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第二十二章 鬼の義肢と襲いくる災難
砂漠を歩いて
しおりを挟む宿を出て空港に。次は砂漠の国だ、マンモンに少し前に奇怪な事件があったと聞いている。
以前砂漠の国に行った時はセネカと一緒で、遺跡調査の護衛をしたんだったか。その結果巨大な魔物と戦う羽目になったり……色々あったな。
この国で『黒』に頼まれて牢獄の国に行き、迂闊にもルシフェルの封印を解いて、そこで──
『ヘル、ヘル! ヘールー!』
たしっ、とアルの前足が座っていた僕の肩に置かれる。
「…………アル。あぁ、ごめん。何?」
ご機嫌取りにと頭を撫で、自分でも驚く程に疲れた声で返事をした。
『私達が乗る便が来た。早く行こう』
「……うん」
『どうかしたのか?』
僕の顔の前で首を傾げるアル。その仕草は可愛らしく、僕の心を癒してくれる。僕が好きなアルの仕草の中の一つだ、幾つもあるその中には先程の前足を肩や膝に乗せる行為もある。
「…………なんでもない、行こ」
こんな誤魔化しは通用しないだろう。だが追求さえ逃れられればそれでいい。僕はアルの視線を背に感じながら、飛行機へ走った。
砂漠の国の空港には苦い思い出がある。方位磁石の北と南を間違えて反対方向に進んだあの思い出だ。
『なぁ頭領、自分地図読めるん?』
「完璧だよ。僕地図読むの得意なんだ」
『……ヘルにそんな雑用はさせられん。私が請け負おう』
同じ轍を踏む事のないよう気合を入れていたのだが、アルに地図を奪われてしまった。
失った信用は戻って来ないのかと気を落としていると、僕の手に地図が戻ってくる。
『やめろ犬神! ヘルは方向音痴なんだ、真昼間の砂漠で迷うのは死に直結する!』
「僕は方向音痴じゃない!」
『なんや方向音痴なんか、せやったら任せられへんわ。ほら地図寄越し』
酒呑が背後から地図を奪い、アルに渡す。そしてまた僕の手に戻ってくる。
『聞いていなかったのか犬神!』
「カヤ……僕を信用してくれるんだね。大好きだよカヤ!」
なんとも粗末な茶番劇。けれども僕にとっては信用を感じられる佳作だ。
『犬神ってほぼ自我あれへんよな』
『主人の願い叶えるだけの道具ですからねぇ、思考もないし……恨みくらいしか残ってへんのちゃう』
鬼達のカヤへの無礼な戯言など捨て置いて地図を読む。
アルが行こうとしていた方向は正反対だ。
『ほら、方向音痴だろう』
歩き出した僕の胴に尾を絡め、アルがため息を吐く。
「アルが方向音痴なんだよ」
『……犬神、主人が死んでもいいのか』
ゆら、と目の前の景色が歪む──違う、僕をすり抜けてカヤが半透明の姿を現したのだ。
『兟、殞?……シヌ。死? 喪? 失?』
『ヘルは方向音痴だ。ヘルに地図を与えるとヘルは死ぬ』
そんな説明が通ってたまるか、僕はそう叫んだがアルは意に介さない。
『鄙、ヤ、イャ……ャ、嫌、否、否』
『忠実だけが主人の助けになるとは限らない』
『犬神に言葉通じるわけあれへんやろ。学習もせえへんし、主人の為にっちゅー思考もあれへんねん』
景色の歪みが消える。カヤがまた不可視になったのだ。そして僕の手から地図は消えていた。
『嘘やろ……犬同士やからか?』
『ふん、主人への尽くし方というものが少しは分かったようだな。それとな、鬼、私は狼だ! 犬ではない! 狼! だ!』
何度願っても、口に出しても地図は僕の手に戻らない。しかも願う度に悲しそうな鳴き声が耳元で聞こえる。罪悪感が湧いてきた。
『しっかし……空港からえっらい遠く作ってくれとるわ。見えもせぇへん』
『砂漠の国は昔戦争しぃはってなぁ。それが起こる前は街は空港の辺りまであった……らしいですよ、酒呑様』
『よお知っとんな』
『CAのお姉さんが色々教えてくれはりました。あの人えらいべっぴんさんやったわぁ。立てば芍薬……ゆうのはあの人ん為の言葉や、ゆうくらいのべっぴんさん』
『なんやと羨ましい。寝んかったらよかったわ。んで? 胸とか腰とか……具体的に』
彼らと共にいる時間が長くなって初めて知ったが、鬼の会話というのはかなりくだらない。今のご時世学生だってもっと有意義な話をしている、僕は学生だった事がないからから詳しくは分からないけれども。
「…………疲れたー、ねぇまだ着かないの? やっぱりアルが方向音痴なんだよ」
『あと少しでオアシスがある。そこで暫し休もう』
「少しって……見えてもいないのに。もうやだ疲れたよー、乗せてよアルー」
