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おまけ

おまけ たこ焼きを教えて(シュカ×リュウ)

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※シュカ視点。1138話水月がフタとデートをし、ハルがカンナと遊んでいた頃、一緒にお昼ご飯を食べていたシュカとリュウのお話。



母のオムツを替えているとスマホが鳴った。オムツ替えを終わらせて手を洗い、よく顔を蹴られるので外していたメガネをかけて確認すると、グループチャットの通知だと分かった。霞染が遊び相手を探している。

「…………」

返信せず放置していると霞染は個チャにまで予定を聞いてきたので適当に突っぱねた。水月とも予定が合わなかったようで、結局時雨と二人だけで遊びに行くことになったらしい。

「雑魚二人で大丈夫か……?」

またタチの悪いナンパに引っかかりやしないだろうな、あの女装野郎。少し心配……いや、アイツらの身を心配している訳じゃない、アイツらに何かあって水月が落ち込んで、勃ちが悪くなったらオレにも迷惑がかかるから、それが心配なだけだ。そう、心配だ、でもその日はオレは前々から予定があるから行けない。



水月がフタとやらとデートに行き、霞染が時雨と遊びに行く日の昼前、オレもある駅の前で待ち合わせをしていた。

「とりりーん」

「…………遅ぇ」

「五分前やねんけど。まぁええわ。こっちや、来ぃ」

「ん」

待ち合わせ相手は天正だ。金髪は相変わらず陽の下で見ると眩しくて鬱陶しい。

「てめぇさっさとハゲろよ」

「嫌やわ! なんやねん急に」

「……ふん」

「なんやのその態度! 自分が教えて欲しい言うからわざわざ時間取ったってんで! 明後日っから帰省や言うのに……」

「帰省? クニ帰んのか?」

盆は確か明日で終わりだったはず。帰省は普通、盆にやるものじゃないのか?

「ぉん。おとんの会社、盆とかゴールデンウィークとかズラして長期休暇くれるタイプの会社やねん」

「ふぅん……サービス業か?」

「ゃ、かご工……分かりはる?」

「はらん」

「さよか……まぁ、なんや、土木や」

「ふーん」

大した興味はなかったので雑に話を終わらせ、特に話すこともないので黙っていると天正の方も喋らず、炎天下を二人静かに歩いていく。

(はらん、にツッコミなかとか。意外と違和感んなか返事やったんか? 大阪弁は分からんな)

(……はらんって何なんや。なんやねんその返事。何何さん居らっしゃる~? 聞いたら「しゃらん」言うようなもんやぞ。あんま言わんやろ……言うんか? 九州やったら言うんか? 言うんかもしれん。向こうの普通が分からへんから迂闊にツッコまれへんなぁ。博多弁分からんわ~)

(水月が西日本出身でくくっとーとムカつく……東京ん方がまだ分かるっちゃ)

(九州ほんま分からんねんなぁ、方言も風習も……水月が西組ってまとめよんのムカつくわぁ。関西と九州はちゃうっちゅーねん。まだ東京の方が分かるわ)

(……コイツ、普段よう喋るとになんで今日は喋らんっちゃ?)

(コイツなんで蛸足配線って書いとるシャツ着とるんや、誰が何の目的で作ってんこれ……蛸足配線、蛸足配線て……タコ足やのうて蛸足て漢字なんがまたシュールやわ。あかん全然おもろないのにツボってまう。真顔で何着とんねんコイツ、前から思とったけどコイツ服のセンスだけイカレとるやろ)

一言も発さないまま俺達は天正の家に着いた。

「ただいまぁー…………おかぁーんっ! ただいまぁ~!」

何の変哲もない一軒家の奥から「おかえり~」と女性の声が返ってきた。水月ほど立派な家でもないけどオレの家よりは広いな……まぁ、両親が健在のようだし、オレより部屋が必要だから当然か。

