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おまけ

おまけ 少しの喜びもない日々

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※ヒト視点 水月に出会う前のヒトの日常のお話。



腕を縛られ転がされた汚らしい男、私の傍に立つ幸薄そうな子供、男の頭を踏んでいる着物姿の美男子。

「……多数の事務所から多額の借金、返済に苦慮し自身の娘に売春を強要。売上を徴収し借金返済と酒代に充てていた。間違いありませんか?」

そう言うと私の傍に居る子供が小さく頷いた。男は言い訳や嘘を叫んでいるが、私の質問は誰に宛てたものでもない確認のためのものなので無意味だ。

「OK、じゃあゲームをしようか。一発逆転のチャンスだ、そういうの好きだろ? 俺が今から言うお題をクリアしたら解放! 借金もチャラだ、俺のポケットマネーで肩代わりしてやんよ。クリア出来なかったらお前の全てを返済と娘さんの学費に充てる」

「えっ……」

俯いていた子供が顔を上げる。

「あの……父を、その…………ろ、して……くれるんじゃ」

自身の二の腕に爪を立てながら、か細い声で私にそう尋ねる。この子供は私の事務所の者が繁華街を彷徨いていたところ、自分を買わないかと声をかけてきたらしい。その者は子供と仲を深め、事情を聞き出し、今回の仕事が出来上がった。

「……まぁ、見ていなさい」

仕事の内容は至って単純。男が他事務所から借りた金を全て代わりに返済、男を使ってその金を取り返す……というもの。まぁ、よくある仕事だ。

「な、何を……何をすればいいんだ?」

「ルールは単純明快。今から三十秒間、黙っていること。声を上げちゃダメだ。せっかく考えたんだからやるよな?」

ルール説明をしながら着物姿の美男子は──私のボスは、懐から鞭を取り出した。蛇のように長いものではなく、棒のような物だ。

「…………ゃ、やる」

「よし、じゃあ用意スタート! ヒト、数えろ!」

声に出して三十秒カウントを開始する。ボスが楽しげに鞭を振るう。鞭が男の背中を打った瞬間、汚い悲鳴が上がった。

「はいアウト。つまんねぇな。ヒト、コイツの借金幾らだっけ?」

「酒カスであることを考慮しても売れる物を全て売ればお釣りが大量に出る金額ですよ」

ボスが聞きたいのは正確な金額ではない、そう察した私はボスが聞きたいだろうことを話した。出来るヤツだと思ってくれたことだろう。

「漁船は今シーズンじゃねぇからな、バラしゃいいだけってのは単純で助かるぜ。頭結構丸いから骨も……ぁ、捕まえる時に歯折ったんだった、しまったなぁ……」

男の命乞いやゲームのやり直しを求める声には一切耳を貸さず、ボスはついさっきの自分の行動を悔いた。

「……あ、ヒト、これ洗っといてくれ」

渡されたのは鞭。目の前の男の背は裂けており、血が服に滲んでいる。鞭にも当然血が付いている。

「売るヤツはあんまり嬲れねぇのが残念だなぁ」

ボスは男の頭を踏み付け、下駄を鳴らして遊びながらそう呟く。ボスは人を踏むのが好きだ、私も何度も踏まれた。

「…………ボスは、踏むの好きですよね」

「ん~? まぁ、そうだな……いやコイツ踏んでもあんまり面白くないな。やっぱり俺より体格のいい男がいい、力でなら勝てる相手に無抵抗で踏み付けにされるって最高に情けないだろ? たまんないよな」

ボスよりも体格のいい男……私のことだろうか。そういえばフタが踏まれているところは見たことがないな。

「根っからのサディストですね、ボスは」

サディストは好きだ、強い雄らしさがあるから。そんな雄に認められるのはとても嬉しいことだから。だからもっと、ボスに私の実力を認めて欲しい。

「ただの前戯だよ」

カッコイイ!




人間の解体が出来る者は事務所に居る、昔ボスが見つけてきた。なので解体費用は別途に必要ない。子供が希望する全寮制の学校に入るための金を除き、内臓などを売った金は全て事務所のものだ。ボスの取り分はない。

「基礎杭打てる案件ないの?」

「……申し訳ありません」

「そうか……アキタ! カイ! やっとけ」

「はーい」
「……っす」

部下の二人が死体処理係に任命された。死体と言っても売れる部位を売り尽くした後だから、焼肉屋のゴミに混ぜるだけで終わるだろう。

「フタは?」

「……シェパードと縄張りの見回りに行ってます。フタに出来ることなら私の方がよく出来ます、私に任せてください」

「いや、お前じゃ出来ない。帰ってくるの待つよ」

「そ、そんなことありえません! フタに出来て私に出来ないことなんかない! 私にやらせてください、満足行く結果を出してみせます!」

「……じゃあお前、この写真に何人居るか分かるか?」

ボスが見せてきたのは見知らぬ家族の写真だ、父母と……子供か? 三人映っている。

「三人……何なんですか? 誰なんですか?」

「これは前にフタが手伝ってくれた仕事の依頼者家族なんだが……ま、いいや。やっぱお前にゃ無理。大人しく興業の仕事やってな、やることあんだろ」

しっし、と手を振られた。フタに出来て私に出来ないことなんてある訳ない、証明したいのにボスは私に仕事を回してくれないしフタに聞いてもアイツは何も覚えちゃいない。腹が立つ。

