魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第三十四章 美麗なる妖狐は壮大な夢を見た

食肉

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僕は今翼も角も出さずに実体化している。本質がどうであれ人間のつもりだ。だから、このままベルゼブブが首筋に歯を立てれば簡単に肉が裂けるはずだ。

『……何のつもりです?』

『食べて、いいから……行かないで』

『貴方は食物じゃないって言ってるでしょう?』

『食べれるよっ! 食べられないように僕が透過できるようになったってだけで、僕が食べられたいって思えばっ……多分、大丈夫、だからぁ……お願い、食べてよ……!』

ベルゼブブは深い深いため息をついて、僕の背をポンポンと撫でた。

『……魔物使い様、焼いた革靴皿に盛られたら食べますか?』

『…………食べない』

『それと一緒ですよ。透過がどうとかは問題じゃありません、少し前から出来るようになってたでしょう? 貴方が本質的に人間でなくなったのが問題です、変質ではなく貴方は上位存在に成り代わった。んな気持ちの悪いもん喰えません』

気持ち悪いと言われた経験は多いけれど今ほど傷付いたのは初めてだ。何をやっても解決されない問題がこんなにも悲しいなんて。

『…………究極の二択でよくあるカレー味のクソみたいなことだな?』

『クソみたいな例えしますね貴方、合ってますけどね。数日前までは味も本質も超高級超美味カレーだったんですけどね』

どうしてもダメなら、何をやっても無駄なら、諦めるしかない。気持ち悪いものにいつまでも抱き着かれているのも不快だろうとそっと腕を離した。
ベルゼブブは僕をじっと見ながら立ち上がり、今度は彼女の方から抱き着いてきた。

『…………嫌いになった訳じゃないってのは覚えておいてくださいね。いつか、そのうち、美味しければ革靴でもいいかなって気分になれたら戻りますから。魔王補佐の座は開けておいてください。私以上に補佐が上手い悪魔は居ませんからね』

『……戻ってきてくれるの?』

『誰が二度と会わないなんて言いましたか? 喰えないと分かってても齧りついちゃうくらい美味しそうになってくれたら、早めに戻れますよ』

『分かった……美味しく、なるから…………絶対戻ってきてね』

そんな不思議な会話を終えて、目の前で飛び回り柱を作る無数の蝿を見つめる。最後の一匹が消え、手を振るのをやめ、床にペタンと座り込む。

『……なんだよそれっ……嫌いな訳じゃないなら、美味しそうなら、居てくれてもいいじゃん……食べていいのにぃっ……』

『ああいう奴だから気にすんなよ』

『マンモンさん……マンモンさんは…………僕のこと嫌いになったりしてませんよね?』

ベルゼブブも嫌いになってはいないなんて言っていたけれど、食欲が基礎として強固過ぎると言うべきか意味の分からない思考を披露されて、僕は勝手に彼女に嫌われた気分になっていた。

『はぁ? はぁ……ったく……変質じゃなく成り代わりだから忌避する悪魔は相当増えるが、人格としては変わってねぇんだからさ、関係ねぇだろ。ずっと変わらず、息子にしたぁいって思ってるわ?』

『……マンモンさん』

『娯楽の国とこの国の呪い、兼業でかなり忙しいけどよ、何かあったら相談くらいにゃ乗ってやるぜ? 鞄も使ってあげるからぁ、遠慮しないでね、魔物使いくん』

『…………声変わりすぎて話に集中できません』

『悪かったな、癖なんだよ』

集中は出来なかったが、励ましてくれているのは伝わった。
兄が居なくなって家が燃えてベルゼブブもどこかへ行ってしまって──悪いことが続くけれど、きっと皆この手に戻ると信じて力を付けよう。

