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第三十一章 月の裏側で夢を見よう

明瞭な館

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セネカ達がヴェーン邸にやって来た翌日、酒宴に参加した者は軒並み酔い潰れていた。
朝日が差し込むダイニング。酔い潰れ椅子で眠るセネカに、同じく酔い潰れたクリューソスとそれを枕に眠るメル。廊下に上半身をはみ出させているのがカルコスで、彼にうなじを噛まれて眠っているのがアル。
死屍累々とも言えるダイニング。まだまだ飲み足りぬと棚を漁るのは酒呑。朝食の名を借りたツマミを作っているのが茨木。
そんな混沌とした景色を見て立ち尽くすのが、アシュが突然消えた後始末をしていて今帰ってきたばかりのベルゼブブ。

『……何です、これ』

『あぁ、今帰ってきはったん? 居らんの寂しかったわぁ』

『相も変わらずムカつく口のきき方を……まぁいいです、それよりなんですこの惨状。飲み会でもしたんですか?』

カルコスを跨ぎ、空席に腰掛ける。

『新人歓迎会やな。話聞く限りやったら一番の新人俺らやけど』

『ふふふっ……せやけど、みんな綺麗に酔い潰しました』

『鬼って酒強いんですねー。あ、私にもスモークチーズ下さいよ』

茨木は渋々と木片をベルゼブブの手に落とす。

『スモークチップなんざ要りませんよ! チーズ! チーズです!』

鬼達はまた酒を飲みながら飲み会の様子をベルゼブブに話し、ベルゼブブはそれに羨ましい羨ましいと相槌を打った。

『さ、て。ヘルシャフト様は部屋ですか?』

『そうちゃう?』

ベルゼブブは面倒臭そうにため息をつき、ヘルの部屋に向かう。ノックをして声をかけて、返事がないのでいざ突貫。

『ヘルシャフト様! ご報告がありますので、とっとと起きてくださいません?』

そう言いながらベッドに近付く。

『先輩に近付くなとか言われてるんで、出来ればそれ守ってあげたいんですけど』

無数の赤い瞳はヘルの異常に気が付く。眠っているとはいえ静か過ぎる、瞼の微かな隙間から見える眼球の運動が激し過ぎる、と。

『ベルゼブブっ! 何をしている!』

バンっ! と扉が勢いよく開き、アルが飛び込んでくる。素早くベッドに上がると翼を広げ牙を剥いて威嚇を始めた。

『ご報告があるんですよ。貴方さっきまで寝てませんでした? ほら、ちょっとまだ酔ってるでしょ、目おかしいですよ』

アルはじっとベルゼブブを睨みつける。威嚇に意味が無いとは分かっていたが、それでもやらない訳にはいかなかった。
ベルゼブブはアルの威嚇を露ほども気に留めず、報告の言伝ことづてを頼む。

『とりあえずマンモンの『強欲の呪』をこちらでも発動してもらい、アシュメダイの配下の淫魔どもを中継器に『淫蕩の呪』っぽいのを作ってます。しかし、マンモンにはここと娯楽の国を一日毎に往復させることになるので、かなり負担をかけますね。前よりは人間共も正気に近くなってしまいましたし。しばらくは中継器の調整が頻繁に必要になるでしょうから、私はこの家に常駐出来ません』

『……御苦労様です』

『まぁ、アシュメダイのような強い悪魔は居なくなると神魔のバランスが崩れるので、早急に代替品が創られますから……クソトカゲが怠けてなければ。ほら、ヘルシャフト様が以前殺した……レヴィアタン、彼女も強い悪魔なので営利制作中です。大変なんでああいうのやめてくださいって言っておいてください。それでは失礼します』