「…………雪也、さん」

初めて会った時に一度だけ聞いたボスの名前を呼ぶ。すると彼は私を見てくれる、誰でも代わりになる仕事の付き添いや雑談相手としてなんかじゃなく、私自身を。

「ヒ~トぉ……その名前呼ぶなって俺何度も言ってるよな?」

ゴツン、と頭に鞭の持ち手がぶつけられる。

「…………何してる、頭を垂れろ」

こちらを見ているはずなのに何故か視線が外れて見える、ボスの不思議な目をじっと見つめ返しているとそう言われた。

「……はい」

踏んでもらえる。フタは踏まれない、サンも踏まれない、私だけがしてもらえるボスからの接触。私だけに与えられる時間──

「ただいま~」

「ただいま戻りました!」

──ボスの前に跪いた直後、フタが帰ってきた。

「フタ! おかえり。悪ぃが急ぎの仕事だ、来い」

「え~……今外行ったばっかなのに」

「ジュース買ってやるから」

「行く~」

ボスは途端に私から興味を失ってフタを連れて事務所を出ていった。私は黙って立ち上がり、私室に戻った。

「…………どうして」

お気に入りのソファに腰掛け、深いため息をつく。何故、ボスは私を評価しないんだろう。頭が良く腕も立つが全盲のサンよりも、物覚えが悪く荒事にもそこまで向いていないフタよりも、私の方がずっと優秀だ。私は何でも出来る、何でもやってみせるのに、ボスは仕事を任せてくれない。

「……クソっ」

フタに何が出来るって言うんだ、フタに出来ることなんて何もないだろ、ただ穴を掘るだけだってアイツは途中で何をするか忘れてボーッと立っていたことがあるくらいなのに。一体フタに何が出来るんだ、どうしてボスは私にはそれが出来ないと決め付けてしまうんだ。

「…………」

私ではなくサンを跡継ぎに選んだ父のように、ボスも無能なのだろうか。でも、もう私の上に立つ人間は変わらないだろう、ボスを打ち倒してまで穂張組を乗っ取る旨みはない。ボスが別の者を頭に据えるとしたら話は別だが。

「……ぁ、ご飯……あげないと」

一癖も二癖もある反社会的な人格の人間を何人も集めて、まとめ上げて、何故かフタを可愛がって──それでもボスは私を頭に据えている。私を信頼してくれていると考えていいのだろうか。

「ワラビ、キナコ、ご飯の時間ですよ」

餌の虫をカエル達のケースの中に落とす。私が買い、繁殖させ、与えた虫を貪るカエル達を見ていると気持ちが落ち着いた。

「…………ふふ」

彼らは私が居なければ生きていけない。私が急に世話をやめたらケースの中で乾涸びていくだけだ、野生に帰ることすら出来ない。
飼い主が世話をやめれば、猫なら野良として生きていくかもしれない、犬でも首輪を引きちぎって逃げ野犬になることが出来るかもしれない、生存確率は低いだろうけれど犬猫には可能性だけはある。だが、私のペット達にはそれがない。

「美味しいんですか? その虫……」

どれだけ暴れても脱走なんて出来ない。私の可愛いペット達は犬猫のように媚びたり芸をしたりなんてせず、ただそこに居る。犬猫のように威嚇したり噛み付いたりなんてせず、ただ目の前に出された餌に飛びつくだけ。

「ありゃ、ルートヴィヒ……尻尾の先に皮が残っていますよ。雑な脱皮ですねぇ……」

癒される。私のペット達は私に生かされているとも分からぬまま私に生かされている。しかも私のペット達には毛がない、猫のように私の調子を悪くする細かい毛が。なんて素晴らしい私のペット達。

