魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

文字の大きさ
503 / 909
第三十一章 月の裏側で夢を見よう

うろ覚えの呼吸

しおりを挟む
見渡す限りの人、人、人……目眩がしてきた。何も集団の中に紛れるのが初めてという訳では無い、もっと大勢が賑わう街中を歩くこともある。
しかし、同じ服を着た人間が大勢居るというのは、後ろから見ても見分けがつかないというのは、気持ち悪い。

「ヘル、どうした。顔色が悪いぞ」

ここは学校だと意識すると呼吸が不規則になる。辞めさせられた、その後も虐められた、退学になったせいで母に殺されかけた、ずっと兄に殴られてきた。

「ア……ル。アルっ、アルぅっ……」

「ああ、私は此処だぞ。やはり体調が悪いのか? 保健室まで連れて行こう、歩けるか?」

「…………誰? アル……アルは? アルはどこ?」

「私なら此処に居るだろう? ほら、立て」

銀髪の少女が座り込んだ僕の腕を引っ張る。この子は誰だっけ? アルはどこだろう。どうして傍に居ないのだろう。僕がこんなに苦しんでいるのに。

「よっ……と、ヘル、私の鞄も持ってくれ」

見知らぬ少女に横抱きにされる。胸の上に鞄が二つ置かれる。無数の視線が僕に向けられていると感じる、嘲笑が聞こえる。

怖い。

苦しい。

気持ち悪い。

嫌だ、こんな場所に居たくない。僕はアルと二人だけで、ずっとベッドの上で……


『ヘル! ヘル、ヘル!』


……アルの声がする。目を開けると真っ白い天井が見えた、知らない場所だ。

『ヘル、大丈夫か? 酷く魘されていたぞ』

隣にアルが居る。美しい銀狼だ、視界の端に黒翼や黒蛇が揺れている。大丈夫だよと言って抱き締め、幸せに浸って目を閉じる──と、毛皮の感触が消えた。

「……ヘル? 大丈夫なのか? 返事をするんだ。もう一度聞く、大丈夫か?」

僕が抱き締めていたのは華奢な少女だった。

「……………………アル?」

「ああ、ようやく声が出たな。覚えているか? 貴方は校門を抜けた所で倒れて、私が保健室まで運んだ、ここは保健室の仮眠用ベッドだ。早退するか? 病院に行った方がいい」

する、と腕から勝手に力が抜ける。
ここはどこなんだ。学校って何なんだよ。どうしてアルがアルじゃないんだよ。もう嫌だ、こんな空間、こんな世界、僕の居場所はここじゃない。
叫びたい事柄が多過ぎて、それを叫ぶ為に必死に息を吸い込んで、喉がひゅうひゅうと鳴り出した。

