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キミは幻覚すら見捨てられない

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ニャルラトホテプを自称する青年が手のひらに浮かべていた光の玉を先輩の死体へと落とす。そうすると先輩の指がピクリと動いた。

「先輩っ……!? お、お前……何を」

「何って……魂を戻したんだよ。彼は生き返ったんだ」

何度も瞬きをして、先輩はゆっくりと起き上がる。ピンク色の染髪が揺れ、黒い瞳が部屋を見回す。

「せんぱいっ……!」

「サッ君『動くな』……ふふ、契約しないということを視覚的に教えるって言っただろ?」

青年が指を鳴らすと俺の身体は指一本動かせなくなる。中途半端に持ち上がって揺れたままの尻尾は垂れもしない。

「な、何する気だよ……」

動くのは口だけだ。
青年はどこからともなくサバイバルナイフを取り出し、棺桶の中に座っている先輩の後ろに回り、縫い跡を辿るように首に押し当てた。

「キミが契約しないということは彼は生き返らないということ……もう一度死ぬということ」

「先輩っ! やめろっ……やめろよ! 生き返らないのとまた死ぬのじゃ全然違うだろ!?」

起きたばかりで状況を理解していないらしい先輩は自分の首にナイフが当てられているのに怯え、震える瞳で俺を見つめる。

『サク……何してるんだよっ、早く逃げろ!』

「先輩! 本当に生きて……ち、違うんです、今は俺が契約すれば先輩はっ……!」

ヒールを履いていて上手く走れずに逃げ遅れた、そうならなかったら先輩は死ななかった。俺のくだらないドジのせいで、俺の最悪のスキルのせいで死んでしまった先輩を、俺はまた死なせてしまうのか。

「また見捨てるの? サッ君」

首からナイフが離れる。安堵したのもつかの間、先輩の太腿にナイフが突き刺された。痛みに叫ぶ声は俺の心を揺さぶる。

「やっ、やめろっ! やめろ……お願い、やめて、お願いっ……もう先輩に酷いことしないでっ!」

「契約しないなら彼は生き返らないんだから、ボクのオモチャってことだろう?」

腕に、腹に、何度もナイフが突き刺さる。痛みに喘ぐ先輩の声が鼓膜にこびりついていく。

『さ、く』

「ぁ……あっ…………す、る。契約するっ! するから……!」

「よし! クーリングオフはナシだからね! 治れ、そして『解除』!」

先輩の傷が一瞬で消えるのと同時に俺の身体が動くようになる。俺はすぐに先輩に抱きついた。

「先輩……先輩っ、先輩ぃっ……」

『サク……? 俺、今……』

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ……今度こそ、今度こそ先輩を幸せにしてみせますからっ、今度こそ……!」

