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おまけ

番外編 歌見、上京前物語

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※歌見視点 東京に来るまでの、歌見の半生。



小学生の頃、自転車を買ってと母にねだったことがある。テストで百点を取り、土日に三つ下の妹を公園に連れて行くならと約束してくれた。俺は張り切って勉強して百点満点を獲得し、友達の誘いを断って妹の世話をした。
でも、自転車は買ってもらえなかった。二人も子供を育てている我が家にそんな余裕がある訳ないだろうと、赤ら顔の父に叱られた。毎晩味わうこともなくぐびぐび呑んでるソレを少し控えればいいだけの話じゃないか、と、算数テストで百点を取った頭で考えた。

ハムスターを飼いたいとねだったこともあった。やっぱりテストの満点と妹の世話が条件になって、俺はそれを達成したけれど、ハムスターは俺のペットにはならなかった。

ゲーム機が欲しいとねだったら、やっぱりテストの満点と妹の世話が条件になった。諦め混じりに条件を達成したけれど、そんなくだらないものに金を使えるかと叱られた。

スマホが欲しいとねだっても、やっぱりテストの満点と妹の世話を条件にされた。条件を達成したら、お前にはそんなものまだ早いと説教された。

約束を守る気がないのなら初めから無理だダメだ嫌だと言えばいいのに。俺に妹の世話を押し付けたいなら素直に頼めばいいのに。そうボヤいたら、生意気言うなと叩かれたっけ?

約束を破るヤツが嫌いになったのも、嘘をつくヤツが大嫌いになったのも、水月に俺を欺くなと約束させたのも、多分全部そういうのが原因だ。



妹の誕生日の少し前、妹にねだられて少し遠くのショッピングモールに出かけた。自転車がないから徒歩で、数百円分のキラキラシールを買いに。

「お兄ちゃあぁあんっ! おにぃぢゃあぁああんっ! 歩くの疲れたぁ!」

「はいはい……おぶってやるから静かにしろ」

妹のキンキン声に負けて妹をおぶって帰ることになった。上機嫌になった妹は足をぷらぷら揺らした。

「お兄ちゃんお兄ちゃん、あたしねー、誕生日に自転車買ってもらうの!」

「そーかい、買ってもらえるといいな」

母は約束を守らない。誕生日プレゼントなんて、趣味じゃない服が関の山だ。そう思ってぶっきらぼうに返事をしたけれど、誕生日に妹はピンクの可愛い自転車を買ってもらっていた。

「見て見て~お兄ちゃん! 可愛い?」

「あぁ、よかったな」

「お兄ちゃん後ろ持って~」

「……はいはい」

妹が自転車を漕げるようになるまで、俺は自転車の後ろを持って押してやった。それが自転車に初めて触れた思い出だ。



高校生になってすぐにバイトを始めた。念願のスマホを買った。

「あ! お兄ちゃんやっとスマホ買ったの~?」

部屋でこっそり使っていたら、ノックなしに入ってきた妹が連絡先を交換しようと言ってきた。あぁ、そうそう、妹は小四の時にスマホを買ってもらっていた。女の子はこまめに連絡が取れないと心配とか父母は説明していたかな? まともに聞いていないから覚えていない。

「あっははっ! お兄ちゃんフリック激遅~」

「うるさい……まだ慣れてないんだよ」

バイト代を貯めてゲーム機なんかも買った。全部、妹よりも遅く手に入れた。

「お兄ちゃんゲーム機交換してよぉ~」

「嫌に決まってるだろ」

「え~!? そっちのが綺麗じゃーん、ねぇ交換して交換して交換してぇ! お兄ちゃん! ねぇ~、いいじゃ~ん!」

妹の持ってるのよりいいものは、全部妹に取られた。断ればいいだけの話だと思うかもしれないが、妹のキンキン声は本当に頭痛を起こす類のもので、要求が通るまで喚き続けるから俺が頑固に断り続けると俺が父母に叱られるのだ。うるさいからさっさとお願い聞いてあげなさい、お兄ちゃんでしょ。って。



バイクの免許が取れる歳になったら、夏休みを利用してすぐに免許を取ってバイクを買った。中古品だったし、それでもう貯めていた金は随分減ったけれど、満足だった。何年も大切にしていこうと心に誓って、毎日磨いた。

「ねぇ~、お兄ちゃん、お兄ちゃんってばぁ……すぅーっ……おーにーぃ、ぢゃあああああんっ!」

「……っ、さいな鼓膜破る気か!」

バイクの手入れを始めると妹が周りをウロウロし始めた。無視すると耳元で叫びやがるから、手入れを切り上げて構ってやるしかなかった。

「バビコ食べよ~。お兄ちゃんフタね」

「半分よこせバカ」

決まって大した用事はなく、アイスだとかお菓子だとかを半分渡してきた。

「…………はぁ」

「バイクばっか弄ってるから肩こるんだよ~?」

「肩こってため息ついてる訳じゃない……」

両親に全てを与えられる妹への嫉妬も、世話をさせられるうざったさも、キンキン声へのストレスも、妹が自分で買った訳でもないお菓子を分けてくれるだけで全て許してしまえる自分が嫌だった。



