上 下
356 / 909
第二十二章 鬼の義肢と襲いくる災難

砂漠を歩いて

しおりを挟む
宿を出て空港に。次は砂漠の国だ、マンモンに少し前に奇怪な事件があったと聞いている。
以前砂漠の国に行った時はセネカと一緒で、遺跡調査の護衛をしたんだったか。その結果巨大な魔物と戦う羽目になったり……色々あったな。
この国で『黒』に頼まれて牢獄の国に行き、迂闊にもルシフェルの封印を解いて、そこで──

『ヘル、ヘル!  ヘールー!』

たしっ、とアルの前足が座っていた僕の肩に置かれる。

「…………アル。あぁ、ごめん。何?」

ご機嫌取りにと頭を撫で、自分でも驚く程に疲れた声で返事をした。

『私達が乗る便が来た。早く行こう』

「……うん」

『どうかしたのか?』

僕の顔の前で首を傾げるアル。その仕草は可愛らしく、僕の心を癒してくれる。僕が好きなアルの仕草の中の一つだ、幾つもあるその中には先程の前足を肩や膝に乗せる行為もある。

「…………なんでもない、行こ」

こんな誤魔化しは通用しないだろう。だが追求さえ逃れられればそれでいい。僕はアルの視線を背に感じながら、飛行機へ走った。



砂漠の国の空港には苦い思い出がある。方位磁石の北と南を間違えて反対方向に進んだあの思い出だ。

『なぁ頭領、自分地図読めるん?』

「完璧だよ。僕地図読むの得意なんだ」

『……ヘルにそんな雑用はさせられん。私が請け負おう』

同じ轍を踏む事のないよう気合を入れていたのだが、アルに地図を奪われてしまった。
失った信用は戻って来ないのかと気を落としていると、僕の手に地図が戻ってくる。

『やめろ犬神!  ヘルは方向音痴なんだ、真昼間の砂漠で迷うのは死に直結する!』

「僕は方向音痴じゃない!」

『なんや方向音痴なんか、せやったら任せられへんわ。ほら地図寄越し』

酒呑が背後から地図を奪い、アルに渡す。そしてまた僕の手に戻ってくる。

『聞いていなかったのか犬神!』

「カヤ……僕を信用してくれるんだね。大好きだよカヤ!」

なんとも粗末な茶番劇。けれども僕にとっては信用を感じられる佳作だ。

『犬神ってほぼ自我あれへんよな』

『主人の願い叶えるだけの道具ですからねぇ、思考もないし……恨みくらいしか残ってへんのちゃう』

鬼達のカヤへの無礼な戯言など捨て置いて地図を読む。
アルが行こうとしていた方向は正反対だ。

『ほら、方向音痴だろう』

歩き出した僕の胴に尾を絡め、アルがため息を吐く。

「アルが方向音痴なんだよ」

『……犬神、主人が死んでもいいのか』

ゆら、と目の前の景色が歪む──違う、僕をすり抜けてカヤが半透明の姿を現したのだ。

『兟、殞?……シヌ。死?  喪?  失?』

『ヘルは方向音痴だ。ヘルに地図を与えるとヘルは死ぬ』

そんな説明が通ってたまるか、僕はそう叫んだがアルは意に介さない。

『鄙、ヤ、イャ……ャ、嫌、否、否』

『忠実だけが主人の助けになるとは限らない』

『犬神に言葉通じるわけあれへんやろ。学習もせえへんし、主人の為にっちゅー思考もあれへんねん』

景色の歪みが消える。カヤがまた不可視になったのだ。そして僕の手から地図は消えていた。

『嘘やろ……犬同士やからか?』

『ふん、主人への尽くし方というものが少しは分かったようだな。それとな、鬼、私は狼だ!  犬ではない!  狼!  だ!』

何度願っても、口に出しても地図は僕の手に戻らない。しかも願う度に悲しそうな鳴き声が耳元で聞こえる。罪悪感が湧いてきた。

『しっかし……空港からえっらい遠く作ってくれとるわ。見えもせぇへん』

『砂漠の国は昔戦争しぃはってなぁ。それが起こる前は街は空港の辺りまであった……らしいですよ、酒呑様』

『よお知っとんな』

『CAのお姉さんが色々教えてくれはりました。あの人えらいべっぴんさんやったわぁ。立てば芍薬……ゆうのはあの人ん為の言葉や、ゆうくらいのべっぴんさん』

『なんやと羨ましい。寝んかったらよかったわ。んで?  胸とか腰とか……具体的に』

彼らと共にいる時間が長くなって初めて知ったが、鬼の会話というのはかなりくだらない。今のご時世学生だってもっと有意義な話をしている、僕は学生だった事がないからから詳しくは分からないけれども。

