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第三十四章 美麗なる妖狐は壮大な夢を見た
大天使
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腰に腕を回され、臍の辺りに顔を埋められている。ぎゅうぎゅうと僕に抱き着く力は強いが、このまま締め落とそうだとかそんな意図は感じない。腰を締めたってどうにもならないし。
形見の石を握り締め、紐をしっかりと指や手首に巻き付け、僕の周囲を映す鴉の視界に注意を払う。レリエルが帰ったふりをしてどこか影に潜んでいる──とかではないのなら僕に共有される視界に天使はミカしか居ない。どちらにしても石を取り返したのなら頭痛を我慢して視界を共有している理由は無いだろう。僕は僕の周囲を監視する役として二羽を置いて他の鴉との視界共有を切った。
『えっ……と、ミカ?』
恐る恐る名前を呼ぶとミカは僕から離れて満面の笑みを見せ、小さな身体に不釣り合いな大きな翼を広げた。
『ひさしぶり! 魔物使い。ちょうし、どう?』
『えっ? ぁ、あぁ……まぁ、そこそこ』
『そこそこ……? ふぅん……そっか』
無難な返事が出来たと思ったのだが、幼いながらも美しい顔は不満を滲ませた。
『いままで、どこにいたの? いっぱいいっぱい、さがしたよ。たまぁにみつかるのに、すぐ、きえちゃうんだから、すっごくすっごく、さがしたよ』
抱き着いてきたことも、その後の言葉も、何もかもが僕に不安と恐怖を覚えさせた。
何をそんな久々に会った友人のような台詞を吐いているんだ、僕を殺しに来たくせに。
『……ベルゼブブは、いないね。けんめいなはんだんだよ、悪魔なんかといっしよにいても、いいことないからね』
『あの……ミカ、何しに来たの?』
『きみを、むかえにきたんだ! さ、いこ。魔物使い。ぼくといっしょに、いこ』
白く透き通るような肌が張った手が僕の前に広げられる。真っ白ではあるが椛のようだ。
『殺しに来たの?』
『うん! でも、ここより、たのしいとこに、いけるよ』
剣を捨てたり抱き着いたりしたのは僕を油断させるためだろうか、死んでもいいなんて考えると思ったのだろうか、天使にしては浅知恵過ぎる。
『……魔物使い? どうしたの?』
『どうしたの、じゃないよ。行くわけないだろ』
『え……? な、なんで? どうして?』
ミカは心底困惑した様子で僕の服の裾を掴み、不安そうな上目遣いを仕掛けてくる。
『……なんで行くと思ったの? 僕はまだ死にたくないし……何より、君は僕の敵だ』
手を掴まなかったのは何故だろう。戦いに不慣れなはずはない、奇襲や騙し討ちの経験がないはずはない、どうしてミカはこんなにも無警戒だったのだろう。
腰から胸まで長く深く切りつけて、天使の血に濡れた刀を月光に輝かせ、ミカの次の動作を待った。
『…………どうして?』
背後に落ちた大剣を拾うか、炎を放つか、そう予想してそれに対応する動きも考えていたのに、ミカは肩を震わせて泣き始めた。
『……なんで? 魔物使い……ぼく、どうして、きみのてきなの? そんなのやだ、いっしょにきてよ。悪魔ほろぼそ?』
『さっきから何言ってるんだよ! いくら子供のフリしたって無駄だからな、僕はもう二度と騙されたりしないから!』
『だます……? そんなの、ぼく、いっかいもしてない!』
ミカとの会話の記憶は体感では十年以上前のことだ。だが、必死に媚びてやったのに変わらず殺しにかかってきたのは覚えている。騙されたとは少し違うけれど、愛らしい子供の見た目をした邪神に騙された経験があるから、その恨みが今出てしまっているのだろう。
『魔物使いは、ぼくのこと、すきでしょ? だから、ほかの天使おさえて、むかえにきたのに!』
『は……? 何言って…………ぁ』
そういえば──魔界でミカに媚びる時、何度も何度も「可愛い」と言って喜ばせていた。あの後でミカは僕を殺そうとしたから無駄だったと思っていたけれど、アレは無駄だったのではなく認識が違っただけなのか。