「おはよぉー……あー寝過ぎた……ぁ? 何この墓場みたいな空気」

『……おはよ、アザゼル』

乱れた寝間着とボサボサの髪に、グロルならある程度整えてから来るのにな……と笑みが零れた。

「あれ、ベルゼブブ様居ねぇじゃん。もう出かけたのか」

『うん……結構長いみたい。しばらく戻らないって』

「は? マジで? 何しに行ったんだよ……戦力激減じゃね? やべぇなー」

ベルゼブブが座っていた椅子に座り、アザゼルを抱き上げ膝に乗せる。フェルが朝食を作ってくれているはずだ。

『ぁ、お兄ちゃん達今から食べる? 待ってね、今…………あれ?』

鍋を覗き、冷蔵庫を開け、トースターを覗き、フェルは顔をどんどんと青白く変えていく。

『そういや便所蝿さっきその辺でガサガサやってたぞ』

『嘘ぉ! ど、どうしよ……冷蔵庫空っぽだよ、カボチャの皮すらないよ……』

マンモンはため息をついて鞄をひっくり返し、大量の野菜や肉などの食材を床に山盛りにすると部屋を出て行った。鞄の影に丸々と肥えた蝿を隠し持って。

『……ったく、面倒臭ぇよなぁ?』

『ですよねー……ま、仕方ありません』

その蝿はベルゼブブの分身で、全体の三分の一程度の力を持つものだ。彼女はヘルが起きてくる前にいくつかの分身に分かれており、中でも最も強力なのが邸宅に潜む用のコレだ。

『マンモンさん、貴方ちょっと優し過ぎたんじゃないですか?』

『てめぇもな、もっと突き放せよ。なんだそのうち帰ってくるってよぉ』

『……だってあの方、帰るって言っておかないと次会った時に殺しにかかってくるでしょ』

『はぁ……? んなわけねぇだろ』

玉藻を取り逃し、元アシュ邸に戻り、ヘルが部屋に居た間。彼らはアスタロトからサタンの命令を聞いていた。
その内容は「魔物使いの精神を壊さない程度に弱らせること」だ。魔力を支配する魔物使いの存在は悪魔にとって大きい。人界で悪魔の軍が不自由無く動くためには魔物使いが必要不可欠だが、魔物使いが居れば束縛感がつきまとう。いつ魔力を封じられるか、吸い取られるか、そんな可能性が常にあるのだ、安心して動き回ることは出来ない。
だから悪魔は魔物使いを『王』ではなく『道具』として扱いたい。王として持ち上げて力を付けさせ、頃合いを見て自我を破壊しサタンの操り人形とする。それがサタンが前例を鑑みて出した結論だ。

『…………便所蝿、情湧いてねぇだろうな』

『貴方、食材を愛玩します?』

『家畜を可愛がり過ぎて食肉として扱えなくなったって人間の話はたまに聞くぜ?』

サタンは孤独を演出するためにベルゼブブが見限るような演技をすることを命令した。マンモンには無関心を演じることを命令した。人間が孤独を感じるのは嫌悪よりも無関心、そうサタンは考えている。

『……まぁ、情だとかはそもそも悪魔には存在しませんよ。それより、これからの動きを確認しましょう』

『てめぇは気付かれないように警護するだけだろ? 楽だよなぁ、魔物使いくんもそろそろ何に殺されるってこたねぇだろうしよ』

『貴方は裏から手を回して精神的に揺さぶりかけるんでしたっけ?』

『そーそ。そういう細けぇ作業苦手なのよねー』

マンモンは手の上の蝿を床に叩きつけると蝶を模した怪しげな仮面を被った。

『とりあえず娯楽の国帰るわ。じゃあねん、ベルゼブブ様?』

『……お元気で』

身体の割に小さな四枚の翅を震わせ、蝿は柱の影になった壁に止まる。
触角を揺らし、翅を震わせ、腹を不気味に収縮させる。

『…………サタン様、ちゃんと出来たら褒めてくれますかね』

ボソリとそう呟き、数秒後には前言撤回だとでも言いたげに喧しく翅を鳴らした。
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