「…………疲れたー、ねぇまだ着かないの?  やっぱりアルが方向音痴なんだよ」

『あと少しでオアシスがある。そこで暫し休もう』

「少しって……見えてもいないのに。もうやだ疲れたよー、乗せてよアルー」

『嫌だ。自分で歩け。私の方が暑いんだ』

裸足に毛皮、アルの方が暑いのは分かっている。だがもう歩きたくないという思いの方が強い。
ぼうっと空を見て歩いていると、突然僕の体が宙に浮かぶ。下を見れば半透明の犬の背があった。カヤが乗せてくれたのだ。

「カヤ大好き!」

『犬神、ヘルを甘やかすな!  尽くし方を考えろと言っただろう。ヘルはもう少し体力を付けなければならない、分からないのか!』

『せやからなんで犬神と話せるん……なんなん自分ら。のぉ茨木』

『……犬神の方が特殊、とか』

酒呑はカヤの顔を覗き込み、適当な話題を振る。
僕はあまり上手く話せていないと思っているのだが、生態を知っている鬼達には少しでも話せるのは不思議な事らしい。

『なぁなぁ俺とも話してーな』

『オ……ニ酒……カ……ネ減、御主人様、困ル。殺……殺ス殺ス殺スッ!』

「わっ!?  カ、カヤ、暴れないで!  落ちちゃうよ!」

カヤは突然牙を向き暴れ出した。僕は背から振り落とされかけ、アルの尾に支えられる。

『犬神!  乗せるならちゃんと乗せろ!』

『……御主人様?  御主人様、ゴメン。ナァイ、御主ジ様……許、孖嚃ェ?』

「だ、大丈夫だよ。大丈夫、ありがと」

不安そうに僕を見上げるカヤの頭を撫で、後方に移動した酒呑を見る。

『なんか知らんけど俺あかんわ』

『嫌われてはりましたねぇ』

『嫌われとったんかあれ。目に入るもん全部にあぁいう反応するんちゃうん』

「カヤはそんなに凶暴じゃないよ」

少し気性は荒いようだが、心根は優しい良い仔だ。そう考えなければ背に乗ってられない、丸呑みにされた恐怖はまだ克服していないのだ。

『ん……おい、オアシスだ。見えるか』

アルはそう言うが、僕にはオアシスなんて見えない。辛うじて生えている木が見えるかな……と言ったところだ。アルの感覚は僕の何倍あるのだろうか。

『そろそろやねぇ。酒呑様、空のひょうたん用意してはります?』

『あの水ぜーんぶ酒やったら入れよ思うんやけど』

『……酒呑様?  うちらは鬼とはいえ生きもんや、水は必須や分かってはりますか』

『冗談や冗談。そない怒りなや』

声色はいつも通り穏やかで、表情もいつも通りの微笑みで、怒っているようには全く見えなかった。僕には子供を諭す母親にすら見えたのに、酒呑は残っていた酒を飲み干した。
鬼の怒り方はああなのだろうか、それなら表情や声色に怯えなくて済む。羨ましい事だ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

御機嫌ようそしてさようなら  ~王太子妃の選んだ最悪の結末

Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。 生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。 全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。 ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。 時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。 ゆるふわ設定の短編です。 完結済みなので予約投稿しています。

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

〈完結〉この女を家に入れたことが父にとっての致命傷でした。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」アリサは父の後妻の言葉により、家を追い出されることとなる。 だがそれは待ち望んでいた日がやってきたでもあった。横領の罪で連座蟄居されられていた祖父の復活する日だった。 十年前、八歳の時からアリサは父と後妻により使用人として扱われてきた。 ところが自分の代わりに可愛がられてきたはずの異母妹ミュゼットまでもが、義母によって使用人に落とされてしまった。義母は自分の周囲に年頃の女が居ること自体が気に食わなかったのだ。 元々それぞれ自体は仲が悪い訳ではなかった二人は、お互い使用人の立場で二年間共に過ごすが、ミュゼットへの義母の仕打ちの酷さに、アリサは彼女を乳母のもとへ逃がす。 そして更に二年、とうとうその日が来た…… 

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...