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第三十九章 君臨する支配者は決定事項に咽ぶ
鎹の笑顔
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教育上よろしくない罵声飛び交うダイニングから離れ、フェルは開かないと言われていたリビングに向かった。
『あれ……? 開くじゃん』
ドアノブは簡単に回り、扉は軽く開いた。
『きゃうぅ……わふっ、わふっ』
『クラールちゃん? どうしたの?』
フェルの腕に抱かれたクラールは鼻を前足で押さえるような仕草をして、甲高い鳴き声を上げて顔を振る。
『んー……? ぁ、アロマ炊いてる。クラールちゃんこの匂いダメ?』
獣は大抵苦手だ、というよりアロマは大半の動物に対して有害だ。そんなことは知らないフェルはただクラールには合わない香りなのだろうと思い、リビングを離れた。
『お兄ちゃんどこ行ったんだろ……お兄ちゃーん! お兄ちゃーん? どこー?』
『…………ぁおー……ん、わぉーーーん……』
フェルがヘルを探すのに反応してクラールは遠吠えをする。自分に反応したとは思わないフェルはクラールもヘルを探しているのだと微笑ましくなり、更に声を張り上げた。
遠吠えが聞こえる。フェルの声もだ。
クラールとフェルが僕を探しているらしい、部屋に放置してしまっていたからだろう。クラールはご飯を食べさせてもらっただろうか、どんな理由があっても子供を放っておくなんて最低なことをしてしまった。
『……はーい』
まだクラールを受け取ることは出来ないけれど、とりあえず顔は見せておかなければ。
『お兄ちゃん! お風呂入ってたの?』
『うん……まだ途中。クラール、ごめんね、寂しかった? もう少し待っててね……フェル、クラールもう少しお願いできる?』
『ぁ、うん、もちろん……お姉ちゃんは一緒?』
湯で温まった身体がどんどんと冷えていく。床に水滴が落ちる音が嫌に耳につく。
『アルは部屋で寝てるよ』
『そっか、じゃあクラールちゃんお部屋行こっか、お母さん居るって』
『ぁー……アル疲れてるからさ、悪いけど……』
『え? そっか……分かった。お母さんおねんねだってさクラールちゃん、また後でね』
クマのぬいぐるみを抱いて耳を噛んでいるクラールを見ていると癒される。早くこの腕の中に戻ってきてもらいたいものだ、鬱陶しいくらいに伸びた髪を早く洗ってしまわなければ。
『お兄ちゃん、お姉ちゃん出てったって聞いたけど大丈夫だったの? リビング入れなかったってにいさま言ってたよ?』
『あぁ、入水図っちゃって……無理矢理連れて帰ったから暴れててさ。にいさまも兄さんもベルゼブブもアルとあんまり折り合いよくないし、来てもらいたくないなって……二人でゆっくり話したかったしね、椅子とか壊れてるのあると思うし、謝っておいて』
『ううん! 大丈夫なら良かった、にいさまも多分怒ってるわけじゃないと思うし……あ、椅子は僕が戻しておくよ』
『そう……ありがと、フェル』
良い弟を持ったものだ。白と黒のくせっ毛を撫でようとして、自分の手が濡れていることを思い出す。
フェルにもクラールにも触れられない手を振り、二人を見送った。
フェルが訪ねてきてからしばらく、風呂を終えた僕はクラールを迎えに行かずに部屋に戻った。ベッドで眠っているアルの頭を撫で、ピクっと跳ねた耳をつついて寝ぼけ眼に自分を映した。
『おはよ、アル』
アルは何も答えない。まだ眠いのだろう。
『ねぇ、アル……もう死にたいなんて言わないよね?』
眠たくても答えてもらわなければいけないことはある。目の前で母親が死にたいなんて言い出しては困る、クラールを迎えに行く前にアルの精神状態を安定させておかなければ。
『……あぁ』
