自称不感症の援交少年の陥落

ムーン

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私刑の隠語

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弁護士事務所だからそれなりに来客はあるはずだが、依頼人などは俺が居る時間には来ないしキョウヤは通販などを使わないようなので、インターホンの音を聞いたのは今が初めてだ。

「おや、おや……嫌な予感がするね」

キョウヤはそう言いながらも来客対応のため俺を抱き締めるのも撫でるのもやめてしまった。寂しさのあまり意味もなく着いていくと、彼は微笑んで手招きをしてくれた。

「やぁ、やっぱり君か」

「おひさです、チューリップ卿。お土産のひよまんどーぞ」

「ご丁寧にどうも」

「お、よっすガキんちょ。さっきぶり」

キョウヤが出迎えた男は駅のホームで出会った強面の男だった。彼の言う「ヤクザ」がニュースでよく聞く暴力団のことだと思っていた俺は、十人足らずのチンピラ集団のことを指していた彼に騙された気分になっていたため、お茶目に手を振る彼からぷいっと顔を逸らした。

「俺、嫌われちゃいました?」

「君ねぇ……レインには言わないって約束だったよね?」

「それは彼と接触してしまったおバカな子犬に向けた約束では? 俺は本業の出張のついでにこの辺ぶらぶらしてるだけですし、たまたま駅で見かけた子供に何言おうが、旧友の事務所に押しかけようが自由でしょう」

「弁護士相手に屁理屈こねないの」

キョウヤは男の額をピンッと弾き、彼を仕事場へと招いて俺にお茶を三人分用意するように言った。俺は男に対するキョウヤの態度や距離感に言葉にし難い不快感を覚えていたが、雑巾の絞り汁を混ぜたりなんてせず真面目にお茶を入れた。

「おやおや、福岡銘菓だねぇ」

「東京駅の土産屋で買いましたけどね」

「君これを東京銘菓って言うと怒るじゃないか」

お湯が沸くのを待っている俺を放って二人は仲良さげに話している。

「別に怒りゃしませんよ。元々福岡で売ってて東京に進出しただけなのに、東京銘菓呼ばわりはどうかなーって思うだけで」

「ひよこちゃんが勝手に巣立っただけなのに東京を泥棒呼ばわりする方がどうかと思うけどねぇ」

「ぁ?」

「ほら怒った」

「怒ってみた方が面白いかと」

「確かに。君は相変わらず冗談が好き──」

「粗茶です!」

「──だね、っと……ありがとう、レイン」

何故だがムカムカしていた心のままにドンッとお茶を置き、キョウヤの隣に腰を下ろして見せつけるように肩に頭を乗せた。

「……レイン、何だか不機嫌だね?」

「別にそんなことないよ」

「そうかい? うーん……気に入らないことがあったら何でも言っていいんだよ」

何が気に入らないのか自分でも分からない。言語化なんて不可能だ。何故か男を敵対視してしまう、何故かキョウヤにひっついていたくなる。それをそのまま口に出せば頭のいいキョウヤは俺の感情を言語化してくれるだろうか?

「久々のひよこちゃん超美味ぇ。あ、れっきとした東京銘菓もありますよ」

「バナナだねぇ。レイン、食べたことないだろう? お呼ばれしなさい」

「……うん」

男が持ってきてくれたお菓子を俺は知っている。食べたことがあるからではなく、有名だからだ。ただ常識のように名前を知っているだけで食べたいと思ったことすらないけれど、くれるのならばとりあえず一口いただこう。

