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利用価値

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部屋が──壁も床も天井も、家具も何もかもが砕け散る。部屋の外は真っ暗な空間で、俺は散り散りになっていくみんなへ必死に手を伸ばした。

『ハァイ、サッくん』

きゅ、と手を握ったのは赤いドレスを着た長い髪の女。邪神──俺を転生させた女神。

『まさか魔神王を呼んで部屋を出るとはねぇ。いいの? ボクが体乗っ取るからキミ消えちゃうよ?』

「……いい。みんなが無事に外に出られるなら、俺はどうなってもいい! 俺は一回死んでるんだから!」

『ふぅん? なんとなく進学して、なんとなく就職したら超ブラックで、面倒くさくて転職せずに、波風立てたくないから残業しまくって、自我なんてカケラもないまま過労死した……そんな人生で満足してないでしょ、二回目は楽しかったでしょ? もっとずっと楽しく生きたいでしょ?』

また契約を持ちかけてくる気か? 今度こそ乗らない、ろくでもない内容なのは分かっている。

『…………絶望してよ』

さぞ魅力的な契約をチラつかせるのだろうと身構えていたが、女神は真っ黒な瞳で俺を睨みつけた。

『絶望してよ。掴めもしない希望に縋りついてよ。浅ましく生き汚く狂ってよ。ボクに愉悦をちょうだいよ。覚悟決めた自己犠牲なんてつまらない、早く手のひら返して生きたい生きたいって喚いてボクを嗤わせてよ……サッくん』

闇が晴れ、舞台は王城に変わる。俺はいつの間にか玉座に腰掛けており、女神は居なかった。すぐに立ち上がって隣を見る、二対の玉座の片割れには漆黒の男が腰掛けていた。

「……やぁ、赤の女王ボク。身体は手に入ったみたいだね」

「おかげさまでね。こんなに早く出るつもりはなかったけど」

俺の口が勝手に動いた。まさか、俺は消えないのか? 身体だけを乗っ取られて消えられないのか?

『その通りさサッくん。魂ごと消す予定だったけど、キミが面白い反応してくれないから……面白い反応するまで置いておくよ。ねぇ、キミが一番大事にしてるものって何?』

頭の中で女神の声が響く。足が勝手に広間へと赴き、赤い絨毯の上でバラバラに倒れている皆の元へと向かう。

『ま、待てよ……やめてくれっ、俺はそいつらのために!』

『……うん、うん、キミは本当にイイ声で啼くよねぇ。肉体がない精神だけの叫びだってのが残念でならないよ』

俺の手は勝手に地面に伏せっているシャルへと伸びる。やめろと何度叫んでも俺の口は動かず、俺の手はシャルの肩を揺さぶった。

「ん、んん…………兄さんっ!? 兄さん! 兄さぁんっ! ご無事で……!」

部屋が壊れた衝撃で気を失っていただけらしい。目を覚ましたシャルは俺に抱きついてくる。シャルのぬくもりも息遣いすらも感じるのに、俺の身体は俺の意思ではピクリとも動かない。

『ねぇ、この子は大事? 弟だったよね、キミの大事な子なのかな?』

女神は俺が大切に思っているモノを破壊し、俺の絶望を愉しむ気なのだろう。

『だ、大事じゃ……ない』

『ふぅん? 大事じゃないならどうなってもいいよね』

『……っ!? 待て、違うっ!』

俺の手がシャルの頬を撫でるとシャルは嬉しそうに微笑んで俺の手に手を重ねた。

「兄さん……本当に無事でよかったです。部屋から出たら兄さんは死んじゃうって聞いていて……あぁ、兄さん、兄さん……生きてる、兄さん」

「……シャル、生きてお前に会えて俺もすごく嬉しいよ」

女神が勝手に俺の口で喋る。シャルは紫のまんまるな瞳で俺を見つめた。

「………………誰ですか?」

ゾッとするほどに冷たい声、驚く間もなく腹に鈍い痛みを覚え、床に転がる。どうやらシャルにみぞおちを蹴られたようだ。

『おや、おや……バレちゃった。痛覚はキミに押し付けててよかったよ』

『このっ……クソゲス野郎っ!』

痛みに任せて女神を罵る。俺の身体は床に横たわったまま蹲っており、今にもシャルの追撃を受けそうだった。

「そうだ……やれっ! シャル! 俺の体だからって遠慮すんな、ぶっ壊せ!」

シャルには聞こえないと分かっていながらの声援──違う、今の声は口に出た。

『ふふっ、可愛い弟くんはボクとキミを見分けられるみたいだからね。ちょい出ししてみたよ。さぁ、どんな反応をするか一緒に観察しよう』

蹴りの体勢を整えていたシャルは構えをとき、俺の傍に屈んで瞳を震わせた。

「兄さん……?」

「シャル、俺の体を邪神が乗っ取ってるんだ。アイツが遊んでる間にこの体を壊してくれ」

「で、出来ませんっ……出来ません、そんなこと」

「……そうだよ? シャル。あ、ボクはその神様だよ、邪神だなんて失礼しちゃう……ふふ、確かにキミ達が嫌いなボクはここに居る、けれど、サクの魂もちゃーんと無事。分かるよね?」