『良かった……僕のこと好き?』
『…………あぁ』
短い返事だが、虚ろな瞳は嘘を考えていないと示しているように思える。
『ヘル……ごめんなさい』
『いいよ、あんなこと言われたらちょっとくらい不安定になるって。今までアルはしっかりし過ぎてたんだ、これからは僕に話してね』
アルのように完璧に見せている素晴らしい人ほどガス抜きは必要だ。そんな人が気を抜ける相手だと思われるのはとても名誉なことだ。
『貴方を……そんな人にしてしまった。ごめんなさい……ごめんなさい、ヘル、そんなふうに……なるなんて』
『…………アル?』
『ごめんなさいっ、ごめんなさい……』
『な、何謝ってるの? 僕怒ってないよ?』
まだ調子は戻っていないようだ。ゆっくり時間をかけて慰めていかなければ。
僕はベッドに乗ってアルの頭を膝に乗せ、優しく背を撫でた。
『アル……大丈夫? 僕、何も怒ってないよ。アルのこと大好き、愛してる……だから、何も謝らなくていいんだよ』
『…………貴方に愛されたいなんて思うべきじゃなかった』
『アル……? アル、僕のこと嫌い?』
『好きだよ。大好き……愛しているとも、この世の何よりも、誰よりも……』
僕のことを好きなら愛されたいと思って然るべきだろう。アルの考えはよく分からない、アルはまだ混乱しているのだろうか。
『……私が貴方を狂わせてしまった』
僕は狂ってはいない。普通からズレているかもしれないけれど、異常とまで言われるほどではない。
『私は歪んだ貴方が大好きだ……気持ちの悪い愛情を押し付けられるのが堪らない。私がそうやって自分勝手に貴方を育てたから………………ごめんなさい、ヘル。出会った頃はちゃんと真っ直ぐに育ててあげるつもりだったんだ』
歪んでいるだとか気持ち悪いだとか、やはりアルは僕のことを嫌いになっているのではないだろうか。
『愛しているよ、ヘル。ここまで歪んでしまったらもう貴方を私から離す訳にはいかない。最後まで……いや、永遠に、私だけを愛していて、ヘル』
『…………うん』
言葉の端々に引っかかるものはあるけれど、アルは僕の愛撫にうっとりと目を閉じている。アルの方から「愛して」なんて言ってくるのは珍しいし、昨晩の一件は結果的に見れば愛を深めることになったのだ。だからと言ってベルゼブブを許す訳にはいかないけれど。
『ヘル……もう、子供は作らないでおこう。私は幸せになれる子は産めない』
四人目からは大人になれると聞いたけれど、昨日ベルゼブブに聞いた原因を取り除く方法は分かっていない。僕を真似る確率が四分の一だなんてそんなふざけた話ではないだろう。きっと取り除く方法がこの先分かるのだ、その先に四人目が居るのだ。時を待とう。
『分かったよ、アル。でも……幸せになれないって決めるのはやめて、ドッペルとハルプはありがとうって言ってくれた、大好きって言ってくれた……クラールもずっと楽しそうにしてる。あの子達は自分は幸せだって思ってるはずだよ、だから……あの子達を否定しないで』
『…………そんなつもりじゃなかったんだ。済まないな、ヘル。私は言葉選びが悪いらしい、いつも貴方を傷付けている』
今傷付けたのは子供達だろう。本当に言い方が下手だ。
『大丈夫、アルからの傷なら嬉しいから』
『……馬鹿を言うな』
『ふふ……ごめんね。アル、そろそろ落ち着いた? フェルにクラール預けてるんだけど』
『そうなのか、済まないな、迷惑をかけた。弟君にも謝っておいてくれ』
表情や声色から判断して、アルの調子は元に戻った。完全とは言えないかもしれないけれど、少なくとも死にたがったりはしないはずだ。
『うん、じゃあ迎えに行ってくるから、ちょっと待っててね』
不老不死なのだ、嫌になることだって多いだろう。けれどずっと二人で居れば、愛し合って支え合っていれば、きっと生きていける。
