上 下
691 / 909
第三十八章 乱雑なる国家運営と国家防衛

逆転

しおりを挟む
兄が僕を愛しているのは事実だ。その愛は否定するべきものだけれど、存在はしている。それは僕も分かっている。けれどあえて存在をも否定することで兄の精神を突き崩す。

『……にいさまは僕を愛してないんだから、僕に要らないって言われても平気でしょ? ちょっとムカつくだけでしょ? ほら、早く他のところ言って別の奴捕まえて虐めなよ、弱いもの虐め大好きだもんね、にいさまは』

『…………信じて。僕は、本当に君を愛して、君のために……色々』

『どの口が言ってるのさ……ねぇ、笑わせたいの? やめてよ、笑っちゃう……ねぇ、もっかい聞くよ、どの口が言ってるの? 信じて? あはっ、あははっ……あっはははっ! やばい、にいさま面白い、才能あるよ!』

何とか肩から上だけは人間の形を保って、どろどろに溶けた腕で涙を拭う。本当に辛そうに泣きじゃくる姿はとても、とても、とてもっ……愛らしい。

『本っ当に……さぁっ、面白いね……にいさま』

もっと泣かせたい、もっと虐めたい、もっとその顔が見たい。
背骨を走る冷たい快感を外に出さないように自分を抱き締めて、自然と震えた身を捩る。必死に快楽に耐えていると溶けた腕が僕に絡んだ。

『ごめんね……愛してるんだよ、本当に……ごめんね、ダメなお兄ちゃんで』

弁明を続けるだろうと思っていた兄は諦めたのか謝罪を始めた。予想外の言動に思考が途切れる。

『ぇ……? な、何だよ、なんでっ……やめろよ今更そういうの! 分かってるんだよ、全部っ……また僕を虐めるための計算だって!』

溶けた腕が剥がれたかと思えば右腕だけが人の形に戻って、僕の手を兄の頭に誘導した。兄は優しい微笑みを浮かべている、それはやり直した世界で見ていたものと同じで、涙に濡れているからあの時よりも胸を締め付けてきて──ダメだ、これ以上は僕の計画が崩れてしまう。

『……っ、に、にいさま、許して欲しかったら──』

早めに終わらせるべきだと判断し、計画を最終段階に…………兄の頭に添えさせられた手がずぶずぶと沈んでいく。

『…………脳を潰して。この手で……お兄ちゃんを殺して。その後で残ったどろどろは燃やしてね、そうすればもう、お兄ちゃんは君の前に現れられないから』

『何言ってるの……? ちょっと待ってよ、殺せって……何、それ』

『……僕は君が産まれた時からずっと、君の為に………………うぅん、もう、いいよね。こんなこと言っちゃやりにくいかな。ぁ、でも……もう信じてくれないんだよね。可愛い可愛い僕のおとーと……君に殺されるなら、それで気が晴れるなら……僕はもう、それで……』

粘性が高いとはいえ液体である兄の頭から手を引き抜くのは容易で、まだ固体の喉元を蹴り飛ばすのも容易だった。

『ふざけるなよ! 何、ちょっと言われて落ち込んで死にたくなったから殺させてはい終わり!? ふざけるなっ……何、勝手に楽になろうとしてるんだよ! 気が晴れるわけないだろ!?』

『…………要らないんだろ?』

必要ではないかもしれないけれど、欲しい。兄を支配下に置くことが出来れば僕は本物の支配者になれる、逆に兄を手に入れられなければ悪魔を全て従えたって仮のままだ。兄を超え兄を屈服させた時、僕はようやく六歳の先に進めるのだ。

『あぁそうだよ要らないよ! でも自分の手で殺したいなんて言ってないだろ!? 死にたいなら勝手に死ねよ、何人の手使ってんだよ!』

『………………そっか。僕、そんなに嫌われちゃってたかぁ……最期のお願いも叶えてくれないんだね。本当に……嫌われてたんだ。気付かなかったよ、ごめんね……』

まずい、取り乱し過ぎた。計画はまだ進められるだろうか。慌て過ぎたのか? 兄の性格の理解が浅かった? けれど、まだ大丈夫、まだ僕の狙いが外れた訳ではないはず、理想の着地点に誘導することはまだ出来るはずだ。

『きっ、嫌い……だし、要らないけどさ…………その、頑張れば……まだ、挽回できるよ?』

『…………挽回?』

『虐めたこと、逃げたこと……全部許してあげてもいい、よ?』

『本当に!? お兄ちゃん許してくれるの? お兄ちゃんまだ大丈夫なの? まだ……お兄ちゃんのこと好き?』

『好きな訳ないだろ!? 調子に乗るなよ! ただっ……えっと、チャンス無しは可哀想かなって、思っただけで……好きとか、家族の情とか、そういうのは全然無いから!』

落ち込んではいるが兄は硬度を取り戻してきた。もう少し溶かした方がいいか? いや、もうやってしまおう。

『……僕の所有物になるなら、許してあげてもいいよ。昔の僕とにいさまみたいに、にいさまが僕みたいに、なるなら……』

『…………君に虐められればいいの?』

『僕には、別に……そういう趣味ないから、歯とか鼻とか折ったり、積極的に暴力振るったりはしないけど。だから、所有物に…………ぁ、えっと、僕の部下? になるなら、いいよ?』

