魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第四十六章 正義を滅ぼす魔性の王とその下僕

天界へ

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ルシフェルが作った天界と人界を繋ぐ橋は、橋と呼んでいるが橋の形状をしている訳ではない、分厚い結界の隙間を抜けるためのものだからどちらかと言えば巨大な穴だ。
橋を過ぎると雲は白く空は透き通るような青に変わり、光り輝く地に降り立った。

『ここが……天界?』

珍しく不安げな兄の手を取り、眩しい世界を見回す。産まれる前のクラールとドッペルとハルプと出会った場所だ、覚えている。僕が取り込んだ天使の魂達も覚えている。

『四方八方眩いな、気に入らん……』

『懐かしい……ふふ、サタン、全部、全部、全部壊そうね』

サタンが黒い焔を、ルシフェルが黒い光を放ち、白一色だった世界にコントラストが生まれる。

『魔物使い、余とルシフェルはこのまま進む。修復中の天使を喰らってこい』

『分かった』

僕の足首に巻かれていた鎖が黒い焔に変わって離れ、サタンの手首に巻き付き、再び鎖に変わる。ルシフェルは首輪から伸びる鎖が繋がる相手が僕からサタンに変わったのも気にせず進んでいく。

『じゃあ、にいさま、行こ』

兄の手を引いて誰のものかもよく分からない記憶を元に、床も壁も天井も見分けがつかない白く光り輝く世界を歩んでいく。

『天界か……天使にどこまで僕の力が通用するか……』

『天使に対してはかなり有用だと思うよ、魔法は慣れてないから戸惑うみたい』

『そう……そう、かな。僕、君の役に立てるかな』

『…………にいさまには戦闘面では期待してないよ』

ハッキリと期待をしていないと告げると兄は足を止め、泣きそうな目で僕を見つめた。僕は振り向いて兄の両手を握った。

『これから大勢の天使を取り込んで、僕は僕じゃなくなる。僕を呼び戻すのには僕と血の繋がった唯一無二のにいさまが適任なんだよ』

『わ、分かった。分かったよ、おとーと……』

嬉しそうに頬を緩める兄の手を離し、先程と同じように歩いていく。目的地に辿り着き、目当ての扉の前にやってきたが、その扉の前には見覚えのある天使が居た。

『……君、どこかで会ったね』

その身に纏うドレスは縫い付けられた宝石で埋め尽くされ、光の角度で七色に変わる髪や瞳も宝石のように輝き、頭の上に浮かんだ光輪も光を乱反射する宝石で、翼も宝石……シャラシャラと音を立てている。

『宝物庫の番人、パラシエル』

『そう……パラシエル、よろしくね、これからっ……!』

真っ白の床を蹴ってパラシエルの前に跳び、拳を握った右腕を振る。パラシエルは僕の拳を宝石の剣で受け止めたが、簡単に砕けた。みぞおちに抉り込んだ感覚があったのでそのまま殴り抜けて閉じたままの扉に叩きつける。

『魔物使いっ……お前、一体……何人喰った……』

『数えるの忘れてた。とりあえず一人増えるよ』

みぞおちに沈んだ拳を開くとパラシエルの中に入り、彼女の体内を探って真球を抉り出せた。魂と霊体の分離も手慣れてきた。

『返せっ、それは、私のっ……!』

今までに見たどんな宝石も適わない輝きを放つ魂。もうしばらく眺めていたかったがパラシエルが手を伸ばしてきたので慌てて呑み込んだ。瞬間、パラシエルの姿はポロポロと崩れて消えた。

『おとーと、君は僕のおとーとだね?』

『ん……あぁ、うん、にいさま……』

扉に手を触れさせると簡単に開いた、番人を取り込んだ僕を承認してしまったのだろう。扉の中はこれまでと変わらない光り輝く世界、しかし本棚のような物が並んでおり、その棚には本ではなく人界で倒されたのだろう天使の魂が入っていた。魂の色は白ばかりではなく、光り輝いている物ばかりでもなく、見えやすい。

『おかえりなさい、魔物使い君』

『…………アル?』

本棚の隙間を縫って僕の方へ向かってくるのは黒翼と黒蛇の尾を生やした銀狼だ、竜の里に居るはずの僕の妻だ。

『アルミサエルよ、私あなたを待ってたの、あなたのために警備を減らして、あなたをどう迎えようかずっと考えてたの』

『アルミサエル……そう、久しぶりだね』

産まれる前の娘達に会いに来た時に会った。子宮を司るとかで、見る者の理想の母親の姿になるのだとか。兄にはどんな姿に見えているのだろう。

『……本当なら鍵がかかっているんだけど、全部開けておいたから、好きに食べて、私達を……天使達を、永遠の奉仕から解放して』

大きな頭が腹に擦り付けられる。黒翼で抱き締められる。本物ではないと分かってはいるけれどアルに抱き締められたことが嬉しくて口の端がつり上がってしまう。僕は慌ててアルミサエルから離れ、引き戸付きの本棚を片っ端から開けて魂を喰らった。