ベッドを降りてアルの頬に手を添え、少し屈んで眉間に唇を触れさせる。アルは照れくさそうに顔を振って、僕の手に頬を擦り寄せた。
『あれ……? 開くじゃん』
ドアノブは簡単に回り、扉は軽く開いた。
『きゃうぅ……わふっ、わふっ』
『クラールちゃん? どうしたの?』
フェルの腕に抱かれたクラールは鼻を前足で押さえるような仕草をして、甲高い鳴き声を上げて顔を振る。
『んー……? ぁ、アロマ炊いてる。クラールちゃんこの匂いダメ?』
獣は大抵苦手だ、というよりアロマは大半の動物に対して有害だ。そんなことは知らないフェルはただクラールには合わない香りなのだろうと思い、リビングを離れた。
『お兄ちゃんどこ行ったんだろ……お兄ちゃーん! お兄ちゃーん? どこー?』
『…………ぁおー……ん、わぉーーーん……』
フェルがヘルを探すのに反応してクラールは遠吠えをする。自分に反応したとは思わないフェルはクラールもヘルを探しているのだと微笑ましくなり、更に声を張り上げた。
遠吠えが聞こえる。フェルの声もだ。
クラールとフェルが僕を探しているらしい、部屋に放置してしまっていたからだろう。クラールはご飯を食べさせてもらっただろうか、どんな理由があっても子供を放っておくなんて最低なことをしてしまった。
『……はーい』
まだクラールを受け取ることは出来ないけれど、とりあえず顔は見せておかなければ。
『お兄ちゃん! お風呂入ってたの?』
『うん……まだ途中。クラール、ごめんね、寂しかった? もう少し待っててね……フェル、クラールもう少しお願いできる?』
『ぁ、うん、もちろん……お姉ちゃんは一緒?』
湯で温まった身体がどんどんと冷えていく。床に水滴が落ちる音が嫌に耳につく。
『アルは部屋で寝てるよ』
『そっか、じゃあクラールちゃんお部屋行こっか、お母さん居るって』
『ぁー……アル疲れてるからさ、悪いけど……』
『え? そっか……分かった。お母さんおねんねだってさクラールちゃん、また後でね』
クマのぬいぐるみを抱いて耳を噛んでいるクラールを見ていると癒される。早くこの腕の中に戻ってきてもらいたいものだ、鬱陶しいくらいに伸びた髪を早く洗ってしまわなければ。
『お兄ちゃん、お姉ちゃん出てったって聞いたけど大丈夫だったの? リビング入れなかったってにいさま言ってたよ?』
『あぁ、入水図っちゃって……無理矢理連れて帰ったから暴れててさ。にいさまも兄さんもベルゼブブもアルとあんまり折り合いよくないし、来てもらいたくないなって……二人でゆっくり話したかったしね、椅子とか壊れてるのあると思うし、謝っておいて』
『ううん! 大丈夫なら良かった、にいさまも多分怒ってるわけじゃないと思うし……あ、椅子は僕が戻しておくよ』
『そう……ありがと、フェル』
良い弟を持ったものだ。白と黒のくせっ毛を撫でようとして、自分の手が濡れていることを思い出す。
フェルにもクラールにも触れられない手を振り、二人を見送った。
フェルが訪ねてきてからしばらく、風呂を終えた僕はクラールを迎えに行かずに部屋に戻った。ベッドで眠っているアルの頭を撫で、ピクっと跳ねた耳をつついて寝ぼけ眼に自分を映した。
『おはよ、アル』
アルは何も答えない。まだ眠いのだろう。
『ねぇ、アル……もう死にたいなんて言わないよね?』
眠たくても答えてもらわなければいけないことはある。目の前で母親が死にたいなんて言い出しては困る、クラールを迎えに行く前にアルの精神状態を安定させておかなければ。
『……あぁ』
『良かった……僕のこと好き?』
『…………あぁ』
短い返事だが、虚ろな瞳は嘘を考えていないと示しているように思える。
『ヘル……ごめんなさい』
『いいよ、あんなこと言われたらちょっとくらい不安定になるって。今までアルはしっかりし過ぎてたんだ、これからは僕に話してね』
