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お風呂場で教え子に昔話してみた

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浴室でプラスチック製の椅子に座らされ、まず頭からお湯をかけられる。頭皮や肩、首の傷が痛む。

「血ぃ出ちゃってるね。こんなとこ引っ掻いたっけ……痛い? ごめんね」

「大丈夫、気にしないでセンセ」

「お詫びに頭洗ってあげる」

「じゃあ、お礼にセンセの頭洗う」

くすくすと笑い合い、平穏を実感する。この調子で生きていけたらいいな……なんて希望を抱く。

「んっ……!」

シャンプーを絡めた根野の指が髪をかき分け、頭皮を擦る。泡が頭皮の引っ掻き傷に流れ込んで痛む。

「ノゾム、ちょっと髪傷んでない? 元はいいんだろうけど、やっぱり染めるのはよくないと思うなぁ僕は……ノゾム?」

「ぁ、ちょっと、目に泡入っちゃって」

「大丈夫? 洗っておきなよ」

「うん……」

引っ掻き傷に染みて痛いと言えば根野は罪悪感に苛まれるだろう。可哀想な彼をこれ以上追い詰めたくない。

「ん、洗えた。流すよ~」

シャワーが頭の泡を洗い流す。一息つく暇なんて俺には与えられない、お湯に流された泡が首と肩の傷に染みる。

「次リンスね」

俺は髪を洗い終えるまで自分の指を噛み、ずくずくと痛む傷から必死に意識を逸らした。

「ん、頭終わり。次は俺の頭とノゾムの体、どっちにする?」

「ん……センセの髪、洗いたいな」

「分かった。じゃあお願いね」

痛みはなかなか引かないが、新しい痛みはもう来ない。根野と位置を代わり、まず濡らすために根野の手からシャワーヘッドを──渡してもらえない。

「センセ……?」

「自分で流すよ。シャンプー、泡立てておいで」

「うん……」

信用されていないんだなと落ち込みながらシャンプーを泡立て、根野の頭を洗う。くせっ毛は濡れると落ち着き、柔らかく指に絡む。

「センセ、猫っ毛のくせっ毛だよね。細くてふわふわ」

「猫っ毛……? そんな言い方するんだ」

「うん、猫みたいに柔らかい毛って意味だったっけ……センセ、毛量すごいから髪細いのにあんまり軽く見えないよね。でもオシャマッシュ似合ってるよ」

「ノゾムは詳しいねぇ……最近の子って感じするよ」

大して歳が離れているわけでもないのに、雑誌に載っていそうな最近の青年って感じのファッションのくせに、なんて心の中で悪態をつく。

「センセ、ファッションあんま興味ないの? オシャレなのに」

「髪型はおまかせだし、服はマネキンだよ。まぁダサくはならないよね」

「なるほど……」

「ノゾムは? ファッション」

「俺? 俺は……服はあんまり」

服を買う金があったらゲーム代にしてしまう。ソフトどころかハード一つ分の値段でようやくトータルコーディネートだなんて、手を出す気になれない。

「ノゾム、お餅柄の服なんて着てたもんねぇ」

「何? ダサい? やめてよ、アレお気に入りなんだから」

「あんなのお気に入りなの?」

「あんなのってなんだよ!」

「ノゾム……? ごめん、そんなに怒るとは思わなくてさ。気に入ってるんだね。まぁ部屋着ならいいんじゃない? 可愛いし」

もち柄の部屋着はレンがプレゼントしてくれたものだ。俺も正直ダサいとは思うが、他人にはバカにされたくない。

「ん、洗えたよ」

「ありがとう」

やっぱりシャワーヘッドは握らせてもらえない。落ち込みつつもシャンプーを落とし、リンスを塗り、またシャワーは根野に任せて終わり。

「センセ、頭小さいね。髪ふわふわしてるからかな、お風呂入ると雰囲気変わる」

濡れてぺったりとした髪を見られるのは恋人や家族の特権だと思っている。だから嬉しくて、濡れてもなおカールしている毛先をつまむ。

「うなじの方はちょっとくりんってなってる。センセって天パ? 頑固だよな」