妹がクラスの連中と体育祭の打ち上げに行った日の夜、隣町の焼肉屋に呼び付けられた。帰りの電車賃がないだとか、そんな話をしやがった気がする。

「お兄ちゃ~ん! おそ~い!」

家の周りは田んぼだらけで夜は真っ暗。そんな道を走って、比較的街灯の多い隣町に着いて、妹の雑な説明から何とか焼肉屋を探し出した。

「え、やひの兄貴? イケメンじゃん」

「でしょ!」

「ってかお兄ちゃんって呼んでんだ……ふふっ、ブラコンじゃん」

「え……ち、違うし!」

その日から妹は人前では俺のことを兄貴と呼ぶようになった。生意気さが増した。



それからしばらくして、妹が友達と遊びに行くから待ち合わせ場所までバイクで送って欲しいと言い出した。俺はその日バイトがあったから無理だと断り、電車賃を貸してやった。

「あ……七夜、おかえりなさい」

学校帰りのバイトを終えて家に帰ると、母が気まずそうにしていた。母の背後で妹がグスグス泣いていた。事情を聞くと、どうやら妹は俺が渡した電車賃をお小遣いにしようと、勝手に俺のバイクに乗ったらしい。鍵は玄関に置いていたし、よく後ろに乗せてやっていたから運転の始め方は知っていたようだ。

けれど運転の仕方はよく分からなかったみたいで、事故を起こした。衝突の寸前で飛び降りたとかで、妹に大した怪我はなかった。でも、俺のバイクは、頑張って金を貯めて買ったバイクは、毎日磨いていた俺のバイクは、廃車になった。



数日後、妹は珍しく俺の部屋の扉をノックした。

「……お兄ちゃん? あのね、弁償……しようと思って、お金……持ってきたから、その……入っていい?」

妹はバイク代の半額ほどを持っていた。多分、母にでも渡されたのだろう。

「お、怒ってる? お兄ちゃん…………ごめんなさい。ねぇ……お兄ちゃあん、ごめんなさい。ねぇ……」

昔からそうだが、妹の「ごめんなさい」の言い方……イントネーションだとか、そういうのは「謝ってるんだから許してよ!」感が滲み出ている。

「お兄ちゃん……」

それまではウザったいけれど可愛い妹だった。でも、もう、なんか、全然可愛くなくなった。

「……っ、お兄ちゃん、待って閉めないでっ、お兄ちゃっ……!」

大切にしていたバイクを壊されたから、というのは正しくない。免許もないくせに人の物を勝手に使って、壊して、そのくせシリアスな雰囲気に耐えられないから許せと要求してくるだけで、反省のないあの女にはもう愛想が尽きた。

「お兄ちゃん、お兄ちゃあんっ、嫌わないでぇ……許してよぉ、ごめんなさい、ごめんなさい言うからぁっ、怒んないでよお兄ちゃん、嫌いになんないでぇっ」

扉の向こうから聞こえる泣き声が鬱陶しいから、イヤホンで耳を塞いだ。



数日後、増やしたバイトに出かける時、妹に服の裾を引っ張られた。

「お兄ちゃん……新しいバイク、買わないの?」

「…………また壊されるのがオチだろ」

「も、もう勝手に乗らないもん! お兄ちゃんしつこい……ごめんなさい何回も言ったじゃん! いい加減許してよぉ……もぉ怒んないで」

「別に怒ってない、愛想が尽きただけだ。バイトと受験勉強で忙しいんだ、お前に構ってる暇はない」

「え……や、やだ、やだお兄ちゃんっ、嫌わないでよ……お兄ちゃっ、ぅっ……」

妹は突然口を押さえ、背を丸め、堪え切れずにその場で嘔吐した。心配の感情は少し湧いたけれど、それよりも俺に構って欲しさに吐きまでするかと呆れた気持ちの方が大きかった。だって妹はよくそういうことをする、構って欲しいからと体調不良を嘯いて、思い込みが激しいから本当に体調を崩すバカなんだ。

「…………ちゃんと掃除しとけよ」

俺は今回の嘔吐もそういうものだろうと、構って欲しいあまりに体調を崩しただけだろうと、決めつけた。


つわりだったのだと気付いたのは、妹の腹が膨らんできてからだった。太ったでは説明が付かない腹の膨らみ、父母は当然問い詰めた。妹は子供を産んで結婚すると聞かず、けれど男に逃げられ高校は退学処分となった。