『…………あなたにも会いたかったわ。あなたは弟に酷いことをしていたけど……そもそもあなたには愛が足りなかった。あなたも可哀想な子なの、おいで』

腕を広げて──まぁ、僕には翼を広げるアルに見えるのだが──歩み寄るアルミサエルを怯えたような目で見ている兄は後ずさっている。

『どうしたの? おいで。寒かったでしょう? 子宮の中……産まれる前、私はあなたをぎゅっと抱き締めていたの。でも、産まれた後……あなたは誰にも愛されなかった。だから……おいで、もう一度抱き締めてあげる』

『く、来るなっ……』

どんな属性なのかも分からない魂を呑み込みながら視線は兄に注ぐ。単なる好奇心だ。兄の理想の母親はどんな者なのか、それは見えないにしても兄の反応には興味があった。

『寒いでしょう、寂しいでしょう、怖いでしょう……大丈夫、おいで、抱き締めてあげる』

『来るなっ、来ないで、来ないでってば……!』

兄はとうとう尻もちをついて、それでも後ずさった。しかし壁に追い詰められて止まり、蹲って頭を抱えて泣き始めた。

『ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……』

『エア、エア、顔を上げて、エアオーベルング、私の愛しい子』

『ごめんなさい、君のこと、どうでもよくなかった。ごめんなさい、置いていって、押し付けてっ、鬱陶しがって、面倒臭がって、僕、僕っ……君を見捨てて、君を死なせてっ……』

『エア……大丈夫、大丈夫よ……あなたがあなたを許せなくても、世界があなたを虐めても、あなたがどれだけ罪深くても、私だけはあなたを認め、許し、愛するから……』

僕には兄の膝に前足を置いたアルが黒翼で兄の頭や肩をぽふぽふと叩いているように見える。しかし不思議だ……姿はもちろん声も口調もアルとしか思えないのに、彼女はアルミサエルで兄には別人に見えている。まぁ今更天使の力を不思議がっても仕方ない。

『ゆ、許して……くれるの? 僕を……』

ようやく顔を上げた兄はアルミサエルが頷くのを見てその首元に飛び込んだ。いや、胸元なのか? アルに見えるから人型で考えるのが難しい。
そうだ、兄と感覚を共有すれば兄の見聞きするアルミサエルが分かる。

『にいさま……僕にも見せて』

真球を飲み込み、兄の方を向いて目を閉じる。すると兄の五感が僕にも使えるようになった。

『エア、大丈夫だ、もう泣くな』

男の声……?
目を擦る兄の手がどけられて見えたアルミサエルの姿は金髪金眼で筋骨隆々の男だった。

『とー、るぅ……とーる、ごめんなさい……』

共有をやめ、アルに……じゃなかった、アルミサエルに抱き着いている兄の傍に歩み寄る。兄は銀毛を毟るように強くしがみつき、泣きながら「トール」と呟いている。

『魔物使い君、全部食べられた? 次は私?』

『まぁ……うん、部屋にあるのは全部食べた……けど』

『そう。傷付いた魂は私のところに帰ってくるのよ、だから今人界で倒された天使が……ほら』

アルミサエルは魚が閉じ込められた真球を僕に渡した。

『そっか、じゃあ君を食べれば楽に天使の魂が手に入るんだね』

『……そういうことよ』

『え……? ダ、ダメ!』

すすり泣いていた兄が突然顔を上げ、アルミサエルを背に庇った。

『にいさま? 何してるの、邪魔。せっかく僕に食べられてくれるって言ってるんだから邪魔しないで』

『ダメ……お願い、おとーと、僕からトール取らないで』

『……あのさ、アルミサエルは見る人の理想の母親の姿になるんだよ? なんでトールさんなのさ……せめて女の子にしなよ。まぁ言っても仕方ないけどさ、それトールさんじゃないからね、何言われても何されても、それはアルミサエルがにいさまに気を遣ってくれてるだけだから』

兄は激しく首を横に振り、アルミサエルを抱き締めた。

『……魔物使い君、そんな言い方しないであげて? エアオーベルング君、そろそろ離して? ね? いい子だから』

『嫌だっ! なんで……? 許してくれたんでしょ、なら傍に居てよ。ほらっ、僕……立てない、君に立たせて欲しい。僕、一人じゃ……何も出来ない、お願い……トール……』

ぽんぽんと前足……いや、手で兄の頭を撫でたアルミサエルはその手に真球を浮かべ、僕に差し出した。それを呑み込むとアルミサエルは消え、兄の絶叫が部屋に響き渡った。

『トールっ! トールぅっ! やだっ、やだっ、嫌、いや……ぁああっ……やだぁ……』

腹を摩りながらぼうっと考える。アルミサエルの力は傷付いた人間には最高の癒しの効果を持つが、その効果は高過ぎて彼女を手放せなくなる怖いものだと。

『……子宮を司る天使の名の元に──』

幼い日の僕のように部屋の隅に蹲ってすすり泣く兄の手を引くと兄は満面の笑みを浮かべて立ち上がり、素直に僕に着いてくるようになった。
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