自称不感症の援交少年の陥落

ムーン

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誕生を祝福するスイーツ

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夜、キョウヤは俺を車に乗せて俺の自宅アパートに向かった。物音を立てないよう静かに荷物を車に積んだ、荷物は学用品や貴重品だけだ。

「……服や歯ブラシは用意してあげるから置いていきなさい」

思い入れのある服なんてなかったので、キョウヤ好みの服を着て日々を過ごしたくなったので、言う通りにした。

「あ……キョウヤさん、この服は持って行きたい……」

「……ワンピースかい?」

「お母さんの形見なんだ。俺は写真持ってないから、俺にはこれしかないんだ」

他の男からの贈り物らしいこのワンピース以外、父は大量に遺してある母の形見を俺に触れさせようともしなかった。写真の焼き増しどころかデータすら寄越さなかった。

「そう……それは持って行かなきゃね。これは? ウィッグ……かい?」

「…………それはいらない」

ワンピースと黒髪ロングのウィッグがあれば俺は母になれる。けれど、俺にとってそれは父に抱かれる準備でしかない。ワンピースだけなら形見として扱えるから、ウィッグは置いていく。

「やっぱり物が少ない家だねぇ……お金はどうしていたんだい?」

「だから貯金だってば」

「レイン、さっき私に通帳を渡したことをもう忘れてしまったのかい?」

「……もう聞かないって昼間約束した」

「そう……お金の使い道が君の言うとても汚いところなんだね」

「詮索もしないで!」

キョウヤは困ったように微笑んで謝り、俺の頭を撫で、唇に立てた人差し指を当てた。それを見て俺は今が夜でここが壁の薄いアパートであることを思い出した。

「……うるさくしてごめんなさい」

「いいんだよ。さぁ、行こうか」

ボストンバッグ一つも埋められない俺の今までの人生にため息をつき、助手席からキョウヤを眺めてこれからの人生に淡い希望を抱いた。

「………………なんで俺最近情緒不安定なんだろ。なんか……メンヘラな女の子みたいじゃない? ごめんねキョウヤさん」

「気にしなくていいんだよ、変に遠慮されるより余程いいからね」

「そーぉ……? でも治したいな……疲れるし」

「私がもっと安心させてあげられたら治るかな?」

父が突然事故にでも遭って死なない限り、俺の情緒が安定することはないだろう。

「……うん。いっぱい抱いて、愛してくれたら……治る」

「そうかい。ふふっ、頑張らないとね」

キョウヤの車には走行音がほとんどない。静かな車内では二人の声どころか息遣いすら聞こえてしまう。夢見心地に近い不思議な感覚は車がキョウヤの事務所に停まると終わってしまった。

「君と住む家も探さないとね」

「うん」

「荷物の整理は明日でいいよ、今日はもうシャワーを浴びておやすみ」

「……うん、ありがとうキョウヤさん」

ベッドルームに軽いボストンバッグを置き、シャワールームへ向かう……途中でベッドルームに引き返した。家から持ってきた着替えは何一つないから今着ている服を洗濯すると全裸になることに気付いたのだ。

「キョウヤさん、俺何着れば……」

キョウヤが俺のボストンバッグを漁っていた。

「……着替えかい? 一応何着か買ってあるよ、持って行ってあげるから気にせず入りなさい」

「あ、うん……キョウヤさん俺の鞄漁って何してんの?」

「今夜泥棒が入らないとも限らないし、通帳類だけでも金庫に移しておこうと思ってね」

言いながら通帳を取り出し、俺に見せる。もう片方の手が鞄から家の鍵を抜き取ってポケットに隠したのが見えた。

「……そっか。結納金? だね」

「ちょっと意味が違うかなぁ……ふふ、早く入っておいで」

どうして鍵を取ったのだろうと気にはなったが、キョウヤが俺の家に出入りできたところで何の問題もないので放っておいた。



次の日の大学帰り、俺はまっすぐキョウヤの事務所に戻った。仕事場を覗いてみると依頼人だろう女性が居たが、キョウヤは居ない。

「あっ……こ、こんにちは。俺……ここで手伝いをしてる者です」

目が合ってしまったので仕方なく挨拶をする。キョウヤはどこに行ったのだろうと周囲を見回すと、隣の部屋から物音が聞こえた。

「キョウヤさん……? あ、居た、お客さん来てるよ。何してんの?」

資料庫のような場所だ。

「おかえりレイン、あんまりお客さんって言わないようにね。ちょっと資料が必要で……悪いけれど、お茶だけでも出しておいてくれないかな」

「……初仕事ってこと? やる!」

資料庫から出て仕事場に戻り、女性にお茶を持ってくる旨を伝えて仕事場を後にし、居住スペースである三階へ。

「麦茶でいいかな……氷、どうしよ。入れとくか」

グラスに氷を三つ入れ、麦茶を注ぎ、落とさないように零さないようにしっかりと握って仕事場に戻った。

「お茶です」

「あ、ありがとうございます……」

「キョウヤさんもう少しで来ると思います」

「はぁ……」

麦茶を一口飲んだ女性の顔は暗い。疲れた顔をしている。

「……何があったんですか?」

俺は女性の隣に腰を下ろし、大学構内で買ったペットボトルのお茶を飲んだ。

「え……? ぁ……えっと……子供を、流してしまって……義母が離婚しろと…………それを、相談に……」

「流して……? 川とかで溺れちゃったっていうことですか?」

「…………お腹の中に居る赤ちゃんが、まだ入ってなきゃいけないのに出てきちゃって……死んじゃうの。流産って……子供が流れるって言うのよ、知らない……?」

ガチャン、と資料庫と仕事場を区切る扉が開く。

「お待たせしました……レイン、こら、隣に座っちゃダメだよ。すいません……ってレイン、お茶、これどこから持ってきたんだい? そこのポットで温かいお茶を淹れて欲しかったんだけど」

