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第三十六章 怠惰の悪魔と鬼喰らいの神虫

誘拐婚

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酒を飲もうとしたが全員に止められ、酒だと嘘をつかれて果汁を飲まされ、信用ならない酔っ払いを恨みがましく睨んでいると、不意に気が付く。

『……そういえばウェナトリアさんは?』

ウェナトリアの姿がない。国務でもあったのだろうか。

『木刀壊したから作らされてたよ』

『え……そうなんだ。壊したの僕なのに……』

『ヘルは気絶してたし。気になるなら後で言っておけば?』

『うん……っていうか兄さんが直したら良かったんじゃないの?』

ライアーはバツが悪そうに微笑む。思い浮かばなかったのか、らしくない……のか? 今隣に居るライアーは水中都市で出会ったライアーそのものではない、あくまでも僕の願望の塊なのだ。僕が兄という存在に「どこか抜けた人」を求めているということだろうか、自分では分からない。

『ご飯もういいや。ウェナトリアさんのところ言ってくるよ……って、どこ?』

『訓練場じゃない? お兄ちゃんも行くよ』

『あ、ボクも行くー』

暇を持て余していたライアーとセネカが着いてくる。

『アルは食べてて。たまには兄弟達と一緒もいいでしょ?』

『鬱陶しいだけだ。だが……まぁ、そうだな、まだ食べたいし…………直ぐに戻って来てくれ、寂しいんだからな』

着いてこようとしたアルの額を押し返すと、アルは素直に兄弟達の間に挟まった。金と黒、銀、赤銅と薄橙、それに白黒赤銅の翼が揺れる背が並んでいる姿は微笑みを誘う。

『じゃ、行こっか。こっちだよね』

『こっちだと思う』

『こっちだろ?』

食堂を出てすぐの十字路で各々が別の道を指す。

『……兄さん、探知魔法』

『はいはい、彼は契約者だしすぐ分かる……ん? なんか固まってるな……』

ライアーの先導に従い、迷路を抜けていく。ちなみに食堂を出てすぐの十字路はライアーの示した方向が正解だった。

「離せ、これを解け!」

辿り着いたのは黒山の人集り。鎧を着ていないアルメーの少女達がウェナトリアを囲んでいた。

『な……何してるんですか!? ウェナトリアさん、ウェナトリアさん……あぁ……そんな』

後ろ手に縛られ、縄を引かれて歩かされようとしているウェナトリアの背にあったはずの蜘蛛の脚は二番目の節から切り落とされていた。

「カルディナール様の命令」
「ルフトヴァッフェにお届けもの」
「邪魔をしないで欲しい」

無表情に抑揚のない口調の組み合わせは空恐ろしさを覚える。

『ウェナトリアさんっ……脚、待ってくださいね、兄さん、治して!』

「魔物使い君、大丈夫だよ、一晩で生える」

『へっ……? え、いや、脚ですよ?』

「人間体の足が切られるとまずいけどね、蜘蛛の脚は自切も出来るし私の場合はすぐ伸びるんだよ」

痛そうにする様子はない。神経は通っていないのだろうかと不思議に思って断面を眺めていると、にゅっと伸びた。

『治したよ』

『ぁ、ありがと、兄さん』

一晩で生えるのを待つよりも一瞬で治した方がいい。ライアーは僕の願いを聞いてくれただけだ、目を突かれるかと思ったなんて文句は言うな、見ていた僕が悪いのだ。

「ありがとう、再生は結構体力を使うからね、助かったよ……でも、ね……」

円を描いた縄がふわりとウェナトリアの胴に落ちてきた──かと思えば少女達が縄の両端を思い切り引っ張り、八本の脚はぐるぐる巻きの縄に押さえられた。

「…………こうなるからねー」

『……あなた達、なんでウェナトリアさんを縛るんですか! 国王を縛るなんて、反逆だとかクーデターだとか、そんな感じのアレじゃないですか!』

『ヘル、バカっぽいよ、やめなさい』

「……そんなんじゃないよ、魔物使い君。私が逃げ回るからこんな手を使われるんだ、この子達は命令に従ってるだけ、何も悪くない。私もそろそろ腹を括る、向こうでしっかり話して断るよ」

