上 下
846 / 909
第四十四章 海面より浮上する理想郷

月は崩壊を促す

しおりを挟む
目を開けると涙をポロポロと溢れさせている零と目が合い、胸倉を掴まれて振り回された。
記憶が混濁している、頭がぐらぐらしている、何か……体内に攻撃を受けたような。体の機能を損ねるような怪我だったのは意識を失っていたことから分かるが、傷の詳細は痛覚を消していたこともあって分からない。
常に透過していられたらこんなことにはならなかったが、常に力むのは難しいし透過中は何にも触れられない、現実的ではない。

「魔物使い君、お願い……りょーちゃんを助けて」

すすり泣く零を残し、盾を構えたヘルメスの横を抜け、幼稚に争う二柱の邪神の前に立つ。まず頭から篦鹿の角を生やし、黒く染めて腕にして、影から天使の槍を持てる限り引っ張り出す。以前、無数に飛来した陶器製の天使が馬鹿みたいに投げたおかげで出し惜しみしないで済む。

『新支配者……! 鬱陶しい、もっかい死んでろ!』

『透過!』

胸の辺りに球状の水が現れたがすり抜け、重力に引かれるまま砂浜に落ちた。クトゥルフは空間転移能力でも持っているのか? 僕はそれで体内を破壊されたのか。
クトゥルフの攻撃と同時に投げた槍は僕の手を離れると透過の効果を失い、ハスターごとクトゥルフの身体を貫いた。

『はっ……この程度……あれ? は? 抜けないっ……は? 骨引っかかって……』

人魚とはいえ上半身の骨格は人間と変わらない。骨の隙間に槍を通せば抜くのは困難だ。他者に取り憑いているクトゥルフと違い、ハスターは生き物らしさのない実体を持っている。触手や仮面や布に骨はない。ぶちぶちと触手をちぎり、びりびりと布を裂き、無数の槍から抜け出した。

『ハスター、平気?』

『大丈夫~……でもこいつ殺さないと気が済まないから大丈夫じゃないかも~』

温和な話し方に戻っている。よかった。
ハスターが槍をすり抜けずに自身を傷付けて抜け出したということは、実体化中に天使の槍を刺せば神だろうとすり抜けられないし、槍を動かせないということ。
なんて良い情報をくれるんだ、ハスター、彼は僕の友人ではなく親友であるべきだ。

『……さて、クトゥルフ、ツヅラさんから出ていってもらおうか』

『はぁ……? ははっ、あぁ、知らないんだ、分かんないんだ? ツヅラなんかもう居ないよ? この身体は僕のもの……』

ばぎばぎと嫌な音が聞こえてくる。きっと骨を砕いてでも槍の檻から抜け出そうとしているのだろう。

『返そうにも返せないんだよね~、僕追い出しても無駄だよ? だって、この身体~……魂ないもん』

『……は? ど、どういう意味だよ! ならツヅラさんは、ツヅラさんの魂は!?』

『さぁ? 僕は空っぽの体渡されただけだし』

ツヅラを攫ったのはナイだった。つまりナイがクトゥルフに肉体を提供するためにツヅラを攫い、魂を抜き取り、渡したということだ。
魂を抜くのはそう難しいことではない、胸の辺りに手を突っ込んで根気よくまさぐれば見つかる。その者の生きる意志が強いほどこの作業は難航するので、事前に会話で生きる意思を失わせた方がいい。

『それより、後ろの彼はいいのかな?』

振り返っても盾しか見えない──いや、盾が倒れた。盾の内側にヘルメスが乗り、盾は砂浜に沈んだ。

『ヘルメスさん……!?』

盾を倒してその上に倒れるなんて、ましてや緩やかな凹みを描いた盾の内側に血を溜めているなんて、考えるまでもなく非常事態だ。

『ヘルメスさん、どうしたんですかヘルメスさん! 神父様……何があったんですか?』

僕は槍の檻に閉じ込められて動けないクトゥルフを放ってヘルメスの元に走った。彼は目と鼻と口から血を流したようだ、顔が赤く染まっている。

「多分神具の使い過ぎだと思うけど……」

ずっと盾を構えていた影響か。
僕は慌ててカヤを呼び、僕達三人を僕の自宅に移動させた。もうナイの手中にハマったフリをして懐から一撃を狙おうなんて、家に帰ったら酒色の国が狙われるかもなんて、考えもしなかった。

『カヤ、にいさま連れてきて! その後はシェリーを港に届けてあげて!』

ワン、と元気のいい返事を聞き、目の前に落ちてきた兄が辺りを見回すのも待たずに胸倉を掴んだ。

『治して! にいさまこの人治して、先輩なんだ! 早く!』

状況が飲み込めていなさそうな顔をしていたが、怪我人を前に焦っている僕を見て察したのか、ヘルメスに治癒魔法をかけてくれた。

「ん……? あれ、ここは……」

すぐにヘルメスは目を開けた。

「痛てて……何があったんだっけ」

怪我の影響か記憶が混濁し、混乱しているヘルメスに事情を説明した。彼に何があったのかを完璧に理解している訳ではないし、吃ってばかりだったが、彼は分かったと言ってくれた。

