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第三十三章 神々の全面戦争
嵐と蝿
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蝿を吹き飛ばし、バアルは焦ったように周囲を見回している。そんな彼を嘲笑うかのように彼によく似た少女が雲の中から現れた。
その途端に雲は消え、バアルは危なげなく地面に着地する。
『……生きてたんですか』
『貴方より健康ですよ』
瓜二つの少年と少女。少女の方には二対の翅と触覚があり、人間の生理的嫌悪感を煽る。
「ベルゼブブ! ベルゼブブ、そいつは……君の」
ベルゼブブは僕に気が付き、笑みを浮かべて手を振った。
『悪魔にまで堕ちてるとは思いませんでしたよ。私から分かれた頃はまだ精霊止まりじゃありませんでした?』
『貴方が人界から閉め出された後色々ありましてね。まぁ、マイナーに成り下がっちゃった貴方には関係のない話です』
『誰がマイナーだこのクソ小バエがっ!』
『あーぁー嫌ですねぇキレっぽくて』
相手を煽る能力はベルゼブブの方が上だ。戦闘になったら魔力を供給し続けなければならない、タイミングを測る僕の視界が突然黒い霧に包まれた。
『…………悪い、逃げられた』
霧は首から下げた形見の石に吸い込まれて消え、晴れた視界には無表情のまま兄の前に立つトールが居た。
『追い出せないの? 石の中入ったよね』
『さっきは上のと石が繋がっていたからな。今は完全に分離している。石を壊すならそれでもいいが、石はただの門だ、接触は絶てても存在は消せない』
『それでもいいよ、壊して』
兄が僕の前に手のひらを広げる。石を出せ、と言っているのだ。僕は服の上から石を握り締め、首を振った。だが、兄は引かない。
『ヘル、我儘言わないで』
説得できるとは思えなくて、何も言葉が思い付かなくて、ただ首を振る。そうしていると僕と兄の間にアルテミスが割り込んだ。
『…………何?』
「……この間この国に来た時、聞いたのよ。兄貴の形見だってね」
『……僕はそんなの渡してない』
「アンタじゃないのよ、アンタは酷い方の兄貴。この形見は優しい方の兄貴の物なんですって。形見を壊すなんて……嫌よね、ヘル」
味方をしてくれているのか? それはとてもありがたいが、酷い方と言っていたのをバラさないで欲しかった。
『ヘルのお兄ちゃんは僕だけだし、嫌だとかそういう問題じゃない。君も見ただろ、邪神がその中に居るんだよ、ヘルに取り憑いたりもする』
「アタシだって壊した方がいいと思う。でも……形見なのよ? もう少し考えてやってもいいでしょ? せめて言い方変えなさいよ、アンタそれでも兄貴?」
『……誰の形見だって言うの? ヘルのお兄ちゃんは僕だけで、ヘルには僕以外必要無い。ヘル、その石を渡して』
全員の視線が僕に向く。僕はその視線から逃れるために俯き、石を両手で握り締めて首を激しく横に振った。
『…………じゃあもういいよ!』
『……エア、待て!』
顔を上げた時にはもう兄は居なかった。
「………………にいさま?」
見回しても兄らしき影は見当たらない。僕はトールの服を引っ張り、兄はどこかと聞いた。
『……分からないな、探してくる』
「ぁ、おっ、お願いします。できるだけ早く……」
『見つけても連れてこられるかどうかは知らないがな』
トールは僕の手を払い、数歩歩いた。目の前に雷が落ち、地面に焦げ跡を残してトールも消えた。
「……なんなのよアイツら。ヘル、大丈夫?」
「アルテミスさん……どうして、どうしてにいさまは……どこに行っちゃったんですか? なんで……」
「知らない。ほっときなさいよあんなクズ」
どんなクズだろうと兄には変わりない。唯一無二の兄なのだ。自分から僕の元を離れるなんて……過去にもあった。あの時は確か──娯楽の国に居て、アルと再会させてくれて姿を消したんだったか。その後兄は魔法の国でフェルを作って僕への態度を変えようと努力していらしいけれど、今も同じような理由なのだろうか。
