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第三十四章 美麗なる妖狐は壮大な夢を見た

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マンモンの部屋の様子は僕が最後見た時とは変わっていた。家具を総入れ替えでもしたのだろう、色味からして違う。
一瞬別の部屋なのかとも思えたその中心に置かれたソファの上で眠るアルと玉藻らしき狐を見つけ、僕は蝿の大軍を押しのけて走った。

『……ヘル!』

アルがばっと顔を上げ、その黒い瞳をキラキラと輝かせて飛び込んでくる。僕はしっかりとアルを抱きとめ、ベルゼブブの方へ受け流してアルに比べると小さな狐の頭を掴んだ。見開かれた金眼を睨み付け、ミシミシと頭蓋骨を鳴らす。

『やぁ……玉藻、何時間ぶりかな。よくもアルに……』

何をしたのか詳細は聞いていないが、拷問をしたとアスタロトは言っていた。

『ヘル? どうしたんだ、その狐がどうかしたのか?』

太腿に擦り寄るアルに空いている左手を伸ばそうとして鬼らしい鋭い爪に気が付いて手が止まる。アルを傷付けてしまうかもしれない──と。
恐る恐る自らの額に手を当てれば角に触れる。アルには鬼の姿は見せたくなかった。夢と思い込ませた別世界の出来事について何かを察するかもしれない。

『その狐は華陽という名らしい、貴方の知り合いだったのか? 貴方の口調を仕草をまぁまぁ上手く真似ていたぞ』

『…………華陽? 玉藻じゃなくて?』

頭を掴まれた狐は脚や尾を暴れさせることなく僕を睨んでいる。その金眼は僕が覚えている玉藻の瞳と一致するが、別人……別狐なのか? 僕に狐の見分けがつかないだけなのか?

『そんなに九尾が何匹も居ちゃたまりません。偽名でしょ、狐ってのはそういうもんです。ほらヘルシャフト様、殺すならとっとと殺してその魔力収めてくださいよ、お腹空いてきちゃいます』

『九尾……? 待ってくださいベルゼブブ様、華陽は八尾です』

狐を掴んだ腕を頭上に挙げ、もう片方の手で尻尾をかき分けながら数える。確かに、八本だ。

『え……別人? 嘘、だってアスタロトは──』

アスタロトはアルの居場所と拷問を数時間受けていたこと、そして今は眠らされているということだけを教えてくれた。玉藻については言及していない。

『………………じゃあ、玉藻はどこ? 華陽……だっけ、君なんでここに居るの?』

『ヘル、先程から言っているその玉藻というのは何者だ?』

僕は念の為に狐の首を掴み、足の間に身体を挟んで固定し、ソファに座った。玉藻本人ではなくても手下という可能性はまだ残っている。

『アルが攫われて、拷問受けたっていう狐だよ……九尾の』

『…………私は攫われていないし拷問など受けていないぞ?』

『……え? じゃあ、何で……ここに』

『華陽が貴方に化けていてな、家が火事になったからベルゼブブ様に伝えようと自分で飛んだのだ。私は自分の意思以外で移動していないし、苦痛を受けた覚えも無い』

『あらぁ……話が違うわね。ねぇ便所蝿? あの兎馬は再教育が必要よ?』

どういうことだ? アスタロトが嘘を吐いた? そんな馬鹿な、彼にその嘘を吐くメリットはない。いや……そもそもアレは本当にアスタロトだったのか? アスタロトの振りをしてマンモンの術を逆手に取った玉藻ではないのか? そもそもお菓子の国に居た玉藻がヴェーン邸に居たアルに接触することなど有り得るのか?
ダメだ、分からなくなってきた。

『アスタロトは後でとっちめます。それより今はこっちですね。で? ヘルシャフト様に化けた理由は何ですか?』

『……私に惚れていたと言っていました』

『ふぅん……? なーんかきな臭いんですけど……まぁ否定しにくい理由ですね。っていうか火事って何なんですか? 何かもうめちゃくちゃですよ』

『情報めちゃくちゃねぇ……めんどくせぇなクソが』

そうだ、火事……あの火事は恐らく玉藻の仕業だ。彼女は火の術を扱う。となればやはり玉藻は酒色の国に来ていて──いや、僕を連れ出した時に火を放ったのか?

『……私に伝えたかったんならどうしてこんな所に居るんです? ここマンモンの家ですよ? 海越えてますよ』

『え……? いえ、ベルゼブブ様。ここは元アシュメダイ邸ではありませんか』

『はぁ? 何言ってんですか先輩……』

『……ここ俺の家だぞ? ぁんっなやることなすこと全部中途半端なクソビッチと一緒にすんな』

アルはここをアシュ邸だと思っていた、いや、今もそう思っている。指摘された今も気が付いていないのなら何らかの術をかけられている可能性がある。認識阻害、認知湾曲、幻術……そんなところか。幻術ならばやはり玉藻の仕業だ。いや、狐が種族として得意な術ならば華陽の可能性もあるのか?

