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第三十七章 水底より甦りし邪神

たんたん屋

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湯に浸かってぼうっとするのは好きだ。魔法の国は魔法によって水周りが整えられていたし、現在の拠点である酒色の国も執念に近い想いによって整えられたそうだ。ソープ……とか何とか、詳しくは聞かせてもらえなかったから分からない。
何が言いたいかというと、僕は湯船に馴染み深いということ。けれど、大勢の人と同時に入るのはどうにも苦手だ。

『……わ、広い』

温泉の国に行った時も部屋に付いた一人用の風呂に積極的だった。慣れや潔癖なんて問題ではなくて、他人に肌を見られるのが嫌なだけ。他人とは呼べない仲間であっても、親友であったとしても、普段服に隠れている部分を見られるのは嫌だ。

『泳げるんちゃうこれ』

『他のお客さん居ないのかな……』

『のぅ頭領泳がんのか』

『僕そういう子供じゃないんだよねー』

湯船は一つだけではなく、水風呂や泡風呂、電気風呂なんてものまである。温泉の国並みの設備だ、建築士かオーナーの出身がそちらだったりするのだろうか、隣国だしありえる。

『クラールは洗面器ね』

洗面器に湯と水を混ぜてぬるま湯を作り、クラールを入れる。戸惑っていたようだがすぐに慣れ、前足でパチャパチャと水を掻き始めた。

『まず体洗ってから……ね、誰かクラール見ててくれる人ー……』

アルを含めて獣達は誰よりも早く温泉に飛び込んだ。体毛や翼で洗うのにも時間がかかるだろうし、アルには頼れない。

『魔物使い、余が立候補しよう』

少し屈んで僕と目を合わせるのはサタン。

『……不満か?』

どこか不信感が拭えないと言うべきか、何を考えているのか分からなくて怖いと言うべきか、サタンには預けたくない。じゃあ誰ならいいのかと言われたら困るけれど、サタンは嫌だ。

『…………しゅ、酒呑ー……』

『親父ぃーっ! そっち排水こ……ぁあっ!?』

今、あの小さな蛇が排水溝に吸い込まれていったような……いや、気のせいだと思おう。面倒臭そうだ。

『……じゃあ、サタン……お願い』

『不満そうだな』

『…………本当に、見てるだけでいいから。何かあったら言ってくれていいから』

サタンは僕の要求を鼻で笑い、クラールを入れた洗面器を受け取った。手ぬぐいを噛んで遊んでいるクラールが自分が入った容器が父親の手を離れたと気付くことはない。

『……そんなに余は信用ならんか』

体を洗いながらじっと見つめているとサタンは困ったように笑う。『憤怒の呪』を撒き散らすような悪魔のくせに笑顔の多い人だ。

『…………ありがとう。おかえり、クラール』

手早く体を洗い終えてクラールを受け取る。サタンが持っていた時も、僕の元に戻った時も、クラールは特に反応を見せなかった。目が見えていたらサタンを怖がったり僕を恋しがったりするだろうか。

『髪はどうするんだ?』

『髪なら洗面器持ってても洗える』

『……そうか』

『サタンもそろそろ体洗えば? 出たらすぐご飯だし、僕の傍いても面白いことなんかないんだから、酒呑でもからかって来なよ』

そう言ってもサタンは僕の隣に座り、じっと僕を見つめている。爬虫類独特のあの瞳は獲物として狙われている気分にさせられるから嫌いだ。

『……僕見てて楽しい?』

『あぁ、楽しいとも。その髪、その瞳、その肌……原初によく似ている』

顔を上げて鏡と向かい合う。瞼はハッキリ開くようになったし、クマも薄くなってきた、頬も膨らんだし、全体的に明るくなった。骨格や肉付きも中性的な雰囲気が出てきた。だが、だからと言って、あの
初めの前世には似ない。あの子はもっと明るくて、可愛くて、完璧な美少女だった。

