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第二十九章 愛し仔の為の弔辞
大神様
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アルに首飾りを渡してから数日後の昼、ダイニングで食事中。僕にはまだ眼があった。暮らしているだけなら魔眼を暴走させる事はないだろうと抉り取りは延期された。
「牢獄の国行く人ー……」
アルにそっくりな姿で悪事を働く魔獣──大神様とやらの討伐の為、僕は牢獄の国へ行こうと思っていた。しかし晩餐会の日から今日まで全員揃う時が来ず、相談も出来なかったのだ。
「俺はパース。いい思い出ないんだよあの国」
『何かあるんやったらそれ先言い』
アザゼルは来ない、と。まぁ来られても邪魔だ、問題無い。
「魔獣が出るみたいでさ、いっぱい人襲われてるんだって」
『よぅある話やないけ、なんでまた頭領が行くん』
「王様が困ってるみたいだから、倒したら報酬貰えると思うよ?」
アルに似ているから──、なんて理由は身勝手過ぎる。彼らにも得のある行動でなければ彼らはついて来ない。
『倒すん? 頭領はんやったら保護する言わはる思てたけど……』
「え? ぁ、あぁ……ほら、いっぱい人襲ってるし、僕そんなに見境なくないよ」
保護か。確かにアルに似ているだけで殺すというのも乱暴だ、それに僕がアルに似た魔獣と対峙してもなお殺す気になれるとは思えない。
「空間転移出来る人、一人は絶対来てもらいたいんだけど」
『お兄ちゃん?』
『私ですか?』
兄とベルゼブブが同時に自分を指差す。
『……普通に考えて僕だろ。黙ってなよ、虫』
『おや、貴方の口から普通なんて言葉が聞けるとは思いませんでした』
どうしてこうも仲が悪いのだろう。一緒に暮らしているのだから、そろそろ打ち解けてもいい頃ではないか。
「つーかよ、お前外出ていいのか? 前みたいに留守番しとけよ」
『……何があるか分からないし、お兄ちゃんも行った方がいいと思うよ』
ヴェーンとフェルの正反対のアドバイス、どちらを聞くべきだろう。
『魔獣が神を騙ってるのに来てないってことは、まだ牢獄の国には天使が近寄らないってことじゃない? 念の為に目を潰しておけば大丈夫だよ』
「や、やっぱり潰すんだ……」
『眼は治らないようにしたつもりなんだけどね、目隠しに描いてたから誤発動したんだろうね。すぐにでも潰さなきゃなのに残してたことを喜んで欲しいよ』
僕の眼はそんなに危険な物なのか? 悪魔には重宝されていると思っていたのだが。
また見えなくなるのかと気を落としていると、アルが僕の椅子の肘掛けに前足を置いて立ち上がった。
『……兄君。魔獣が神を騙っていると言ったか?』
『ん? うん、牢獄の国王さんはそう言ってたよ』
何か気になることでも、と尋ねるとアルは顔を背けた。
『牢獄の国……神を騙る、か。まさか大神か?』
カーテンの裏で日向ぼっこをしていたクリューソスが這い出てくる。陽射しに煌めく金色の毛並みは目に優しくない。
「クリューソス、知ってるの?」
『様を付けろ下等生物が!』
面倒臭い。そう思いながらも様を付けて言い直す。
『昔、そこの雌犬が牢獄の国に居を構えたことがあってな。適当に他の魔獣を追い払っていたらいつの間にか神と崇められて……生贄を捧げられるようになったからこれ幸いと──』
『黙れ』
『──何だ、事実だろう』
『黙れ、と言っている』
『…………ふん、驕るなよ駄犬。貴様は所詮銀色だ。神でもなければ、最強の魔獣ですらない。最も優れたこの俺を脅せると思うな』
そう言いながらもクリューソスはそれきり黙ってしまった。僕も、その他の誰も続きを促せないでいる。それは僕の顔の横で牙を剥いたアルが恐ろしかったからだ。
「…………ねぇ、アル。覚えてる?」
『……何だ』
アルは牙を収め、僕の方を向く。そうすると皆は食事を再開した。アルよりずっと強い者すら先程の剣幕には慄いた、僕は言葉を選ぶのにいつも以上に時間をかける。
「出会った時のことだよ」
『覚えているさ。貴方の助けを求めた声も、その美しい瞳も、私に触れた手も……何もかも、昨日の事のように思い出せる』
「じゃあ……さ、何話したかも覚えてるよね?」
『あぁ、覚えているが……』
僕もあの日の事はよく覚えている。アルとの初めての会話で何度も失敗した事も、そのうち一番大きな失敗も、その後の刻印も、全て。
「僕を助けた後、連れてかれる人を……助けなかったのかって、聞いたよね」
『……貴方以外の者はどうでもよかったからな』
「そっ、その時にさ、アルは人を食べるのかって……聞いた、よね?」
声が勝手に上擦る。アルは答えない。
「それでっ……アル、は…………捧げられた分は食べたって、言ったよね。昔のことだって……全部は話してくれなかったけど」