「えっ、ぁ……なんか、色々ごめんなさい」

「もう下がりなさい。あぁ、おやつ用意してあるからね。冷蔵庫の二段目を探してごらん」

仕事場から追い出された俺は三階へ向かい、キョウヤに言われた通り冷蔵庫を探った。高級ケーキ店のケーキが入っていた、フリルのようなホイップクリームに目立つイチゴ……ショートケーキだ。

「…………」

俺はケーキを箱に戻し、冷蔵庫を閉めた。食べたことのない物だったから躊躇った、だがそれだけではない、女性との会話で気になることがあったからだ。
ダイニングでノートパソコンを開き、ボーッと課題を眺めているとキョウヤが入ってきた、どうやら仕事が一段落したようだ。

「おかえりキョウヤさん」

「ふふっ……ただいま、レイン」

ノートパソコンを閉じて駆け寄るとキョウヤは俺を抱き締めてキスをしてくれた。唇が一瞬触れ合っただけなのに後孔がヒクッと震えた。

「もう仕事終わり? ずっとこっち居る?」

「ううん、ちょっと休憩……おや、まだケーキ食べていないのかい?」

「……どんな味か分かんないから、あんま食う気になれなくて」

「ケーキ、一度も食べたことないのかい? 誕生日やクリスマスにも?」

「…………小学校の時、給食のデザートで出たかも……? クリスマスの時に、なんか……ちっちゃいの。でも味よく覚えてない」

キョウヤはにっこりと微笑んで俺の頭を撫で、ショートケーキを冷蔵庫から出して皿に乗せると、ダイニングの机に置いた。

「座りなさい、レイン」

言われた通りにするとキョウヤが隣に腰を下ろし、ショートケーキの先端をフォークですくって俺の口の前に運んだ。

「あーん」

「……ぁ、あーん……んっ、ん…………甘い」

「美味しいだろう?」

「うん……」

確かに美味しい。美味しいけれど、それだけだ。

「……私は甘いものが好きでね、ケーキなんかを食べると幸せな気分になるんだ。でも、レインはそうでもないのかな。顔が暗いよ、甘いものは嫌いかい?」

「よく分かんないけど……別に嫌いじゃない。さっきのお客さんの女の人と、ちょっと話して……それで気になることがあってさ」

言葉なんてスマホやノートパソコンで調べてしまえばよかったのに、俺はキョウヤに日本語の教えを乞うた。

「……赤ちゃん死んじゃうこと流れるって言うの?」

「流産のことかい? 必ずしも死産になる訳ではないけれど、まぁそうだね。二十四週未満で胎児や胎盤が出てしまうことを流産と言うよ、それがどうかしたのかい?」

「じゃあ、さ……父さんが、俺が産まれる前から……この子は流れますようにって祈ってたってさ、それって……そういうこと?」

「……っ!」

キョウヤはハッとした顔をする。何かに気付いたような、気付くのが遅れたことを悔やむような、そんな顔だ。

「父さん……俺のこと、産まれるなって思ってたの? 死ねって、ずっと思ってたの? 名前にまでそれっ、そんな……嘘だ、嘘だぁっ!」

「レイン、落ち着いて」

女装した時以外に可愛がられた記憶はない。けれど、それでも、俺が覚えてもいない幼い頃には少しは可愛がってくれたと思おうとしていた。母の代わりとしてではなく、俺を少しは愛してくれていると思い込もうとしていた。

「父さん……俺のこと呼ぶ度にっ、死ねって……? 俺の名前って、死ねばよかったのにって、そういう意味なの? 俺、俺……俺は……」

俺は産まれてきたことを祝福されていない。ケーキなんて食べたことある訳がない、誕生を祝福するためのスイーツを流なんて名前の俺が食べていい訳がなかった。

「落ち着いて……レイン、落ち着いて、ほら、お茶飲んで……」

「…………キョウヤさん、キョウヤさんに……俺話したよな、名前の由来。あの時なんで言ってくんなかったの?」

「……言えないよ。君はあの時無邪気に笑ってた、自分の名前が好きなんだろう? そんな君に大人の、それも父親の十余年ものの悪意を知らせるなんて、私には出来なかった」

「………………ケーキ、要らない。キョウヤさん食べて」

ケーキは祝福の象徴。可愛らしいショートケーキは俺が食べていいものではない。

「……もう寝る」

ベッドルームに向かうためダイニングを出た直後、テーブルを殴ったような音が聞こえてきた。
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