『…………あの子はもっと可愛い女の子だったでしょ』

『知っているのか?』

『……ぁ、えっと…………うん、色々あって、過去を見る機会があって』

『そうか。なら分かるだろう。原初の魔物使いの器は神が創った物、神が創った物が繁殖した物とは違って完璧な人間だ、偶像と言ってもいい。そして今、貴様は天使か何か……何かもよく分からんモノに成り果てた。上位存在は人間の警戒心を薄れさせる為、美男美女の姿を自然と取る。天使や悪魔は尚更な。今の貴様は天使の気配が強い…………ここまで言えば分かるだろう?』

天使に……『黒』に成り代わったのだから見た目が美しくなっていると。だからあの子に似てきたと。そう言いたいのか。

『天使は神の創造物だ』

サタンは床に落ちていた泡まみれの僕の髪の先端を持ち上げ、口元に持っていく。

『……原初は神の創造物、天使も神の創造物、創造物は創造者に似る…………貴様は創造神に似ている』

天使もそれぞれ見た目がかなり違う。いや、そうか、人間の目に映る姿の話ではない。上位存在同士にのみ分かる性質の話か、やめて欲しいな、訳が分からない。

『……………………憎い』

『……サタン?』

『燃やしたいな、この髪も、その瞳も、全て。そうすれば少しは楽になるだろう、貴様は神に似ているのだからな。だが、原初にも似ているから……きっと後悔するだろう。そして、また、熱を持つ。身を焦がす憎悪が、怒りが増して、やがて天に届く…………そう、生まれ変わる魔物使いをこの手で育て成熟させて殺し続ければ、その苦しみを糧にやがて神を屠れる』

面倒な話し方をして、長々と誤魔化して、僕を殺したいならそう言えばいい。

『燃やしたいなら燃やせば。ぁ、クラールは離してね。多分、僕、灰にされたくらいじゃ消えれないし、君が強くなってくれるなら僕の助けになるだろ? なら何回死んでもいいよ』

『…………酷いことを言うな。神に似た貴様は神に似ているから憎いが、原初にも似ているし原初と同じ魂を持つから、憎い以上に愛おしいのに……それを壊せと?』

『君が言ったんだろ、殺したいって』

『……あぁ、燃やしたい。これは余の欲望だ、ブブが目に映る全てを喰いたがるように、マンモンが目に映る全てを欲するように、アシュが目に映る全てと交わりたがるように、ベルが目に映る全てに背を向けたがるように…………余は全てを燃やしたい』

ベルゼブブは怪しいながらも「美味しそうだけれど食べ物に見えなくなった」から僕を気味悪がった。伝え方は違うけれどサタンの矛盾した欲望も同じものだろう。僕はそう考え、爪が鋭く伸びて鱗が生え始めた手を握った。

『…………僕に跪け、魔界の王』

『……ふ』

僕の手をチクチクと痛めつけていた生えかけの鱗が消え、爪も人間らしい長さと形に戻った。

『余は先に出ておく。魔力の実体だからな……こうして、こうすれば…………汚れは落ちる』

サタンの姿が一度黒い炎の塊に変わり、再び男の姿に──スーツに身を包んだ黒髪褐色の男の姿になる。

『ではな、魔物使い。今度本体の背でも流せ』

『その代わりに髪の毛洗って結ってくれるならね』

『…………ふっ』

扉が閉まる音を聞きながら、魔界の王へのものとは思えない自身の態度を思い出し、痛いくらいに騒ぐ心臓を骨と肉と皮膚の上から撫でる。
使えないと判断されれば糧にされる──殺される、そう察した。時空間にまで干渉する彼の怒りが、記憶だろうと伝わってしまう彼の炎が、『黒』に成り代わった僕を殺せないとは限らない。
使えると判断されるように、大物ぶる。未来を期待させるように、生意気な口をきく。

『……クラールぅー……おとーさん生きた心地しなかったよぉ。脳みそ耕される方がマシだよぉー……おとーさん慰めて?』

僕の作戦は効果を出した。彼は恐れを知らない生意気な若僧を好むタイプだ。

『おちょーしゃぁ……のぉみそ……』

『あぁ待って脳みそは要らない脳みそは覚えなくていい』

『にょみしょ……ちゃがやしゅ』

『あぁダメダメそんなやばい脅し文句っぽいの覚えないで』

僕はサタンとの会話で疲弊した心を癒すためにクラールに話しかけ続け、十秒浸透を謳うトリートメントを数分流さずに放置していた。
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