「ヘル! 落ち着け、深呼吸だ! 吐け! ゆっくり……ヘル、ヘル聞いてくれ!」

息が出来ない。怖い。死んでしまう。それは嫌だ、せめて一目アルに会ってからじゃないと──アルに包まれながらじゃないと──

「ヘルっ……!」

抱き寄せて、頬に手を添えて、少女は僕の口を開かせて無理矢理に口付けた。息を吹き込まれ、背を撫でられ、正しい呼吸の仕方を教えられる。

「ヘル……大丈夫か?」

「…………アル」

「ああ、アルだぞ、貴方のアルだ」

「……………………助けて」

呼吸はひとまず落ち着いた。けれど状況は何も変わっていない。
この空間から出たい。帰りたい。

「……私は貴方の為なら何でもする。だが、どうすればいいのか分からない。言ってくれヘル、私は何から貴方を守ればいいんだ? どうやったら助けられるんだ?」

「分かんないよっ……分かんない、なんにも分かんないんだよっ! なんで僕ここに居るの!? ここどこなんだよ!」

「学校の保健室だ、倒れたから私が運んだ」

「違うよっ! 僕学校なんて行ってない! すぐ辞めさせられて……そもそも君は何なんだよ! なんで人間なんだよ! 君はっ……君は、狼だったろ!?」

「…………狼? 私が? 何を言っているんだ」

誰が閉じ込めた、誰が僕を連れて来た。動機は、目的は、そいつは何を求めているんだ。


──そう、やっぱり、獣の方が好きかぁ。恋人なら人間の方がと思ったんだけど……ごめんね、戻すよ──


……今の声は? 聞き覚えがある、どこで聞いたんだっけ。

『何を言っているんだ、ヘル。私は狼だぞ』

ベッドに前足を置いたアルが首を傾げる。ぴんと立った三角の耳がぴくぴく震えて、黒い瞳が真っ直ぐに僕を見つめる。

「……アル? あれ? アル……だね」

『うむ、私はアルだ』

「…………さっきまで女の子じゃなかった?」

『……私は今も女だが』

「そうじゃなくて、人間だった……あれ?」

『人間? それはいいな、それなら貴方と手を繋いだりキスをしたり出来る。だが、残念ながら私は獣だ。夢でも見たんだろう』

夢? そうだったの? アルが僕と同い年の少女だったのは、あの柔らかい銀髪は、あの華奢な身体は、全て夢だったの?
なのに僕はまだ現実に戻れていない。ここは訳が分からない空間のまま。夢の中で夢を見ていたのか? ここは夢なのか? どこまでが本当に起こったことなんだ?

「……手、繋げるよ。ほら」

『芸をする犬のようだ……』

混乱した僕はアルの願望を叶えようとした。けれどそれはアルの理想とは違っていたらしい。

『これでは歩けんだろう。私は貴方と手を繋いで街を歩いてみたいんだ』

「僕が前に回って両手握って中腰でゆっくり歩けば……」

『赤子ではないか!』

「……手を繋ぐのは無理かなぁ」

けれど──とアルを抱き寄せる。短い毛の生えた額に頬擦りをして、そこに唇を触れさせた。

「キスは出来るよ」

『……口がいい』

「口も出来るよ」

大きな口の先、鼻の下に同じように口付ける。

『…………何か違う』

「えぇー……ワガママ」

『……余計ペット扱いされているような気がするんだ』

そうは言っても唇同士を触れさせる以上なんて無いだろう……いや、アルのものは唇と言っていいのか?
獣臭かったり毛が口に入ったりするのを我慢してやっているのに、そう不満ばかり言わないで欲しい。まぁ、この匂いがクセになってしまっている僕も居るけれど。

『調子は戻ったようだな。どうする? 早退するか? 教室に行ってみるか?』

「…………教室、行ってみる」

登校時間の校門だったから人が多かったんだ、少しずつに分けられる教室なら人混み酔いなんてしない──そう考えた僕が愚かだった。確かに先程より人は少ないし、校庭よりは狭い。しかし密度は高い。

「おぉ、ルーラー、カーネーション、戻ったか」

『二時間目からの出席だ、記しておいてくれ』

「国語だぞ、持ってきたな?」

『勿論。なぁヘル』

アルが話しているのは唯一服装が違い背の高い男……教師か。
前の席なら密集した人間を見ずに済むのだが、僕の席はどこだろう。

「ヘルシャフト! 倒れたってマジか?」

肩を引っ張られて振り向くと見知らぬ少年が居た。

「保健の先生今日出張だっただろ。つ、ま、り……四十五分まるまるカーネーションさんと一緒だったんだよな?」

僕は彼を知らないけれど、この空間で彼は僕の同級生なのだろう。友達、かな……だといいな、なんて。

「そうだけど……」

先程から聞くカーネーションとはアルの事なのか?

「うっっわ……羨ましい。なぁお前ら付き合ってんだよな? 本当に体調不良なのかよ。なーんかやってたんじゃねぇの?」

『ヘルは過呼吸で倒れたんだ。絡むな小童』

アルは少年を尾で優しく押しのける。

「そ、そうか? なんかごめんな……」

『キスを試しただけだ』

「しっかりやってんじゃねぇか!」

『馬鹿を言うな! あんなものキスとは呼べん!』

「ご、ごめんなさい……?」

僕の精一杯を強く否定された。
しかし……彼を含めてここに居る者達はアルを何と認識しているのだろう。狼と認識しているのなら彼の言動は少しおかしい。人間と認識しているのなら牙を剥かれて怯える必要はない。

「……ねぇ、君さ、アルのことどう思う?」

「え……? いや、美狼だと思うけど……あっ、別に狙ってないからな!? お前らお似合いだし、カーネーションさんお前にぞっこんだし……」

美狼とはまた面妖な言葉だ。しかし、彼らはアルをしっかり狼として認識していると分かった。狼として認識した上で人間として接しているのだ。それは決して思いやりや気遣いなどではなく、この空間における常識なのだろう。

「……ってかカーネーションさん実は男子より女子にモテるんだぞ、どの男子よりもイケメンって……気を付けとけよ」

「あ、うん……どうも」

「そんなカーネーションさんと付き合ってるお前は男女問わず逆恨みされてるな。まぁ俺もお前のことは気持ち悪い奴だとは思ってるけど……羨ましいなーくらいだから安心しろよな」