先輩は困惑しつつも俺の頭を撫でてくれる。

「ふふふ……チャンスは常に一度きり。今度こそなんて言葉、神以外には存在しないのさ。バカなサッ君、誰にも見えないキミだけの先輩にせいぜい甘えるといい」

コツコツと足音が離れていくのに顔を上げれば青年が扉へ向かっていた。

「早くおいでよ、部屋に戻って」

優しい微笑みは今初めて俺を癒した。

「はいっ……! ありがとうございました神様!」

先輩を生き返らせてくれた感謝を告げ、みんなの服が入ったカゴを持ち、先輩と手を繋ぐ。

「調子いいねぇキミ、流石元社畜って感じ?」

「ぅ……いや、その……正直まだ疑ってるよ。この先、とんでもない絶望を与えてくる気じゃないかって」

「ホント、信用ないんだねぇボクって」

「……でも、いい。大丈夫……みんなが居るからきっと乗り越えられる。今度こそ先輩は俺が守ってみせる」

温かく柔らかい手をぎゅっと握る。彼の存在は俺の五感全てが証明している。

『サク』

「…………先輩、ごめんなさい。俺、結婚してるんです。しかも弟とも関係持って、他にも三人の男と夫公認で……」

『サク……俺、お前がどんな奴だろうと愛してるよ』

「先輩っ……嘘ついてごめんなさい、俺、先輩だけのものにはなれません。でも先輩、必ず幸せにしてみせますから……俺と一緒に居てくださいね」

優しく微笑み返してくれる先輩は俺の全てを受け入れてくれそうな気がした。


部屋に戻り、扉が完全に閉まってからドアノブをひねろうとしたが、やはりピクリとも動かない。

『開かないのか?』

「もう二度と出られません……でも、それでいいんです。ここには俺の全部がある」

ぐっすりと眠っている俺の愛する男達。一人ずつに丁寧にキスをして、ベッドに戻った。

「みんなが起きたら紹介します。一緒に寝ましょうね、先輩」

『あぁ、サク……ん? この子』

俺の隣に寝転ぼうとした先輩はシャルを見つけ、不思議そうな顔で俺と見比べた。

「俺の弟です。似てますよね、双子みたいなものなんだと思います」

『へぇー、可愛いな』

「……浮気しちゃ嫌ですよ」

『しないって。俺にはサクだけ』

シャルを左隣に、先輩を右隣に、俺は再び幸せな睡眠を堪能した。


頬を撫でられる感触に目を覚ます。視界いっぱいに大きな赤い手が広がっていた。

「おはよう、サク。体の調子はどうだ?」

「アルマ……おはよう。何ともないよ」

アルマはほとんど力を込めずに俺の頭に手を置く。力加減が怖いのは分かるが、慎重過ぎる。

『…………サク』

体の大きなアルマが怖いのか先輩は俺をぎゅっと抱き締める。

「大丈夫ですよ先輩、アルマは優しいんです。俺の夫なんですよ」

「サク……? 誰と話してるんだ?」

「先輩だよアルマ、話したでしょ? ほら、店にいた時の……」

説明の途中でアルマは俺を抱き上げ、膝に乗せた。悲しそうな瞳で俺を見つめ、説明しようとする俺の口を唇で塞いだ。

「ん……何? アルマぁ……嬉しいけど、今話してたじゃん」

「サク、お前のせいじゃない。だからもう……」

「俺のせいだよ。でも! 先輩生き返ったんだ! ほら先輩、こっち来てくださいよ」

アルマの膝から降り、ベッドに腰掛けたままの先輩の手を引っ張る。

「そうだ……みんな! こっち見て! この人が俺の先輩!」

五人全員がこちらを向く。十の視線は全て俺に注がれている。

「みんな……俺じゃなくて先輩見て。先輩については話したよな? 店に潜入してた時の先輩で、俺のために死んじゃって……でも! 先輩は生き返ったんだ!」

『えっと……よろしく』

「もぉ先輩、名前くらい言ってよー」

そういえば先輩の名前、聞いてないな……

「サク? すまない、何の話だ? 誰と話してる」

「だから先輩だって」

「……何を言ってるんだ? お前が向いてる方には誰も──」

「ネメスィ、ちょっと……!」

怪訝な顔で俺に詰め寄ってきていたネメスィはカタラに引っ張られ、部屋の隅で叱られる。

「あの、おじさん。兄さんどうしたんでしょう」

「…………余程ショックだったんだろうね。優しい子だから……自分のために死んだなんて耐えられなかったんだ。現実を信じたくないんだよ、否定せずに優しく接してあげて」

「否定せず、優しく……分かりました」

査定士と何か話していたシャルが恐る恐る俺に近付いてくる。珍しく紫の瞳が泳いでいる。人見知りをしているのだろう。

「先輩、俺の弟のシャルです。ちょっと人見知りするけど優しい子なんです」

『……よろしくな、シャル』

シャルは怯えたような顔でじっと俺を見つめている。

「シャル? 怖がるなよ、先輩いい人だから。よろしくって。ほら、手出せよ」

「ぁ……は、はい」

シャルの手を掴んで引っ張り、先輩と握手させる。緊張しているのかシャルは握手が終わっても手を同じ位置に浮かせていた。

「可愛い奴でしょ、先輩。次は……アルマ、アールマー」

先輩の手を引いたままアルマの腕に抱きつく。

「アルマは俺の夫。だからごめんなさい、先輩と結婚は出来ない……でも! 先輩のこと今度こそ幸せにしてみせます! ずーっと一緒ですからね、先輩」

『……ずっと? そっか、めちゃくちゃ嬉しいよ、サク』

「俺もです! さ、紹介……アルマ、えっと……握手とか」

アルマの手を引っ張り、人差し指だけを伸ばさせて先輩に握らせる。変わった握手に先輩と笑い合う。アルマも緊張しているのか握手が終わっても手を同じ位置に浮かせていた。

「先輩をみんなに紹介できるなんて夢みたいです……! 契約してよかった、これでよかったんですよね、先輩……ずっと、ずっとこの部屋で俺達、ずっと幸せに暮らすんです。おとぎ話の最後みたいに、ずっとずっと……」

『当たり前だろサク、俺とお前はずーっと一緒だ』

「先輩……店では本当にごめんなさい。結婚は出来ないけど、大好きです!」

一度死なせてしまっただけでなく、先輩には冷たい態度を取ってしまった。もっと恋人のように触れ合っていればよかったと後悔していたけれど、その後悔ももう必要ない。
だって、先輩はこれからずっと俺の傍に居るのだから。
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