魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第三十九章 君臨する支配者は決定事項に咽ぶ

おはよう

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時を遡り、今日は隣国──神降の国の王と会談の予定。けれどそれはライアーに任せ、僕は酒色の国上空に居た。国を覆うドーム状の結界の頂点に踵を乗せて、翼を広げることもなくふわふわと浮いている。
太陽の位置が目に見えて変わるくらいの時間が経って、磨りガラスを引っ掻くような醜い声が聞こえる。

『来たっ……!』

翼を広げて結界を蹴って空中を進み、その声を上げた鳥の首を掴み、折る。

『へっ……? 魔物使い!? なんで!』

鳥の上に乗っていた男ことナイの胴に腕を巻き、高度を上げて速度も上げる。

『……っ、まさか、鍵……使いこなして……』

酒色の国がある大陸から離れ、眼下に青い海が広がる場所で止まる。

『……雷槍!』

止まったことで隙が出来たか、雷の槍が放たれる。しかし、同時にナイの──正義の国で神学者をやっているとかいうふざけた顕現の心臓を僕の手が貫いていた。

『ヘル、君……』

溢れ出る血の色は赤ではなく、血液ではありえないほどに泡立ち、その液体を扉として鉤爪の生えた手が現れる。

『そういう……イレギュラー…………大好きだ!』

既に死体だろうナイを蹴り飛ばし、海に落ちていく巨大な顕現を眺める。アレはそう長く人界に滞在しない、ここから酒色の国に向かう時間はない。
限界の飛行速度を出して酒色の国に戻れば結界を破れない陶器製の天使達が槍で結界をつついていた。僕は彼らに襲いかかることなく、更に上空に居た肉体と名前を持つ天使達の方へ向かった。

『ま、魔物使い!? 何故っ……』

『……天使に成り代わったと報告した』

慌てるカマエルに顔色一つ変えないレリエルが答える。

『そういう意味じゃない!』

あのナイは神学者で正義の国に居るそうだし、天使達に結界を解いてやるとでも言っていたのだろう。忌むべき邪神と協力してまで潰したいほど、僕は危険視されるようなことをしただろうか。
驚き喚くカマエルの横を通り過ぎ、影のない空中では戦いたくないらしいレリエルの横も過ぎ、向かってきたゼルクをすり抜けて、ザフィの前に。

『お久しぶりです、ザフィお兄さん』

『……魔物使い君?』

『あなたにずっと会いたかった。言いたいことがあったんです』

『………………聞こう』

ザフィは傘を広げて他の天使を制止し、困惑した瞳で僕を見下ろす。
深呼吸して、両手を広げて、推測だけれど一番マシな微笑みを作る。

『……お疲れ様でした、ザフィお兄さん。色々大変だったでしょ、辛かったんでしょう? もういいんですよ、さぁ…………還っておいで、ザフィエル、よく頑張ったね』

『……っ!? ぁ……かみ、さま……?』

『おいで、もう何も考えなくていい、もう何も悩まなくていい、もう何も辛いことなんてないから、さぁ……』

彼の手首を指先でなぞり、力が抜けていく彼の手から傘を奪う。僕の手に移った傘は液体に戻り、剣に再形成される。
微笑んだまま、出来るだけ優しく、ザフィの胸と腹の間に剣を押し込んだ。剣先は翼の丁度真ん中から覗く。
ザフィは目を見開いて、それから心の底から安堵したような顔になって、僕を求めるように手を伸ばした。しかしその手は僕に届く前に水に変わり、僕の身体をすり抜けていった。

『……足高蜘蛛十刀流複写』

ザフィが殺されたことに一拍遅れて気が付いた天使達がこちらに向かってくる。篦鹿の女神から教わった豊穣の力を使う時に生える角が──いや、幾本もの腕が頭から伸び、水の剣を掴む。

『荒舞、黒雨!』

自身の両腕で剣を振るう。剣先が天使の核のようなものを傷付けた感触がある。
篦鹿の角を装った腕の群れが剣を振るう。腕の動きや天使を切った感触が全て頭に伝わり、脳を揺らす。
切って、切って、ひたすらに切って、どれだけやったか結界上部は陶器の破片に覆われていた。しかしそれも今首を掴んでいるカマエルの胸に剣を刺せば、全て消え失せる。これで襲いに来た天使は全て天界へ強制送還、国民は誰一人として死んでいない。

『……やるじゃん、魔物使い』

『あれ、残ってた』

『俺ァ今来たとこだよ、肉体の準備に手間取ってなァ』

皮膚がチリチリと痛む。目の前に炎が揺れる。
炎に縁取られた翼を揺らす赤髪の女の姿をした天使、ウリエルは遅れてやって来た。ほとんど反射で左側頭部に生えた角のような腕が剣を振るうも、彼女に触れる前に蒸発してしまった。