「……お邪魔します」

天正に着いて行くと女性の姿が見えた、天正の母親だろう。挨拶しなくては。

「鳥待 首夏と言います。本日はお世話になります」

「あ、ご丁寧にど~もぉ。竜潜の母ですぅ、いつもウチの子が世話なってますー」

「いえ……私の方こそ」

「せや! 俺が世話したってんねん」

された覚えねぇよ。

「んなわけないやろ! よぉこんな真面目そうな子ぉと仲良ぉなれたもんや、意味分からんわ。えー、シュカくん? たこ焼き教わりたいんやっけ」

「……はい。以前、友達で集まって天正さん主導で作った時、とても美味しいものが出来て……今まで店で食べてきたものとはまた違っていたので、詳しく知りたくて」

「そぉなん。教わるようなもんでもない思うんやけど、そうでもないんやろか……こっちの人て全然たこ焼き器自体持ってはらへんもんねぇ。ま、ええわ。材料よぉさん買っといたから、好きに使うて。シュカくんがよぉ食べるて話はセンから聞いとるよ、遠慮せんと食うてな。残してもしゃーないし。あ、ウチもお昼ご飯まだやから呼ばれるわ。昼からたこ焼きなんて久しぶりやなぁ、楽しみやわ」

天正に似てよく喋る人だな。

「とりりーん! 生地作んで~! 見たいんやったらはよ来ぃ~!」

「あ、引き止めてごめんなぁ。行ってき」

「はい、失礼します」

天正に呼ばれてキッチンへ行くと、ボウルと粉と卵が並んでいた。他の具材はまだ冷蔵庫から出していないようだ。

「まず必須なんはたこ焼き粉や。スーパーに売っとるから好きなもん買い」

「はい」

「たこ焼き粉入れる前にまず卵入れんねん。たこ焼き粉の袋の後ろに書いとるわ、なんて書いとる?」

「……え? 粉二袋入り、一袋につき水300ミリ卵一つ」

「その倍や。ボウルのサイズ的に二袋分一気に作れるから卵は四つ」

天正は卵を四つ割ってボウルに入れてよくかき混ぜた。

「水も倍。1.2リットル」

「……そんな分量大幅に無視していいんですか?」

「たこ焼きはしゃばしゃばのんが美味い!」

「昔、店で食べたものと食感が違った訳です」

「しゃばしゃばが美味い俺は思うけど、固いのん好きやったらその辺は自由やで?」

数学の特待生として十二薔薇に入ったくせに、袋の裏面に書いてある分量を守らないの、なんか面白いな。

「ほいで粉入れるやろ。ダマなくなるまでよぉ混ぜんねん。ちょっとやっといて」

「はい」

お玉を渡され、ボウルの中の生地をかき混ぜていく。ほとんど液体だな……ホットケーキの生地だとかはもっと粘り気があるものだが、本当にこれを焼いて個体になるのか不安なほど液体だ。

「次入れるんがだし粉と白だし。ソースのん食いたかったらこれはいらんけど、俺はだしのんが好き」

昔、宗教組織の幹部の男に連れられた先の店で食べたのはソースとマヨネーズ、青のりがかかったものだった。アレも美味しかったけれど、天正が以前作った何もかけずに食べるたこ焼きの方がオレの舌にも合っていた。天正と好みが一緒だとは思われたくないので黙っているが。

「だし粉は二袋。白だしはトットット、トプ、っちゅう感じ。この量も気分やな。一回焼いて気に入らんかったら増やしたりしたらええわ」

「別荘で野菜を切れと言われた時は何センチだ物差しをよこせなんて言ったくせに、アバウトですね」

「知らん料理と知っとるもんとは勝手がちゃうねんて。ほいでこれ混ぜたら生地は完成や」

天正はボウルをローテーブルに運んだ。いつの間にかテーブルにはたこ焼き器が用意されている、天正の母親が準備してくれたのだろう。

「赤エビ、天かすは売っとるそのまんま使う。切るんはキャベツとタコだけや」

「キャベツ入れるんですか? 大阪のたこ焼きには入れないと聞きましたが」

「……健康にええやん。まぁ入れんでもええで、別に味変わらんし……あ、キャベツ結構水分出すから、キャベツ入れへんのやったら白だしもうちょい少なめでもええかもしれんわ」