「そう……」

どうでもいい情報を二つもありがとう、気持ち悪いと思っている相手にも優しいんだね。そんな無礼な返事が出来る訳もなく、無愛想な相槌を呟いた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

【収納∞】スキルがゴミだと追放された俺、実は次元収納に加えて“経験値貯蓄”も可能でした~追放先で出会ったもふもふスライムと伝説の竜を育成〜

あーる
ファンタジー
「役立たずの荷物持ちはもういらない」 貢献してきた勇者パーティーから、スキル【収納∞】を「大した量も入らないゴミスキル」だと誤解されたまま追放されたレント。 しかし、彼のスキルは文字通り『無限』の容量を持つ次元収納に加え、得た経験値を貯蓄し、仲間へ『分配』できる超チート能力だった! 失意の中、追放先の森で出会ったのは、もふもふで可愛いスライムの「プル」と、古代の祭壇で孵化した伝説の竜の幼体「リンド」。レントは隠していたスキルを解放し、唯一無二の仲間たちを最強へと育成することを決意する! 辺境の村を拠点に、薬草採取から魔物討伐まで、スキルを駆使して依頼をこなし、着実に経験値と信頼を稼いでいくレントたち。プルは多彩なスキルを覚え、リンドは驚異的な速度で成長を遂げる。 これは、ゴミスキルだと蔑まれた少年が、最強の仲間たちと共にどん底から成り上がり、やがて自分を捨てたパーティーや国に「もう遅い」と告げることになる、追放から始まる育成&ざまぁファンタジー!

追放された俺のスキル【整理整頓】が覚醒!もふもふフェンリルと訳あり令嬢と辺境で最強ギルドはじめます

黒崎隼人
ファンタジー
「お前の【整理整頓】なんてゴミスキル、もういらない」――勇者パーティーの雑用係だったカイは、ダンジョンの最深部で無一文で追放された。死を覚悟したその時、彼のスキルは真の能力に覚醒する。鑑定、無限収納、状態異常回復、スキル強化……森羅万象を“整理”するその力は、まさに規格外の万能チートだった! 呪われたもふもふ聖獣と、没落寸前の騎士令嬢。心優しき仲間と出会ったカイは、辺境の街で小さなギルド『クローゼット』を立ち上げる。一方、カイという“本当の勇者”を失ったパーティーは崩壊寸前に。これは、地味なスキル一つで世界を“整理整頓”していく、一人の青年の爽快成り上がり英雄譚!

屑スキルが覚醒したら追放されたので、手伝い屋を営みながら、のんびりしてたのに~なんか色々たいへんです(完結)

わたなべ ゆたか
ファンタジー
タムール大陸の南よりにあるインムナーマ王国。王都タイミョンの軍事訓練場で、ランド・コールは軍に入るための最終試験に挑む。対戦相手は、《ダブルスキル》の異名を持つゴガルン。 対するランドの持つ《スキル》は、左手から棘が一本出るだけのもの。 剣技だけならゴガルン以上を自負するランドだったが、ゴガルンの《スキル》である〈筋力増強〉と〈遠当て〉に翻弄されてしまう。敗北する寸前にランドの《スキル》が真の力を発揮し、ゴガルンに勝つことができた。だが、それが原因で、ランドは王都を追い出されてしまった。移住した村で、〝手伝い屋〟として、のんびりとした生活を送っていた。だが、村に来た領地の騎士団に所属する騎馬が、ランドの生活が一変する切っ掛けとなる――。チート系スキル持ちの主人公のファンタジーです。楽しんで頂けたら、幸いです。 よろしくお願いします! (7/15追記  一晩でお気に入りが一気に増えておりました。24Hポイントが2683! ありがとうございます!  (9/9追記  三部の一章-6、ルビ修正しました。スイマセン (11/13追記 一章-7 神様の名前修正しました。 追記 異能(イレギュラー)タグを追加しました。これで検索しやすくなるかな……。

最強の異世界やりすぎ旅行記

萩場ぬし
ファンタジー
主人公こと小鳥遊 綾人(たかなし あやと)はある理由から毎日のように体を鍛えていた。 そんなある日、突然知らない真っ白な場所で目を覚ます。そこで綾人が目撃したものは幼い少年の容姿をした何か。そこで彼は告げられる。 「なんと! 君に異世界へ行く権利を与えようと思います!」 バトルあり!笑いあり!ハーレムもあり!? 最強が無双する異世界ファンタジー開幕!