「天パ……あぁ、うん、そうだよ、これは天然」

なんでもない平和な話をしたかっただけなのに、根野は落ち込んでいるように見える。

「ノゾム……あなたには聞かせてもいいかもしれない。私を治そうとしてくれているし……協力、しないとね」

「何聞かせてくれるの?」

「この天然パーマのせいで、僕は幸せになれなかったんだ。ドラマみたいな温かい家庭、なくなっちゃった」

根野は背後で膝立ちをしている俺の胸に後頭部を押し付けてきた。甘えているのだと察し、首に腕を回した。

「父さん、天パだったらしい。母さん、父さんが嫌いらしい。父さんそっくりな髪のカナイは母さんにとっても嫌われた」

天パだったらしい……らしい? 根野は父親会ったことどころか写真すら見たことがないのか?

「丸刈りにするとさ、天パになったり天パ治ったりするらしいって……知ってる?」

「聞いたことはあるけど、坊主にしたことないから体験はしてない」

「俺は母さんに何度も剃られたけど、治んなかった。ずっとくるくる。母さんイライラ。ある日テストで凡ミスした。母さんはあの男のバカが感染ってる、天パ治せば頭も良くなるって、でも剃っても無駄だから」

テンポよく話していた根野は突然言葉に詰まる。呼吸が不安定になっているのを感じ取り、俺は彼を強く抱き締めた。

「ノゾム……ノゾムはさ、パーマとかストパーとかに使う道具、何か分かる?」

「え? 道具? んー……俺、パーマはやったことないから……」

ワックスで前髪を上げたりするだけで、ウェーブをかけたことはない。

「あついの、つかうよね」

「あぁ、ヘアアイロン? 使うらしいね」

「まっすぐなんないよ、あれ、なんなかった」

根野は自分の後頭部から側頭部にかけてをそっと押さえる。俯いた彼の首がよく見える。皮膚が爛れたのに自然治癒に任せた痕が分かる。

「カナイがんばったのに、百点じゃなかった。天パのせいだった。でもアイロンあててもまっすぐなんなかった」

彼の母親が彼に押し当てたのはただのアイロンだ。服のシワを伸ばす、三角っぽい形のものだ。くせ毛の矯正なんて言い訳だ、嫌いな男が弱く小さくなったようなモノを痛めつけたかっただけだ。

「センセ。俺は根野センの髪好きだよ。ふわふわして、くりくりして、可愛いしオシャレだと思う。治すなんて言葉使わないで、おかしなものじゃないんだから」

幼い頃に限定して言えば、根野に落ち度はない。

「センセは何にも悪くない。テスト百点取るのは難しいよ、先生になれたんだから頭良いよ。くせっ毛も可愛い。センセは悪くないよ。大丈夫、いい子。もう頑張らなくていいよ、ゆっくり休もうね」

彼には療養が必要だ。

「ノゾム」

「なぁに、センセ」

「ありがとう」

俺なんかの言葉じゃきっと、根野の心の傷は少しも塞がらない。俺は治療薬にはなれない、でも痛み止めくらいにはなれるかもしれない。

「センセには俺が居るからね」

「……うん」

「もうお母さん気にしなくていいからね」

「うん…………ねぇ、こっち来てよ」

背後からよりも正面からの方がお好みらしい。俺は根野の前に回り、彼を抱き締めた。濡れた素肌が擦れ合う感覚が、二人の境界が曖昧になっていくような感覚が、裸という状態が持つ性的な意味を消してしまう。

「ノゾム」

「なぁに?」

根野は何も言わずに指を絡めてきた。左手薬指の指輪の異物感が増す。

「センセ、センセは指輪つけないの?」

「……俺のは買ってない」

「そっか……じゃあ、俺に買わせて。大人になって、働いて、同じの買うから」

返事はなかった。いや、手を強く握ったのが彼の返事だ。

「……体洗おっか」

「ん……」

「センセ、ちょっと顔上げて……うん、いい位置」

ぬるい唇に唇を押し付けると、暗くなっていた根野の目に輝きが戻った。
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