「頭から食べる派ですか、いいですね」

鳥をかたどった饅頭の優しい甘みが口内に広がる。お茶に合う味だ、素晴らしい。

「私はお尻派かな」

「急な性癖暴露ですか?」

「ひよこちゃんの話だよ」

「でもそっちの意味でもお尻好きでしょう?」

「……まぁね。ふふ……若い男の子のお尻がいいかな」

俺そっちのけで男と話しているのを不愉快に思っているのに気付いたのか、キョウヤは饅頭を頬張る俺の腰を抱き寄せてくれた。

「いよっ、未成年にばっか手を出す性犯罪者!」

「……事実だから何も言えないな。はぁ……君と話すのは疲れるよ、何の用だい? 君だって忙しい身だろうに、わざわざ何をしに来たんだい?」

「近くまで寄ったんで来ただけです。一応聞きたいことはありますが、電話でもよかったことですね。まぁでもガキにも直接聞けるのはいい」

男は姿勢を正し、意味不明なことを言った。

「カニ缶、犬神、漁船、基礎杭、どれにします? バラ売りが可能なのは犬神と基礎杭ですかね。カニ缶や犬神からの基礎杭とかの合体技も出来ますよ」

「……っ、レインの前でそんな話をするな!」

男が何故その四つの言葉を並べたのかも、バラ売りという言葉の意図も分からないのに、何故かキョウヤは激怒した。何かいけない意味が込められた隠語なのだろうか。

「でもそのガキは関係者ですし」

「そんな話を出来るほど精神が成熟していない。いや、大人だって……普通に暮らしている人間に聞かせれば胸糞の悪くなる話だ」

「過保護ですねー……ちなみにチューリップ卿はどれがいいんです? バラ売りならある程度は返金出来るかもしれませんよ」

「…………気分的にはカニ缶だけど、現実的なのは犬神の後に基礎杭かな」

やはり四つの単語は何かの隠語のようだ、何を表しているかキョウヤには分かっているらしい。俺だけ仲間はずれにされた気分だ。

「どーも。カニ缶は準備大変なんでありがたいです」

「……待ってくれ、まだやるとは決まっていないよな?」

「えー? もう積んじゃいましたけど」

「なっ……どうして! 確かに私は積んでしまえとは言ったけど、積む前に最終確認をするという話だっただろう」

「彼の未遂バレんのまずいっしょ、不測の事態ってヤツです。こっちだって予定外の積み込みで足がつかないようにするの大変だったんですからね?」

キョウヤは頭を抱え、深いため息をついた。真の意味が分からない言葉で話されて疎外感を味わっているのに、その会話でキョウヤが落ち込んでいるなんてもっと嫌だ。
俺を見て欲しくて、俺で元気になって欲しくて、俺はキョウヤの手をぎゅっと握った。

「レイン……」

「何の話してるのか全然分かんない。俺の分かんないとこで落ち込まないでよ」

「……ありがとう。でも、君には聞かせたくない話なんだよ」

「そういう訳にもいかないでしょ」

キョウヤが不法行為を指示してまで俺の調査をしていたのは俺には秘密という約束を破ったらしい彼なら、言葉の意味や会話の真実を教えてくれるだろうか?

「教えてください!」

「レイン……! ダメだ、絶対に言うなよ」

「はいはい、言いませんよ」

男はからかうように頭の上に手を上げた。

「キョウヤさん!」

「ダメなんだ! 本当に……ダメなんだよ、レイン」

俺はまだ酒もタバコも禁止されている歳だ。しかし後半年もすれば解禁されるし、選挙権ならとっくにある。あまり子供扱いしないで欲しい。

「はぁ……レイン、私は君のその真っ直ぐな瞳にとても弱いんだよ」

「どういう意味か教えてくれるのっ?」

「それはダメだ。こちらから質問をさせてもらう」

「えー……何?」

気持ちが萎んでしまいそうだったが、キョウヤの真面目な瞳に見つめられて胸が高鳴る。灰色の視線を独り占め出来ているという優越感まで現れて、今まで味わったことのなかった感情の連続に少し混乱した。

「レインはお父さんをどうしたい?」

「えっ……? ど、どうって……どう?」

「君への虐待、脅迫の証拠は山ほどある。彼自ら残してくれている。訴えることは出来るんだよ、接近禁止命令も出せるだろう」

「でも接近禁止命令って別に接近したからって首輪がピピピッって鳴って頭ボンッて訳でもないんでしょ?」

「君は少し黙っていてくれないか。誰しもがデスゲーム系の映画を見ていると思うんじゃない」

男は呆れたと身振り手振りで示し、饅頭を口に詰めた。

「……彼の言った通り、接近禁止命令があるからと言って絶対に接近出来ないのかと言ったら首を横に振らざるをえない。君の殺人未遂もバレて罪を問われるかもしれない」

「そっか……でも、やっちゃったのは俺が悪いんだし、それは受け入れるよ。うん……うん、俺、父さんを訴える」

「と、訴えるかどうかという話をしたかったんだけれどね?」

「え、してたんじゃないの?」

「そうもいかなくなってきたんだよ。彼がさっき「積んだ」と言っていただろう? アレは車に積んだ……つまり君のお父さんを拉致しているということなんだよ」

「解放したら面倒臭くなるから失踪したことにしませーん?」

失踪したことにするとはつまり、殺してしまって殺人が発覚しないように埋めてしまうということだろうか。

「殺人未遂やらかしたんなら死んで欲しいんでしょ? 他人に押し付けられるんですからラッキーと思うべきでは?」

「やめないか。レインは純粋な子なんだよ。レイン、私は君の選択を尊重する。私にどんな不利益があっても君を愛し続けると誓うよ。どうしたい? レイン。一生罪悪感を背負うか、法的にケリをつけるか」

「やっちまった方がスッキリすると思いますよ。法に任せたって損するだけで気が晴れません」

「それは君だけだ。罰されて救われることもある」

二人は罪と罰に対するスタンスが違うようで口論を始めてしまった。俺はそれを聞きながら父との思い出を蘇らせ、結論を出そうとした。

「……俺は」

口論を中断した二人の視線が俺に注がれる。
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