シャルに攻撃を促す言葉を何度も何度も繰り返したが、もう俺の体の操作権は女神に奪われていた。

「シャル、ボクの目的は魔神王の座を奪うこと。この世界の神の座さえ手に入ればインキュバスの身体なんていらない、キミのお兄さんは返すって約束するよ。ねぇ、シャル……ボクに協力するよね?」

ダメだ、騙されるな──いくら叫んでもシャルには届かない。

「本当に……兄さんを返してくれるんですか?」

「もちろんさ! 神様は嘘つかないよ」

「……魔神王さんはきっと兄さんごと殺してしまう。あなたの言うことが嘘でも、本当でも、僕は……」

シャルは立ち上がった俺の前に跪いた。

「…………仰せの、ままに」

俺の口には出さず、女神は俺の頭の中でゲラゲラと下品に笑い転げる。

「じゃあ、他の子達を起こして言っておいてよ。みんなキミと同じ意見だよね? みんなサッくんのことだぁい好きだもんね~」

「……ネメスィさんは少し怪しいと思いますが」

「あぁ、甥っ子だっけ? 大丈夫大丈夫、叔父と恋人を天秤にかけて叔父を選ぶバカは居ないよ」

俺の体ではクスクスと控えめに笑い、広間から直通の玉座の間を見上げる。直後、吹っ飛ばされてきた黒い男が頬を掠めて床に転がる。

「痛た……相変わらずむちゃくちゃするね。赤の女王ボク! さっきスキンレスボクがやられたよ」

部屋を脱出してからの短時間でもう三体のうち一体を倒したのか、流石は魔神王だ。

「あぁ、予定通りだね。あのボクはちょっとリソース食いすぎてたし……」

「もう利用価値はなくなったし、ちょうどよかったけどさぁ。ボクもまだ魔神王とやり合うほどの力は溜まってないんだよねぇ」

仲間どころか同一人物のくせに利用価値なんて言葉を使う彼らに怒りが込み上げてくる。

「ニャル……今回はまだ三体しか増やしてなかったんだね。今回の僕は運がいいよ」

「誰かさんのせいで力溜める前にキミに見つかっちゃったからねぇ。顕現作りって案外と大変なんだよ? 何百年もかけてキミを殺す準備を整えるはずだったのになー」

魔神王が裸足で赤い絨毯を踏みしめ、真っ白い髪で絨毯を塗り替えながら黒い男へと歩んでいく。

「……火」

長い髪をかき分けて真っ白い翼が生え、頭上に光臨が現れる。魔神王と言うよりは天使、神々しい御姿に思考を止めていると俺の身体はアルマに抱えられた。

「行け!」

俺を抱えたアルマを乗せた赤いドラゴンが城の窓をぶち破り、王都を滑空し周囲の建物の屋根を壊しながら瓦礫の上に着地した。他の者達も各々の子に跨り、黒いドラゴンは査定士を乗せ、後に続いた。

「初めてでも飛べたな、よくやったぞ」

「きゅうっ」

カタラはドラゴンの頬を撫でて褒めているが、他の者達は事態の深刻さに押されて何も言えないでいる。

『今の飛んだって言えるのかなぁ? カッコつけて落ちたって感じじゃない? なーんてっ、あははっ!』

ケラケラと笑う女神の声が頭に響いて鬱陶しい。

「…………サク、サク?」

アルマが俺の肩を揺さぶっているが、俺に俺の体を操る権利はない。俺の体は女神が動かす。

「なぁに、アルマ」

「サク……! 怪我はないか? よかった、大丈夫なんだな」

「お義兄さんっ! 分かりませんか、それは兄さんですけど兄さんではありません! 兄さんのフリをしている邪神なんです、どうすれば兄さんを取り戻せるかは説明しましたよね」

五人はドラゴンから降りて円形に並び、俺を中心に置いて悩む。

「この世界の神の座が手に入ればお前はサクの身体から出ていくんだな?」

「うん、そうなったらインキュバスの身体なんていらないからね」

カタラの疑問に女神が俺の体で勝手に答える。

「じゃあ……何だ? 俺達で魔神王を倒せって言いたいのか?」

「出来ることなら、ね。まぁキミ達にはそこまで期待してないけど、サッくんを返して欲しいならそれくらいやってよね」

女神はカタラ達を本気で利用しようとは考えていない、彼らが玉砕するのを見た俺が絶望するのを見たいだけだ。

「…………仕方ねぇな。サクのためだ、やるぞお前ら。嫌とは言わせねぇぜ、ネメスィ」

カタラに凄まれたネメスィは無言のまま俯いており、とても普段の彼からは想像のつかない様子だった。
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