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第三十五章 幾重もの偽物と閑話休題

黒猫もどき

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猫らしきモノの背を撫でるとサラサラと土が膝や床に落ち、手にも付く。触る度に身体が削れるものを撫でるのは気が引けるが、撫でていなければ自分から擦り寄ってきて崩れるのが早まるのだ、撫でるのが正解だろう。

「……で、その気味の悪ぃ猫が家なんとかして戦力にもなんのか?」

しなやかな身体に飾りのような小さな翼。そのどちらも黒く、触れると削れて茶色の土が付着する。そんな猫はライアーなのだろうか。

『うん……兄さんなら、この猫が兄さんなら……戻せるはずだよ』

『兄君のように修復の術が使えるという事か?』

『うん、兄さんはにいさまより凄い術使えるはずだけど……これ、兄さんなのかなぁ』

今いる元アシュ邸から現焼け跡のヴェーン邸まではまぁまぁな距離がある。認知阻害が解けたことで天使が来ている可能性もあるし、空振りは避けたい。

『…………あの、お兄ちゃん。もうちょっと土が要ると思うな』

『……弟はんさっきからえらい詳しいなぁ?』

『え? い、いや……その、実体が無いのの一時的な肉体って粘土とかジェルとかで代用できるんだよ。特にそれは土の属性持ってるみたいだから言ってみただけで……別に、詳しいとかじゃないよ』

魔力視はベルゼブブのような強い者を見た時に体調が悪くなるから欲しくないと思っていたけれど、見ただけで属性が判断出来るのはかなり有用だ。

『もう鉢植えないし……裏庭かぁ、面倒臭い』

『大した距離では無いだろう、怠けるな』

『アル乗せてよ……ぁ、誰か来ない? 一人は寂しい』

猫を抱えてソファを立ち、ダイニングを出る扉の前で振り返る。パラパラと落ちる土の音が聞こえるくらいに静かな中、当然のようにアルが僕の太腿に擦り寄る。

『俺行くわ。自分らちょっとは忠誠心見せぇや』

『……ごめんねだーりん。だーりんがどうでもいい訳じゃないのよ?』

『ボクもちょっと……今日は立ちたくないかな。仕事キツくて……』

『化粧してへんからやる気出ぇへん』

炊き出しだとかで疲れているだろうメルとセネカはまだいい、茨木の理由は酷くないか? というか……化粧をせずにズボンを履いていると男に見えるな。口や表情に出さないよう気を付けよう。

『ダイニング家の真ん中だし……家の外もタイル貼られてるとこ多いし、芝生は偽物だし……土あるとこなんて裏庭の隅っこの花壇くらいなんだよねー』

『遠いなぁ。ま、せやったらあんだけ渋んのも納得やわ』

『おぶってよ酒呑』

『おぅ、ほら来ぃ』

冗談で言ったつもりだったが、酒呑は僕に背を向けて屈んだ。甘えるべきか悩んでいると服の裾をアルに噛まれる。

『怠けるなヘル。おい鬼、貴様そんなにヘルに甘かったか?』

『……なんや最近調子悪そうやしな』

酒呑はそう言いながら立ち上がって僕の腕から猫を取ろうとして引っ掻かれた。

『可愛げない猫やのぉ』

『こら、ダメだよ引っ掻いちゃ。酒呑、大丈夫?』

『土くれやからな、なんともないわ』

むしろ引っ掻いた爪が崩れている。案外と脆い、抱き方にも気を付けなければ胴がちぎれたりしてしまいそうだ。
そんなこんなで裏庭に到着。人工芝を踏んで花壇の前に立つ。

『わざわざ花毟らんでもこの芝毟ったら土あるんちゃうん』

『捲ってみろ』

『捲る……? うわなんやこの芝下岩やないか』

『コンクリートだ』

そういう訳で元アシュ邸には土は花壇にしかない。手入れする者が居なくなってもなお咲いている花には申し訳ないが土を少しばかり頂こう。
そっと猫を花壇の上に下ろすと鉢植えの時と同じように土が黒く染まってより集まっていく。猫の姿が被さっていく土に消え、ぐにぐにと弾力を持って土が歪み、土は背の高い痩身の男のシルエットを作る。