「迷惑かけたみたいだね、ごめんね。特に神父さん、すぐに取り返さないといけないのに……すぐ戻ろう」

『待って、君それ以上やったら死ぬよ』

呼び出したカヤを下がらせ、兄に詳しく説明するよう促す。

『神の力を扱ってるんだ、分かるよね? 魔力は人間にも存在するけど神力はまず存在しない、だから人体には非常に有害なんだよ。君はそういう血統みたいだけど、かなり薄まってる。近親婚でもするべきなんだよね、君達みたいなのは……ま、それはそれで別の不具合が出るけど』

「……魔物使い君のお兄さんは大袈裟だね、自分の体のことは分かってる。ギリギリでやめるよ」

『神力による害は蓄積されるものなんだよ、霊体や魂に。変質した霊体に……そうだね、被曝って言葉を使おうか? 自身の霊体に害を与えられるんだ、身体の崩壊は治癒で止められる程度じゃなくなってくるし、やり過ぎると魂まで崩れるから生まれ変わりすら出来なくなる』

そんな危険な状態なのか。それならヘルメスを連れていく訳にはいかない。

「…………大丈夫だよ、大袈裟なんだって」

『君も分かってるんだろ? 何、死にたいの?』

「……死にたい、わけじゃ……ないけどさぁ」

バツの悪そうな顔で僕と零を見て、兄に視線を戻す。

「………………いや、死にたいのかもね。人の役に立ちたいんだ、ううん、役に立てるって証明したい、良い奴だったって思われたい。だから人に尽くして死にたいんだ」

『……頭おかしいんじゃないの?』

兄には理解出来ない思考だろう、僕だってよく分からない。特定の者ならともかく、不特定の者に尽くしたいなんて……それが神具所持者の適性なのか。

「…………生まれてすぐ捨てられて、人目のつかない路地で死にかけたら、多少頭がおかしくなっても仕方ないだろ? 見返したい、死を惜しまれたい、英霊になりたい……別に悪いことじゃない、君に止める権利があるの?」

『ある。弟が悲しむ。僕の弟は優しい子だからね、少しでも関わった人が死ぬと悲しむんだ。さっきので分かるだろ? 死にかけた君を僕に助けて欲しいって泣きそうな顔で言ってきたんだ。僕の弟を泣かせる権利が君にあるの?』

死を止めようというのは兄らしくない良い行為だが、理由が身勝手だな。やっぱり兄は兄だ。

「そんな理由で俺を一線から引かせるの? 助けを求める人を無視して引きこもるなんて嫌だね、俺は人を助けて死ぬ。ずっと前から決めてたんだ、魔物使い君が泣いてくれるなら俺は嬉しいよ」

『あぁ、そう、じゃあ手足切り落として戦えなくしてあげる』

兄の後ろ髪が伸び、触手に変わり、先端が曲がって鎌のように鋭くなる。僕はヘルメスの腕を掴んでその触手を避けさせ、邸宅の奥へと走った。

「ちょっ、魔物使い君、何!? 危なかったからありがたいけど、こっちに逃げても意味ないんじゃ……」

内開きの扉を蹴り開け、部屋の中心に置かれているベッド目掛けてヘルメスを投げる。

「わぶっ! な、何……君そんなに乱暴だった?」

ベッドに寝ていた者が起き上がり、ヘルメスの肩を掴んだ。

「わっ……! だ、誰か寝てた。ごめんなさい、ちょっと投げられて……」

普段なら殴っても起きないくせにヘルメスをベッドに投げると起きるんだな。やはり起きられないのではなく起きたくないだけなのだ。

『……大きめの少年? こんな日の高いうちから……積極的だねぇ』

「ベルフェゴールさん……? いや、えっと……今仕事中で、ちょっと投げられただけで」

ベルフェゴールがヘルメスを後ろから抱き締める。僕はヘルメスの靴を脱がし、羽根飾りを奪った。杖と剣は零が持っていたはずだ。

「あっ! ちょっと魔物使い君! 返して!」

急いで羽根飾りを服に付け、靴を履いた。これで仮所持者が僕になったのでヘルメスは神具を呼び出すことも出来ない。

『ベルフェゴール、ヘルメスさん部屋から出さないで! ヘルメスさん、休んでてください!』

「は……? ちょっとマジで俺置いてく気!? ツヅラさんどうすんの!?」

『僕が責任持って取り返してきます! ヘルメスさんは……えっと、お、お楽しみください……』

寝間着のボタンを外しているベルフェゴールから目を逸らし、扉に向かう。鍵をかけられたらよかったのだが。

『ずっと寝てたから身体なまってるしぃ……ちょっと運動しよっか、大きめの少年』

「え……? えっ、ちょ……嘘……」

そっと扉を閉じ、黄金製の靴に靴擦れの気配を感じつつ、兄と零の元へ急いだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

