ アキ視点。454話「また行方不明かと」の前、セイカのお見舞いに行くアキのお話。本編とは何の関係もありません、ただのおまけです。
家の中をただ歩いているだけで殴られることがあった。
《どんな時でも気を緩めるな!》
俺を殴った後、父は決まってそう言った。だから俺はどんな時でも周囲を警戒するのが癖になった。父からの不意打ちを回避、または防御出来るようになると父は嬉しそうにしていた。
顔が腫れるほど殴られることがあった。食事を取れなくなるほど腹を殴られることがあった。母が泣いて「もうやめて」と父に縋ったことがあった。
《お前はもっと強くなれるぞ》
父は母の願いを何一つ聞かなかった。俺を鍛えるのをやめることも、酒の量を減らすことも、酒場で会った女にホイホイ着いて行かないよう気を付けることも、なかった。だから離婚したんだろうな。
昔俺の目を潰そうとした元同級生を倒すと父は俺を褒め、母はよそよそしくなった。
父に褒められても別に嬉しくなかった。いつか元同級生と同じように倒してやろうと動きの癖を観察する程度の興味しかなかった。
母に抱き締められなくなっても別に悲しくなかった。彼女にとって俺が理想の子供ではなかったから興味が失せたように、俺も気付けば彼女への興味が失せていた。
ロシアを離れ父から離れ、母からも一時的に離れているのに、彼らへの執着や愛情なんて欠片もないのに、痛みだけを思い出す。もう当たらなくなったはずの父の拳が、夢の中では俺を痛めつける。
「……っ、はぁっ……はぁっ…………блядь!」
今日も夢見が悪い。
《…………兄貴。あぁ……温かい》
夢見が悪くて起きてしまったら、隣で呑気に眠っている兄貴の腕の中に潜り込むのが日課になっていた。
「おはよう、アキ、今日も可愛いな」
「……おはよー、です。にーに」
俺がベタベタ引っ付くのが嬉しいらしい兄貴の緩んだ笑顔を見るのも日課だ。
兄貴に触れられたり、見つめられたりする度に、暗くて冷たい場所に暖かな光が差したような気分になる。
太陽は大嫌いなのに、太陽みたいな兄貴は大好きだ。
「行ってきます、アキ、レイ」
今日も兄貴は学校へ行く。俺の大嫌いな太陽の光の中に消えていく。すると、暗さと冷たさが少しだけ戻ってくる。
「……このめー、遊ぶするです」
「あぅー……ごめんなさいっすアキくん、打ち合わせあるんすよ。部屋でリモートでやるっすから、入ってきちゃダメっすよ」
コノメが遊んでくれない日は、暗さと冷たさが深まる。
《……独り、平気だったのにな》
寝室に戻り、日本語学習用の音声を聞きながら筋トレをする。これも日課だ。
昼食から二時間弱経つとコノメはばいとに出かける。帰ってくる時は兄貴と一緒だ。
「いってらっしゃい、です。このめ」
「はぅ~、ホント可愛いっすねぇアキくん……バイトやる気出ちゃうっす。行ってきますっす!」
一人になると、途端に家が広く感じる。両親と住んでいた頃は何ともなかったのにななんて思いながら寝室に戻る。
《はぁ……寂しい。人肌恋しい……この際兄貴じゃなくてもいいからハグしたい。どいつもこいつも学校だの仕事だの…………あ、そういえば空いてるヤツ居たなぁ》
普段は筋トレかダンスで時間を潰すのだが、セイカの顔を思い出してしまった以上もう止まれない。日光対策をしてすぐに家を出た。
しかし、昨日兄貴達と病院に行った時は車に乗ったから、どう行けばいいのか迷った。しかしすぐにあの病院は以前検診を受けに行ったところだと思い出し、兄貴と共に電車で行ったことを思い出し、駅から病院までの道も思い出した。
《あの駅に行ければ……あの駅、名前なんだっけ》
コノメの家からの最寄り駅に到着し、俺は途方に暮れた。病院の最寄り駅から病院までの道のりは何となく覚えているが、今居る駅からその駅に行く方法が分からない……いや電車に乗るだけなんだけどさ。
「こんにちは、です」
諦めて帰るという選択肢を選ぶにはまだ早い。俺は駅員らしき男性に話しかけた。
「こんにちは。何か困り事かな」
「びょーいん。行くするしたいです。ちけっと、買うする、どれです?」
「あー……It is also possible to respond in English」
「……? びょーいん……おみまいです」
「ん、英語じゃダメか……病院だね、何病院……病院の、名前、分かる?」
病院の名前? ユノが以前そうごう病院とか言ってたような……アレが名前か?