アルは何も言わず僕を見つめている。
「……そのことなの? アルが、大神様なの?」
食器の擦れる音が消える。誰もがアルの答えを待っている。
『…………私を見た者が、犬だと言ってな。それに「私は狼だ」と言ったら……私を守り神だと。別に……生贄は必要では無かった、要求した事も無い。けれど、来たのだから仕方ないだろう』
アルはいつもより丁寧に言葉を紡いだ。
「……そっか。分かった。ありがと、アル。話してくれて」
『…………嫌悪しないのか』
「人を食べたことがあるってのは最初に聞いてたし」
勝手に生贄が必要だと思い込んだのは住人だろう。その後に生贄を要求する悪神扱いされて討伐隊が組まれていないだけ良質だ。
僕のアルを苦悩させて、僕のアルの血肉になるなんて──少し、腹が立つな。
『……待て。せやったら今人喰っとるん誰やねん。自分買い物ついでに摘み食いしとったとか言わへんやろな』
『私は砂漠の国以降この国から出ていない』
『神を騙る魔獣を騙る魔獣、ってことですか? ややこしいですねぇ』
アルに似ているのではなく、アルを騙っているのか。なら慈悲は必要無い、殺そう。
『とりあえず行ってみようか。ヘル、目』
「ま、待ってよ。力使わないから……目はこのままにしてよ」
『ダメ。ほら、こっち向いて。痛覚は消してあげるから』
痛覚を消すとか消さないとかの問題ではない。
『じゃ、私はまた小型化しますね』
「えっ? えっ? 待って潰さない選択肢ないの?」
『無いよ』
兄の手が眼前に迫る。視界を覆い、視界を奪う。
『傷は塞いで……目隠し巻いて。はい、いいよ』
『ん~! 美味しい!』
ぺたぺたと自分の顔に手を這わせる。目隠しの下、瞼の奥に弾力のある球体はなく、丸い空間だけがあった。
『じゃあ僕と、蝿さんと、ヘルと、アルちゃんと……他誰か行く?』
『暇やし俺行くわ。茨木、ついてき』
『嫌です』
『…………さよか』
兄に手を引っ張られ、アルに乗せられる。髪の中に小さな何かが──おそらくベルゼブブが潜り込んだ。茨木に同行を断られ落ち込みながらも酒呑が傍に立つ。
『それじゃあいってきまーす』
魔獣討伐だとは思えない気の抜けた声で別れを告げ、兄は転移魔法を発動させた。
『……一応前に来た集落に飛んでみたけど』
グロルが暮らしていた集落に来たらしい。僕はベルゼブブの視界を借りるように意識し、凄惨な光景を見た。
『なんやこれ……』
ぐずぐずに溶けた死体、死体、死体。あの日の魔法の国のような、歪んでしまったゲームの世界のような、それよりも酷いような──赤黒い景色。
目を奪われていると鼻腔に吐き気を煽る腐った肉の匂いが届く。ベルゼブブの視界には肉が特に赤く映り、その上を飛び回る蝿が浮き出て見えた。
「これ……大神、が?」
『……いや、この前の月の魔力だ。フェルが破裂させた時に被爆したんだろ』
兄は髪の先から触手を伸ばして肉を掬い、口に含んでそう答えた。
『…………不味いね』
『せやろな。で、どこ行くん』
『僕はこの国に馴染みないからねぇ。ヘル?』
口を開けばアルの上に昼食が撒き散らされる事になるだろう。僕は兄の手を自分の額に触れさせた。
『王城か……晩餐会で会ったけど覚えてるかな?』
浮遊感と光の洪水、それらが消えると僕達は見知らぬ部屋に立っていた。王の御前なんてものではない。
『…………ヘル、ちゃんと場所は座標で覚えててよ。変なとこに出ちゃった』
無茶を言うな。僕には座標という言葉自体よく分からない。
とりあえず部屋を出ようと扉を探す。当然ながら扉はすぐに見つかり、予想外にも手を伸ばす前に開き、鼻歌を歌って入ってきた男が僕達を見て悲鳴を上げた。
「牢獄の国行く人ー……」
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『ん? うん、牢獄の国王さんはそう言ってたよ』
何か気になることでも、と尋ねるとアルは顔を背けた。
『牢獄の国……神を騙る、か。まさか大神か?』
カーテンの裏で日向ぼっこをしていたクリューソスが這い出てくる。陽射しに煌めく金色の毛並みは目に優しくない。
「クリューソス、知ってるの?」
『様を付けろ下等生物が!』
面倒臭い。そう思いながらも様を付けて言い直す。
『昔、そこの雌犬が牢獄の国に居を構えたことがあってな。適当に他の魔獣を追い払っていたらいつの間にか神と崇められて……生贄を捧げられるようになったからこれ幸いと──』
『黙れ』
『──何だ、事実だろう』
『黙れ、と言っている』
『…………ふん、驕るなよ駄犬。貴様は所詮銀色だ。神でもなければ、最強の魔獣ですらない。最も優れたこの俺を脅せると思うな』
