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第四十章 希少鉱石の国で学ぶ人と神の習性
啜るものは
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指示されるままに車椅子を押してたどり着いたのは質素な一軒家だった。とても国内シェア七割を占める魔石の採掘や牧場経営を行っている者の家とは思えない。
『……ここ、ですか? 何か……思ってたより小さいですね』
「うん、ご飯食べて寝るだけだからね~」
『ぁー……そうなんですか』
豪邸などには興味が無いと? だとしても誰か雇えばいいのに。一人でも雇っていれば椅子を倒しても段差に引っかかっても大丈夫だろう。
「……ね~、脱いでい~い?」
『へ? 何をです?』
「これ……窮屈なんだよね~」
スメラギは頭から被ったボロ布を捲り、身体中をミイラのようにぐるぐる巻きにした黒い革製の帯を見せる。
『……僕は、別にいいですけど』
そう答えるとスメラギはボロ布をコート掛けに引っ掛け、仮面を机の上に置いた。黒い帯は頭のてっぺんから爪先まで巻かれている。彼はそれを頭の方から解いていき、その肉体を晒す。
『……っ! ぅっ……』
黒い帯が全て床に落ちた時、僕は吐き気を抑えるので精一杯で何も言えずに居た。人の形から離れた頭部と手には鱗が生え、腕は長く垂れ下がり骨がないような動きをしている。人の身体を借りていると言っていたから、先程まで人型にしか見えなかったから、油断していた。この程度の異形なら見慣れているはずなのに恐怖がなかなか引っ込まない。
「…………やっぱり~、いや?」
鱗がまばらに生えた顔の部分は羽根を毟っている最中の鳥の肌のようで気持ち悪い。切り落とされたのか穴だけが見える鼻も、僅かに尖った口元も、死んだ魚のように濁って焦点の合わない瞳も、何もかもが気色悪い。
『いっ、いえ、人間の姿だと思っていたので、驚いただけです』
「そう~? 本当に~? 大丈夫?~」
彼は僕の気分を伺ってか首を交互に左右に傾げる。仕草だけ抜き出せば愛らしいが、見た目が気色悪いのでどうにもならない。
『……人間の身体を使ってるんですよね?』
「うん、もらった時はこんなんじゃなかったよ~、なんかいつの間にかこうなってたんだ~」
にゅるにゅると骨がないような動きをする腕はイカやタコの触腕のようにも思えてきた。いつの間にかこうなっていたということは、彼が取り憑いている影響ということだろうか? 所詮邪神は邪神か……
『…………ご飯、何食べるんです?』
「僕はこれ。君は……ん~、甘いの好き~?」
『え? ええ……好きです』
「じゃ、待ってて~」
スメラギは両腕を床につき、ずるずるぺたぺたと足を引き摺って奥の部屋に引っ込んだ。車椅子がなくても移動はできるようだが、やはり足は使えないらしい。伸びた腕を使って歩くのは流石に人間離れし過ぎていて人前では使えないのだろう。にしても、黒い帯で巻いて固定しただけで長さと柔らかさを誤魔化すとは……どれだけキツく巻いているのか気になるな。
『……これ、何だろ』
スメラギは自分の食事が入っているらしい缶を置いて奥の部屋に行った。灯油でも入っていそうな形の缶は食品用には見えない。何か変わった物を食べているのかもと蓋を開けて中身を覗く、当然のことながら僕自身で光が遮られてよく見えない。そっと指を突っ込み、柔らかい中身を掬って元通りに蓋を閉める。
『ピンク色……んー、見覚えあるようなないような』
口に含んで味を確かめる。しかし僕の舌では繊細な味は分からない。とろっとした舌触りにどこか肉っぽい匂い、噛む必要もなく溶けて喉を落ちていく感覚……食べたことのない物だ。
『…………後で聞こ』
しばらくすると机に分厚いトーストが置かれる、ほぼ立方体だ。中はくり抜いた後に再び入れたらしき細かく切られたパン、蜂蜜やクリームなどで満たされていた。照明を反射するそのスイーツは僕には黄金に輝いて見えた。
「はにとー、っていうんだってさ~……ど~ぉ?」
『……めっちゃくちゃ美味しそうです! 本当にいただいちゃっていいんですか?』