あの水っぽい生地に更に水っぽいキャベツを入れるのか。

「あんまり食感気にならんように細~千切りにして、たこ焼きに入るように短ぅすんねん」

「食感消しちゃうんですか? せっかくキャベツを入れるのに?」

「お好み食うのんとちゃうねんからキャベツの食感なんて要らんねん!」

「はぁ……」

「キャベツ食いたいんやったらお好み食うたええねん」

こだわりがあるみたいだ。

「……うん、こんくらい細ぉ切ったら火ぃ通ったらくったくたなって気にならんよぉなるわ」

意外と千切り上手いな、コイツ。

「次タコな。タコの大きさは好みや。デカいのん入れたかったらデカぁ切って、生地の食感邪魔されとぉないんやったらちっちゃあてもええわ」

「タコ高いんですよね……キャベツ入れなくてもいいみたいですし、水でカサ増し出来るのなら節約になるかと思ったんですが……タコ入れるとなると、そんなに安上がりでもないかもしれませんね」

「タコ入れんでもええで。タコの出汁あれへんから物足りん気ぃはするけど、まぁ生地だけでも美味いんは美味い」

「……そうですか」

たこ焼き粉の値段と卵の値段から一食あたりの必要金額を計算しておかなければ。もやし炒めを超えることはないだろうけど。

「とりりん家タコ入れるか迷うくらい生活厳しいんか?」

「……まさか。十二薔薇入ってるんですから、余裕たっぷりですよ。ただ、私の食費は数人分ですから」

「はは、とりりんよぉ食うもんなぁ」

少量で満足出来るのなら家計にもう少し余裕が出来る。自分の体質が悩ましい。

「よぉ食うくせに太れへんもんな、部活もやっとらんしバイトもしてへんねんやろ? カロリーどこで使てるんや、ケンカでもしてるん?」

「……吸収力の悪い身体の造りなんですよ、多分」

「そうなん。まぁ、よぉさん食べるヤツ俺ぁ好きやで、見てて気持ちええもん。水月も多分そうや、かわええ思たはるわ」

「…………そうですかね」

以前、水月は木芽とは将来的に同棲する約束を交わしていると聞いた。他の彼氏はどうか知らないが、アイツの望みは全員と同じ家に住むことだろう。

「せやって。おっしゃタコ切れた。とりりんタコとキャベツ持ってって、俺他のんと油持ってくさかい」

「……はい」

オレは……母親を施設に入れるのは嫌だし、そんな金もない、卒業したら同棲……なんて頭お花畑連中が約束し合っているようなこと、オレには無理だ。だから同棲することになったらオレにかかる食費に水月がどんな反応を見せるかなんて、心配する必要はない。アイツと何年もずっと付き合うにしても、その付き合い方はセフレもどきでいい。

「あっためた鉄板にハケ使うてびゃーっと油塗ってなぁ。びゃーっとでええで、窪んでるから勝手に落ちてくねん。せやけど鉄板古かったりしてくっつくんやったらちゃんと塗った方がええわ」