「そーごー、です!」
「総合病院……うーん、近場でも何個かあるなぁ」
駅員の反応が悪い。同名の病院があるのか、ユノが言っていたのは名前じゃなかったのか……とにかく他の特徴を出さなければ。
「大きいです、白いです、広いです」
「大抵の総合病院はそうなんだよ……困ったなぁ」
「……! せーか、落ちるするしたです! にゅーす、する……しないです? せーか、おみまいです」
「落ちる……? ニュース……あっ、そういえばちょっと前に飛び降り未遂があった病院があるなぁ。ちょっと待ってね…………この病院かい?」
駅員はタブレットで病院の写真を見せてくれた。昨日行った病院だ。
《ここだ! ここだぜおっさん! ここ行きたい……っと日本語日本語》
テンションが上がってつい日本語で話すのを忘れてしまった。
「ここ、です! ここ、行くするしたいです。ちけっと、買うするどれです?」
「この病院ならねぇ……」
駅員は切符の買い方を教えてくれた。ユノに持たされた財布にはごせんえん入っているので、それを使った。
「ありがとー、です!」
「気を付けてね~」
駅名のメモももらった。かんじはゴチャついた記号にしか見えないが、見比べられるなら何とかなる。
《……ロシア語でもアナウンスしてくれりゃいいのになー。これ何語だろ、英語と……んー、中国語? 後は分かんねぇ》
電車内からは駅名が見えにくいので、いちいち降りてもらったメモと見比べた。そうしていくと同じ記号……じゃなくて、同じかんじを見つけた。
《ここだよな? 合ってるなら兄貴と一回来たことあるはずなんだけど……駅はどこも似過ぎなんだよクソが》
「君! 君、病院にお見舞いに行きたい子かい? 連絡受けてるよ。病院はこの駅で合ってる、ただ出口がちょっとややこしいから案内させてもらうよ」
「……? ゆっくりー……お願い、です」
「あぁ、ごめんごめん……病院、この駅だよ。東口……あっちから、出てね」
駅員が階段を指している。素直に従って駅の外に出ると、外の風景には見覚えがあった。兄貴と歩いた道もぼんやりとだが覚えている。
「……! ここ、知るするです! びょーいん、行くする、出来るです!」
「あれ、道は分かるのか。地図書いたのにな……ま、いいや。よかった。行ってらっしゃい」
「ありがとー、です!」
「気を付けてね~…………やー、可愛い子だなぁ……癒された」
検診を受けに行った日の記憶を辿り、何とか病院に辿り着いた。掘り返すまでもない鮮明な昨日の記憶を頼りにセイカの病室へと向かう。
「こんにちはです、せーか!」
「……っ!? な、えっ、何っ、え……あ、秋風?」
とても驚いた様子のセイカの手には本が、傍らにはテディベアがある。大きなぬいぐるみと一緒に寝ているのだろうか? 可愛いな。
「せーか、おみまいです!」
「お見舞い? ありがとう……え、一人? 鳴雷居ないのか?」
ひとり……人数が1という意味だったっけ?
