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第六章 現実世界は異世界より奇なり

この肉なんの肉?

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表通りをしばらく歩き、調理していない切り分けただけの生肉を売っている店を見つける。店主は当然のようにオークだ。

『いらっしゃい、ませ』

伝声石でドラゴンを呼んでいるリナリアはこの場には居ない、ジャックに呼んでくるよう頼み、肉を眺める。

「友人が買いたがっていて、手分けして精肉店を探していたんです。買うのはその友人なので……しばらく待ってください」

『かしこまり、ました』

肉だけを見ても牛なのか豚なのかは分からない。鶏ではないのは明らかだけれど。

『ユウ、待たせたな。ありがとう』

「あ、リナリアさん。どうぞ選んでください、お金は僕が出しますから」

「……ユウ」

「方舟に何日か泊めてもらうんだからさ、少しくらいは、ね?」

ショーケースに入れられた肉を眺めるリナリアの後ろでヒソヒソと話す。

『……なぁ、ユウ。母さんが好きな部位は何だと思う?』

「モモ肉とかが人気だと思いますけど」

「狼ならモツでもいいんじゃないか? 獣は内臓から喰うだろう」

「そうなの? へぇー……あっ、オススメ聞いてみましょうよ」

振り返っていたリナリアは小さく頷き、オークの店主にオススメ商品を尋ねた。

「おい、あまり高いのを選ぶなよ」

『予算は幾らだ?』

「……この分なら使っていい」

ジャックは巾着から硬貨を何枚か取り出し、リナリアに渡した。リナリアは再び店主と相談し、一包みの肉を買った。

『ありがとう、ユウ、ジャック。向こうにドラゴンを待たせてある、行こう』

「お母さん喜んでくれるといいですね」

『……あぁ』

リナリアは紙に包まれた肉を眺めて頬を緩ませていた。彼女の可愛らしい笑顔を見ていると僕も嬉しくなる。



ドラゴンに方舟まで運んでもらい、その過程で心身共に疲労しつつ、方舟の高い科学技術による居心地の良さを堪能する。

「ふーっ……やっぱりドライヤー最高ですね」

風呂に入り、スラックスのような無地の白い上下を着てリナリアと共に歩く。

『他の場所にはないものなのか?』

「基本ありませんよ」

異世界は大陸によって文明の進み具合が違いすぎる。牧羊の大陸は電気がないし、欲望の大陸はバブル期の日本のように街がギラギラ光ってるし──まぁ、テレビでチラッと見ただけの光景だから本当に似ているかは分からないけれど──

「ここは技術的には最高峰なんじゃないですか?」

茨木の技手は現実世界で言えばオーバテクノロジー、ジャックも同様。過去に科学で栄えた都市があったらしい。この方舟もその遺物なのだろうか?

『……どんなに優れていようと、私の母はエンジンルームから動けない。いつか、ちゃんとしたシャワーを浴びさせてやりたいよ』

「そうですよね……いつもはどうしてるんですか?」

『桶に湯を汲んで、それに浸けた手拭いに石鹸を泡立て、身体を拭いている。色んなコードが剥き出しだからあまり水気は良くないらしくてな、母が浸かれる量は駄目なんだ』

「……厳しいですね」

仕方ないのかもな、リナリアの母……アルギュロスは身体に何本も管を刺されている。それを濡らすのはよくないことだろう。

『母さんの風呂は時間が決まってる。今は買ってきた肉を食べさせてやるんだ、一緒に行こう』

「……いいんですか? 親子水入らずじゃなくて」

『金を出したのはユウだ、私はユウと一緒に行きたい』

リナリアは嘘のつけない性格だと思っている。きっとこの提案は断るべき気遣いなどではない。

「ありがとうございます。じゃあ……行きましょうか」

まだ方舟の構造をよく理解していないので、大人しくリナリアについて行く。蛇腹のパイプが剥き出しになり、どくどくと脈打つ不気味な通路を通り、リナリアの母の元へ辿り着いた。

『母さん、ただいま』

「こんにちはアルギュロスさん」

リナリアの母親の名はアルギュロス、厳つい名前だが愛称はアルで可愛らしい。

『……ワン』

大量のクッションの上に身を横たえた狼、その背には大きな黒翼が生え、尾は黒蛇になっている。顔立ちはハスキー犬を思い起こさせるが、その高貴な雰囲気で狼だと僕に知らしめる。