アルのように完璧に見せている素晴らしい人ほどガス抜きは必要だ。そんな人が気を抜ける相手だと思われるのはとても名誉なことだ。
『貴方を……そんな人にしてしまった。ごめんなさい……ごめんなさい、ヘル、そんなふうに……なるなんて』
『…………アル?』
『ごめんなさいっ、ごめんなさい……』
『な、何謝ってるの? 僕怒ってないよ?』
まだ調子は戻っていないようだ。ゆっくり時間をかけて慰めていかなければ。
僕はベッドに乗ってアルの頭を膝に乗せ、優しく背を撫でた。
『アル……大丈夫? 僕、何も怒ってないよ。アルのこと大好き、愛してる……だから、何も謝らなくていいんだよ』
『…………貴方に愛されたいなんて思うべきじゃなかった』
『アル……? アル、僕のこと嫌い?』
『好きだよ。大好き……愛しているとも、この世の何よりも、誰よりも……』
僕のことを好きなら愛されたいと思って然るべきだろう。アルの考えはよく分からない、アルはまだ混乱しているのだろうか。
『……私が貴方を狂わせてしまった』
僕は狂ってはいない。普通からズレているかもしれないけれど、異常とまで言われるほどではない。
『私は歪んだ貴方が大好きだ……気持ちの悪い愛情を押し付けられるのが堪らない。私がそうやって自分勝手に貴方を育てたから………………ごめんなさい、ヘル。出会った頃はちゃんと真っ直ぐに育ててあげるつもりだったんだ』
歪んでいるだとか気持ち悪いだとか、やはりアルは僕のことを嫌いになっているのではないだろうか。
『愛しているよ、ヘル。ここまで歪んでしまったらもう貴方を私から離す訳にはいかない。最後まで……いや、永遠に、私だけを愛していて、ヘル』
『…………うん』
言葉の端々に引っかかるものはあるけれど、アルは僕の愛撫にうっとりと目を閉じている。アルの方から「愛して」なんて言ってくるのは珍しいし、昨晩の一件は結果的に見れば愛を深めることになったのだ。だからと言ってベルゼブブを許す訳にはいかないけれど。
『ヘル……もう、子供は作らないでおこう。私は幸せになれる子は産めない』
四人目からは大人になれると聞いたけれど、昨日ベルゼブブに聞いた原因を取り除く方法は分かっていない。僕を真似る確率が四分の一だなんてそんなふざけた話ではないだろう。きっと取り除く方法がこの先分かるのだ、その先に四人目が居るのだ。時を待とう。
『分かったよ、アル。でも……幸せになれないって決めるのはやめて、ドッペルとハルプはありがとうって言ってくれた、大好きって言ってくれた……クラールもずっと楽しそうにしてる。あの子達は自分は幸せだって思ってるはずだよ、だから……あの子達を否定しないで』
『…………そんなつもりじゃなかったんだ。済まないな、ヘル。私は言葉選びが悪いらしい、いつも貴方を傷付けている』
今傷付けたのは子供達だろう。本当に言い方が下手だ。
『大丈夫、アルからの傷なら嬉しいから』
『……馬鹿を言うな』
『ふふ……ごめんね。アル、そろそろ落ち着いた? フェルにクラール預けてるんだけど』
『そうなのか、済まないな、迷惑をかけた。弟君にも謝っておいてくれ』
表情や声色から判断して、アルの調子は元に戻った。完全とは言えないかもしれないけれど、少なくとも死にたがったりはしないはずだ。
『うん、じゃあ迎えに行ってくるから、ちょっと待っててね』
不老不死なのだ、嫌になることだって多いだろう。けれどずっと二人で居れば、愛し合って支え合っていれば、きっと生きていける。
ベッドを降りてアルの頬に手を添え、少し屈んで眉間に唇を触れさせる。アルは照れくさそうに顔を振って、僕の手に頬を擦り寄せた。
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