『ヘルシャフト様、ヘルシャフト様ー! 何ぼーっとしてんですか』
『仕方ありませんよ、小バエさんじゃ脳の容量に限界ありますから』
「ベルゼブブ……と、バアルも。え……何してるの?」
僕の服の裾を引っ張る翠の髪の少女、その背後の翠の長髪の少年。どちらも真っ赤な瞳を僕に向けて不満そうにしている。
『…………不完全なままじゃ神降の国を滅ぼすのも信仰を集めるのもキツそうですし……このまま再び人界への干渉権を失うくらいなら』
『一つに戻りましょうってことになったんですよ。元々一人だったので話は結構とんとん進みましたよ』
「……え、戻れるの? っていうか……元に戻ったらこの国への侵攻再開するよね!? ダメだよ!」
僕の背後では神具使い達が各々の神具を構え、バアルの動きをじっと観察している。少しでも不振な動きを見せればベルゼブブを巻き込んでも攻撃を開始するだろう。
『属性や人格が綺麗に分かれている以上、一つに戻るならどちらかが消えることになりますね』
『……多分私が消えますよ。干渉権の期限切れも近いですしね』
「…………バアルにメリットがないよね? ダメだよベルゼブブ、怪しい」
自分が残るという確信がなければこんな話を持ちかけることも了承することもないだろう。
『元々一つなので、分かるんですよ。大丈夫です』
『…………人間に信仰されることはもう出来ないんです。神界はクソつまんないんですよ……私もう他の世界にも干渉出来ませんし、本当にもうただ死を待つだけなんですよね。神の死を知っていますか? 神同士で殺し合いでもおきなければ、人に忘れられた神はゆっくりゆっっくり身体の末端から崩れていくんですよ、それが何億年……いえ、到底人間に認識出来る時間じゃありません。その苦痛や情けなさは人間には分からないでしょうね。ここで消えた方がマシなんですよ』
「…………どうせなら楽に死にたいってこと?」
『……ま、人間の知能じゃそんな不敬な結論が限界ですよね』
嘲るような口調ながらもバアルの表情は暗い。
『で、確実に私が残るためにヘルシャフト様には魔力を頂きたいんですよ。力の強い方が残りますからね』
『……私はもう散々使ってスッカスカですけどねー』
バアルの話が嘘だとしても、ベルゼブブの言う人格を残す条件は真実だろう。全てバアルから聞いた話なんてありえない、ベルゼブブがそれを信用するとは思えない。
ベルゼブブが確信を持って僕に話しているのならそれは彼女にとって真実だ。今の状態でバアルの力が勝っていたとしても、バアルがそれを巧妙に隠していたとしても、僕がそれを超える魔力を与えれば何の問題もない。
「……分かった。食べていいよ、ほら」
『…………兄君の姿が見えませんが、大丈夫ですか?』
「平気。いいからほら、食べて」
シャツを引っ張り、頭を傾け、首筋を晒す。痛みは感じないようにと望めばベルゼブブがいつ噛み付いたのかも分からなかった。
「……ヘル君、大丈夫……?」
ヘルメスが僕の顔を覗く。
「大丈夫です、ヘルメスさん。ちょっと話しにくいんですけど……痛くはありませんし、すぐ治りますから」
「…………我慢しちゃダメだよ」
「してません。本当に平気なんですよ。心配してくださってありがとうございます」
どんなに笑顔を作ってもヘルメスの心配そうな顔が晴れることはなく、ベルゼブブの食事が終わって傷を治して見せても笑顔は見られなかった。
『じゃ、行きますよバアル・ゼブルさん』
『…………どーぞ』
『はーい、いただきまーす……』
ベルゼブブの姿が歪み、獣を思わせる巨大な蝿へと変わる。光沢のある翠の身体の蝿はバアルを呑み込み、体内でペキペキと音を立てた。
再び現れた少女の姿に変化は見られない。
「……ベルゼブブ?」