「ひとり、です」
「一人で来たのか……ゃ、そりゃ来れるよな。日本語怪しくてガキっぽいってだけでそこまでガキじゃねぇんだから」
早過ぎて聞き取れないな。とりあえず座ろう。
「……来てくれて嬉しいよ。あの二人は正直苦手だったけど、お前はかなり好きだからマジで嬉しい」
「うれしー、です? 何、嬉しいするです?」
「分かる日本語はだいぶ部分的なんだな……秋風、来る、俺、嬉しい」
俺が来たのが嬉しくて笑顔になっているのか? 日本人は愛想笑いが得意だと聞いているが、昨日の様子からしてセイカは例外のように感じている。今現在の笑顔も心からのもののように思える。
「……せーか、嬉しいする、ぼく、嬉しいするです!」
「俺が嬉しいの嬉しいって? ふふっ……可愛いなぁ、昔の鳴雷みたいだ」
「せーか、せーか、抱くする、いーです?」
「へっ……? お、俺は鳴雷のっ…………あっ、ハグ? へへっ……い、今のは、聞かなかったことにしてくれ」
照れ臭そうにしながらも両手を広げたので、了承と見てベッドに乗ってセイカとハグを交わした。恐る恐る背に回された彼の左手がくすぐったい。
《日本人ハグ嫌いは都市伝説だな。ちょっと躊躇いあるだけでやれば嬉しそうにするじゃん》
「あ、秋風……? えっと……ど、ぶれ……うる、た……?」
「……?」
「…………やっぱり読んだだけじゃダメだよな」
ハグをやめ、兄貴がしていたようにセイカの隣に座る。病院のベッドは思っていたより寝心地がよさそうだ。
「おはようとかありがとうとか、それくらいはお前の国の言葉で言ってみたくてさ、ロシア語の本借りてるんだ」
セイカは俺には聞き取れない速度で話しながら俺が来るまで読んでいた本を俺に見せた。ロシア語と日本語が書いてある。
《……え、何、まさかロシア語勉強してくれてんの? 俺今日本語勉強してるんだからすれ違っちまうぞ》
「ちょっと一回読んでみてくれないか? 発音教えてくれよ」
セイカは一ページ目に書かれている言葉を指している。声に出して読んで欲しいのだろう。
「Доброе утро」
「ど、ぶれ……? もう一回」
俺はこのまま日本に住む気だからセイカがロシア語を覚える必要なんてないのに、勉強する気満々だ。無駄な行為なのに嬉しくて、俺はセイカにロシア語を教えた。
「せーか、これ読むする、欲しいです」
「日本語の方? あぁ、それなら一緒に勉強出来るな」
セイカは俺に日本語を教えた。
「Доброе утро」
「Доброе утро」
セイカのロシア語の上達速度は凄まじかった。
「おはようございます」
「お早う御座います」
俺の上達速度はどうなのだろう、セイカはまぁまぁ褒めてくれた気がする。
「……おはようございますの発音ばっか練習し過ぎたな、なんかもう俺より綺麗に発音出来てる気がする。しかしロシア語は難しいなぁ」
日本語は少し覚えてきたと思っているが、文字を見ると自信が萎む。日本語は難しい。
「微妙に英字に似てるのあるのがなぁ……お、筆記体も載ってる。筆記体って使うのか? 日本じゃ英語の筆記体を学校で習わなくなって久しいんだけど」
ひらがなはまだいい、漢字がダメだ。何千の種類がある上に一文字で数パターン読み方があったり……日本人でも読めない漢字があると聞く。その国の人間に読めない文字なんて無意味じゃないだろうか。
「なぁ……筆記体、似たような文字が何個かあるんだけど。これメモとかに使ったらさ、読めんの?」
「読めるする、読めるするしない、りょーほ、です」
「時と場合によるって感じか、まぁそりゃそうだよな」
性的接触を目当てに来たのに、何故か勉強が始まり、そのうち俺は眠くなった。夢見が悪くて睡眠時間が減ったせいだろう。
「ん……? 秋風、眠いのか?」
「ねむいー、です。今日、痛いする夢、です。暗いする、起きるするです」
「…………やな夢見て暗い時間に起きちゃった? ふーん……どんな夢だ?」
「ぼく、おとーさん、痛いするです。たくさんです」
「……? 親父さん? に、痛いことされたのか? え……夢って、実際にあったこと思い出す感じの夢? それが原因で日本に?」
セイカは何故か焦っている様子で話しかけてきたが、聞き取れないため首を傾げた。相手が何を言っているか分からなかったら首を傾げろとユノに言われているからだ。
「あ……聞き取れなかったか、ごめん……えっと、あっ、眠いよな。いいよ、寝て。ベッド使っていい」
セイカは僅かに横にズレてベッドの半分を譲ってくれた。遠慮なく寝転がると、同じように隣に寝転がったセイカが恐る恐る手を伸ばしてきた。
「……せーか?」
「さ、触る……いい、か?」
「ぼく触るするです? どーぞ! です」
身体を寄せるとセイカの手は背に回り、子供を寝かしつけるようにトントンと優しく叩いた。