『向こうって?』

「…………モナルヒに、ね。結婚の断りを……あぁ、頭が痛くなってきた」

そういえば結婚の約束を無理矢理取り付けられていたな、逃げているとも聞いた。それそのものには僕は口を出さない。しかしその過程に理不尽が起こるなら首突っ込まさせてもらおう。

『……ウェナトリアさんは覚悟を決めたんですよ、縄解いてもいいんじゃないですか? こんなに締まってたら苦しいです』

「命令だから」
「依頼だから」
「梱包だから」

少女達は聞く耳を持たない。勝手に切ってやろうかとも思ったが、それで揉め事になっては最終的に拘束が悪化するかもしれない。

『ウェナトリアさん、ついて行っていいですか? こんなに縛られてちゃ向こうに着いてもちゃんと話し合えるか心配です』

「あぁ、ありがとう。心強いよ、むしろ頼みたい」

少女達に引かれるままに歩くウェナトリア。その後をついて行こうとすると、ライアーに肩を叩かれる。背後を指され振り返ればアルが居た。

『……アル? 来ちゃったの? 食べてていいのに』

僕に会いたくなったのかと自惚れつつ顔を撫でるも、アルは弱々しくきゅうんと鳴くだけだ。

『…………アル、どうかした?』

『……実は、少し前から体調が悪くてな。と言っても吐き気や怠さの軽い症状で、ただの運動不足だろうと貴方には言っていなかった。済まない。それが悪化したのか急に食欲が失せてな、静かな部屋で休もうとした次第だ』

『兄さん、治療……』

『んー? 別に怪我とか病気の感じはないよ?』

病気でもないのに吐き気がして食欲が急に引くことなどあるのだろうか。

『この騒ぎのお陰で部屋が空いたからな、そこで一人で休む。この部屋だ、帰ったら直ぐに来てくれ』

『……体調悪いんならカルコスとか酒呑とかと一緒に居なよ』

『兄君も言っただろう? 病気だとかでは無い、近頃寝てばかりだったから急に動いて身体が驚いただけだ』

『…………兄さん、アルの傍に』

『……ヘル、私は大丈夫。貴方は直ぐに帰ってきてくれるのだろう?』

心配は心配だが、ライアーが何も問題はないと言うなら何もないのだろう。杞憂だ。アルの言う通り川遊びや神虫からの逃走で身体の調子が狂っただけだろう、引きこもりの僕には心当たりのある症状だ。

『…………うん、おやすみアル。先に寝ててもいいからね』

アルが借りたという部屋の扉を開け、暗闇にアルを見送りウェナトリアの背を追った。



到着したのはホルニッセ族の集落……いや、集合住宅? ルフトヴァッフェの豪邸だとか野次られる場所だ。
ウェナトリアは縛られたまま豪華なドレスを着たモナルヒの前に連れてこられた。

「久しぶりねェ、とっくに帰ってきてたくせに水臭いんだから。さ、アナタ達ィ、式の準備よォ、出席者は三人増えたわ」

三人というのは僕とライアーとセネカのことだろうか。

「待ってくれモナルヒ! 君に話がある」

「あら、なァにィ?」

「私は君とは結婚したくない! 約束を反故にするのは良くないことだと分かっている、だが、あえて言わせてもらう、あれは約束ではなく脅迫だ!」

笑顔を貼り付けていたモナルヒの瞳から温度が消える。目以外は変わらない笑顔のままなのがまた恐怖を駆り立てる。

「…………アナタ達ィ、あの穢らわしい娘の首でも撥ねてやって」

「まっ、待て! どういう意味だ、それは……」

「アナタ達、止まりなさい。ねェ、ウェナトリアァ……私とアナタは結婚するの。だから私はアナタの連れ子を愛情たっぷりに面倒を見てたわァ? でもォ、結婚しないならァ、連れ子達はただの肉よねェ? 不味そうだけど……私の子供達、食いしん坊だからねェ?」

モナルヒが視線をやるとルフトヴァッフェの兵隊達は槍を掲げ「肉を!」と何度も叫んだ。
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