『…………うそだったの? だれよりもかわいいっていったくせに! だっこしてくれたのに!』
僕を毛嫌いしていようと気に入っていようと、ミカにとって殺す対象であることには変わりない。ミカからの好感度は殺害後、天界に魂を運ばれてからしか影響しない。
『……ちっ、違うよ。可愛いってのは嘘じゃない。本当に可愛いと思ってるよ。ただ、その、僕はまだ死にたくないんだよ』
『…………すき?』
『え? ぁ、あぁうん、好きだよ』
『……えへへ』
媚びても好感度が上がらないから無駄、ではなく、好感度が上がっても無駄、なのだ。だが、今は怒らせない方がいい。
『……なら、なんでこんなことしたの! ひどいよ、いたいよ!』
『ぁ、いや、だって……殺しに来たって言うから』
『…………そんなに、ころされたくないの?』
『当たり前だろ!?』
この辺りは価値観の違いなのだろうか。人間のように明確な「死」が存在しないから──もはや人間ではなくなった僕が生死を気にするのは滑稽なことなのだろうか。
『……いっしょにきてくれないの?』
『それが死ねって意味ならね』
『…………いきて、したいこと、あるの?』
正直に言うべきではない。魔物と人間の共存だとか、悪魔を率いて正義の国を潰す気だとか、そんなことを言ったらこの国ごと燃やされかねない。
『生きてしたいことって言うか……死ぬのは嫌だよ』
『どうして? いきてるときより、いろんなこと、できるよ? ほかの人間とちがって、地獄におちるしんぱいないのに、どうしてしにたがらないの?』
『…………どうしてって』
『いっしょにいこうよ。ぼくのこと、すきなんでしょ? じゃ、いいよね? できるだけ、そばにおいたげるから、ね? いこ?』
『嫌だって言ったら嫌だ、一人で帰れよ』
考え方が分からない相手を納得させることなんて不可能だ。僕は刀を影の中に落とし、元アシュ邸に帰るため踵を返した。
『………………いっしょに、いこ』
目の前に白い火柱が現れ、慌てて飛び退きながら振り返ると眼前に大剣が輝いた。
『……そのまま、うしろさがって、もえて? そしたらきれいになるから』
浄化してやるとでも言っているのか。さて、どうしよう。炎も剣も透過してしまえば問題はないし、おそらく透明化でミカは振り切れる。だが、ミカに僕がタブリスであるという情報を与えて大丈夫だろうか、レリエルにはバレただろうからいずれ伝わるとは思うけれど、力を使い慣れていない今対抗策を持ち出されては困るから、その情報が広がるのは出来るだけ遅らせたい。天使の伝達能力が大して高くないのも一体感が大してないのも分かっている。
『…………分かった。分かったよ、一緒に行く。だから……剣、下ろしてくれない? 尖ったもの嫌いなんだよね』
ミカは素直に剣を下ろし、指を鳴らして火柱の勢いを増した。背に異常な熱気を感じる、チリチリと髪や皮膚が焼けているのが分かる。僕はそっと紐を絡めた手を顔の前に持ち上げ、赤い筋の入った黒い多面体を眺めた。
『……魔物使い? それ、あぶないから……ぼくにわたして?』
瞼の裏に見知らぬ風景が浮かび上がり、多面体から黒い霧が漏れ出した。霧は大きな鉤爪や翼のような形を整えていくが、ヴェーン邸跡地を覆うように現れた炎のドームに煽られその形は揺らぐ。
『魔物使い! いますぐ、それ、ぼくにわたして。いまなら、まだ、ゆるしたげる』
『……頑張って、空間転移でいいから!』
出来ることならミカを倒して欲しいが、空間転移で逃げて透明化するだけの時間を稼ぐだけでも十分だ。そう考えているのに霧はどんどんと萎んでいく。
『……きいてる? ひによわい……?』
『嘘っ……今までこんなこと……ライアー兄さんっ! 頑張ってよ、空間転移だけでいいんだ!』
とうとう僕の半分ほどの大きさに萎んだ霧の塊の中心には三つに割れた眼が浮かんでいた。だが、あぁ、何だ、これは。
見覚えがある、違う、初めて見た、いや、僕はこれを知っている……のか? この圧倒的な恐怖と安心感は何だ?
