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第三十一章 月の裏側で夢を見よう

双子水入らず

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パフェを食べ終わる頃、フェルは机の下で杖を振って魔法陣を描き、盗まれた財布を取り返そうとしていた。
空間湾曲の魔法は難しい部類だ。もう少し待つべきだろう。僕はそう判断し、ジュースを飲んで店の内装に目を移した。

『…………よし、取り返した。中身も……無事だ。お兄ちゃん、財布取り返したよ』

「あ、うん」

『店、出る?』

「そうだね……出よっか」

ちょうど手の空いていた店員に伝票を渡す。淫魔達は何も払わずに店を出ているようだが、何も頼まず居座っていたのだろうか、それとも常連だからツケ払いとか……なんて、余計なことを気にするのは悪い癖だ。

『お兄ちゃん、帰ろ。そろそろ暗くなるし』

「うん……そうだね。怒られないかなぁ」

街は昼間以上に明るい。空を見上げても月以外の灯は見えず、ただただ黒ばかりが広がっていた。邸宅は街外れにあったはずだと中心街を離れ、薄暗い道を通る。

「方向合ってるの?」

『分かんない。でも、こっちだって思う方の反対行ってみてるよ。いつも反対行っちゃうからさ』

「そういう時に限って最初の勘が当たってたりするんだよ」

道に迷わない人は道を勘で決めたりはしていないのだろうか。

「……あ! そうだ、カヤ! 僕とフェルを家に連れて帰ってよ」

寒気を感じ身を縮めると目の前に半透明の犬が現れる。カヤは僕達の襟首を咥えて投げて自分の背に乗せると、三階建ての屋根の上に軽く跳んだ。

『いつもみたいに瞬間移動みたいなのしないの?』

カヤは人を咥えてまるで空間転移にも思える速さで移動出来る。アルも運べるのだから、二人や三人乗せてもあの移動は出来るだろう。
しかしカヤは今普通の犬程度の速さで走っている。それはおそらく、僕が夜景を見たいと声に出さず願っていたからだろう。

『行こうとしてた方向と九十度違う。惜しいなぁ……ぁ、わぁ、お兄ちゃん見て見て、下すごく綺麗』

中心街の灯りが見える。中を歩いていれば目に悪い鮮やかさの電灯も遠くから見れば美しい光だ。

「高くてちょっと怖いけど、でも……本当、綺麗だね」

『一瞬帰りたいとか思ったけど、サボってよかったかも』

「帰ったら怒られるかな」

『…………帰りたくないなぁ』

「怒られないタイミングって無いかな」

どれだけ心配したと……と怒るタイミング。無事に帰って来てよかった……と喜ぶタイミング。それを見極めたい。
まぁ、全員の心境が合う時など来ないだろうし、長引けば長引くほど帰り辛くなる。怒られませんようにと祈って早く帰ろう。そう考えた直後突風を感じ、いつの間にか邸宅の庭に立っていた。

「…………ありがと、カヤ」

中心街から離れたら夜景は楽しめない。カヤは本当に僕の思い通りにしか動かない可愛い子だ。
僕達は抜け出した時と同じ要領で窓から部屋に入り、靴を魔法で玄関に戻した。
部屋には誰も居らず、誰かが入った様子もない。

『……気付いてないとか、ないかな』

『あるといいけど……それはそれで寂しいかも』

少なくとも兄は気が付いて居るだろう、結界の出入りは感知されるはずだ。
夕食は誰が用意しているのか、もうしばらく待たなければフェルに押し付けられるだろうか、そんなことを考えていると、閉じたはずの窓が外側から開かれた。