『効くかよ、んな水がよォ。知らねェなら教えてやるぜ魔物使い、最強の属性はなァ……火なんだよ!』

残りの剣の水をまとめて傘に変え、遥か上空に放り投げる。すると途端に黒雲が発生し、滝のような雨が降り始める。

『てめェの目くらまししてどーすんだヴァーカ!』

雨水を蒸発させ続けて視界を奪う炎をまとった剣が僕に向けて振り下ろされた。しかしそれは僕の身体をすり抜ける。

『……ムカつくなァスケスケ野郎!』

『人を変態みたいに言わないでくれないかな!』

反論ついでにウリエルの身体もすり抜けて背後に回り、光すらも透過したせいで見えなくなった僕を探す彼女の翼と翼の隙間に手を入れる。肉体をすり抜けた手は真球を掴み、 引き摺り出した。核を掴まれたことに焦るウリエルに向かって微笑み、水の針で核を穿いた。途端に彼女の肉体は生命活動を止めた。

『……とりあえず、強制送還は出来たかな。でも大した傷じゃない……すぐ復活する……』

蒸気に変わった雨水は新たな雨水に洗い流され、ウリエルの証拠は消えていく。程なくして雨が止むと先程投げた傘が落ちてきたので受け止めて、お疲れ様と微笑みかけてから水に戻して消した。

『後は……えっと、何すればいいかな……』

マスティマの封印は解かれていないはずだけれど、そのまま嬲っても僕の気が晴れるとは思えない。

『そういえば、サタンの部屋に……』

メルの改造に魔界に行った時、サタンにほとんど無理矢理部屋に連れ込まれた時、壁一面の本棚に並んでいた本の題をゆっくりと思い出す。

『……っ!? あれ……? 気のせい、かな』

何かに見られたような、嗅ぎつけられたような、そんな感覚があった。まぁ僕の勘なんて当たる方が稀だ、気にせずに行こう。


持ち運べるようにマスティマの封印陣を地面から彼女の身体に移してもらい、背中に彫られたそれにぎゃあぎゃあ喚く彼女を兄に運ばせた。マンモンに接触しサタンに謁見を望むと、マンモンは渋りながらも魔界の最深部に送り届けてくれた。

『…………それは、真実か?』

マスティマが天使であること、そして一万年前の魔物使いを殺したこと、それを王の御前で話す。分身ではなく本体の彼と話すのはやはりまだ緊張が残る、早く慣れたいものだ。

『ちっ、違いますサタン様! こんな百年も生きてない人間より、何万年も仕えたこのマスティマを信用してくださいますよね!?』

『いい加減に認めろよ』

『黙りなさい! 全部あなたの妄想です! 私は忠実な側近ですよサタン様ぁ!』

サタンは難しい顔をして角の生え際を搔く。彼の目にもマスティマは悪魔にしか見えないのだろう、一体何をどうすればそんな偽装が出来るのか、それには興味があるけれど、きっと教わることは出来ない。

『……そうだ、ねぇサタン、これ知ってるよね』

僕は影から天使達が扱う槍を引っ張り出し、サタンの前に持っていく。

『……………………忌まわしいな』

『昔、足刺されたもんね』

槍に落とされていた視線が僕の顔に向かい、見開かれた金眼の細長い瞳孔が更に細く尖る。爬虫類らしいそれに背筋が寒くなるのを感じた。

『……で?』

『この槍、悪魔は動かせないんだよね。弱い子なら火傷しちゃうし。でも天使は動かせるし、これに貫かれても何ともないんだよ』

槍の詳細な情報は取り込んだザフィのものだ。まだ全て引き出してはいないけれど、彼の知識は僕のものになっている。
だから、陶器製の天使達が下に居る同種を気にせず槍を投げられる理由が分かった。天使にはそもそも損傷を与えられないのだ。

『ほう……? 神力の波長を合わせているのか、成程、では……』

『刺せば、分かる』

『…………いいだろう、やれ』

『ちょっ……! サタン様!?』

『悪魔だろうと貴様なら痛いだけで済むだろう? それで疑いが晴れるなら寧ろ「刺してください」と頭を垂れるべきだ』

そう言って笑う嗜虐的な表情を見て、マスティマが天使だと証明した後の彼の行動に期待が高まる。彼の部屋の壁一面の本棚に並べられていたのは拷問や痛覚に関するものだった、きっとマスティマを残虐に罰してくれるだろう。
恐怖を煽るためにあえてゆっくりと槍を刺していく。残念ながらサタンの好きな悲鳴や苦悶の表情はなく、彼女の体と槍はコーヒーとマドラーのような関係を見せた。

『このまま放っておけばマスティマは僕の子供を殺すんだ、アルにも酷いことをいっぱいする』

槍を影に収納し、いつの間にか玉座から僕の隣に移動していたサタンを見上げる。

『……ねぇ、サタン。この間はお祝いのお花ありがとう、とっても綺麗で気に入ってる。だから、お礼にオモチャを送らせて?』

『…………有難く受け取ろう。この間の始末を追求するつもりだったが──これでいい』

『本当? ありがと。奥さんにも何かいい感じに言っておいて、アルもママ友……? 嫁友? 似た立場の友達欲しいだろうし、仲良くなっておきたいんだ』

肯定の笑いと頭を撫でるというご褒美をもらい、僕はマスティマの罵声を背に兄の手を掴みマンモンの元に向かった。
鞄に入る直前に聞こえた甘美な悲鳴はきっと忘れられないだろう。
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