お花畑な母親が正当な跡取りである兄を差し置いて俺を跡取りにしようとしている。誰か助けて……

karon
ファンタジー
我が家にはおまけがいる。それは俺の兄、しかし兄はすべてに置いて俺に勝っており、俺は凡人以下。兄を差し置いて俺が跡取りになったら俺は詰む。何とかこの状況から逃げ出したい。

雑用係の回復術士、【魔力無限】なのに専属ギルドから戦力外通告を受けて追放される〜ケモ耳少女とエルフでダンジョン攻略始めたら『伝説』になった〜

霞杏檎
ファンタジー
「使えん者はいらん……よって、正式にお前には戦力外通告を申し立てる。即刻、このギルドから立ち去って貰おう!! 」 回復術士なのにギルド内で雑用係に成り下がっていたフールは自身が専属で働いていたギルドから、何も活躍がないと言う理由で戦力外通告を受けて、追放されてしまう。 フールは回復術士でありながら自己主張の低さ、そして『単体回復魔法しか使えない』と言う能力上の理由からギルドメンバーからは舐められ、S級ギルドパーティのリーダーであるダレンからも馬鹿にされる存在だった。 しかし、奴らは知らない、フールが【魔力無限】の能力を持っていることを…… 途方に暮れている道中で見つけたダンジョン。そこで傷ついた”ケモ耳銀髪美少女”セシリアを助けたことによって彼女はフールの能力を知ることになる。 フールに助けてもらったセシリアはフールの事を気に入り、パーティの前衛として共に冒険することを決めるのであった。 フールとセシリアは共にダンジョン攻略をしながら自由に生きていくことを始めた一方で、フールのダンジョン攻略の噂を聞いたギルドをはじめ、ダレンはフールを引き戻そうとするが、フールの意思が変わることはなかった…… これは雑用係に成り下がった【最強】回復術士フールと"ケモ耳美少女"達が『伝説』のパーティだと語られるまでを描いた冒険の物語である! (160話で完結予定) 元タイトル 「雑用係の回復術士、【魔力無限】なのに専属ギルドから戦力外通告を受けて追放される〜でも、ケモ耳少女とエルフでダンジョン攻略始めたら『伝説』になった。噂を聞いたギルドが戻ってこいと言ってるがお断りします〜」

いきなり異世界って理不尽だ!

みーか
ファンタジー
 三田 陽菜25歳。会社に行こうと家を出たら、足元が消えて、気付けば異世界へ。   自称神様の作った機械のシステムエラーで地球には帰れない。地球の物は何でも魔力と交換できるようにしてもらい、異世界で居心地良く暮らしていきます!

【しっかり書き換え版】『異世界でたった1人の日本人』~ 異世界で日本の神の加護を持つたった1人の男~

石のやっさん
ファンタジー
12/17 13時20分 HOT男性部門1位 ファンタジー日間 1位 でした。 ありがとうございます 主人公の神代理人(かみしろ りひと)はクラスの異世界転移に巻き込まれた。 転移前に白い空間にて女神イシュタスがジョブやスキルを与えていたのだが、理人の番が来た時にイシュタスの顔色が変わる。「貴方神臭いわね」そう言うと理人にだけジョブやスキルも与えずに異世界に転移をさせた。 ジョブやスキルの無い事から早々と城から追い出される事が決まった、理人の前に天照の分体、眷属のアマ=テラス事『テラスちゃん』が現れた。 『異世界の女神は誘拐犯なんだ』とリヒトに話し、神社の宮司の孫の理人に異世界でも生きられるように日本人ならではの力を授けてくれた。 ここから『異世界でたった1人の日本人、理人の物語』がスタートする 「『異世界でたった1人の日本人』 私達を蔑ろにしチート貰ったのだから返して貰いますね」が好評だったのですが...昔に書いて小説らしくないのでしっかり書き始めました。

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

貧弱の英雄

カタナヅキ
ファンタジー
この世界では誰もが生まれた時から「異能」と「レベル」呼ばれる能力を身に付けており、人々はレベルを上げて自分の能力を磨き、それに適した職業に就くのが当たり前だった。しかし、山奥で捨てられていたところを狩人に拾われ、後に「ナイ」と名付けられた少年は「貧弱」という異能の中でも異質な能力を身に付けていた。 貧弱の能力の効果は日付が変更される度に強制的にレベルがリセットされてしまい、生まれた時からナイは「レベル1」だった。どれだけ努力してレベルを上げようと日付変わる度にレベル1に戻ってしまい、レベルで上がった分の能力が低下してしまう。 自分の貧弱の技能に悲観する彼だったが、ある時にレベルを上昇させるときに身に付ける「SP」の存在を知る。これを使用すれば「技能」と呼ばれる様々な技術を身に付ける事を知り、レベルが毎日のようにリセットされる事を逆に利用して彼はSPを溜めて数々の技能を身に付け、落ちこぼれと呼んだ者達を見返すため、底辺から成り上がる―― ※修正要請のコメントは対処後に削除します。

処理中です...