「誰っ! って……にいさま、何でそんなとこから……」

後ろ手に窓を閉じ、兄は不機嫌そうに僕達を見つめる。その手には真っ二つに折れた箒があった。

『……急に走らないでよね、追いかけるの大変なんだから。箒折れちゃった』

『にいさま……まさか、ついて来てたの?』

『当たり前だろ?』

折れた箒を燃やし、兄は部屋を出て行く。扉を閉める直前、顔だけを覗かせて言った。

『今度はお兄ちゃんも誘ってね』

ぱたんと閉じた扉を見つめたまま、僕達は同時にベッドに腰を下ろした。

『怖いね……』

「まぁ、安心だったみたいだけど」

『どうする?  ダイニング行く?』

「いや、みんな夕飯の支度フェルがしたと思ってるから、まだ行かない方がいいよ。みんな行って夕飯無いって気付いて、作り始めたくらいに行こう」

『流石お兄ちゃん、こすい』

兄というのは清廉潔白ではなく、少し狡賢いくらいがいい。息が詰まる模範ではなく、一番の悪友となるのだ。尊敬よりも信頼が良い。

『じゃ、トランプでもしようか』

この部屋には無い。そう言おうとしたが、フェルは頭を傾けて首筋に手を添え、体内からカードケースを取り出した。

『カードゲームとか地図とかコンパスとか……色々入れてるよ』

僕の驚愕の視線に気が付いたフェルは笑顔でそう言った。僕は気味が悪いという本音を押し殺し、便利だねと微笑んだ。


トランプを使ったゲームの種類は多く、部屋にこもっていた僕はその多くを知っている。兄が遊んでくれることは少なかったが、一人二役を演じる程度僕には朝飯前だった。

『はい、あがり』

「えっ……だ、だうと……」

『そのゲームじゃないって。お兄ちゃんよわーい』

僕は今、七連敗中。思考回路は同じでも、動体視力や記憶力はフェルが遥か上を行く。
賭けなければ本気になれないと夕食のメインを賭けていたが、これで僕は向こう一週間主菜無しで過ごすことになる。

『どうするお兄ちゃん、一週間サラダとスープとパンだけになってるけど、まだやる?』

「……やる」

フェルは夕食を食べていないので、承認無しで酒呑のものを賭けている。日頃の恨みというやつだ。

『ところでさ、みんな夕飯できたって呼びに来るの部屋で待ってるとかないよね』

「アル部屋に居ないし、それはないと思うけど……ぁ、やった! フルハウス、これは勝ったよね」

『残念、ロイヤルストレートフラッシュ』

「なんでだよっ!」

これ以上夕食を減らされたら衰弱してしまう。賭けるものを変えるか、賭けをやめるか、トランプをやめるか……

「……ね、チェスとかないの?」

『作れるけど』

フェルの指先がドロッと溶け、溢れた液体が盛り上がって固まりポーンの形となる。

「い、いや、それならいいよ。次、ブリッジやろブリッジ」

それからもゲームは続き、僕はとうとう向こう一ヶ月の夕食のメインを失った。これだから賭け事は嫌いだ──と、扉を叩く音がする。開いていると返事するとグロルが……いや、アザゼルが入って来た。

「やべーぜ王様、鬼共が山で鹿狩ってきて今それをそのまま煮込んでる。ベルゼブブ様は牧場から牛盗んで来るって言ってたし、コウモリ共はそれ聞いてレストランに逃げた。キマイラ共は責任逃れで地下にこもってるし、関係ないとこでダンピールがぶっ倒れた」

『地獄絵図……?』

「僕達もレストラン行こうか。アザゼル、留守番お願いね」

「連れてけよぉ! 飯食わせろ! 幼児虐待だぞ!」

「…………それは三日食べてないところに劇薬飲まされてから言えよ」

「レベル高ぇよ!」

喚くアザゼルを連れて玄関へ向かう。門を抜けたところで邸宅の方を振り返ると二階の窓から兄がこちらをじっと見ていたので、仕方なく手招きした。
兄弟三人に堕天使一人、この集団は傍から見ればどんな関係に見えるのだろう。



レストランでの食事を終えて邸宅に戻ると、玄関からダイニングまで何かを引き摺ったような血の跡が出来ていた。
兄の腕に抱き着いて恐る恐るダイニングを覗くと、机や床や壁は赤く染まっていた。どうやら狩ったり盗んだりした動物を適当に解体したらしい。

『へふひゃふほはははは、おふぁえりあふぁい』

「……何て?」

『……んっく。ヘルシャフト様方、おかえりなさいと言いました』

「うん、食べながら話さないでね」

ベルゼブブは調理済みの肉を好んでいたのではないのか。鹿や牛の内臓を目の前で貪られるのはかなりの嫌悪感を抱く。人間よりはマシだけれど、僕が何の不快感も抱かないのは小魚くらいのものだろう。

『兄君弟君、最近ちゃんと人間食べてます?』

『そりゃ、君と違って人間しか食べられないし。ヘルには分からないようにしてるよ』

気遣いは嬉しいが、それを本人の前で言うのはどうかと思う。僕の居心地悪さに気付いたのか兄は僕の腕を引いて僕の部屋に向かった。

「じゃーな王様、おっやすみぃーん。今日も夜這いするぜ」

「にいさま、結界お願い」

「お前女に興味無いの……?」

「少なくとも君には無いかな」

部屋の前でアザゼルと別れ、兄弟達と部屋に入る。まだ眠るには早いし、風呂はキマイラ達が入っているらしい。なるべく彼らが入る前に入りたい、毛だらけの浴室や浴槽は不快極まりない。

『じゃあお兄ちゃん、トランプタワーを早く作った方が勝ちゲームの続きしよう』

「二段目に行けないんだけど……」

トランプを半分に分け、フェルと向かい合ってタワーを作っていく。兄はその様を不思議そうに、どこか嬉しそうに眺めていた。
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