『…………ふうっ』

黒に微かに赤が混じり、人の肌に似る。

『兄さんっ!』

『ヘル……!』

漆を塗ったような黒の巻き髪も、寒気を覚えるような人間離れした美顔も、僕を抱き締めてくれる力強い細腕も、ライアーそのものだった。

『兄さん、兄さんっ……兄さん兄さん兄さぁんっ!』

強く抱き着いても土のように崩れることはない。背を引っ掻いても爪の間に土が挟まることはない、ただ滑らかな肌が突っ張るだけだ。

『……ライアー』

『やぁ、久しぶりかな義妹ちゃん』

『…………ヘルを独占するような真似はするなよ』

ひんやりと心地よい肌の下には確かな体温と鼓動がある。土ではなく、死体でもなく、ライアーが生きている。

『……のぅ狼、これが頭領の兄貴分かいな』

『あぁ、揶揄するなよ』

『…………とりあえず、服着せへん?』

『……そうだな』

いつまでも花壇の上に全裸で置いておく訳にもいかないので、ダイニングに連れていく前に土や花弁を払って服を着せることにした。

『俺のんも茨木のんも合わんな。細っこい身体しよってからに』

『兄君の物なら合うのではないか? いや、幅は兎も角丈が足りんか……』

『……にいさまのは全部燃えてるよ。みんなの着替えもね。ここにあるのは……なんか、露出度高いのばっかだね。兄さん、とりあえずこのマシそうなの着てみて』

比較的ダメージが少ないダメージジーンズを履かせるも、右の太腿と左の膝から下はほとんど出ている、ほつれかけの糸が未練がましく隠すせいで妙に扇情的だ。シャツの方はダメージはないのだが、肩と臍が出るデザインのものしかない。もう胸と脇が覆えるのなら布が多い気がしてきた。

『男もんでもこの露出度ってどういうことやねんな淫魔。男の際どいカッコ見て楽しいんか?』

『羽とか尻尾とかあるからかなぁ……酒呑、上着貸したげてよ』

『上着て自分……ま、しゃーないのぉ』

僕の敷布団代わりにもされていた高級そうな着物を羽織らせると統一感は行方不明になってしまったが露出度は減った。

『あはっ、変なカッコ。どう?』

『……顔ええからそんなダサくもないんがムカつくわ』

『最大のオシャレは顔だよね。顔さえ良ければ何着ても似合うし何しても許されるんだよ』

『……ムカつくわぁ。その自慢の顔見られへんようにしたろか』

『酒呑! 酒呑も十分かっこいいって! ちょっと怖いけど』

ライアーはその美貌を自慢するような性格ではなかったと思うが……ただの冗談だろうか。石から現れる彼は僕が殺した本物のライアーと違って軽薄で冷酷なのだ。

『えー? お兄ちゃんの方がかっこよくない?』

だが、兄として振る舞おうという気概は本物のライアー以上だ。

『はっ……んなほっそい腕の男あかんわ』

『……やだねぇ腕っ節だけの脳筋君は』

『…………いざと言う時頼りにならへんよりはマシちゃう?』

『………………酔って暴れるような男って意外とモテるよねー、馬鹿みたい、うぅん、馬鹿』

何故だろう、険悪だ。馬が合わない同士なのか? 全く予想出来なかった。

『さっきまで素っ裸やったくせによぉイキれんなぁ自分』

『そういえばキミ、ヘル二回くらい突き飛ばさなかったっけー……』

『……土くれが調子乗んなや』

『…………うるさいよお山の大将が。あぁ、いや……猿山のボス猿だっけ?』

『……あぁ? もっぺん言うてみぃ泥人形』

『怒った? お里が知れる短気さだね』

二人は至近距離で睨み合い、煽り合っている。早く止めなければ殴り合いになる気がする。どう止めるべきだろう、どちらに味方するべきだろう、中立で止めるのは可能だろうか。

『……に、兄さん……酒呑、やめてよ。喧嘩しないでよ』

とりあえず二人の腕を同じくらいの力で掴み、刺激しない程度に引っ張る。

『…………あぁ、すまんな、頭領』

『ごめんねヘルー、この山猿がねー?』

酒呑はあっさりと視線を外したが、ライアーは睨みつけたまま更に煽る。

『……なんやと?』

せっかく止まってくれそうだった酒呑も煽りに反応して再び睨み合う。

『やめてよ兄さん!』

『えぇ? ボクが悪い感じ? ふーん……ごめんね? 久々に自由に動けるから気分上がっちゃった。キミも悪かったね、仲良くしよっか、お猿さん?』

あぁ、何故だろう。ライアーは僕の理想の兄のはずなのに──実兄と大して変わらないような気がしてきた。
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