霞染がしょっちゅうねだるようなデートになんか心底興味がない、セックスさえ出来ればいい、甘い言葉もスパイスとしての意地悪も要らない。肉の棒さえあればいい。

『シュカ』

「……っ」

「ほいで生地を流し入れて……とりりん? どないしたん?」

「……いえ、生地を流す際の注意点などは?」

「なんぼちゃんと混ぜても粉が沈殿してまうから、生地入れる前にちゃんとこう混ぜてなぁ……」

天正の説明を話半分に聞きながら、不意に水月の声を思い出した自分の女々しさにため息をつく。肉棒だけ、というのは撤回しよう。声も欲しい。オレの名前を呼ぶ声も。

「生地入ったら次タコや、一個ずつ入れてくねん。キャベツとエビと天かすは適当でええわ」

「数学得意な人って適当とか出来ないと思ってました」

名前……そういえば夏休みに入ってから名前を呼ばれる回数がグッと減ったな。

「俺ぁそないなアホな理数系とはちゃうわ。ええか、適当にザザっと振っただけに見えるやろけどな、一個も入っとらんヤツはないし過剰に入っとるヤツもないやろ」

「……言われてみれば。計算の成果ですか?」

旅行中は散々呼ばれたけれど、それも終わったからまた学校が始まるまでは呼ばれないのか。いや、始業式まで会わないとなると性欲が溜まり過ぎるから、適当にセックスしに行くだろうし、その時に呼ばれるか。

「これはやな……慣れや!」

「んなこったろうと思ったよ」

いつ行こう、いや、今は考えるな、他所の家じゃ腹が疼いても対処のしようがない。別のことを考えよう。

「最低でも週一で食うとるからな」

「後は紅しょうがやけど、俺そない好きやないから入れんでええな?」

「えー、紅しょうがないと物足りんわ。鳥くんもせやろ?」

「ええ、そうですね」

「しゃあないなぁ、ほな三等分……ここからここまでは俺の紅しょうが抜きグループやから取ったアカンで」

別のことと言ってもな……何か天正と会話するか? 天正の母親に聞かれても問題なさそうなことを話してもつまらないか。水月の母親ならオレ達のハーレムを知っているし下ネタへの耐性が高いどころか向こうから振ってくるから気遣いが必要なくて楽なんだけどな。アレは特殊か。

「後は焼き上がりを待つんや」

「どうやって判断するんです?」

「せやなぁ……この穴から溢れとる分あるやろ。これがパリッとしたもんになったら、が一番分かりやすいんちゃうかな」

「お箸使とったら先っぽ潰れてまうから、割り箸とか用意しといた方がええで。竹串とか初心者向けやろか」

「……ご教授ありがとうございます」

天正とその母親の皿には三本目の箸がある、割り箸のようだ。割り箸と言っても割って使う四角いものではなく、丸くて先が尖っているタイプのものだ。牛丼屋とかでテイクアウトするともらえるヤツだな。

「たまにシリコンのんとかステンレスのんとか売っとるやん」

「知りませんけど……そうなんですか?」

たこ焼きをひっくり返す以外に使い道がない製品があるのか。

「アレ、アカン! シリコン柔らかすぎて焦げ付いたら無力やし、ステンレスのんは鉄板傷付いて焦げ付きやすくなんねん」

「ウチらの体感やから、アレが使いやすいって人も居るんやろうけどなぁ」

「いやいやないわ、アレはないわ……金の無駄遣いやったわアレは」

「百均のもんなんてあんなもんやろ」

「割り箸みたいな使い捨てのもんは使わん方がええんかなぁてエコ精神出したらこれや、やっとられんでほんま」

「ウチは割り箸洗って使とるけどな」

「……私の家もそうですよ」

話しながら先程天正に教えられた、穴から溢れた生地の焼け具合をじっと見つめる。

「せやんなぁ! ささくれ増えてきたら最後にカレーうどん食うのんに使うて捨てるやんな、割り箸ラストはカレーうどんか焼きそばやんな」

「え……いえ、そこを意識したことはあまり」

「初おろし割り箸でカレーうどんや焼きそば食うたら割り箸染まってまうやん?」

インスタントラーメンは高いから滅多に買わないし、インスタントでなければカレーうどんや焼きそばなんて食べない。外食で割り箸の染色なんて気にする訳もないし、分からない。