「…………」

大学受験がすぐそこまで迫っていたし、妹と口をきかなくなって何ヶ月も経っていたから、俺は気にしないことにした。バイクの弁償費と、ずっと貯めていた金を使って、上京する。東京の大学に通うのだ。
父母の顔も妹の顔も、もう見たくない。緩い絶縁を行おうとしていた。

「………………なぁ、八昼」

男が責任を取らず逃げたと知ってから妹はずっと泣いていた。子作りするほどの仲の男に裏切られたのだから、まぁ当然っちゃ当然だ。

「何……あたしのこと嫌いなんでしょ、お兄ちゃんも…………みんな、嫌いなんだ。パパもママも……たくも。いっぱい、怒って……あたしのこと、見捨てて……」

「……たくって言うのか? 相手」

「…………」

「八昼……」

東京に、行くんだ。家族とは縁を切るんだ。約束を破ってばかりの父母とも、鬱陶しいばかりの愚妹とも、もうおさらばだ。俺は俺のことだけ考えよう、進学と上京にあたってやることは山ほどある。

「…………ごめんな、ほったらかしにして。寂しかったな」

なんで、頭撫でちゃったんだろう。

「不安だったろ、妊娠気付いてやれなくてごめんな。いいんだよバイクなんて……お前が無事で嬉しかった、赤ちゃん流れなくてよかったな」

「………………おにぃ、ちゃ……」

「お兄ちゃんはお前の味方だよ。言ってごらん、八昼。お前を裏切ったクソ男はどこの誰だ?」

「おにぃちゃっ、おにぃちゃん、おにぃぢゃあぁあん……ゔあぁあああん!」

「俺じゃないだろ、ほら、たくってヤツのフルネーム言ってごらん。住所とか、バイト先とか、分かる限り全部」

妹から色々と聞き出した俺は、受験勉強を放り出して夜道をさまよった。妹を孕ませた男の家の近くの道を見張った。人通りのない灯りのない監視カメラのないその道を通る男の写真をこっそり撮った。

「コイツか?」

「たくぅ……! そいつそいつ!」

「…………なるほどな」

「お兄ちゃん何する気なの?」

「……秘密。コイツに何があっても、お兄ちゃんに何があっても、誰にもなーんにも喋らないって約束出来るか?」

「うん……」

「いい子だな、八昼」

倉庫から父が昔使っていたという金属バットを持ち出して、帽子を被りタオルを顔に巻いて、妹を孕ませた男を待ち伏せた。まず頭を殴って、蹴り転がして、股間に何度もバットを振り下ろした。



田舎町のトップニュース、不良の男が襲撃された事件。命に別状はないが、ヤツが新しく命を作ることは出来なくなったと田舎特有のネットワークで広まっていた。

「物騒な事件だな」

朝食の際に母から男の事件を聞いた俺は、部屋に戻って妹に向かってそう呟いた。

「お兄ちゃん……」

男は悪名高く、抗争も度々行っていたため、その線での調査が始まった。いや、調査なんて誰もしていなかったかもしれない。田舎町の嫌われ者が、他の町の人間と争っていたバカが、ちょっと痛い目を見ただけなのだから。
ここはそういう田舎町だ。

「…………しー」

人差し指を立てて唇に当てた。

「……うん。お兄ちゃん……ありがとう」

「なんのことだか」

「…………えへへ」

臨月の腹を抱えた妹の頭を撫でてやると、幼い頃から少しも変わっていない可愛らしい笑顔があった。

「お兄ちゃん東京行かないでここ居てよぉ」

「嫌だ。親父達と仲悪いのは知ってるだろ? あの野郎大学費用少しも出す気ないぞ。はぁ……向こうでもバイト三昧になりそうだな」

「……あたしどうすればいいの?」

「母さんまだ元気なんだし、子供の世話任せて働きゃいい。子持ちでもいいって奇特な男が見つかったら結婚なり何なりすればいいし、居なけりゃずっとここに住んでりゃいい」

「…………お兄ちゃんみたいな人がいいな~」

「やめとけ。変な情にほだされて人生破滅するタイプだぞ」

「え~? どういう意味ぃ?」

こんな警察がろくに働いていない田舎町でなくても、捕まらないという自信がなかったとしても、俺は多分同じことをしたという意味だ。

「お前と子供を殴らないヤツにしろよ」

「当たり前じゃ~ん。お兄ちゃんも東京で彼女作る時は気を付けなよ、貢ぐだけ貢がされてポイかも」

「はは……あぁ、気を付けるよ。お前と違って手間のかからない、正直で優しくて健気で一途な子が居るといいんだが」

「理想高。キモ」

実際上京して出来た恋人は全く俺に一途ではなかったし、妹ほどではないもののそれなりに面倒臭い性格をしているし、正直なのも一度脅してからだし、そもそも女でもなかった訳だが──

「……とりあえず、今は幸せだな」

──優しくて健気で可愛い、俺にはもったいない最高の恋人だと思っている。
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