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第三十八章 乱雑なる国家運営と国家防衛

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零とツヅラとアポロンの口喧嘩を眺めながら、取り上げられた絵本を奪い返してパラパラと捲っていく。文字や絵は見えなければ理解出来ない、物語よりも先に言葉を教えなければ意味がない、そう分かっていても我が子にとって最高の絵本を求めてしまう。

『神様……そういえばトールさんどこ行ったの? また帰った?』

絵本片手に兄の隣に。

『さぁ? ここで会ったっきりだし』

『え、会ってないの? にいさま居なくなってすぐに探しに出てもらったんだけど……』

どこに居たかは知らないけれど、認知湾曲だとかの魔法をかけていれば見つからないだろうし、行き違いになっているのはそうありえない事でもない。けれど、最高の戦力である彼と連絡手段がないのにはぐれたなんて最悪だ。

『会ってないね』

『えー……にいさま探せない?』

『無理だね。彼には君達みたいに魔法陣描いたの渡してないし、探知魔法で地道にやるには範囲が広過ぎる』

捜索範囲はこの世界、いや、充電切れで帰ってしまった可能性もあるからアスガルド全域も。

『……まぁ、今のところは上手く隠れられてるし、結界も張ってるし、大丈夫だと思うけど…………何があるか分からないから居て欲しいんだよね、ベルゼブブも居ないしさ……』

『…………そうだね、僕は頼りないもんね』

兄が僕みたいなことを言うようになった。まぁ僕と違って卑屈より嫌味の要素が強いけれど。

『そ、そういう訳じゃないよ……』

対応が面倒なのでフードを目深に被り直し、俯く──地面に無数の鳥の影。ちょうど群れが上を飛んでいると思えば何の不自然もない。けれど、その量はたとえただの鳥であっても見たくなるものだった。
見上げる──そして背筋が凍る。純白の翼を広げ、槍を持った陶器製と思われる天使の群れを見た。

『ひっ……!?』

思わず息を飲み、アルを抱き寄せる。僕にもアルにもクラールにも最高級の隠匿用魔法が幾重にもかけられている。酒色の国は見つかるようにはしたけれど防護結界があるし、ヴェーン邸は隠してある。
大丈夫だと自分に言い聞かせ、呼吸を整える。

「……零が見つかったって訳じゃないよねぇ」

ツヅラとアポロンも口喧嘩を止め、この場に居る全員が空を見ていた。

『れーいー、俺上向けて…………ぅわ、多っ。神父一人にあんなよーさん来ぇへんて』

「だよ……ねぇ?」

となると──とでも言いたげに零の視線が僕に向く。

『僕は絶対無いです、魔法で見つからないようになってますから』

『絶対……! 信頼してくれてるみたいでお兄ちゃん嬉しいよ』

「……正義の国に攻め込まれる可能性はあっても天使が来るほどでは……獣人達の件だとしてもあんな大勢は……ありえない」

全員心当たりはあるけれどあの規模ではない。安心するには理由が薄過ぎる。

「アポロン! 非常事態宣言の用意! 警戒態勢と戦闘態勢、神具使用可能の血縁を全員集めろ!」

植え込みから国王が姿を現す。ボタンがちぎれてはだけたシャツも、ベルトが抜かれてずり落ちそうになり手で押さえているズボンも気にならないほどに真剣な声色だった。

「父上……ですが先頭はこの国を越えています」

「油断するな。主目的じゃなくてもそれが早く片付いたらこっちに来るって可能性は高いし、やれるならやっとこうで滅ぼされちゃたまらない」

「…………分かりました」

アポロンはその手に光を集め、神具である竪琴を現す。三音弾いて消すと今度は弓を現した。

「ヘルメスへの連絡完了。父上、私はアルテミスの傍に行ってやりたいのですが……」

「好きにしろ、キモがられるだけだ」

「ありがとうございます!」

素早く深く礼をすると城の方へ走っていく。

『いいんですか?』

「天使が来るならここだからな」

『そりゃ獣人居ますから……いや、だったらここに居させた方が』

「ついでに国に攻め込もうってなら一番に狙うのは誰だ? 交渉だけなら誰だ? どっちも俺だ。アレは必要無いし、もしここが滅ぶとなっても……大事な妹とがいいだろうよ」

初めてではないかと思える尊敬出来る発言。こういったもののことを父親らしい……と言うのだろうか、僕には分からない。
天使の群れの最後尾が神降の国を超え、酒色の国を囲む山の上を鳶のように旋回する。