「……っと、サングラスは外しておこうか」
目を閉じるとサングラスを外された。どこかに置いておいてくれるのだろうと判断し、寝転がったまま過ごす。
「おやすみ、秋風」
「おやす、みー……なさい、です!」
「ふふ……うん、可愛いな……おやすみ」
兄貴が迎えに来たぞとセイカに起こされるまで俺は眠り続けた。今回は嫌な夢を見なかった。
※ アキ視点。454話「また行方不明かと」の前、セイカのお見舞いに行くアキのお話。本編とは何の関係もありません、ただのおまけです。
家の中をただ歩いているだけで殴られることがあった。
《どんな時でも気を緩めるな!》
俺を殴った後、父は決まってそう言った。だから俺はどんな時でも周囲を警戒するのが癖になった。父からの不意打ちを回避、または防御出来るようになると父は嬉しそうにしていた。
顔が腫れるほど殴られることがあった。食事を取れなくなるほど腹を殴られることがあった。母が泣いて「もうやめて」と父に縋ったことがあった。
《お前はもっと強くなれるぞ》
父は母の願いを何一つ聞かなかった。俺を鍛えるのをやめることも、酒の量を減らすことも、酒場で会った女にホイホイ着いて行かないよう気を付けることも、なかった。だから離婚したんだろうな。
昔俺の目を潰そうとした元同級生を倒すと父は俺を褒め、母はよそよそしくなった。
父に褒められても別に嬉しくなかった。いつか元同級生と同じように倒してやろうと動きの癖を観察する程度の興味しかなかった。
母に抱き締められなくなっても別に悲しくなかった。彼女にとって俺が理想の子供ではなかったから興味が失せたように、俺も気付けば彼女への興味が失せていた。
ロシアを離れ父から離れ、母からも一時的に離れているのに、彼らへの執着や愛情なんて欠片もないのに、痛みだけを思い出す。もう当たらなくなったはずの父の拳が、夢の中では俺を痛めつける。
「……っ、はぁっ……はぁっ…………блядь!」
今日も夢見が悪い。
《…………兄貴。あぁ……温かい》
夢見が悪くて起きてしまったら、隣で呑気に眠っている兄貴の腕の中に潜り込むのが日課になっていた。
「おはよう、アキ、今日も可愛いな」
「……おはよー、です。にーに」
俺がベタベタ引っ付くのが嬉しいらしい兄貴の緩んだ笑顔を見るのも日課だ。
兄貴に触れられたり、見つめられたりする度に、暗くて冷たい場所に暖かな光が差したような気分になる。
太陽は大嫌いなのに、太陽みたいな兄貴は大好きだ。
「行ってきます、アキ、レイ」
今日も兄貴は学校へ行く。俺の大嫌いな太陽の光の中に消えていく。すると、暗さと冷たさが少しだけ戻ってくる。
「……このめー、遊ぶするです」
「あぅー……ごめんなさいっすアキくん、打ち合わせあるんすよ。部屋でリモートでやるっすから、入ってきちゃダメっすよ」
コノメが遊んでくれない日は、暗さと冷たさが深まる。
《……独り、平気だったのにな》
寝室に戻り、日本語学習用の音声を聞きながら筋トレをする。これも日課だ。
昼食から二時間弱経つとコノメはばいとに出かける。帰ってくる時は兄貴と一緒だ。
「いってらっしゃい、です。このめ」
「はぅ~、ホント可愛いっすねぇアキくん……バイトやる気出ちゃうっす。行ってきますっす!」
一人になると、途端に家が広く感じる。両親と住んでいた頃は何ともなかったのにななんて思いながら寝室に戻る。
《はぁ……寂しい。人肌恋しい……この際兄貴じゃなくてもいいからハグしたい。どいつもこいつも学校だの仕事だの…………あ、そういえば空いてるヤツ居たなぁ》
普段は筋トレかダンスで時間を潰すのだが、セイカの顔を思い出してしまった以上もう止まれない。日光対策をしてすぐに家を出た。
しかし、昨日兄貴達と病院に行った時は車に乗ったから、どう行けばいいのか迷った。しかしすぐにあの病院は以前検診を受けに行ったところだと思い出し、兄貴と共に電車で行ったことを思い出し、駅から病院までの道も思い出した。
《あの駅に行ければ……あの駅、名前なんだっけ》
コノメの家からの最寄り駅に到着し、俺は途方に暮れた。病院の最寄り駅から病院までの道のりは何となく覚えているが、今居る駅からその駅に行く方法が分からない……いや電車に乗るだけなんだけどさ。
「こんにちは、です」
諦めて帰るという選択肢を選ぶにはまだ早い。俺は駅員らしき男性に話しかけた。
「こんにちは。何か困り事かな」
「びょーいん。行くするしたいです。ちけっと、買うする、どれです?」
「あー……It is also possible to respond in English」
「……? びょーいん……おみまいです」
「ん、英語じゃダメか……病院だね、何病院……病院の、名前、分かる?」
病院の名前? ユノが以前そうごう病院とか言ってたような……アレが名前か?