「僕食べないし~、食べてもらわないと困るな~……うん、是非、食べて」
蜂蜜もクリームも大好きだ。パンは好き嫌いという枠に当てはまらないけれど、もちろん嫌いではない。
強い甘味は僕の舌にも味を分からせてくれる。強い匂いは鈍い味覚を補助する嗅覚に十二分の働きをさせてくれる。量には少し驚いたが一昨日くらいから何も食べていないし、この美味しさならいくらでもいける。
『んー……美味し。あの、これお酒入ってます?』
「さぁ……スメラギ君が置いてたやつ使ったから詳しくは分かんないなぁ~」
仄かに酒の香りがする。この程度なら風味として上品だし、良い隠し味だと思う。
いくらでもいけると思っていたけれど、一つ食べればもう腹いっぱいだ。完食できただけ良しとしよう。
『ごちそうさまでした。あの、会議再開って何時頃でしょう』
「んー……ぼちぼち行こうか~。帯と腕振り回しちゃって危ないから~外で待ってて~」
帯を巻くのを手伝わされると思っていたが、その反対だった。もしかして本当に善良なだけの邪神も居るのだろうかと胸に温かいものを感じつつ、机と椅子と車椅子の位置を調整してから外に出た。
ヘルが出ていった後、室内。スメラギは……スメラギの身体を使っているモノは深いため息をついた。ハニートーストを乗せていた皿に骨のない手をぺたんと触れさせ、その手を顔の前に持ち上げて香りを嗅ぐ。
「……睡眠薬、一瓶入れたのになぁ~。新支配者のあだ名は伊達じゃないね~」
蜂蜜や生クリームのベタつきを布巾で拭い、黒い帯を身体に巻き付けていく。その行為にヘルに言ったような危険は全くない。
「のーみそ美味しいんだろ~な~……まぁ、同盟組むってのが賢い使い方だよね~、湖まで来て欲しかったけど~、あの薬効かないならダメだね~、諦め~」
机の下を隠すように垂れ下がった大きなテーブルクロスを押し上げて魔獣のようで魔獣ではなさそうな生き物が現れる。机の下に隠れていた蟻や蜂に似た、どこか土竜や腐乱死体を連想させる奇妙な生き物はスメラギを見上げて首を傾げた。
「うん、失敗だよ~。まぁダメ元だったけどね~、贄どころか脳もくれなさそうだよ~。君達じゃ抑えらんなさそうだし~…………クトゥルフ潰すまでは、協力的に見せないと」
黒い帯を胸の辺りまで巻くと車椅子に座り、腕を人間の姿として不自然ではない長さに抑えて帯を巻く。ぎっちりと締められた腕は歪だ。スメラギは難所を越えたと一息ついて、帯で頭のてっぺんまで覆って身支度を整えた。仮面とボロ布を被ったらキツく縛られて動きが鈍った腕を使って車椅子を動かす。
「留守番お願いね~」
机の下から出てきた翼を生やした生物に声をかけ、家を出た。
腕や帯を振り回してしまって危ないからと外で待っているのだが、家の中から物音は聞こえてこない。布を擦る音なら時々聞こえるけれど、特に危険は感じない。
「お~また~……せ。待った~?」
扉が開き、隙間から出てきたボロ布の下の仮面が傾く。
『いえ、そんなには。じゃあ、えっと……会議、どこでしたっけ』
施設の外観は覚えているけれど、見える距離にはないし方向すら分からない。スメラギが場所を覚えていなければたどり着けないだろう。一度通った道は全て覚えるはずの僕だが、たまにはこんなミスもする。
「向こうかな~? うん、向こうだよ~」
『分かりました。ぁ、椅子押しますね』
車椅子を押して進む。スメラギは道を覚えていたようだ、この国に住んでいるのだから当然とも言えるけれど、ありがたい。
『……そういえばスメラギさん、お昼あれ何食べてたんですか?』
なんとなく覚えがあるような気もするが、食べても何なのか分からなかった。つまみ食いしたということは隠して何だったのかだけ聞いておこう。
「ん~? ぁ~、あんまり食べないのかなぁ。なずきだよ~、うん、今度食べる~?」
『なずき……いえ、大丈夫です』
不味くはなかったけれど美味しくもなかった。彼はストローで啜っていたけれど、その勢いで口に入れるのははばかられる味だった。
しかし、なずきとは何だろう。豆の仲間かな? あずきに近かったり……いや、肉っぽい匂いがしていた。ロースやヒレのような部位名だろうか。