『嫌だ。自分で歩け。私の方が暑いんだ』
裸足に毛皮、アルの方が暑いのは分かっている。だがもう歩きたくないという思いの方が強い。
ぼうっと空を見て歩いていると、突然僕の体が宙に浮かぶ。下を見れば半透明の犬の背があった。カヤが乗せてくれたのだ。
「カヤ大好き!」
『犬神、ヘルを甘やかすな! 尽くし方を考えろと言っただろう。ヘルはもう少し体力を付けなければならない、分からないのか!』
『せやからなんで犬神と話せるん……なんなん自分ら。のぉ茨木』
『……犬神の方が特殊、とか』
酒呑はカヤの顔を覗き込み、適当な話題を振る。
僕はあまり上手く話せていないと思っているのだが、生態を知っている鬼達には少しでも話せるのは不思議な事らしい。
『なぁなぁ俺とも話してーな』
『オ……ニ酒……カ……ネ減、御主人様、困ル。殺……殺ス殺ス殺スッ!』
「わっ!? カ、カヤ、暴れないで! 落ちちゃうよ!」
カヤは突然牙を向き暴れ出した。僕は背から振り落とされかけ、アルの尾に支えられる。
『犬神! 乗せるならちゃんと乗せろ!』
『……御主人様? 御主人様、ゴメン。ナァイ、御主ジ様……許、孖嚃ェ?』
「だ、大丈夫だよ。大丈夫、ありがと」
不安そうに僕を見上げるカヤの頭を撫で、後方に移動した酒呑を見る。
『なんか知らんけど俺あかんわ』
『嫌われてはりましたねぇ』
『嫌われとったんかあれ。目に入るもん全部にあぁいう反応するんちゃうん』
「カヤはそんなに凶暴じゃないよ」
少し気性は荒いようだが、心根は優しい良い仔だ。そう考えなければ背に乗ってられない、丸呑みにされた恐怖はまだ克服していないのだ。
『ん……おい、オアシスだ。見えるか』
アルはそう言うが、僕にはオアシスなんて見えない。辛うじて生えている木が見えるかな……と言ったところだ。アルの感覚は僕の何倍あるのだろうか。
『そろそろやねぇ。酒呑様、空のひょうたん用意してはります?』
『あの水ぜーんぶ酒やったら入れよ思うんやけど』
『……酒呑様? うちらは鬼とはいえ生きもんや、水は必須や分かってはりますか』
『冗談や冗談。そない怒りなや』
声色はいつも通り穏やかで、表情もいつも通りの微笑みで、怒っているようには全く見えなかった。僕には子供を諭す母親にすら見えたのに、酒呑は残っていた酒を飲み干した。
鬼の怒り方はああなのだろうか、それなら表情や声色に怯えなくて済む。羨ましい事だ。
以前砂漠の国に行った時はセネカと一緒で、遺跡調査の護衛をしたんだったか。その結果巨大な魔物と戦う羽目になったり……色々あったな。
この国で『黒』に頼まれて牢獄の国に行き、迂闊にもルシフェルの封印を解いて、そこで──
『ヘル、ヘル! ヘールー!』
たしっ、とアルの前足が座っていた僕の肩に置かれる。
「…………アル。あぁ、ごめん。何?」
ご機嫌取りにと頭を撫で、自分でも驚く程に疲れた声で返事をした。
『私達が乗る便が来た。早く行こう』
「……うん」
『どうかしたのか?』
僕の顔の前で首を傾げるアル。その仕草は可愛らしく、僕の心を癒してくれる。僕が好きなアルの仕草の中の一つだ、幾つもあるその中には先程の前足を肩や膝に乗せる行為もある。
「…………なんでもない、行こ」
こんな誤魔化しは通用しないだろう。だが追求さえ逃れられればそれでいい。僕はアルの視線を背に感じながら、飛行機へ走った。
砂漠の国の空港には苦い思い出がある。方位磁石の北と南を間違えて反対方向に進んだあの思い出だ。
『なぁ頭領、自分地図読めるん?』
「完璧だよ。僕地図読むの得意なんだ」
『……ヘルにそんな雑用はさせられん。私が請け負おう』
同じ轍を踏む事のないよう気合を入れていたのだが、アルに地図を奪われてしまった。
失った信用は戻って来ないのかと気を落としていると、僕の手に地図が戻ってくる。
『やめろ犬神! ヘルは方向音痴なんだ、真昼間の砂漠で迷うのは死に直結する!』
「僕は方向音痴じゃない!」
『なんや方向音痴なんか、せやったら任せられへんわ。ほら地図寄越し』
酒呑が背後から地図を奪い、アルに渡す。そしてまた僕の手に戻ってくる。
『聞いていなかったのか犬神!』
「カヤ……僕を信用してくれるんだね。大好きだよカヤ!」
なんとも粗末な茶番劇。けれども僕にとっては信用を感じられる佳作だ。
『犬神ってほぼ自我あれへんよな』
『主人の願い叶えるだけの道具ですからねぇ、思考もないし……恨みくらいしか残ってへんのちゃう』
鬼達のカヤへの無礼な戯言など捨て置いて地図を読む。
アルが行こうとしていた方向は正反対だ。