『……先輩が馬鹿なこと言ってますけど、まぁそれは弟君かクソアマ……クソ野郎に調べさせるとして、九尾が居ないんなら帰りましょう』

『九尾の行方は調べさせておくわ、分かったら伝えるから気長に待ってて』

『…………心配を掛けたようだな、済まない』

『こいつは?』

僕は狐の首を軽く絞めたままグイッと三人の方へ向けた。

『ぁー……ま、ほっとけばいいんじゃないですか? マンモン要ります?』

『そうねぇ、八尾なら色々と使えそうだけど……』

『…………ヘル、その者はそう大した事はしていない。そんなに絞めてやるな』

三人は狐に興味を持っていないようだ。すぐに解放されるだろうと勘違いした狐は口の端を僅かに吊り上げた。

『……そうだね、大した事はしてない。別に僕は拷問趣味ないし…………一思いにやってあげる』

『……っ!? 待てヘル! 殺す気か……?』

アルの右前足が狐の首に絡めた腕に乗る。このまま首を折ってしまおうと思っていたし、アルの制止なんて大した事はない。だが、僕はアルの話を聞いて狐の頭の上に置いた手を首を絞めるのに戻した。

『確かに、貴方に化けて私を騙しはしたが、それだけだ。火事にも玉藻とやらにも関係が無い。先程も言ったが私は攫われていないし拷問も受けていない、此処で眠っていただけだ、私は何ともない』

『…………で?』

『……で、とは』

『何で止めたの? 何か殺しちゃダメな理由あるんでしょ? 早く言ってよ』

アルは呆然とした顔で僕を見つめている。殺すなと言った訳ではなかったのか? なら何故止めたのだろう。
僕は釈然としないまま、とりあえず首を折ってしまおうと再び狐の頭の上に手を置いた。

『待て! 待て、ヘル……何故殺すんだ。そこまでの事はしていないだろう? いいか? それは貴方が憎む玉藻とやらではない、似ているのかもしれないが別人だ』

『…………何言ってるの、アル。この狐は君のことが好きだって言ったんだよね?』

確かにアルは「私に惚れていた」と言った。アルと恋人気分が味わいたいがために僕に化け、アルを騙した。そんな狐をアルが庇う理由は何だ?

『ヘル……? どうして』

『…………どうしてそんなに嫌がるの? まさか好きだって言われてあっさり落ちちゃった? アルは僕のお嫁さんでしょ? 帰ったらそれを嫌ってくらいに教えてあげる。僕以外の生物なんて見えないようにしてあげるからね』

『違う! 何故そうなる、私は貴方一筋だ!』

『……じゃあなんで嫌がるのさ。情でも湧いた?』

『ヘル……殺す程の事では無いだろう?』

アルが何故そうも嫌がるのか理解出来ない。違うとは言っているが、寄せられた想いに揺らいでいるに違いない。四足歩行でイヌ科、自分とは反対の黄金色の毛並み、僕よりもアルに好かれる見た目なのは間違いない。化ける事が出来るのなら飽きも遠い。

『………………浮気なんて許さないから』

首に巻いた腕に力を入れ、頭を掴んだ腕を思いっ切り捻る。ただそれだけの単純な処刑を行おうとした僕の身体は炎に包まれた。

『干渉遮断……!』

咄嗟に存在を薄めて炎から逃げ、ソファをすり抜けて後ろに飛び、生やした翼で僅かに浮遊した。
僕の腕の中から逃げた狐は美女の姿を取り、窓を割って逃げて行った。

『あぁーっ! クソってめぇ待てコラ弁償しろ!』

マンモンが窓の外に向かって怒号を上げ、ベルゼブブは腕を組んで触角を揺らしていた。

『……先輩って女に好かれるタイプなんですね。私女同士は別に好きじゃないんですけど…………そもそも獣ですしねー……盛ってるだけじゃんって』

『何の話してんだ便所蝿、てめぇ窓弁償しろよ』

『私関係無いでしょう、嫌です』

一瞬だけ見えたあの女には覚えがある。忘れもしない玉藻の姿だ。そうだ、人間に化けるくらいだ、尾を一本少なく見せるくらい容易だろう。名前だっていくらでも偽れる。
今すぐに終えば追いつけるだろうか、マンモンの鞄から引き摺り出せるだろうか、玉藻を捕らえる方法を考えていた僕はアルが向けている視線に気が付かなかった。
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