「ふふふ……」

ペット達を眺めて癒しの一時を過ごした。



数時間後、フタとボスが戻ってきた。ボスは相変わらず仕事の内容を教えてくれなかったし、フタは仕事の全てを忘れていた。

「ジュース買ってもらった~、ヒト兄ぃもいる?」

正妻の子であるサンとは違い、長男でもなく優秀でもないフタは後継者争いには参加出来ないと私は昔から分かっていた。だから昔はフタのことが苦手でも嫌いでもなかった。

「……いらねぇよ」

「そ? 美味しいのに~」

フタは昔から変わらない。言動も、仕草も、思考も、変わったのは歳だけだ。昔は可愛かった、純粋で優しくて温厚で善良で……癒されていた。

「…………どうして」

「何~?」

どうして、成長してくれなかったんだろう。フタは私の一番の部下になるはずだった、無二の親友に、唯一の家族に、なるはずだった。

「……なんでもありません」

「何が?」

成長と共にマシになると思っていた頭の悪さは少しも変わらず、記憶力はどんどん悪くなっていった。

「焼肉行くか?」

野太い叫び声が響く。普段どんなに冷静な者でもボスの前では普段の調子をかなぐり捨てる。

「焼肉だって、ヒト兄ぃも行こ~」

ドッグランでも覗いている気分だと冷めた目で部下共を眺めていると、フタに腕を引っ張られた。気持ちが悪くて思わず振り払う。

「わっ……ヒト兄ぃ?」

どうして、どうして、このバカは、何度殴っても罵倒しても私に親しげに接するのだろう。腹が立つも、呆れるも、奇妙も通り越してただただ気持ちが悪い。

「ヒト、焼肉の気分じゃないか? そろそろおっさんだもんなぁ、寿司にするか」

「……ぁ、いえ……好きです、焼肉。行きましょう」

ボスは歳下だ。確か、二十二歳……だったか? 脂っこい肉を食べても明日まで引きずることはないのだろう。私は来年には三十だ、なのに二十歳になってしばらくの若造にすら自分を認めさせられずにいる。




若い時に比べれば量は食えなくなっているが、肉は好きだ。飼い主が久しぶりに帰ってきた時の犬のようなテンションを持続させている部下共と、肉の区別が付かず「これ何の肉?」と私に聞いてくるフタさえ居なければ。

「……っ、はぁーっ! やっぱ焼肉にはビールっすね!」

酒なんて飲めば気持ち悪くなる最低最悪の液体だ、そんなものを好んで飲む連中の気が知れない。

「…………ボスもお酒は嗜まれませんよね?」

「あぁ、付き合いで飲むことはあるけど……それも果実酒くらいだ。ビールは一回飲んだけど苦くて好みじゃないな」

流石ボス。思わず口角が上がってしまう。

「えー、酒飲まないとか人生半分損してますって」

無麻酔抜歯してやろうかコイツ。

「その言い方、俺嫌いだなぁ」

「……! すいませんっしたぁっ!」

微笑んで呟いたその一言で部下は慌てて土下座をした。バカだな、もう少し生意気ぶっていれば躾け直してもらえるのに。




ボスは大抵、一ヶ月に一度電話を寄越したり、事務所に来る。電話だけの月は残念だし、会えた月もそれ以降の約三十日がとても長く思える。


そんな三十日間の中、私は家に帰ることにした。事務所の私室に置いておける荷物には限界があるし、妻に任せていると税金や様々な料金の滞納が起こることもある。

「……ただいま」

昼休みを使って自宅に帰ると寝室の方からガタガタと物音が聞こえた。ほどなくして妻が現れる。

「おっ、おかえり」

慌てて着たのが丸分かりな乱れた服、荒い呼吸、上気した頬、ぐしゃぐしゃの髪……ヤってたな、この女。

「今日は随分明るいうちに帰ってきたのね」

寝室の扉に背を預けている。間男が居るのだろう、部屋の真ん中でオロオロしているのか、クローゼットの中にでも隠れているのか、小さな窓から無理矢理外へ逃げたのか……どうでもいいな。

「荷物取りに来ただけですよ」

「あぁ、そう」

「寝室のクローゼットにしまっておいた物なのですが」

「……ぇ。ちょ、ちょっと待って、散らかってるから」

「構いませんよ」

「ちょっと待っててってば!」

そう叫んで妻は扉を閉めた。大人しく待っていると玄関扉が開き、赤いランドセルを背負った娘が入ってきた。

「ただいま~……ぇ、なんでパパ居んの」

「荷物を取りに来たんですよ、会社の物置は狭いので。すぐ帰ります」

「あぁそう……よかった」

「おまたせ! あっ、おかえり」

「……ただいま、ママ」

私には嫌悪感たっぷりの視線を向け、妻には軽蔑の目を向け、娘は自室に入っていった。

「…………あった。じゃあ帰りますね」

「行ってらっしゃい!」

「……私の印が必要な書類などはありませんか? 支払いが遅れている公共料金や税金は?」

「ないない」

「…………だといいのですが。止められてから文句言わないでくださいね」

荷物を持って事務所に戻った。私室で深呼吸をし、ペットの居るケースを抱き締める。

「ただいま」

私の父は孫を欲しがっていた。サンが種なしだと知って酷く落ち込み、それから娘を作れた私のことを少しだけ見てくれた。

「…………」

父が他界した今、あの女共に価値などない。ボスは妻子の有無を気にしていない。面倒だから捨てたい。でも、娘の顔を見ると父に「でかした!」と言われたことを思い出せるから、娘の顔はたまに見たい。

「はぁ……」

憂鬱だ。フタの相手も、サンのご機嫌取りも、ボスに認めてもらえないのも、妻子が邪魔くさいのも、部下共がフタばかり慕っているのも、何もかもが気に入らない。ペットとの時間以外何も喜びがない。

「…………」

私の人生、こんなはずじゃなかった。
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