先程まで上手く出来ていたのに肝心なところで説明下手が出てしまった。
僕を虐げる兄の依存からは脱却出来たはずだけれど、優しい兄はまだ欲しいからとりあえず兄を手元に置いておきたいのに、どうして上手くいかないんだろう。

『とにかく! 僕に従えよ。僕に跪いて、僕の手足として、僕の物として、働けよ。それが……条件、なんだけど……』

『………………魔物使いの下僕の魔物に、ってこと?』

『それ! か、な……? うん、それ。ど、どうかな……』

足元に広がっていた粘着質な玉虫色の液体が消え、兄が完全に人間の姿に戻る。兄は僕の前に跪いて、僕の足を持ち上げた。
転びそうになりながら、珍しくも眉尻を下げた兄の顔を見る。兄は何も言わずに俯いた……いや、違う、爪先に口付けた。

『…………に、にいさま?』

『……魔法使いの末裔、食人嗜好のスライム、エアオーベルングルーラー、ここに魔物使いへの忠誠を誓います』

畏まった兄の態度は酷く寂しくて──そして、その行為そのものはとても気持ちよかった。

『…………改めて、宜しくお願い申し上げます』

足を離したかと思えば地面に手をついて頭を下げた。ゆっくりと頭を上げて、柔らかく微笑んだ。

『…………にいさま』

『何?』

『…………ぇ、あ、いや……』

兄は立ち上がることなく僕を見上げている。その表情はやり直した時のもので、純粋で優しくてそのせいで死んでしまった愛しい兄のもので、心が傷んだ。

『……触れてもいいかな?』

『へ? ぁ、うん……いいけど』

思わず了承してしまったが、今のは口汚く罵倒して断るべきではなかっただろうか。言い方は悪いが兄を飼い慣らすにはそれが必要で──なんて考えているうちに優しい手が頬を撫でた。

『…………少し太った? うぅん、これが適正だね。健康そうだ。随分髪が伸びたね、切らないなら結んだ方がいいよ、もしよければ僕が……ぁ、どうしたの? 何、なんで急に泣いて……い、痛かった? ごめんね? ごめんね? 加減、気を付けてたんだよ? 本当にごめん……』

抱き着いて甘えて、今までの言動を謝ってしまいたいけれど、それでは振り出しに戻ってしまう。
僕が上だと、本当は必要無いのだと、そう兄に教えなければならない。それは僕も楽しめる気持ちいい行為のはずなのに、何故か心が引き裂かれるように痛い。痛くて痛くて泣いてしまう。

『ヘル! ヘル……大丈夫? だからやめろって言ったんだよ、お兄ちゃんの忠告は聞いた方がいいんだよ』

僕に触れていいものかと迷う兄の手を払って黒い腕が僕を抱き上げた。

『……君、誰?』

『ヘルのお兄ちゃんだけど? キミは?』

『僕が……! いや、僕は…………下僕だよ。所有物……の、一つ。あってもなくても変わらない、ただの物だよ』

『…………ふーん。ぁ、そ? まぁ物ならどうでもいいけどさ、家帰るから着いてきてもいいよ?』

兄は悔しそうにライアーを睨み付けて、彼が浮かべた魔法陣の中に入った。ライアーに抱えられて部屋に運ばれていく僕を寂しそうに見送って、扉が閉まる寸前に蹲るのが見えた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

転生墓守は伝説騎士団の後継者

深田くれと
ファンタジー
 歴代最高の墓守のロアが圧倒的な力で無双する物語。

捨て子の僕が公爵家の跡取り⁉~喋る聖剣とモフモフに助けられて波乱の人生を生きてます~

伽羅
ファンタジー
 物心がついた頃から孤児院で育った僕は高熱を出して寝込んだ後で自分が転生者だと思い出した。そして10歳の時に孤児院で火事に遭遇する。もう駄目だ! と思った時に助けてくれたのは、不思議な聖剣だった。その聖剣が言うにはどうやら僕は公爵家の跡取りらしい。孤児院を逃げ出した僕は聖剣とモフモフに助けられながら生家を目指す。

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

ユーヤのお気楽異世界転移

暇野無学
ファンタジー
 死因は神様の当て逃げです!  地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

かつて最弱だった魔獣4匹は、最強の頂きまで上り詰めたので同窓会をするようです。

カモミール
ファンタジー
「最強になったらまた会おう」 かつて親友だったスライム、蜘蛛、鳥、ドラゴン、 4匹は最弱ランクのモンスターは、 強さを求めて別々に旅に出る。 そして13年後、 最強になり、魔獣四王と恐れられるようになった彼女ら は再び集う。 しかし、それは世界中の人々にとって脅威だった。 世間は4匹が好き勝手楽しむ度に 世界の危機と勘違いをしてしまうようで・・・? *不定期更新です。 *スピンオフ(完結済み) ヴァイロン家の少女が探す夢の続き~名家から追放された天才女騎士が最強の冒険者を目指すまでの物語~ 掲載中です。

処理中です...