そう言いながらもクリューソスはそれきり黙ってしまった。僕も、その他の誰も続きを促せないでいる。それは僕の顔の横で牙を剥いたアルが恐ろしかったからだ。
「…………ねぇ、アル。覚えてる?」
『……何だ』
アルは牙を収め、僕の方を向く。そうすると皆は食事を再開した。アルよりずっと強い者すら先程の剣幕には慄いた、僕は言葉を選ぶのにいつも以上に時間をかける。
「出会った時のことだよ」
『覚えているさ。貴方の助けを求めた声も、その美しい瞳も、私に触れた手も……何もかも、昨日の事のように思い出せる』
「じゃあ……さ、何話したかも覚えてるよね?」
『あぁ、覚えているが……』
僕もあの日の事はよく覚えている。アルとの初めての会話で何度も失敗した事も、そのうち一番大きな失敗も、その後の刻印も、全て。
「僕を助けた後、連れてかれる人を……助けなかったのかって、聞いたよね」
『……貴方以外の者はどうでもよかったからな』
「そっ、その時にさ、アルは人を食べるのかって……聞いた、よね?」
声が勝手に上擦る。アルは答えない。
「それでっ……アル、は…………捧げられた分は食べたって、言ったよね。昔のことだって……全部は話してくれなかったけど」
アルは何も言わず僕を見つめている。
「……そのことなの? アルが、大神様なの?」
食器の擦れる音が消える。誰もがアルの答えを待っている。
『…………私を見た者が、犬だと言ってな。それに「私は狼だ」と言ったら……私を守り神だと。別に……生贄は必要では無かった、要求した事も無い。けれど、来たのだから仕方ないだろう』
アルはいつもより丁寧に言葉を紡いだ。
「……そっか。分かった。ありがと、アル。話してくれて」
『…………嫌悪しないのか』
「人を食べたことがあるってのは最初に聞いてたし」
勝手に生贄が必要だと思い込んだのは住人だろう。その後に生贄を要求する悪神扱いされて討伐隊が組まれていないだけ良質だ。
僕のアルを苦悩させて、僕のアルの血肉になるなんて──少し、腹が立つな。
『……待て。せやったら今人喰っとるん誰やねん。自分買い物ついでに摘み食いしとったとか言わへんやろな』
『私は砂漠の国以降この国から出ていない』
『神を騙る魔獣を騙る魔獣、ってことですか? ややこしいですねぇ』
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『とりあえず行ってみようか。ヘル、目』
「ま、待ってよ。力使わないから……目はこのままにしてよ」
『ダメ。ほら、こっち向いて。痛覚は消してあげるから』
痛覚を消すとか消さないとかの問題ではない。
『じゃ、私はまた小型化しますね』
「えっ? えっ? 待って潰さない選択肢ないの?」
『無いよ』
兄の手が眼前に迫る。視界を覆い、視界を奪う。
『傷は塞いで……目隠し巻いて。はい、いいよ』
『ん~! 美味しい!』
ぺたぺたと自分の顔に手を這わせる。目隠しの下、瞼の奥に弾力のある球体はなく、丸い空間だけがあった。
『じゃあ僕と、蝿さんと、ヘルと、アルちゃんと……他誰か行く?』
『暇やし俺行くわ。茨木、ついてき』
『嫌です』
『…………さよか』
兄に手を引っ張られ、アルに乗せられる。髪の中に小さな何かが──おそらくベルゼブブが潜り込んだ。茨木に同行を断られ落ち込みながらも酒呑が傍に立つ。
『それじゃあいってきまーす』
魔獣討伐だとは思えない気の抜けた声で別れを告げ、兄は転移魔法を発動させた。
『……一応前に来た集落に飛んでみたけど』
グロルが暮らしていた集落に来たらしい。僕はベルゼブブの視界を借りるように意識し、凄惨な光景を見た。
『なんやこれ……』
ぐずぐずに溶けた死体、死体、死体。あの日の魔法の国のような、歪んでしまったゲームの世界のような、それよりも酷いような──赤黒い景色。
目を奪われていると鼻腔に吐き気を煽る腐った肉の匂いが届く。ベルゼブブの視界には肉が特に赤く映り、その上を飛び回る蝿が浮き出て見えた。
「これ……大神、が?」
『……いや、この前の月の魔力だ。フェルが破裂させた時に被爆したんだろ』
兄は髪の先から触手を伸ばして肉を掬い、口に含んでそう答えた。
『…………不味いね』
『せやろな。で、どこ行くん』
『僕はこの国に馴染みないからねぇ。ヘル?』
口を開けばアルの上に昼食が撒き散らされる事になるだろう。僕は兄の手を自分の額に触れさせた。
『王城か……晩餐会で会ったけど覚えてるかな?』
浮遊感と光の洪水、それらが消えると僕達は見知らぬ部屋に立っていた。王の御前なんてものではない。
『…………ヘル、ちゃんと場所は座標で覚えててよ。変なとこに出ちゃった』
無茶を言うな。僕には座標という言葉自体よく分からない。
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