「そうですかね……あっ、天正さん、焼けてませんかこれ」

「ぉ? おお、そろそろひっくり返せそうやね」

「ひっくり返すコツちゃんと教えてくださいね、前は分からなかったんですから」

「へーへー。えー、ド真ん中に箸刺してぇ、いっちゃん外側……皮捉えてぇ、くりんっ、て」

「…………もう一回」

もう一度見せてもらったが、肝心の回す部分が素早くてよく分からない上に説明も「くりん」で済まされて更に分からない。

「くりんじゃなくてちゃんと説明してくださいよ」

「えぇー……難しいこと言うやろまた。おかーん、パス」

「はいはい。よぉ見ときや鳥くん。真ん中刺してぇ……くりん、や」

「くりんじゃないですか! と言うか……真ん中に刺すんですか? 端から鉄板から剥がしていくのでは? 真ん中に箸を刺して回そうとしても、掻き混ぜてしまうだけなんですけど……」

「下手なだけや」

あぁ!? と凄みたいところだが事実だし、天正の母親の前だ。耐えろオレ。

「数こなすしかないわなぁ、失敗してもええからやってみ」

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」

「俺のしょうが抜きグループで練習すんなや! あーっ! ぐちゃぐちゃにしよる、もんじゃちゃうねんど東京もんがぁ!」

「もんじゃなんてまだ食べたことありませんよ! 私だって東京来たのは最近です!」

「せやった、自分は日本一治安の悪い県出身やったなぁ」

「犯罪発生率ワーストワンはてめぇんとこだろうが……!」

「軽犯罪や! 拳銃見つからん年がニュースんなるような県よりマシやろ」

「んだとっ……あ」

ついいつもの調子で互いの出身県のこき下ろし合いをしてしまったが、今は大人の目の前だ、ド忘れしてしまっていた。天正も遅れて気付いたようで気まずそうな顔をしている、そんなオレ達に気付いたのかオレ達をニコニコ笑って眺めていた天正の母親が口を開いた。

「続けてええよ? ウチんことは気にせんといて、数学と喧嘩でボロ負けする意外に趣味のあらへんセンに友達出来るやなんて思てなかったから、嬉しゅうて眺めとるだけやから」

「ボロ負けは余計や!」

ドMなんだからボロ負けまでが趣味で合ってるだろ。

「……センって呼んでるんですね、学校ではだいたいリュウと愛称を付けられているので新鮮です」

「天正のもんは竜って必ず入れられんねん、せやからウチでリュウ呼んだら天正家全員振り向くで」

「ウチ嫁やからちゃうけど、女の子にも入れんの意外やったわぁ。そういう風習だいたい男だけやん、なぁ?」

「そう……ですね」

「シュカくんやったね、シュカてどない書くのん?」

「……首に夏です」

首に夏なんて奇妙な組み合わせ、意味が分からない。首って何だ、あまり名前に使う漢字じゃないだろ。一体どういうつもりで付けたんだか。まぁオレの両親は両方頭が弱いからな、どういうつもりもクソもないか。

「首、夏……あぁ! 首夏! 夏の初め頃のことやねぇ、旧暦の四月……? 綺麗な名前やね」

「…………私、四月生まれです」

「あ、そうなん? せやから付けたんやね」

「……そんな意味がある言葉だったとは知りませんでした」

「そうなん? お母さん言うてへんかったんや、多分そのことや思うけどなぁ、時期も合うたるみたいやし」

ずっと、音が先で適当に付けた名前だと思っていた。四月四日の春真っ只中に生まれたのに夏の文字が入っていることも含めて、適当だと思っていた。

「…………母さん」

「そうそう、お母さん。言うてへんかった? 小学校とかで由来調べろて宿題出たりもするやん」

「母さん、は……」

「……鳥くん?」

「とりりん……」

「…………母には、聞いていませんでした」

何も思い出せなくなった母が、オレを認識することすら出来ない母が、オレの名前を付けた時のことなんて覚えているはずがない。オレだって、オレの名前を呼ぶ母の声すらもうよく思い出せない。

