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母性本能は穏やかに

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とうとう孵った薄い黒のハート模様がある卵、中から現れたドラゴンはよく分からない液体にまみれていたので、一緒に風呂に入ることにした。

「怖いくない怖くない、だーいじょうぶだって」

両手を器の形にしてそこに乗せていたのだが、湯船に浸かるとドラゴンは俺の腕の上を這って肩に移動し、髪を掴んで頭の上に乗ってしまった。

「……水嫌いなのか? でもお前洗わないとベタベタしてるんだぞ」

手のひらサイズの彼には湯船は大海に見えるだろう、水が嫌いでなくても怖いに決まっている。ようやく気付いた俺は洗面器に湯を張った。

「ほら、こっちなら入れるだろ」

「ぴゅっ!? ぴやっ!」

胴を握って引っ張ると俺の髪を掴んで抵抗してきた。

「痛いっ……痛いって、髪離せっ……! は、な、せっ……!」

ドラゴンを思い切り引っ張るとブチブチと嫌な音が聞こえた。目線まで下ろしたドラゴンの両手両足には黒い髪束がある。

「お、お前っ、俺に画鋲ハゲを四つも……!? なんてことするんだ……あぁこら髪食うな!」

握った俺の髪を口に入れようとしたので慌てて捨てさせ、洗面器に這った湯に浸ける──

「ぴゅっ!? ぴ、ぴやぁあ……!」

──両手両足を広げて羽をバタつかせ、小さな体で全力で湯から逃げようとしている。可愛らしいのでずっと見ていたくなったが、俺は湯にドラゴンを沈めた。

「ぴゃあぁあああっ!」

「そんな断末魔みたいな声上げるなよ……」

ドラゴンはしばらく大きな水飛沫を立てて嫌がっていたが、諦めたのか慣れたのか数十秒後には動かなくなった。

「ぴゅう……」

手を離しても出ていこうとはしない。

「……慣れたんだな、よかった。お母さん体洗うからそこで待ってろよ」

そう言って湯船を出て石鹸を手に取り、不意に思う。

「いや誰がお母さんだよ……俺は男だぞ、お父さんだお父さん。いやでも産んだの俺だしな……腹を痛めて、は……ないな。気持ちよかった……」

ぶつぶつ呟きながら体を洗っていると、浴室の扉が叩かれた。

「誰だー?」

「僕です、兄さん……シャルです、緊急事態です」

両手の泡を軽く流し、戸を開けて心底困った顔のシャルと目が合う。

「卵……孵っちゃいました」

シャルの手の中には薄紫色のドラゴンが居た。形やサイズなど、今洗面器の中にいるドラゴンにそっくりだ。

「……やっぱりシャルの子だな。ほら、羽そっくり」

薄い皮膜には薄らと紫色のハート模様がある。鱗も生え際を見れば歪んだハート型だと分かるし、尻尾の先端の尾びれもハート型だ。まぁ、俺の子もだいたい同じだが、俺とシャルも双子のようなものだ、子が似るのも納得出来る。

「どうしましょう……」

「とりあえず風呂入れないとだろ、シャルは二人分の飯用意しといてくれ。ほら、おいで……えっと、シャルJrジュニア

紫のドラゴンはシャルの手から離れようとしない。

「……どうしたんですか? 兄さんがあなたのお母さんですよ」

「うん……まぁ、そうなんだけど、俺お父さんがいいな」

黒いドラゴンを入れている洗面器を目の前に持ってきてみる。

「ぴぅ? ぴーぃ」

黒いドラゴンの方は機嫌よく羽を揺らして甲高く鳴いたが──

「……っ、しゃーっ!」

──紫のドラゴンは蛇のような猫のような威嚇の声を上げた。

「ぴぅっ……ぴゃあぁぁ……」

洗面器の中で縮こまって震えている。流石俺の子だ、弱い。

「ごめんなさい兄さん……兄さんのお子さんを怖がらせてしまったみたいです」

「いやいや、こいつ弱すぎるよ……こっちこそごめんな」

「僕がお風呂入る時に一緒に入れます」

「あー……でもなんかベタベタしてるだろ? 早めに洗ってやりたいんだよな」

俺達は浴室の扉を開けたまましばらく考えた。そして不意に思いつき、黒いドラゴンを洗面器から出して洗面器の中の湯に泡を混ぜた。

「これで洗面所で軽く洗ってやってくれ。最初は水嫌いだろうし、ぬるぬるが取れる程度でいいからさ」

「……分かりました」

ドラゴンを肩に乗せて洗面器を受け取ったシャルは無表情だ。色々と考えすぎて表情にまで気が回っていないらしい。表情がないのに分かりやすい素直な弟の頭を撫で、俺は風呂に戻った。

「ぴゃああっ!」

浴室に入ると同時に足の小指に噛みつかれる。

「痛っ!? お前な、つい蹴っちゃったらどうすんだよ、足に噛みつくな!」

幼いくせに牙が生え揃っているドラゴンの噛みつきはかなり痛い。セックスしてから時間が経っていないから魔力が余っていて、すぐに再生が始まったからよかった。

「あーぁ、爪割れてる……すごいな」

ドラゴンは床を流れていく赤い液体と俺の小指を交互に見ている。踏んではいけないので持ち上げると、羽の中に頭を隠した。

「ぴゅぅうう……」

「……そんなに怒ってないから気にするなよ、洗面器渡しちゃったの嫌だったんだな。だからって噛み付いちゃダメだぞ」

なんて言っても言葉は伝わらないだろう。俺は羽にそっと頬を触れさせ、怒ってはいないことを伝えた。

「……お母さん今から頭洗うから、ここで待っててくれ。動くなよ」

浴槽の蓋を半分ほど閉め、その上にドラゴンを乗せた。

「ぴぅ……」

頭を洗っている間は目を離さざるをえない。けれど浴室に響く爪音混じりの足音によって彼の無事は証明されている。

「ぴっぴっぴっ、ぴっぴ……ぴゅっ!?」

機嫌よく鳴いていたと思ったらボチャンっと水に落ちた音がした。

「嘘っ……! うわ痛いっ……」

目に泡が入って開けない。手探りで浴槽の蓋を開けて湯で目元の泡を流し、溺れているドラゴンを見つけて引き上げる。

「はぁ……よかった。ごめんな、蓋全部閉めとくよ」

完全に浴槽の蓋を閉めて、その上にドラゴンを乗せる。また元気よく動き回り始めたので溺れた後遺症はなさそうだ。

「……子育てって気ぃ使うんだな」

頑張って育てた子供が親元を離れてブラック会社に就職、元気だという一つ覚えの連絡を受けていたら、突然過労死の訃報が届く──俺の親はどんな気持ちだったんだろう。

「しかもクトゥルフ風味なファンタジー世界に転生して男のまま逆ハーレム作ってドラゴン五人も産んで……五匹か? どっちでもいいや……なんなんだ俺」

自分の人生の波乱万丈さに呆れていると膝の上にドラゴンが飛び乗る。まだ飛べないようだが、モモンガのような滑空は可能らしい。

「……なんだ、慰めてくれるのか? 別に落ち込んでたわけじゃないんだけどな」

黒い鱗に覆われた口から赤く細長い舌を伸ばし、俺の頬を舐める。

「…………お前、舌ザラザラなんだな」

俺に種付けしたドラゴンにも、俺にも似ず、彼の舌は猫のようにザラついていた。しかし我が子の慰めを却下する訳にもいかず、俺は頬を削られているような感覚をしばらく我慢した。
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