【しっかり書き換え版】『異世界でたった1人の日本人』~ 異世界で日本の神の加護を持つたった1人の男~

石のやっさん
ファンタジー
12/17 13時20分 HOT男性部門1位 ファンタジー日間 1位 でした。 ありがとうございます 主人公の神代理人(かみしろ りひと)はクラスの異世界転移に巻き込まれた。 転移前に白い空間にて女神イシュタスがジョブやスキルを与えていたのだが、理人の番が来た時にイシュタスの顔色が変わる。「貴方神臭いわね」そう言うと理人にだけジョブやスキルも与えずに異世界に転移をさせた。 ジョブやスキルの無い事から早々と城から追い出される事が決まった、理人の前に天照の分体、眷属のアマ=テラス事『テラスちゃん』が現れた。 『異世界の女神は誘拐犯なんだ』とリヒトに話し、神社の宮司の孫の理人に異世界でも生きられるように日本人ならではの力を授けてくれた。 ここから『異世界でたった1人の日本人、理人の物語』がスタートする 「『異世界でたった1人の日本人』 私達を蔑ろにしチート貰ったのだから返して貰いますね」が好評だったのですが...昔に書いて小説らしくないのでしっかり書き始めました。

【薬師向けスキルで世界最強!】追放された闘神の息子は、戦闘能力マイナスのゴミスキル《植物王》を究極進化させて史上最強の英雄に成り上がる!

こはるんるん
ファンタジー
「アッシュ、お前には完全に失望した。もう俺の跡目を継ぐ資格は無い。追放だ!」  主人公アッシュは、世界最強の冒険者ギルド【神喰らう蛇】のギルドマスターの息子として活躍していた。しかし、筋力のステータスが80%も低下する外れスキル【植物王(ドルイドキング)】に覚醒したことから、理不尽にも父親から追放を宣言される。  しかし、アッシュは襲われていたエルフの王女を助けたことから、史上最強の武器【世界樹の剣】を手に入れる。この剣は天界にある世界樹から作られた武器であり、『植物を支配する神スキル』【植物王】を持つアッシュにしか使いこなすことができなかった。 「エルフの王女コレットは、掟により、こ、これよりアッシュ様のつ、つつつ、妻として、お仕えさせていただきます。どうかエルフ王となり、王家にアッシュ様の血を取り入れる栄誉をお与えください!」  さらにエルフの王女から結婚して欲しい、エルフ王になって欲しいと追いかけまわされ、エルフ王国の内乱を治めることになる。さらには神獣フェンリルから忠誠を誓われる。  そんな彼の前には、父親やかつての仲間が敵として立ちはだかる。(だが【神喰らう蛇】はやがてアッシュに敗れて、あえなく没落する)  かくして、後に闘神と呼ばれることになる少年の戦いが幕を開けた……!

解呪の魔法しか使えないからとSランクパーティーから追放された俺は、呪いをかけられていた美少女ドラゴンを拾って最強へと至る

早見羽流
ファンタジー
「ロイ・クノール。お前はもう用無しだ」 解呪の魔法しか使えない初心者冒険者の俺は、呪いの宝箱を解呪した途端にSランクパーティーから追放され、ダンジョンの最深部へと蹴り落とされてしまう。 そこで出会ったのは封印された邪龍。解呪の能力を使って邪龍の封印を解くと、なんとそいつは美少女の姿になり、契約を結んで欲しいと頼んできた。 彼女は元は世界を守護する守護龍で、英雄や女神の陰謀によって邪龍に堕とされ封印されていたという。契約を結んだ俺は彼女を救うため、守護龍を封印し世界を牛耳っている女神や英雄の血を引く王家に立ち向かうことを誓ったのだった。 (1話2500字程度、1章まで完結保証です)

掘鑿王(くっさくおう)~ボクしか知らない隠しダンジョンでSSRアイテムばかり掘り出し大金持ち~

テツみン
ファンタジー
『掘削士』エリオットは、ダンジョンの鉱脈から鉱石を掘り出すのが仕事。 しかし、非戦闘職の彼は冒険者仲間から不遇な扱いを受けていた。 ある日、ダンジョンに入ると天災級モンスター、イフリートに遭遇。エリオットは仲間が逃げ出すための囮(おとり)にされてしまう。 「生きて帰るんだ――妹が待つ家へ!」 彼は岩の割れ目につるはしを打ち込み、崩落を誘発させ―― 目が覚めると未知の洞窟にいた。 貴重な鉱脈ばかりに興奮するエリオットだったが、特に不思議な形をしたクリスタルが気になり、それを掘り出す。 その中から現れたモノは…… 「えっ? 女の子???」 これは、不遇な扱いを受けていた少年が大陸一の大富豪へと成り上がっていく――そんな物語である。

処理中です...