「ありがとうございます、おかげで自分の名前の意味が分かりました」

きっと母にはこの先も聞けないままだろう、オレの名前の由来なんて。知れてよかった、母の口から聞きたかったなんてワガママは言わない。言えない。
金も身体も搾取され続け劣情と暴力に晒され続けて苦痛ばかりだった母の唯一無二の幸福はオレだったのに、そうと分からず二年以上家出して顔を合わせなかった上に認知症の進行に気付けなかった親不孝なオレには、そんなワガママ言う権利はない。



数時間かかった昼食が終わり、片付けを手伝ったらオレはすぐに天正の家を出た。

「今日はありがとうございました」

夕焼けの中、オレは猫を被った笑顔で見送りに来た天正の母親に手を振った。

「……駅まで送るわ」

「…………オレはどっかのご令嬢じゃねぇぞ」

「分かっとるわ、ちょい話したいことあんねん。おかん、ちょぉ行ってくるわ」

「気ぃ付けてな~」

そうやって着いてきたくせに天正は黙ったままだ、もう駅が見えてきたのに。

「……おい、話したいことって何なんだよ」

「ゃ……別に、ないけど」

「はぁ? 話したいことあるっつっただろてめぇ」

「う、そ」

天正にしっかり聞こえるように大きくため息をついた。

「…………ちょい、こっち来てくれん?」

「何だよ……」

物陰に誘われ、人目を気にしつつそっと隠れる。

「……何だよ、やっぱり話したいことあんのか? ならさっさと言え。口ごもるタチか? てめぇが。普段ベラベラ喋ってるてめぇが黙ってると気色悪いんだよ」

「シュカって呼んでええ?」

「は……? あ、あぁ……好きにしろよ。そんなことわざわざ聞くために──」

首にぶら下がるように抱きつかれ、一瞬思考が止まる。オレは何故か天正を振り払わず、そういえばコイツはチビだったなと身を屈めてやった。

「…………なんなんだよ」

「へへ……今日は楽しかったわ。今度はお好み焼きでもせぇへん? 帰省終わったらまた来てぇや」

「……あぁ、タダ飯食えるんなら」

「食わせたる食わせたる。へへっ、もうちょい屈んでぇや」

「…………チッ」

キスでもする気かとため息をつきつつ更に腰を落とすと、天正はオレの頭を撫でた。

「……なんやろなぁ、名前の話しとったあたり? なんや撫でとぉなる顔しとってんな。よしよし……へへ、シュカの頭触るんなんてレアな経験やろなぁ。こんなことしたらすぐぶん殴られてしまうもんな」

予想外の行動にまた反応が送れた。今すぐこの調子に乗ったバカの手を叩き払って、追加でゲンコツでも落としてやらなければ。きっとこのドMもそれを望んでいる。

「…………」

早く、叩け。殴れ。頭を撫でられるなんて屈辱なんだから。

「…………………………かぁ、さ…………っ!」

「ん? どないしたん、シュがっ……ったぁ~! そっ、そないに強ぉ叩かんでもええやん! 脳天響いたわ、顎ガチぃなったわぁ!」

「しゃあしい! 死ね! 余計こと思い出させやがって……!」

天正の脳天にゲンコツを落とし、喚くヤツを置いてオレはさっさと改札を通った。天正に撫でられた頭に触れ、髪が乱れていないか確かめた。

「…………」

そう、髪が乱れているから。乱れているから、直しているだけ。撫でてる訳じゃない、天正に思い出させられた母の手つきを真似てる訳じゃない。天正に乱された髪を直しているだけだ。

「………………………………ふふ」

母のことを思い出して笑うなんて何年ぶりだろう、初めてかもしれないな。
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