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化物になったかもしれない

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センパイに抱えられて家の中に引き込まれた。俺を呼ぶレンの声が聞こえなくなって、センパイの荒い息遣いだけが鼓膜を揺らした。

「…………ノゾム、腕は」

バンッ! と大きな音が聞こえた。レンが開け放たれたままの玄関扉を抜けられず見えない壁を叩いている。そんなレンの元に向かおうとするとセンパイにまた腕を掴まれた。今度は優しく、労わるようにだ。

「……何ともないな」

左腕はセンパイに掴まれていた箇所が少し赤くなっている程度だったが、右腕にはそんな跡すらなかった。レンは加減して俺の腕を掴んでいたのだ。

「…………ノゾム、アレは如月じゃない、蛇の化物か何かだ。家の中には入れないみたいだからひとまず安心だな」

「だからレン本人なんですって! いい加減信じてくださいよ!」

「……いい加減にするのはお前だ! 一体何回騙されたら気が済──」

ギギギギッ! とガラスを引っ掻くような不愉快な音でセンパイの怒鳴り声が掻き消される。

「レン……! レン、引っ掻いちゃダメだ! 爪割れちゃうよ、近付くだけで痛いんだろ? すぐ御札剥がすから待っててくれ!」

見えない壁は声も遮断する。いくら叫んでも室内からでは意味がない、レンは壁を叩き、引っ掻き、俺の名前の形に唇を動かし続ける。

「協力してくれなくていいです! 離してください、脚立探さないと!」

「……札を剥がす気か? ダメだ! どうして幼馴染の本物と偽物の区別もつかないんだ、俺よりも如月が好きなくせに!」

「幼馴染だし好きだから姿が変わっても本物だって分かるんです! レンのこと何にも知らないくせに偽物だの化物だの酷いこと言わないでください!」

「……証拠はあるのか、アレが如月だという証拠は! どこからどう見ても化物で、兄ちゃん達が張った結界の内側に入ることも出来ない、アレが如月な訳ないだろう!」

「だって、だってさっき俺と話した! 俺のこともちって呼んで、ニコニコして、ぎゅってしてくれた! 怪異ならそんなことせず俺を襲ってる!」

「……怪異がどうやって模倣するのかは知らないが、ただ如月の真似をしていただけだろう」

「今までのヤツらは声真似しかしなかった!」

「…………そのパターンしかないと何故言い切れる? お前と如月をずっと観察していたのかもしれない、お前の記憶を読めるのかもしれない、全ての怪異が声真似しか出来ないとお前はいつ確かめたんだ?」

詰めるような物言いに何も言えなくなる。

「でも……でも、でもっ、絶対レンだもん……俺、レンと話したんだもん……」

センパイは呆れたようなため息をつく。

「お、俺の引っ張り合いになった時だって、痛いって言ったら離してくれた。センパイもだけど」

「………………確かにお前を攫うチャンスを逃し続けているヤツをただの怪異とするには些か妙な点が多い」

偽物だという決め付けが薄れてきたようだ。センパイが信じ始めてくれたのが嬉しくて笑顔になると、レンが見えない壁を強く叩いた。

「……結界の中に入れないのが怪し過ぎる」

「霊体は全部出禁なのかもしれないじゃないですか。金属探知機みたいなものなんですよきっと。ナイフでもベルトのバックルでも鳴るでしょ、アレ」

結界がどういうものなのか詳しくは知らないらしいセンパイは俺の意見に納得しかけてくれたが、レンへの疑いは晴れず、意見が欲しいと宿題中だったミチを呼び付けた。

「──って訳なんだけど、ミチはどう思う? レンだよな?」

「…………俺は如月に化けた怪物じゃないかと疑っている」

「は、はは、話聞いててもよく分かんないよ。と、と、とりあえず如月くんカッコ仮と話してみていい?」

「……近付くのは危険だ」

「俺ずっと話してましたって」

多数決を原則として三人で話した結果、御札を剥がすのは他の怪異を引き入れてしまう不安もあるので、とりあえず三人で外に出てレンと話してみようということになった。

「……ノゾムとミチは俺の後ろ、すぐに家の中に入れるようにしておけ」

センパイは玄関の一歩外に出て止まり、扉の枠を両手で掴んで俺とミチが完全に外に出ないようにした。俺とミチはセンパイの腕から身を乗り出す形で──つまりレンと話せるように顔だけを結界から出す形となった。