アルは背を向けたベルゼブブに深々と頭を下げ、彼女が扉を閉じる前にヘルの隣に座って頬を舐めた。

『全く……とんだナイトですね』

ベルゼブブはそう吐き捨てて部屋を出る。ダイニングに戻ってツマミを齧り、たった今あった出来事の愚痴を話した。

『頭領寝とった?』

『ええ、そりゃもうぐっすり。先輩が寝込み襲ってましたけど、多分意味ありませんね』

多少の誇張は話に花を咲かせる肥料になる。
しかし──と微かに覚えた違和感を語る。

『……なーんか、嫌な予感するんですよねぇ。あ、そうそう、兄君ってどこに居ます?』

『部屋や思うで』

『ふーん……弟君は?』

ちょうどその時、ベルゼブブの背後の扉を開いてフェルが入ってくる。
フェルは注目された理由が分からず、朝食を作りに来たと怯えながら言った。

『へふひゃふほははっへへふほひひふはへひは?』

『何言うてんのか分からへん』

フェルが焼いたベーコンを口に詰め込みながら違和感を話しているが、誰にも伝わらない。

『……んっく。ヘルシャフト様って寝る時静かでした?』

『知らん』
『同じく』
『分かんない』

鬼達とフェルは首を横に振る。

『ふぅん……ライオンさーん』

大口を開けて眠るカルコスの腹を踏み、起こし、同じ質問をした。

『兄弟から聞いた話では……よく魘されたり叫んだりするらしい』

『めっちゃうるさいんですね?』

『いつもではないようだが』

『……動きは?』

カルコスは頭を捻り、酔ったアルにノロケ話を聞かされた昨晩を思い出す。

『魘されている時は頭や胸を掻き毟ったり、何かを払うように手を振ったり。静かに眠っている時は兄弟の腹や首周りを揉んだり甘噛みしたりするらしい、仔猫のようだと惚気けていた』

『ぁー……そういえばヘルシャフト様、起きたら口ん中毛だらけになってたって言ってたことありましたね』

『我々キマイラの毛は抜けにくいはずだがな』

『え? めっちゃ毛落ちてますよ?』

バツの悪そうな顔をし、床に伏せる。
ベルゼブブは今の話を聞いて違和感が膨らんだようで、手を擦り合わせて考え事を始めた。

『睡眠欲を煽るのはベルフェゴールですが……あの面倒臭がりがここに来るわけありません、それにもはやヘルシャフト様に呪いなんて……私のだって効かないはずで……』

そんなベルゼブブに酒呑は懐疑的な目を向ける。

『誰か睡眠に干渉出来ます?』

パッと顔を上げたベルゼブブに鬼達が揃って首を振る。

『睡眠障害なら治せるが、外部からの干渉なら厳しいな』

次に視線を向けられたカルコスは伏せたままそう答えた。

『そこの虎さんは?』

『家を覆う結界を抜けた以上、兄弟の結界など無意味だろう』

残るはセネカとメルだが、二人は酔い潰れて眠っている。ベルゼブブはセネカから起こそうと決めて胸倉を掴み、頬をパパパ……と叩く。

『った! 痛っ、痛ぃ何……痛っ』

『起きました?』

『ベっ、ベルゼブブ様? 何するんですか…………うっ、ぉえ……』

視界いっぱいに赤い無数の眼を見てセネカは吐き気を覚える、それには酒も手伝った。

『吐いたら首飛ばしますよ』

『はっ、吐かない、吐かないです!』

セネカは口を真一文字に閉じ、「睡眠に干渉出来るか」との問いに首を横に振った。胸倉を掴んでいた手が離れ、素早くベルゼブブから距離を取り、カルコスの背に隠れた。

『……メルちゃんなら、リリムだから……出来ないことはないんじゃないかな』

『え……あぁ、そうですね、そういえばリリムってそんな能力ありましたっけ』

リリム、もしくはリリンと呼ばれる種族。サタンとリリスの子供達であり、人間に最も近い悪魔。その脆弱さからほとんど生き残ってはいない。

『起きなさーい』

セネカと同じ起こし方をされ、メルは頬を擦りながら説明を聞いた。

『だーりんが眠ってるのね、まっかせて!』

『さっすがメルちゃん! どんな悪夢だってメルちゃんにかかれば途端に……え、ぇ……え、ええっちにっ、に、変わわわっ、わ……なっ、なな、なんでもない!』

腫れた頬もそのままにダイニングを出る。
発見者のベルゼブブ、ヘルが心配な魔獣達とフェル、メルに付き添うセネカに、野次馬根性の鬼達。ダイニングに居た全員がメルの後に続いた。
動機はともかく、リーダーの一大事かもしれないのだから当然の行動だ。ヘルが知ったなら認めてくれたのかと喜ぶところだろう。

『……随分と大勢で来ましたね』

『ええ、少し気になることがありまして。先輩は気になりません? ヘルシャフト様、大人し過ぎると思いません?』

アルも気になってはいたようで、軽く頭突きをしたり上に乗ったりはしていた。だがヘルは少しも動かない。微かな呼吸音に身体の上下だけが彼の生を証明していた。

『…………ダメ、全然。普段なら夢に入ったり夢の主導権奪ったり出来るんだけど……壁? みたいなのがあって、夢がどんなのかすら見えないわ』

メルはヘルが目に入ってすぐに夢への侵入を試みたが、失敗した。

『ふむ、力を足せば入れますか?』

『……多分』

『なら……』

ベルゼブブは茨木の腕を引き、メルの前に突き出す。

『魔力吸いなさいな。この方最近何もしてませんから溜まってるでしょう』

茨木は仕方ないかとため息をつき、メルはまさかの人選に目を見開いた。
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