『はい! ベルゼブブですよ、ヘルシャフト様』
「…………食べるんなら魔力がどうとか関係ないんじゃないの」
『神性を舐めちゃいけませんよヘルシャフト様。神性を食べる時は常に乗っ取られる可能性がつきまとうんです。ヘルシャフト様に魔力をいただいていなければ今貴方と話している私はバアルだったのかもしれません』
悪魔や神性について調べ、学んだとしても、きっとこういった細かな感覚までは分からない。
ベルゼブブが僕を食べたかっただけではないのかなんて疑いは持たないでいよう。仲間なのだ、彼女を信用しよう。
今はそれよりも……兄が居ないこの状況で、壊れた神降の国の街並みやヒビの入った城壁、消えた山をどうするか考えなければ。
その途端に雲は消え、バアルは危なげなく地面に着地する。
『……生きてたんですか』
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『それでもいいよ、壊して』
兄が僕の前に手のひらを広げる。石を出せ、と言っているのだ。僕は服の上から石を握り締め、首を振った。だが、兄は引かない。
『ヘル、我儘言わないで』
説得できるとは思えなくて、何も言葉が思い付かなくて、ただ首を振る。そうしていると僕と兄の間にアルテミスが割り込んだ。
『…………何?』
「……この間この国に来た時、聞いたのよ。兄貴の形見だってね」
『……僕はそんなの渡してない』
「アンタじゃないのよ、アンタは酷い方の兄貴。この形見は優しい方の兄貴の物なんですって。形見を壊すなんて……嫌よね、ヘル」
味方をしてくれているのか? それはとてもありがたいが、酷い方と言っていたのをバラさないで欲しかった。
『ヘルのお兄ちゃんは僕だけだし、嫌だとかそういう問題じゃない。君も見ただろ、邪神がその中に居るんだよ、ヘルに取り憑いたりもする』
「アタシだって壊した方がいいと思う。でも……形見なのよ? もう少し考えてやってもいいでしょ? せめて言い方変えなさいよ、アンタそれでも兄貴?」
『……誰の形見だって言うの? ヘルのお兄ちゃんは僕だけで、ヘルには僕以外必要無い。ヘル、その石を渡して』
全員の視線が僕に向く。僕はその視線から逃れるために俯き、石を両手で握り締めて首を激しく横に振った。
『…………じゃあもういいよ!』
『……エア、待て!』
顔を上げた時にはもう兄は居なかった。
「………………にいさま?」
見回しても兄らしき影は見当たらない。僕はトールの服を引っ張り、兄はどこかと聞いた。
『……分からないな、探してくる』
「ぁ、おっ、お願いします。できるだけ早く……」
『見つけても連れてこられるかどうかは知らないがな』
トールは僕の手を払い、数歩歩いた。目の前に雷が落ち、地面に焦げ跡を残してトールも消えた。
「……なんなのよアイツら。ヘル、大丈夫?」
「アルテミスさん……どうして、どうしてにいさまは……どこに行っちゃったんですか? なんで……」
「知らない。ほっときなさいよあんなクズ」
どんなクズだろうと兄には変わりない。唯一無二の兄なのだ。自分から僕の元を離れるなんて……過去にもあった。あの時は確か──娯楽の国に居て、アルと再会させてくれて姿を消したんだったか。その後兄は魔法の国でフェルを作って僕への態度を変えようと努力していらしいけれど、今も同じような理由なのだろうか。
『ヘルシャフト様、ヘルシャフト様ー! 何ぼーっとしてんですか』
『仕方ありませんよ、小バエさんじゃ脳の容量に限界ありますから』
「ベルゼブブ……と、バアルも。え……何してるの?」
僕の服の裾を引っ張る翠の髪の少女、その背後の翠の長髪の少年。どちらも真っ赤な瞳を僕に向けて不満そうにしている。
『…………不完全なままじゃ神降の国を滅ぼすのも信仰を集めるのもキツそうですし……このまま再び人界への干渉権を失うくらいなら』