「…………お前は本物の如月か?」

『もち!』

普段以上に低い声でセンパイが放った質問を無視し、ふわふわと浮かんで俺と目線を合わせる。

『もち、腕大丈夫か?』

「俺は大丈夫。レン、センパイがレンのこと偽物じゃないかって疑ってるんだ。俺じゃ説得し切れなくて……ごめんな? 本物だって証明してみてくれないか?」

『どうでもいい。形州が何思ってようと関係ない。もち、こっち来いよ』

レンの手が伸びてくるとセンパイは俺を腕で押して家の中に戻し、鋭い爪は俺の睫毛に触れる寸前で止まり、キィ……と爪で結界を引っ掻いたのだろう音を響かせた。

「……離れろ。お前の手が届かない距離までだ。でなければ会話は許さない」

すぅーっとレンが浮かんだまま後ろに下がるとセンパイは俺が結界の外に顔を出すことを許した。

「は、は、はは、入れないならさっ、へ、部屋で寝てる如月くんを外まで運べばいいんじゃないの?」

「……アレが如月かどうか分からない以上、無防備な身体を外に出すのは得策ではない」

「レンですって! ミチ、その案採用、手伝ってくれ。レン、今身体持ってくるからな」

「…………やめろ!」

センパイに妨害されてはミチと二人がかりだろうとレンの身体を外に出すのは不可能だ。やはり最優先事項はセンパイの説得だ。

『人の家で偉そうに……』

「……如月、何故すぐに帰ってこなかった? ノゾムがお前を想って何度泣いたと思う? 今の今まで何をしていた」

『お前には関係ない。俺の家から出ろ、札を剥がせ。なんで自分の家から閉め出されなきゃなんねぇんだよ』

長い茶髪が風もないのに揺らめき始め、センパイの身体が強ばった。

「センパイ、ほら、レンでしょう? 俺の家だって言ってるじゃないですか」

「……信用しろと? 本気か?」

『形州……もうやめてくんねぇかな。最近さ、なんか、理性が弱いって言うかさ、凶暴性増すっていうかさ……なんか前と違うんだよ』

「…………脅しか? 残念だったな、家に入ってこれないお前を怖がる理由はない」

『ちょっとイラついただけでガラスとか割れちゃうんだよ、電球も弾けちゃうんだよ、近寄るだけで動物が騒ぎ出すんだよ』

電線に乗ったカラスがガァガァと狂ったように鳴いている。

『この霊体になってる間の話じゃねぇぜ? 最近の話だ、風呂場の鏡とか電球割れてただろ? もちに怪我がなくてよかった』

「えっ……アレ、レンがやったの……?」

『気持ち悪いよなぁ? まるで化物だ。なぁ形州、散歩中の犬だの野良猫だの野鳥だのが今のお前みたいな目向けてくるんだよ。こっちに来るな化物って、ギャンギャン喚き立てるんだ』

「…………お前が如月だとしても、やはりノゾムには近付けられない、ミチにもだ。今の話を聞けば……気の毒だとは思うが、拒絶せざるを得ない」

レンが深いため息をつく、喚いていたカラスが飛び立った。レンが頭を抱える、向かいの家の窓ガラスが割れた。因果関係は不明だ。

『なんでだよ……俺は師匠の言う通りに真面目に修行してただけだぞ。力付けてもちを守れるようになりたかっただけだ、ちゃんと助けたんだぞ』

「うん、助けられたよ。俺はレンが動物に嫌われても、物壊しやすくなってもレンはレンだと思ってる。化物だなんて言うなよ、そんなに落ち込むなよ、俺にとってはずっと可愛いお嫁さんだぞ!」

『もち……』

「………………俺は、お前が本物の如月だという方向に傾き始めている……だが、お前を家に入れなかった俺の判断は正しかったようだ」

レンを抱き締めたかったのに、センパイは俺とミチを家の中に無理矢理入れてしまった。

「……そうだろう、兄ちゃん」

ふんわりと広げていた長い茶髪を萎ませ、レンが振り返る。御札がベタベタと貼られた不気味なバールを携えた従兄がセンパイを見つめ、無言で親指を立てた。

「お兄さん! お兄さん……レンがなんか大変なことになってて」

「怪異堕ちしたね」

従兄の影からひょこっと白い頭が覗く。

『師匠……怪異堕ちって、何……何ですかそれっ……俺、どうなってるんですか』

「ちょっと角が生えてきたくらいなら、それは筋トレして筋肉ついた程度の話なんですけどね、そこまで見た目が人間からかけ離れたり、怪奇現象引き起こしたりってなると……人間とは呼べなくなるんですよ。デカいイルカはクジラって呼ぶ、みたいな話です」

「生きた人間の霊体がここまで穢れを溜めて変質し、人ならざるものに転ずるのは今の世では珍しい。貴重な症例だね。如月の苗字が持つ言霊と生来の嫉妬深さ、この土地の潤沢さが上手く噛み合ったみたいだ」

『どうなるんですかって聞いてんだよ白チビ!』

髪を振り乱したレンに白チビ呼ばわりされた社長は眉を顰め、従兄は吹き出し、従兄の足を踏みつけた社長は静かな声で言った。

「別に、どうにもならないよ」

レンの感情の昂りを表すように乱れていた茶髪がストンと垂れた。
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