『え……? い、いや……にいさま、結界は』

『壊せる訳ないよ、強化したんだ。前にあった……あの、小さい火属性の奴にだって破れないはずだ』

ミカエルのことだろうか、彼……彼女? は確かに強かった、実質的な天使長だとも聞いた。

『……それなら大丈夫だね』

口ではそう言ったし、頭でもそうとしか考えられない。なのに心がいつまでも不安がって譲らない。
今すぐ酒色の国に戻ろう──そう言おうと思って兄の袖を引く。兄が僕の顔に視線を移し、僕が口を開いたその瞬間、磨り硝子を引っ掻くような醜い鳴き声が響き渡った。また見上げれば蝙蝠のような翼が広がっていた。天使よりは低い高度で魔物らしきモノが飛んでいる。

『………………シャンタク鳥』

『え? にいさま? なんて?』

魔物らしきモノは山を超えて結界に当たる。発動すると一瞬輝き、半透明になる結界。それは次の瞬間に無数の光の粒となって消えた。

『えっ……? 解かれた?』

『……ぁ、んっの……邪神がぁあっ!』

『にいさま!? 待って、僕も……!』

兄は宙に浮かべた空間転移の魔法陣に飛び込み、一人で消えた。
僕はどうするべきだ、兄を追うべきだ。国に戻らなくては、ならアルとクラールは? 結界が解かれた、兄は邪神と叫んだ、ナイが居る。ナイが居るなら二人に巻いたスカーフの魔法に意味は無い。物理的に隠すべき──いや、僕が傍に立って守るべきだ。だが、それでは仲間と国が、兄が……

『…………どうしよう』

アルとクラールを失うくらいなら、後で仲間達の死体を拝んだ方がマシ? 兄を見捨てた方がマシ? 支持してくれた国民達を裏切った方がマシ?
そんな自分からの質問にYESと即答できてしまう自分が嫌いだ。

『ヘル! 何をしている、直ぐに行くぞ!』

アルが叫ぶ。俯いて目を閉ざす。羽音がすぐ傍で聞こえる。

『ヘル! どうしたんだ、早く!』

『どうしたのか分からないなら教えてあげる。尽くしてくれるお兄さんよりも一緒に死線をくぐった仲間よりも見知らぬ大勢の淫魔よりも、キミの方が大切なんだよ』

磨り硝子を引っ掻くような咆哮が間近で轟いた。

『ぁ……ナ、ナイっ!』

馬のような顔の醜い鳥、その背に立った浅黒い肌の男。天使達は酒色の国を襲っているけれど、ナイは僕の方に来た。

『どうも! あらゆる悩みをにゃるっと解決凄腕神父兼超天才神学者、正義の国ぶいあいぴーな邪神様、ナイ君ことニャルラトホテプ参上! なんってね!』

『下がってアル! クラールを守って……早く下がれよアルっ!』

アルの首の後ろを掴んで背後に投げ、影から刀を引っ張り出す。零はツヅラを庇い、国王は神具を呼び出して静観していた。

『そう警戒しないでよ、御三方。ボクは皆に安心と安全をお届けする正義の邪神様だよ?』

『黙れ!』

『うるさいなぁ……キミには用事ないよ、自惚れは良くないなぁー。ボクが用があるのは、同郷で弟子みたいな存在の、可愛い可愛い後輩達だよ』

鳥の上から飛び降りて、重さを感じさせない着地音を鳴らして、零の前で笑みを深める。

「……ぷー、ちゃん…………零に、何の用かなぁ」

『零君、キミさ、親友を助けたくない? 良い話を持ってきたんだよ。いやね、キミ達が正義の国に居た頃は特に何も考えてなかったんだけど、独り立ちするとやっぱり気になってねぇ。考えてると可哀想になったから色々考えたんだよボク』

嘘だけを並べている、僕はそう確信した。ライアーより余程嘘吐きだ。

『ボクねぇ、人間の絆って大好きなんだ。美しい友情、自己犠牲精神、尊いよねぇ。それを見せてよ。ボクの姪孫は竜一君の身体微妙って言っててねぇ、キミのを試させてあげたいんだ。だから丁度良いなって』

「…………どういう意味かなぁ」

『ここまで丁寧に言っても分からないのかい? 愚図だねぇ人間って、そういうところ大好きさ。つまりね、零君、キミ──竜一君の代わりに生贄になりなよ』

「………………生贄」

『クトゥルフはどうしても他の奴と差をつけたいみたいでねぇ、星辰が揃うより早く活動したいんだって。だから適当な人間とかの体が欲しいってさ。依代さ、零君。どう? 良い話だろ? 親友を救えるなら自分なんてどうでもいい、そう言ってよ』

鳥を模したマスクのせいで零の表情は読めない。だが、微かに震える腕から迷っているのだとは分かる。恩人である零をそんな目に遭わせる訳にはいかないし、何よりクトゥルフが出てきては困る。
何をしてでも止めなければ。
僕は僕とアルが標的でないことに安堵し、自分勝手に正義心を燃やしていた。
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