「そーごー、です!」
「総合病院……うーん、近場でも何個かあるなぁ」
駅員の反応が悪い。同名の病院があるのか、ユノが言っていたのは名前じゃなかったのか……とにかく他の特徴を出さなければ。
「大きいです、白いです、広いです」
「大抵の総合病院はそうなんだよ……困ったなぁ」
「……! せーか、落ちるするしたです! にゅーす、する……しないです? せーか、おみまいです」
「落ちる……? ニュース……あっ、そういえばちょっと前に飛び降り未遂があった病院があるなぁ。ちょっと待ってね…………この病院かい?」
駅員はタブレットで病院の写真を見せてくれた。昨日行った病院だ。
《ここだ! ここだぜおっさん! ここ行きたい……っと日本語日本語》
テンションが上がってつい日本語で話すのを忘れてしまった。
「ここ、です! ここ、行くするしたいです。ちけっと、買うするどれです?」
「この病院ならねぇ……」
駅員は切符の買い方を教えてくれた。ユノに持たされた財布にはごせんえん入っているので、それを使った。
「ありがとー、です!」
「気を付けてね~」
駅名のメモももらった。かんじはゴチャついた記号にしか見えないが、見比べられるなら何とかなる。
《……ロシア語でもアナウンスしてくれりゃいいのになー。これ何語だろ、英語と……んー、中国語? 後は分かんねぇ》
電車内からは駅名が見えにくいので、いちいち降りてもらったメモと見比べた。そうしていくと同じ記号……じゃなくて、同じかんじを見つけた。
《ここだよな? 合ってるなら兄貴と一回来たことあるはずなんだけど……駅はどこも似過ぎなんだよクソが》
「君! 君、病院にお見舞いに行きたい子かい? 連絡受けてるよ。病院はこの駅で合ってる、ただ出口がちょっとややこしいから案内させてもらうよ」
「……? ゆっくりー……お願い、です」
「あぁ、ごめんごめん……病院、この駅だよ。東口……あっちから、出てね」
駅員が階段を指している。素直に従って駅の外に出ると、外の風景には見覚えがあった。兄貴と歩いた道もぼんやりとだが覚えている。
「……! ここ、知るするです! びょーいん、行くする、出来るです!」
「あれ、道は分かるのか。地図書いたのにな……ま、いいや。よかった。行ってらっしゃい」
「ありがとー、です!」
「気を付けてね~…………やー、可愛い子だなぁ……癒された」
検診を受けに行った日の記憶を辿り、何とか病院に辿り着いた。掘り返すまでもない鮮明な昨日の記憶を頼りにセイカの病室へと向かう。
「こんにちはです、せーか!」
「……っ!? な、えっ、何っ、え……あ、秋風?」
とても驚いた様子のセイカの手には本が、傍らにはテディベアがある。大きなぬいぐるみと一緒に寝ているのだろうか? 可愛いな。
「せーか、おみまいです!」
「お見舞い? ありがとう……え、一人? 鳴雷居ないのか?」
ひとり……人数が1という意味だったっけ?