『ひっ……!? な、なに!? きもちわるいっ……』
未知でなくてはいけなかった。知ってはいけないものだった。それなのに僕は火柱の前に喚び出した。影が消え失せる炎のドームに包んだ。火に包まれたモノに闇はない。光に晒されたモノは全て既知となる。
先に叫んだのはどちらだったか、僕にもミカにも分からない。
形見の石を握り締め、紐をしっかりと指や手首に巻き付け、僕の周囲を映す鴉の視界に注意を払う。レリエルが帰ったふりをしてどこか影に潜んでいる──とかではないのなら僕に共有される視界に天使はミカしか居ない。どちらにしても石を取り返したのなら頭痛を我慢して視界を共有している理由は無いだろう。僕は僕の周囲を監視する役として二羽を置いて他の鴉との視界共有を切った。
『えっ……と、ミカ?』
恐る恐る名前を呼ぶとミカは僕から離れて満面の笑みを見せ、小さな身体に不釣り合いな大きな翼を広げた。
『ひさしぶり! 魔物使い。ちょうし、どう?』
『えっ? ぁ、あぁ……まぁ、そこそこ』
『そこそこ……? ふぅん……そっか』
無難な返事が出来たと思ったのだが、幼いながらも美しい顔は不満を滲ませた。
『いままで、どこにいたの? いっぱいいっぱい、さがしたよ。たまぁにみつかるのに、すぐ、きえちゃうんだから、すっごくすっごく、さがしたよ』
抱き着いてきたことも、その後の言葉も、何もかもが僕に不安と恐怖を覚えさせた。
何をそんな久々に会った友人のような台詞を吐いているんだ、僕を殺しに来たくせに。
『……ベルゼブブは、いないね。けんめいなはんだんだよ、悪魔なんかといっしよにいても、いいことないからね』
『あの……ミカ、何しに来たの?』
『きみを、むかえにきたんだ! さ、いこ。魔物使い。ぼくといっしょに、いこ』
白く透き通るような肌が張った手が僕の前に広げられる。真っ白ではあるが椛のようだ。
『殺しに来たの?』
『うん! でも、ここより、たのしいとこに、いけるよ』
剣を捨てたり抱き着いたりしたのは僕を油断させるためだろうか、死んでもいいなんて考えると思ったのだろうか、天使にしては浅知恵過ぎる。
『……魔物使い? どうしたの?』
『どうしたの、じゃないよ。行くわけないだろ』
『え……? な、なんで? どうして?』
ミカは心底困惑した様子で僕の服の裾を掴み、不安そうな上目遣いを仕掛けてくる。
『……なんで行くと思ったの? 僕はまだ死にたくないし……何より、君は僕の敵だ』
手を掴まなかったのは何故だろう。戦いに不慣れなはずはない、奇襲や騙し討ちの経験がないはずはない、どうしてミカはこんなにも無警戒だったのだろう。
腰から胸まで長く深く切りつけて、天使の血に濡れた刀を月光に輝かせ、ミカの次の動作を待った。
『…………どうして?』
背後に落ちた大剣を拾うか、炎を放つか、そう予想してそれに対応する動きも考えていたのに、ミカは肩を震わせて泣き始めた。
『……なんで? 魔物使い……ぼく、どうして、きみのてきなの? そんなのやだ、いっしょにきてよ。悪魔ほろぼそ?』
『さっきから何言ってるんだよ! いくら子供のフリしたって無駄だからな、僕はもう二度と騙されたりしないから!』
『だます……? そんなの、ぼく、いっかいもしてない!』
ミカとの会話の記憶は体感では十年以上前のことだ。だが、必死に媚びてやったのに変わらず殺しにかかってきたのは覚えている。騙されたとは少し違うけれど、愛らしい子供の見た目をした邪神に騙された経験があるから、その恨みが今出てしまっているのだろう。
『魔物使いは、ぼくのこと、すきでしょ? だから、ほかの天使おさえて、むかえにきたのに!』
『は……? 何言って…………ぁ』
そういえば──魔界でミカに媚びる時、何度も何度も「可愛い」と言って喜ばせていた。あの後でミカは僕を殺そうとしたから無駄だったと思っていたけれど、アレは無駄だったのではなく認識が違っただけなのか。
『…………うそだったの? だれよりもかわいいっていったくせに! だっこしてくれたのに!』
僕を毛嫌いしていようと気に入っていようと、ミカにとって殺す対象であることには変わりない。ミカからの好感度は殺害後、天界に魂を運ばれてからしか影響しない。