『……あれ?』
名を聞いてさらに深まった彼の食事の謎に頭を悩ませていると、前から黒い垂れ耳の犬が走ってくるのが見えた。
『……ここ、ですか? 何か……思ってたより小さいですね』
「うん、ご飯食べて寝るだけだからね~」
『ぁー……そうなんですか』
豪邸などには興味が無いと? だとしても誰か雇えばいいのに。一人でも雇っていれば椅子を倒しても段差に引っかかっても大丈夫だろう。
「……ね~、脱いでい~い?」
『へ? 何をです?』
「これ……窮屈なんだよね~」
スメラギは頭から被ったボロ布を捲り、身体中をミイラのようにぐるぐる巻きにした黒い革製の帯を見せる。
『……僕は、別にいいですけど』
そう答えるとスメラギはボロ布をコート掛けに引っ掛け、仮面を机の上に置いた。黒い帯は頭のてっぺんから爪先まで巻かれている。彼はそれを頭の方から解いていき、その肉体を晒す。
『……っ! ぅっ……』
黒い帯が全て床に落ちた時、僕は吐き気を抑えるので精一杯で何も言えずに居た。人の形から離れた頭部と手には鱗が生え、腕は長く垂れ下がり骨がないような動きをしている。人の身体を借りていると言っていたから、先程まで人型にしか見えなかったから、油断していた。この程度の異形なら見慣れているはずなのに恐怖がなかなか引っ込まない。
「…………やっぱり~、いや?」
鱗がまばらに生えた顔の部分は羽根を毟っている最中の鳥の肌のようで気持ち悪い。切り落とされたのか穴だけが見える鼻も、僅かに尖った口元も、死んだ魚のように濁って焦点の合わない瞳も、何もかもが気色悪い。
『いっ、いえ、人間の姿だと思っていたので、驚いただけです』
「そう~? 本当に~? 大丈夫?~」
彼は僕の気分を伺ってか首を交互に左右に傾げる。仕草だけ抜き出せば愛らしいが、見た目が気色悪いのでどうにもならない。
『……人間の身体を使ってるんですよね?』
「うん、もらった時はこんなんじゃなかったよ~、なんかいつの間にかこうなってたんだ~」
にゅるにゅると骨がないような動きをする腕はイカやタコの触腕のようにも思えてきた。いつの間にかこうなっていたということは、彼が取り憑いている影響ということだろうか? 所詮邪神は邪神か……
『…………ご飯、何食べるんです?』
「僕はこれ。君は……ん~、甘いの好き~?」
『え? ええ……好きです』
「じゃ、待ってて~」
スメラギは両腕を床につき、ずるずるぺたぺたと足を引き摺って奥の部屋に引っ込んだ。車椅子がなくても移動はできるようだが、やはり足は使えないらしい。伸びた腕を使って歩くのは流石に人間離れし過ぎていて人前では使えないのだろう。にしても、黒い帯で巻いて固定しただけで長さと柔らかさを誤魔化すとは……どれだけキツく巻いているのか気になるな。
『……これ、何だろ』
スメラギは自分の食事が入っているらしい缶を置いて奥の部屋に行った。灯油でも入っていそうな形の缶は食品用には見えない。何か変わった物を食べているのかもと蓋を開けて中身を覗く、当然のことながら僕自身で光が遮られてよく見えない。そっと指を突っ込み、柔らかい中身を掬って元通りに蓋を閉める。
『ピンク色……んー、見覚えあるようなないような』
口に含んで味を確かめる。しかし僕の舌では繊細な味は分からない。とろっとした舌触りにどこか肉っぽい匂い、噛む必要もなく溶けて喉を落ちていく感覚……食べたことのない物だ。
『…………後で聞こ』
しばらくすると机に分厚いトーストが置かれる、ほぼ立方体だ。中はくり抜いた後に再び入れたらしき細かく切られたパン、蜂蜜やクリームなどで満たされていた。照明を反射するそのスイーツは僕には黄金に輝いて見えた。
「はにとー、っていうんだってさ~……ど~ぉ?」
『……めっちゃくちゃ美味しそうです! 本当にいただいちゃっていいんですか?』
「僕食べないし~、食べてもらわないと困るな~……うん、是非、食べて」
蜂蜜もクリームも大好きだ。パンは好き嫌いという枠に当てはまらないけれど、もちろん嫌いではない。