「ひとり、です」
「一人で来たのか……ゃ、そりゃ来れるよな。日本語怪しくてガキっぽいってだけでそこまでガキじゃねぇんだから」
早過ぎて聞き取れないな。とりあえず座ろう。
「……来てくれて嬉しいよ。あの二人は正直苦手だったけど、お前はかなり好きだからマジで嬉しい」
「うれしー、です? 何、嬉しいするです?」
「分かる日本語はだいぶ部分的なんだな……秋風、来る、俺、嬉しい」
俺が来たのが嬉しくて笑顔になっているのか? 日本人は愛想笑いが得意だと聞いているが、昨日の様子からしてセイカは例外のように感じている。今現在の笑顔も心からのもののように思える。
「……せーか、嬉しいする、ぼく、嬉しいするです!」
「俺が嬉しいの嬉しいって? ふふっ……可愛いなぁ、昔の鳴雷みたいだ」
「せーか、せーか、抱くする、いーです?」
「へっ……? お、俺は鳴雷のっ…………あっ、ハグ? へへっ……い、今のは、聞かなかったことにしてくれ」
照れ臭そうにしながらも両手を広げたので、了承と見てベッドに乗ってセイカとハグを交わした。恐る恐る背に回された彼の左手がくすぐったい。
《日本人ハグ嫌いは都市伝説だな。ちょっと躊躇いあるだけでやれば嬉しそうにするじゃん》
「あ、秋風……? えっと……ど、ぶれ……うる、た……?」
「……?」
「…………やっぱり読んだだけじゃダメだよな」
ハグをやめ、兄貴がしていたようにセイカの隣に座る。病院のベッドは思っていたより寝心地がよさそうだ。
「おはようとかありがとうとか、それくらいはお前の国の言葉で言ってみたくてさ、ロシア語の本借りてるんだ」
セイカは俺には聞き取れない速度で話しながら俺が来るまで読んでいた本を俺に見せた。ロシア語と日本語が書いてある。
《……え、何、まさかロシア語勉強してくれてんの? 俺今日本語勉強してるんだからすれ違っちまうぞ》
「ちょっと一回読んでみてくれないか? 発音教えてくれよ」
セイカは一ページ目に書かれている言葉を指している。声に出して読んで欲しいのだろう。
「Доброе утро」
「ど、ぶれ……? もう一回」
俺はこのまま日本に住む気だからセイカがロシア語を覚える必要なんてないのに、勉強する気満々だ。無駄な行為なのに嬉しくて、俺はセイカにロシア語を教えた。
「せーか、これ読むする、欲しいです」
「日本語の方? あぁ、それなら一緒に勉強出来るな」
セイカは俺に日本語を教えた。
「Доброе утро」
「Доброе утро」
セイカのロシア語の上達速度は凄まじかった。
「おはようございます」
「お早う御座います」
俺の上達速度はどうなのだろう、セイカはまぁまぁ褒めてくれた気がする。
「……おはようございますの発音ばっか練習し過ぎたな、なんかもう俺より綺麗に発音出来てる気がする。しかしロシア語は難しいなぁ」
日本語は少し覚えてきたと思っているが、文字を見ると自信が萎む。日本語は難しい。
「微妙に英字に似てるのあるのがなぁ……お、筆記体も載ってる。筆記体って使うのか? 日本じゃ英語の筆記体を学校で習わなくなって久しいんだけど」
ひらがなはまだいい、漢字がダメだ。何千の種類がある上に一文字で数パターン読み方があったり……日本人でも読めない漢字があると聞く。その国の人間に読めない文字なんて無意味じゃないだろうか。
「なぁ……筆記体、似たような文字が何個かあるんだけど。これメモとかに使ったらさ、読めんの?」
「読めるする、読めるするしない、りょーほ、です」
「時と場合によるって感じか、まぁそりゃそうだよな」
性的接触を目当てに来たのに、何故か勉強が始まり、そのうち俺は眠くなった。夢見が悪くて睡眠時間が減ったせいだろう。
「ん……? 秋風、眠いのか?」
「ねむいー、です。今日、痛いする夢、です。暗いする、起きるするです」
「…………やな夢見て暗い時間に起きちゃった? ふーん……どんな夢だ?」
「ぼく、おとーさん、痛いするです。たくさんです」
「……? 親父さん? に、痛いことされたのか? え……夢って、実際にあったこと思い出す感じの夢? それが原因で日本に?」
セイカは何故か焦っている様子で話しかけてきたが、聞き取れないため首を傾げた。相手が何を言っているか分からなかったら首を傾げろとユノに言われているからだ。
「あ……聞き取れなかったか、ごめん……えっと、あっ、眠いよな。いいよ、寝て。ベッド使っていい」
セイカは僅かに横にズレてベッドの半分を譲ってくれた。遠慮なく寝転がると、同じように隣に寝転がったセイカが恐る恐る手を伸ばしてきた。
「……せーか?」
「さ、触る……いい、か?」
「ぼく触るするです? どーぞ! です」
身体を寄せるとセイカの手は背に回り、子供を寝かしつけるようにトントンと優しく叩いた。
「……っと、サングラスは外しておこうか」
目を閉じるとサングラスを外された。どこかに置いておいてくれるのだろうと判断し、寝転がったまま過ごす。
「おやすみ、秋風」
「おやす、みー……なさい、です!」
「ふふ……うん、可愛いな……おやすみ」
兄貴が迎えに来たぞとセイカに起こされるまで俺は眠り続けた。今回は嫌な夢を見なかった。
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