『下に買い物に行って……土産があるんだ、母さん』

『ワゥ?』

『ふふ……何か分かる?』

リナリアは首を伸ばすアルの鼻先に紙に包まれた肉を持っていった。紙越しにも肉の匂いが分かったのか、アルは目を見開く。

『ワン、ワンワンっ!』

横たわらせていた大きな体を起こし、四本の足で足踏みをして、舌を出して呼吸を荒くしていく。まるでおやつを待つ犬だ。

『母さん、落ち着いて……興奮しちゃ管がズレちゃう』

『ワン、ワン……クゥン、キュゥゥン……』

『そんな声出さなくても今開けるから』

リナリアは紙の包みを剥がそうとするが、太く短い指は紙の端を摘めない。

『…………ユウ、頼めるか』

「ぁ、はい……」

肉を受け取り、紙の包みを剥がす。呼吸を荒くしたアルが僕の方へ来たが、肉はリナリアに渡した。

『……母さん、食べて。喉詰まっちゃうからゆっくり……最近あまり食べてないんだから、ゆっくり食べて』

アルは肉を咥えるとクッションの上に戻り、身を横たえると肉を一度置いた。肉に前足を乗せ、細長い口の横の方で噛んでちぎろうとしている。

「手伝ってあげなくて大丈夫ですか?」

『大丈夫だろう、多分……な、母さん』

『ワンっ! ワン……キャウ、クゥン?』

アルは肉を食べながらも顔を上げて僕達に何かを尋ねてくる。

『……ユウ』

「僕、心読めるわけじゃないですよ? でも……何か、リナリアさんに聞いてるみたいです」

『…………私なら下で串焼きを食べてきた』

「ワン!」

アルは満足そうに吠えて食事を再開した。娘が食べたかどうかを心配していたのか、いい母親だ。
僕の家族とは全然違う、母娘が互いに想いあっている。なんて素晴らしい愛だろう、その尊さは僕のような卑しい人間を消し飛ばしてしまいそうだ。

『ワゥン、クゥン……キュン?』

『また何か聞いてる……? ユウも食べたぞ』

「僕のこと気にするかなぁ……これ何の肉? とか?」

『何の肉のどの部位なのかは分からん。母さん、美味しい?』

『クゥン……』

肉への食いつきは変わらないが、アルは心配しているような声と表情だ。

『ワン、ワン、ワフ……クゥン、ゥン?』

「うーん……肉についての質問ですか? えっと、YESなら一回、NOなら二回鳴いてください」

『ワン』

このやり方なら軽度の意思疎通は可能だ。これでアルの疑問を絞り込んでいこう。

「肉の種類が気になりますか?」

『ワン、ワン』

「部位が気になりますか?」

『ワン、ワン』

「値段が気になりますか?」

『ワン、ワン』

難しいな。他に肉についての情報は──あぁ、大切なものがあった。

「産地が気になりますか?」

『ワン!』

「産地ですってリナリアさん。産地……牧場でいいんですかね、輸入品じゃないと思いますし、牧場だと思いますけど」

『ワゥ……?』

でも、牧場っていう名前なのに牧場らしいところを見ていないんだよな。牛舎もないし、放牧されているだろう牛とかもいなかったし、不思議だ。夜行性の魔物とかなのか? 何の肉か分からないのは魔物の肉だからだったりして……そうだったら怖いなぁ。

『ワゥっ! ワンワン、ワゥっ!』

「ど、どうしたんですかアルギュロスさん……牧場が気になるんですか?」

『ワン!』

『母さんも行きたいの?』

『ワン、ワン!』

はい、いいえで絞り決めるだろうか。アルは焦っているように見える。けれど僕達の質問を待っている。

「牧場が気になるけど行きたくはなくて、焦るようなことを聞きたい……うぅん」

『……昔、牧場で何かあったとか?』

アルは二回吠えた。

「魔王を知ってるとかですか?」

『ワン!』

「……会ったことあります?」

『ワン!』

気になっていたのは魔王──ベルゼブブについてか。僕も気になっていたことがある。
ベルゼブブはリナリアを旧友に似ていると言った。
リナリアとアルは魔神王に命を狙われている。
ベルゼブブはフリージアの父親を裏切った魔王。
何か関係がある気がする。

『魔王……? ベルゼブブだったか、魔王と会ったことがあるなんて流石母さんだ』

「もしかして逃げる手引きとかしてくれたんですか?」

フリージア達の父親を裏切ったからと言って、ベルゼブブが完全な悪人とは限らない。彼女が魔神王から逃げるアルを助けていたのかもしれない──

『ワンワン!』

──そう思っていたが、間違いのようだ

「違う……? うーん」

『とりあえず敵かどうかだ。母さん、ベルゼブブは敵なのか?』

『ワン!』

力強い返事だ。僕の予想が当たらなかったのが今証明された、そしてベルゼブブがかなりの方面で悪者だということも。
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