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喧嘩をするには信頼が足りない

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人目を気にせずに僕への愛情を表現したシンヤを、僕は体裁だけを気にして突き飛ばした。裏返った気持ちの悪い声でシンヤを否定した。
空気は最悪だ。いつも明るい陽キャ共も何も言わない、グループの中でも下位の連中でなければどうにかなっただろうか?

「ただいまー! 何分経った? おっ、十分割とイケるんじゃん……ん? な、何? 何この空気こわい」

風呂から上がってきた奴も黙ってしまった。

「……あ、次俺入るわ」

一人小走りで逃げた。もう片方のシャワールームを使っていた奴も出てくると、僕達の惚気と修羅場を見届けたもう一人も逃げた。

「あれ、吉良と小宅二人で入るんじゃなかったっけ? いいの?」
「さぁ……なんか、ヤバそうだし……えーっと、どったの?」

心臓がバクバクと脈打って何も答えられない。新しい二人を誤魔化して、シンヤに謝らなければいけないのに、僕の口は一ミリ足りとも開かない。

「……ちょっと喧嘩しちゃった」

「マジ? 大丈夫? なんで?」

「俺がヒロくんにウザ絡みし過ぎて……ごめんね、ヒロくん。しばらく離れておくから……機嫌治ったら、許して欲しいな……」

声の震えを必死に抑えたシンヤの目は潤んでいるが、頬に涙は零れていない。

「ぁ、着替え……用意しなきゃ。じゃあね、ヒロくん……」

シンヤは部屋の隅に置いた鞄の元へ駆け、屈み、鞄を開けて漁らずに肩を震わせた。陽キャ共二人は僕を一瞥したが何も言わず、それぞれの鞄の元へ向かった。


結局僕達は別々にシャワーを浴びた。次は夕飯の時間だったが僕は捻挫した足のテーピングのため保健医の元へ向かわなければならない。

「……ヒロくん、歩ける? 一緒に行くよ」

ゆっくりとなら一人で歩けるようになっていたが、階段はまだ不安がつきまとう。シンヤの申し出は嬉しいものだった。

「ありがとう……」

肩を借りて歩き、階段を下り、群れから離れて保健医の部屋へ向かう。

「…………シ、シンヤくん。あの……ごめん。本当にごめん……本心じゃないんだ、シンヤくんが人前で僕のこと好きとか言うから焦って……ぁ、違うっ、シンヤくんが悪いんじゃないんだ! こんな言い方、僕……ごめん、とにかくごめん、本当に、ごめん……」

前髪で目を隠してこっそりとシンヤの顔を見上げる。整った顔立ちの無表情は人形のようだとすら思えた。いつも僕だけを見つめている黒い瞳は何も映していなかった。

「……………………人前が、嫌だっただけ?」

「あ……う、うんっ! そうなんだ、ごめんね。シンヤくんのこと大好きなんだよ、ベタベタ触って欲しいし好きって言って欲しい、可愛いは……僕は自分のこと可愛いって思ってないけど、シンヤくんがそう思ってくれるのは嬉しいから……思ったんなら、言って欲しい。ただ、その……人前は」

シンヤは立ち止まり、周囲を見回して人気がないことを確認すると僕の顎をそっと掴んで持ち上げ、前髪を吹いてどかした。

「シ、シンヤくん……?」

光のない真っ黒な瞳と見つめ合う。幼い日、父が釣ってきた魚の血抜きを思い出した。死んでいく魚のあの穴のような目が、何も映さなくなっていくあの恐ろしさが、今ここに──

「ヒロくん大好き♡」

──再現されなかった。シンヤは目を細めてふにゃりと笑った。

「シンヤくん……!」

挽回できた、許してもらえた、シンヤと今後も付き合っていける……そんな安堵に満ちた僕は自然な笑顔を浮かべられた。

「僕も、僕も大好きだよシンヤくん! 傷付けてごめんっ……! 大好き!」

「ほんと? 嬉しい♡」

いつも通りのシンヤだ。傷付けてしまったけれど、癒せたんだ。

「保健室の先生この部屋だっけ?」

「うん、送ってくれてありがとう、シンヤくん」

扉を叩いて振り返り、シンヤを見上げて僕は絶句した。彼の笑顔はまた消えて、死んだ目で僕を見つめていた。

「…………俺と恋人なのそんなに恥ずかしいんだ」

扉の奥から保健医が声をかけてきているけれど、今の僕には何を言っているのか分からない。

「……ごめんね、不釣り合いな俺なんかが君の恋人で」

扉が開く。

「ちょっと、誰なのか言いなさい。あ、小宅くん。ノックしたらクラスと名前を言うのが礼儀よ」

肩を叩かれた。

「小宅くん……? 小宅くん、どうしたの? ボーっとして」

「……疲れたみたいです。俺ここで待ってますね、ヒロくんお願いします」

保健医に手を引かれて部屋に入れられたが、僕は保健医の声を一切聞かずにシンヤを見つめ、扉が閉まっても扉を見つめ続けた。
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