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もう誰も居ないなんて錯覚でした

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頭が痛くて立てなくて、ずっと柵にもたれて泣いていたら駅前の交番に居た警察がやってきた。

「君、どうしたの?」

警察は優しい声で俺に声をかけてくれた。

「すいません……大丈夫です」

「待って、君学校は?」

「今から行くつもりで、ちょっと頭痛かったんで座ってたんです……もう治ってきましたから、それじゃ」

ふらふら歩いて駅に入る。泣いていたせいで喉が痛い、砂まみれの手で目を擦ったから目も痛い。

「レン……レンのとこ、帰ろ」

改札を抜けてホームへ向かう途中、腹が鳴った。そういえば朝食を忘れていた。見回せば駅にはたくさんの店があり、中でも焼きたてパンの店に惹かれた。

「クリームパン……!」

並べられたばかりのクリームパンを購入、食べながら駅を歩く。いつだったかセンパイがクリームパンを買ってきてくれたことがあったな、あのパンは美味しかった。

「センパイ……」

唇の端についた甘いホイップクリームを舐めたはずなのに、しょっぱい。



ホームのベンチに人が居なかったのでそこへ座り、泣きながらクリームパンを食べる。そうしているとまたセンパイを見つけてしまった、彼も電車に乗る気らしい。まだ俺に気付いていないようだ、ギターを背負った金髪の青年に声をかけている。本当に金髪なら何でもいいんだな。愛されている自信が萎んできた。

「高校生? へー、まさか歳下の男の子にナンパされるなんてね。俺今彼女三人居るけど、いい?」

「…………いえ、やめておきます」

「あ、そぉ? ざんねーん、一回男の子試してみたかったんだけど。真面目に付き合いたいなら俺みたいなのに声掛けない方がいいよ」

朝の駅でナンパなんて度胸があるんだな。どうしよう、もう一回すがってみようかな。
考えながら食べ終えたパンの袋をゴミ箱に捨て、電車待ちの大学生の影に隠れる。センパイが後ろを通る──気付けば彼の腕を掴んでいた。

「……ノゾム、まさか……追ってきたのか?」

違うけれど、わざわざ否定するのすら面倒臭い。

「センパイ……プリンスアルバートやったら復縁してくれますか?」

前にセンパイに提案されて断ったピアスだ。尿道から亀頭の辺りに穴を空けるらしい、今なら空けられそうな気がする。

「…………いや」

「キスしてください」

「……ノゾム、もう……俺は」

「キスしてくれないならそこに飛び込みます」

線路を指差すとセンパイは俺の肩を掴んだ。しかし、いつまで経っても顔を近付けてはくれない。辛そうな顔で首を横に振るだけだ。

「センパイ……俺と居るだけでそんなに辛いなら、いいです。俺はセンパイのこと好きですから、センパイの辛そうな顔なんて見たくないので、センパイの前から消えてあげます」

「………………すまない」

「ねぇ、センパイ。もう会うことはないでしょうけど、俺の顔をもう二度と見たくないなら、しばらくニュースは見ない方がいいですよ。特に……事故とか、自殺とかは」

「……っ!? ノゾム……? 嫌だ、それはダメだ、ノゾム……違う、俺はお前を傷付けたくなくて、俺じゃお前を傷付けてばかりだから、身を引こうと……なのにお前がそんなっ!」

「俺もセンパイのこと傷付けたくないって思ってます。センパイ、今メンタルやばいみたいですから……痛ましいニュースは聞かない方がいいと思って言っただけですよ? どうしてそんな怖い顔するんですか?」

大きな音とともに電車がやってきた。俺の肩を掴むセンパイの手の力が緩んだ。

「…………どこまで行くんだ?」

病院最寄りの駅名を言うとセンパイは小さく頷き、俺の肩を抱いて電車に乗った。センパイの表情は沈鬱で、彼から話すことはなさそうだ。

「ねぇ、センパイ……」

顔も見たくないと言ったくせに、ずっと俺を見つめている三白眼を見ていると涙が溢れた。

「俺、センパイ困らせたいわけじゃない……センパイ落ち込ませたくも、傷付けたくもないんです……自殺ほのめかして引き止めるなんてするつもりなかったのにぃ……」

「…………ノゾム」

「大好きですセンパイ……大好き、大好きだから、センパイが俺と居るの無理って言うなら、分かりましたします、さよならします、センパイの前に現れないよう頑張りますから、お願いですから……嘘でも嫌いだなんて言わないでください、キスしてください……」

「……ごめん。ごめんな、ノゾム……好きだよ」

電車内の空気も、周囲の目も、シャッター音も、俺達は何も気にせずに抱き合って唇を重ねた。目的の駅に着いて電車を降りる、センパイはまだ乗っていくようだ。

「さようなら、センパイ」

「…………………………………………待っ」

センパイは返事をせずにずっと俯いていた。扉が閉まった瞬間に顔を上げて何か言っていたが、何も聞こえなかったので手を振った。



センパイは俺を忘れられるだろうか、適当にナンパした俺に似た男と幸せになれるだろうか、男の趣味から変えないと髪色やピアスから俺を連想しそうなものだが──それは自惚れか?