『ほら、方向音痴だろう』
歩き出した僕の胴に尾を絡め、アルがため息を吐く。
「アルが方向音痴なんだよ」
『……犬神、主人が死んでもいいのか』
ゆら、と目の前の景色が歪む──違う、僕をすり抜けてカヤが半透明の姿を現したのだ。
『兟、殞?……シヌ。死? 喪? 失?』
『ヘルは方向音痴だ。ヘルに地図を与えるとヘルは死ぬ』
そんな説明が通ってたまるか、僕はそう叫んだがアルは意に介さない。
『鄙、ヤ、イャ……ャ、嫌、否、否』
『忠実だけが主人の助けになるとは限らない』
『犬神に言葉通じるわけあれへんやろ。学習もせえへんし、主人の為にっちゅー思考もあれへんねん』
景色の歪みが消える。カヤがまた不可視になったのだ。そして僕の手から地図は消えていた。
『嘘やろ……犬同士やからか?』
『ふん、主人への尽くし方というものが少しは分かったようだな。それとな、鬼、私は狼だ! 犬ではない! 狼! だ!』
何度願っても、口に出しても地図は僕の手に戻らない。しかも願う度に悲しそうな鳴き声が耳元で聞こえる。罪悪感が湧いてきた。
『しっかし……空港からえっらい遠く作ってくれとるわ。見えもせぇへん』
『砂漠の国は昔戦争しぃはってなぁ。それが起こる前は街は空港の辺りまであった……らしいですよ、酒呑様』
『よお知っとんな』
『CAのお姉さんが色々教えてくれはりました。あの人えらいべっぴんさんやったわぁ。立てば芍薬……ゆうのはあの人ん為の言葉や、ゆうくらいのべっぴんさん』
『なんやと羨ましい。寝んかったらよかったわ。んで? 胸とか腰とか……具体的に』
彼らと共にいる時間が長くなって初めて知ったが、鬼の会話というのはかなりくだらない。今のご時世学生だってもっと有意義な話をしている、僕は学生だった事がないからから詳しくは分からないけれども。
「…………疲れたー、ねぇまだ着かないの? やっぱりアルが方向音痴なんだよ」
『あと少しでオアシスがある。そこで暫し休もう』
「少しって……見えてもいないのに。もうやだ疲れたよー、乗せてよアルー」
『嫌だ。自分で歩け。私の方が暑いんだ』
裸足に毛皮、アルの方が暑いのは分かっている。だがもう歩きたくないという思いの方が強い。
ぼうっと空を見て歩いていると、突然僕の体が宙に浮かぶ。下を見れば半透明の犬の背があった。カヤが乗せてくれたのだ。
「カヤ大好き!」
『犬神、ヘルを甘やかすな! 尽くし方を考えろと言っただろう。ヘルはもう少し体力を付けなければならない、分からないのか!』
『せやからなんで犬神と話せるん……なんなん自分ら。のぉ茨木』
『……犬神の方が特殊、とか』
酒呑はカヤの顔を覗き込み、適当な話題を振る。
僕はあまり上手く話せていないと思っているのだが、生態を知っている鬼達には少しでも話せるのは不思議な事らしい。
『なぁなぁ俺とも話してーな』
『オ……ニ酒……カ……ネ減、御主人様、困ル。殺……殺ス殺ス殺スッ!』
「わっ!? カ、カヤ、暴れないで! 落ちちゃうよ!」
カヤは突然牙を向き暴れ出した。僕は背から振り落とされかけ、アルの尾に支えられる。
『犬神! 乗せるならちゃんと乗せろ!』
『……御主人様? 御主人様、ゴメン。ナァイ、御主ジ様……許、孖嚃ェ?』
「だ、大丈夫だよ。大丈夫、ありがと」
不安そうに僕を見上げるカヤの頭を撫で、後方に移動した酒呑を見る。
『なんか知らんけど俺あかんわ』
『嫌われてはりましたねぇ』
『嫌われとったんかあれ。目に入るもん全部にあぁいう反応するんちゃうん』
「カヤはそんなに凶暴じゃないよ」
少し気性は荒いようだが、心根は優しい良い仔だ。そう考えなければ背に乗ってられない、丸呑みにされた恐怖はまだ克服していないのだ。
『ん……おい、オアシスだ。見えるか』
アルはそう言うが、僕にはオアシスなんて見えない。辛うじて生えている木が見えるかな……と言ったところだ。アルの感覚は僕の何倍あるのだろうか。
『そろそろやねぇ。酒呑様、空のひょうたん用意してはります?』
『あの水ぜーんぶ酒やったら入れよ思うんやけど』
『……酒呑様? うちらは鬼とはいえ生きもんや、水は必須や分かってはりますか』
『冗談や冗談。そない怒りなや』
声色はいつも通り穏やかで、表情もいつも通りの微笑みで、怒っているようには全く見えなかった。僕には子供を諭す母親にすら見えたのに、酒呑は残っていた酒を飲み干した。
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