強い甘味は僕の舌にも味を分からせてくれる。強い匂いは鈍い味覚を補助する嗅覚に十二分の働きをさせてくれる。量には少し驚いたが一昨日くらいから何も食べていないし、この美味しさならいくらでもいける。
『んー……美味し。あの、これお酒入ってます?』
「さぁ……スメラギ君が置いてたやつ使ったから詳しくは分かんないなぁ~」
仄かに酒の香りがする。この程度なら風味として上品だし、良い隠し味だと思う。
いくらでもいけると思っていたけれど、一つ食べればもう腹いっぱいだ。完食できただけ良しとしよう。
『ごちそうさまでした。あの、会議再開って何時頃でしょう』
「んー……ぼちぼち行こうか~。帯と腕振り回しちゃって危ないから~外で待ってて~」
帯を巻くのを手伝わされると思っていたが、その反対だった。もしかして本当に善良なだけの邪神も居るのだろうかと胸に温かいものを感じつつ、机と椅子と車椅子の位置を調整してから外に出た。
ヘルが出ていった後、室内。スメラギは……スメラギの身体を使っているモノは深いため息をついた。ハニートーストを乗せていた皿に骨のない手をぺたんと触れさせ、その手を顔の前に持ち上げて香りを嗅ぐ。
「……睡眠薬、一瓶入れたのになぁ~。新支配者のあだ名は伊達じゃないね~」
蜂蜜や生クリームのベタつきを布巾で拭い、黒い帯を身体に巻き付けていく。その行為にヘルに言ったような危険は全くない。
「のーみそ美味しいんだろ~な~……まぁ、同盟組むってのが賢い使い方だよね~、湖まで来て欲しかったけど~、あの薬効かないならダメだね~、諦め~」
机の下を隠すように垂れ下がった大きなテーブルクロスを押し上げて魔獣のようで魔獣ではなさそうな生き物が現れる。机の下に隠れていた蟻や蜂に似た、どこか土竜や腐乱死体を連想させる奇妙な生き物はスメラギを見上げて首を傾げた。
「うん、失敗だよ~。まぁダメ元だったけどね~、贄どころか脳もくれなさそうだよ~。君達じゃ抑えらんなさそうだし~…………クトゥルフ潰すまでは、協力的に見せないと」
黒い帯を胸の辺りまで巻くと車椅子に座り、腕を人間の姿として不自然ではない長さに抑えて帯を巻く。ぎっちりと締められた腕は歪だ。スメラギは難所を越えたと一息ついて、帯で頭のてっぺんまで覆って身支度を整えた。仮面とボロ布を被ったらキツく縛られて動きが鈍った腕を使って車椅子を動かす。
「留守番お願いね~」
机の下から出てきた翼を生やした生物に声をかけ、家を出た。
腕や帯を振り回してしまって危ないからと外で待っているのだが、家の中から物音は聞こえてこない。布を擦る音なら時々聞こえるけれど、特に危険は感じない。
「お~また~……せ。待った~?」
扉が開き、隙間から出てきたボロ布の下の仮面が傾く。
『いえ、そんなには。じゃあ、えっと……会議、どこでしたっけ』
施設の外観は覚えているけれど、見える距離にはないし方向すら分からない。スメラギが場所を覚えていなければたどり着けないだろう。一度通った道は全て覚えるはずの僕だが、たまにはこんなミスもする。
「向こうかな~? うん、向こうだよ~」
『分かりました。ぁ、椅子押しますね』
車椅子を押して進む。スメラギは道を覚えていたようだ、この国に住んでいるのだから当然とも言えるけれど、ありがたい。
『……そういえばスメラギさん、お昼あれ何食べてたんですか?』
なんとなく覚えがあるような気もするが、食べても何なのか分からなかった。つまみ食いしたということは隠して何だったのかだけ聞いておこう。
「ん~? ぁ~、あんまり食べないのかなぁ。なずきだよ~、うん、今度食べる~?」
『なずき……いえ、大丈夫です』
不味くはなかったけれど美味しくもなかった。彼はストローで啜っていたけれど、その勢いで口に入れるのははばかられる味だった。
しかし、なずきとは何だろう。豆の仲間かな? あずきに近かったり……いや、肉っぽい匂いがしていた。ロースやヒレのような部位名だろうか。
『……あれ?』
名を聞いてさらに深まった彼の食事の謎に頭を悩ませていると、前から黒い垂れ耳の犬が走ってくるのが見えた。
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