「電話鳴ってる……後でいいか」

ポケットの中のスマホの振動を感じたが、出すのが面倒だったので無視して病院へ向かった。まだまだ学校から帰るには早い時間だが、スマホを確認するのも面倒になってしまったこの心を早く癒して欲しかった。

「ん……? ヘリ? 珍しい……」

病院の屋上からヘリが飛んでいくのが見えた。ドクターヘリだろうか、機体に雪の結晶のような模様があったような──まぁ、どうでもいいか。

「ヘリよりレン、レン……俺の嫁」

もうすぐレンに会えると思うだけで自然と足の動きが早くなる。フロアに着けば駆け足に、扉を開ければ笑顔に、誰も居ない部屋を見れば棒立ちに。

「あれっ……? 部屋……合ってるよな。レン? レンー? 移動……?」

部屋番号は記憶と合致するし、その下に書かれている「如月 蓮」の名前もある。混乱しながらも通りかかった看護師に話しかけた。

「あ、あのっ、レンは、如月レンは、移動したんですか?」

「如月……あぁ、彼ならもうこの病院には居ないよ。ちょっと遠くに行ったんだ、しばらく会えないと思うよ」

看護師は上を指差してそう言うと部屋番号下のレンの名前を消した。俺は頭を下げて看護師を見送り、レンが入院していた部屋に入った。誰も居ない真っ白で静かな部屋、つい数時間前までレンが寝ていたはずの場所を見つめる。

「遠くって……俺、そんな子供じゃない」

遠くに行った──死んで天国に行ったんだという意味だろう。幼い子にはよく使う表現だが、俺はもう高校生だぞ?

「嘘だ……嘘だ、レン……そんなっ」

ずっと病院に居ればよかった。そうすればレンの死に目に会えたのに。

「ご、め……んっ」

可哀想なレン、俺も父親も居なくなった頃に独り寂しく死ぬなんて──どうか死が優しいものであったことを、眠っている間に訪れた苦痛のないものだったことを願う。

「レン……ごめん、レン、やっぱり俺、一緒にいくよ」

センパイに別れを告げられてギリギリだった俺の心は大好きなレンの死によって完全に砕けた。窓を開け放ち花嫁のドレスを思わせる純白のカーテンを膨らませ、美しい青空に向かって跳んだ。

「ぅあっ……! な、なに……?」

窓から飛び降りて地面に叩きつけられるはずだった俺の身体は木に引っかかった。ミシミシと音を立てて枝が折れ、今度は低木の上に落ちる。

「痛い……生きてる……俺めっちゃ生きてる」

絶望のあまり窓の下を確認していなかった。植木に落ちて死ねるものか。そもそもレンの病室は三階、コンクリートでも死ぬ保障はない高さだ。

「ぅー……やっぱり屋上行かなきゃかな……」

立とうとするとポケットから飛び出てしまったらしいヒビ割れたスマホに手が触れた。しかも震え出したので低木に寝転がったまま確認してみればセンパイの従兄から電話がかかってきていた。

「もしもし……?」

センパイのことに関して何か文句を言われるのだろうかと身構える。

『やっと出た……! 月乃宮様、今朝、社長に土下座しまくって霊視してもらったんですよ。鬼が分かりました、如月 蓮というあなたと同じ歳の少年です』

「えっ……? レ、レン? レンが、鬼……?」

『やっぱり知り合いでしたか。彼はあなたに取り憑いた怪異を全て腹に抱えていました。霊体に致死性の損傷が見られたので心霊治療のため現在ヘリで輸送中です』

ヘリ? 病院に入る少し前に見たアレか? 看護師が言った「遠く」はただの距離で、上を指したのはヘリで飛んだというだけ? 天国に行ったんだよと暗に示したわけではなかったのか? なんて紛らわしい。

「レン……生きてるんですか?」

『え? えぇ、もちろん』

「レン……! レンが生きてる…………植木でよかったぁーっ!」

『うわっ……! いきなり何やきさんしゃあしぃなぁっ!』

レンが生きていてくれたのが嬉しくて大声を上げ、電話先の従兄に怒鳴られてしまう。

「ご、ごめんなさい……えへへ、お兄さん、俺、生きててよかったです」

『はぁ? あぁ……なるほどね』

電話が切れた。最後のなるほどとはどういう意味だろう、首を傾げながら低木から降りるとスマホを持った従兄が立っていた。

「ほんと、生きててよかったですねぇ? この早漏」

「は、早とちりって言ってくださいよぉ……」

危うく勘違いで死ぬところだった。俺は俺を助けてくれた植木達に感謝し、彼らに付けられた傷の手当てのために病院に引っ張られた。
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