『……ちっ、違うよ。可愛いってのは嘘じゃない。本当に可愛いと思ってるよ。ただ、その、僕はまだ死にたくないんだよ』
『…………すき?』
『え? ぁ、あぁうん、好きだよ』
『……えへへ』
媚びても好感度が上がらないから無駄、ではなく、好感度が上がっても無駄、なのだ。だが、今は怒らせない方がいい。
『……なら、なんでこんなことしたの! ひどいよ、いたいよ!』
『ぁ、いや、だって……殺しに来たって言うから』
『…………そんなに、ころされたくないの?』
『当たり前だろ!?』
この辺りは価値観の違いなのだろうか。人間のように明確な「死」が存在しないから──もはや人間ではなくなった僕が生死を気にするのは滑稽なことなのだろうか。
『……いっしょにきてくれないの?』
『それが死ねって意味ならね』
『…………いきて、したいこと、あるの?』
正直に言うべきではない。魔物と人間の共存だとか、悪魔を率いて正義の国を潰す気だとか、そんなことを言ったらこの国ごと燃やされかねない。
『生きてしたいことって言うか……死ぬのは嫌だよ』
『どうして? いきてるときより、いろんなこと、できるよ? ほかの人間とちがって、地獄におちるしんぱいないのに、どうしてしにたがらないの?』
『…………どうしてって』
『いっしょにいこうよ。ぼくのこと、すきなんでしょ? じゃ、いいよね? できるだけ、そばにおいたげるから、ね? いこ?』
『嫌だって言ったら嫌だ、一人で帰れよ』
考え方が分からない相手を納得させることなんて不可能だ。僕は刀を影の中に落とし、元アシュ邸に帰るため踵を返した。
『………………いっしょに、いこ』
目の前に白い火柱が現れ、慌てて飛び退きながら振り返ると眼前に大剣が輝いた。
『……そのまま、うしろさがって、もえて? そしたらきれいになるから』
浄化してやるとでも言っているのか。さて、どうしよう。炎も剣も透過してしまえば問題はないし、おそらく透明化でミカは振り切れる。だが、ミカに僕がタブリスであるという情報を与えて大丈夫だろうか、レリエルにはバレただろうからいずれ伝わるとは思うけれど、力を使い慣れていない今対抗策を持ち出されては困るから、その情報が広がるのは出来るだけ遅らせたい。天使の伝達能力が大して高くないのも一体感が大してないのも分かっている。
『…………分かった。分かったよ、一緒に行く。だから……剣、下ろしてくれない? 尖ったもの嫌いなんだよね』
ミカは素直に剣を下ろし、指を鳴らして火柱の勢いを増した。背に異常な熱気を感じる、チリチリと髪や皮膚が焼けているのが分かる。僕はそっと紐を絡めた手を顔の前に持ち上げ、赤い筋の入った黒い多面体を眺めた。
『……魔物使い? それ、あぶないから……ぼくにわたして?』
瞼の裏に見知らぬ風景が浮かび上がり、多面体から黒い霧が漏れ出した。霧は大きな鉤爪や翼のような形を整えていくが、ヴェーン邸跡地を覆うように現れた炎のドームに煽られその形は揺らぐ。
『魔物使い! いますぐ、それ、ぼくにわたして。いまなら、まだ、ゆるしたげる』
『……頑張って、空間転移でいいから!』
出来ることならミカを倒して欲しいが、空間転移で逃げて透明化するだけの時間を稼ぐだけでも十分だ。そう考えているのに霧はどんどんと萎んでいく。
『……きいてる? ひによわい……?』
『嘘っ……今までこんなこと……ライアー兄さんっ! 頑張ってよ、空間転移だけでいいんだ!』
とうとう僕の半分ほどの大きさに萎んだ霧の塊の中心には三つに割れた眼が浮かんでいた。だが、あぁ、何だ、これは。
見覚えがある、違う、初めて見た、いや、僕はこれを知っている……のか? この圧倒的な恐怖と安心感は何だ?
『ひっ……!? な、なに!? きもちわるいっ……』
未知でなくてはいけなかった。知ってはいけないものだった。それなのに僕は火柱の前に喚び出した。影が消え失せる炎のドームに包んだ。火に包まれたモノに闇はない。光に晒されたモノは全て既知となる。
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