『一つに戻りましょうってことになったんですよ。元々一人だったので話は結構とんとん進みましたよ』
「……え、戻れるの? っていうか……元に戻ったらこの国への侵攻再開するよね!? ダメだよ!」
僕の背後では神具使い達が各々の神具を構え、バアルの動きをじっと観察している。少しでも不振な動きを見せればベルゼブブを巻き込んでも攻撃を開始するだろう。
『属性や人格が綺麗に分かれている以上、一つに戻るならどちらかが消えることになりますね』
『……多分私が消えますよ。干渉権の期限切れも近いですしね』
「…………バアルにメリットがないよね? ダメだよベルゼブブ、怪しい」
自分が残るという確信がなければこんな話を持ちかけることも了承することもないだろう。
『元々一つなので、分かるんですよ。大丈夫です』
『…………人間に信仰されることはもう出来ないんです。神界はクソつまんないんですよ……私もう他の世界にも干渉出来ませんし、本当にもうただ死を待つだけなんですよね。神の死を知っていますか? 神同士で殺し合いでもおきなければ、人に忘れられた神はゆっくりゆっっくり身体の末端から崩れていくんですよ、それが何億年……いえ、到底人間に認識出来る時間じゃありません。その苦痛や情けなさは人間には分からないでしょうね。ここで消えた方がマシなんですよ』
「…………どうせなら楽に死にたいってこと?」
『……ま、人間の知能じゃそんな不敬な結論が限界ですよね』
嘲るような口調ながらもバアルの表情は暗い。
『で、確実に私が残るためにヘルシャフト様には魔力を頂きたいんですよ。力の強い方が残りますからね』
『……私はもう散々使ってスッカスカですけどねー』
バアルの話が嘘だとしても、ベルゼブブの言う人格を残す条件は真実だろう。全てバアルから聞いた話なんてありえない、ベルゼブブがそれを信用するとは思えない。
ベルゼブブが確信を持って僕に話しているのならそれは彼女にとって真実だ。今の状態でバアルの力が勝っていたとしても、バアルがそれを巧妙に隠していたとしても、僕がそれを超える魔力を与えれば何の問題もない。
「……分かった。食べていいよ、ほら」
『…………兄君の姿が見えませんが、大丈夫ですか?』
「平気。いいからほら、食べて」
シャツを引っ張り、頭を傾け、首筋を晒す。痛みは感じないようにと望めばベルゼブブがいつ噛み付いたのかも分からなかった。
「……ヘル君、大丈夫……?」
ヘルメスが僕の顔を覗く。
「大丈夫です、ヘルメスさん。ちょっと話しにくいんですけど……痛くはありませんし、すぐ治りますから」
「…………我慢しちゃダメだよ」
「してません。本当に平気なんですよ。心配してくださってありがとうございます」
どんなに笑顔を作ってもヘルメスの心配そうな顔が晴れることはなく、ベルゼブブの食事が終わって傷を治して見せても笑顔は見られなかった。
『じゃ、行きますよバアル・ゼブルさん』
『…………どーぞ』
『はーい、いただきまーす……』
ベルゼブブの姿が歪み、獣を思わせる巨大な蝿へと変わる。光沢のある翠の身体の蝿はバアルを呑み込み、体内でペキペキと音を立てた。
再び現れた少女の姿に変化は見られない。
「……ベルゼブブ?」
『はい! ベルゼブブですよ、ヘルシャフト様』
「…………食べるんなら魔力がどうとか関係ないんじゃないの」
『神性を舐めちゃいけませんよヘルシャフト様。神性を食べる時は常に乗っ取られる可能性がつきまとうんです。ヘルシャフト様に魔力をいただいていなければ今貴方と話している私はバアルだったのかもしれません』
悪魔や神性について調べ、学んだとしても、きっとこういった細かな感覚までは分からない。
ベルゼブブが僕を食べたかっただけではないのかなんて疑いは持たないでいよう。仲間なのだ、彼女を信用しよう。
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