魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第二十章 偽の理想郷にて嘘を兄に

理想郷の夢

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アルの翼や毛は染髪料のボトルの中身を直接かけても直ぐに泡立つ。羨ましいというか、洗っていて気持ちがいいというか、愛おしいというか。

「ここの結構高級そうだし、乾かしたらもっとふわふわになるね」

『…………ヘル、まさか、忘れたのか?』

「何を?  アルの手触りは忘れてないよ?  今も更新中だし」

『違う。その……私が、貴方との思い出を忘れていた事を……いや、許してくれるのか?  それで、忘れた事を忘れた振りをしてくれているのか?  そうだったら済まない』

ゴッ、と鈍い音が浴場に響く。何度も、何度も。
アルは目を見開き、言葉を失っていた。
排水溝に流れる水と泡、それに少しずつ赤色が混ざっていく。鮮やかな赤い液体は見るだけで心の傷を抉っていく。

『ヘル!?  何を、何をしている!  やめろ!  やめないか!』

「…………あ、あぁ、ごめん」

『酷い血だ、早く手当をしなければ。歩けるか?  ほら、私に掴まれ』

血は僕の頭から流れていた、壁を見ると丁度僕の頭の位置に血がついている。
頭を打ったのか、どうして?  滑った?  いや違う、自分でやった。
どうして……あぁそうだ、忘れなきゃ。アルを恨んでしまう前に、アルに酷いことをしてしまう前に、アルが忘れたことを忘れないと。

『ヘル!  やめろと言っただろう、どうしたんだ……ほら、行くぞ!』

「…………痛い」

『打つからだ!  全く……妙な真似を!』

アルの尾が胴に巻き付く、脱衣場まで引きずられて、タオルを何枚か被せられた。

『人を呼んでくる、止血しておけ。あと……その、腰にも巻いておけ』

「…………僕、何してたんだっけ。何考えてたんだっけ」

『すぐに戻るからな、じっとしてろよ』

アルに言われた通り、腰にタオルを巻いて、バスタオルを肩からかけて、頭の傷に柔らかいものを選んで当てた。

「…………痛い。なんで……僕、怪我して……あれ?  アル?  アル、どこ?」

アルがいない。

「……なんで?  ずっと一緒にいてくれるって、一人にしないって…………アル?  アルー……どこ?  どうして、どこいったの?」

アルを探す為に立ち上がろうとして、棚にかけた指が滑る。立ちくらみも相まって僕は派手に転んだ。頭に当てていたタオルが目の前に落ちる。

「赤い……何これ、血?  なんで……誰の?」

体を起こして、血のついたタオルを広げ──視界が歪む。
側頭部に鋭い痛みが走り、その激しさに吐き気まで覚えた。
僕はそのうちに気を失い、真っ暗な夢を見た。



暗い。冷たい。
そんな感想しか出てこない場所に僕はいた。
そこはどうやら水中のようで、光を求めて上を向けば太陽の光を受けて輝く水面が見えた。僕は上に向かいたかったのに、心とは裏腹に僕の体はどんどんと底に向かう。

深く、深く、深く、暗く冷たい海の底へ。

沈んでいくのではなく、泳いでいく。まるで自らの意志であるように足を動かして。
いつの間にか隣には人影があった、それは少しずつ増えていく。目を凝らしてその影をよく見ると、それは人に似た形をした魚だった。
僕は彼らに見覚えがあったのに、そこではまるで初めて会ったように感じた。気味の悪い造形に恐怖した。

しばらくすると海底が見えてくる、そこには不思議な光景が広がっていた。
海底なんて砂や岩場しかないと思っていたのに、ここには都市がある。建造物は暗緑色の石材で造られているようなのだが、どうも奇妙な形をしている。あれで建つとは思えない、素人目にも分かるほどに気味の悪い形だった。
僕はそんな薄気味悪い都市を歩いて、中心に向かっていく。隣にも前にも後ろにも、あの半魚人達がいる。

自分の体を上手く動かせない恐怖、ただただ単純な暗さと冷たさへの恐怖、気持ちの悪い化け物達への恐怖、見知らぬ場所へと向かう恐怖。
あらゆる恐怖が僕を襲う。それでも僕の足は止まらない。

僕は自分の意志ではなく自分の足を動かして、神殿のような場所に辿り着いた。
周囲の化け物達は皆一心に何かに祈っている。僕は彼らの視線の先を追う、彼らに崇め奉られるモノを見る。

巨大な壁──いや、違う。体だ。鱗だとか瘤だとかに覆われた巨体だ。寝返りでもうっているのか、はたまた起き上がろうとしているのか、それは蠢いている。僕はそれの顔を見ようと視線を上に向ける。

触腕が見えた。無数の……うねる触腕。その上に目が見えた。
柔らかそうに、硬そうに、ぐにぐにゅと触腕が揺れる。
その目は──その目は、僕を見て──



目を覚ますと真っ白い天井が僕を迎えた。
僕はベッドに寝かされていて、頭には包帯が巻かれていた。ズキ、と痛む頭に手を寄せ、痛みに声を漏らすと真っ赤な瞳が僕の顔を覗き込んできた。

『気がつきましたか、ヘルシャフト様』

無数の眼に僕が映る。

「……あ、ぁ…………どこ?」

掠れた声は約立たずで、僕の言葉は彼女には伝わらなかった。

『お風呂ではしゃいじゃ危ないですよ、一人で入ってたらどうなってたか……』

彼女は僕にこんこんと言って聞かせる。別に風呂場で走り回った訳ではないと思うのだが、何も覚えていないから反論は出来ない。

「…………アル、は?」

『先輩ですか?  せんぱーい!  ヘルシャフト様の目が覚めましたよー!』

「アル、アル!?  アル、どこ!?」

『ちょ、落ち着いてくださいよ、先輩は今お医者さんとお話中でして……』

アルを探す為に起き上がりたいのに、少女の腕が細さに似合わぬ力で僕を押さえつける。

「アル!  アル!  いやっ、やだ、いやぁぁぁっ!  アル!  どこぉ!?  なんでいないの!?」

『な、なんなんですか?  ちょっと先輩!  もう医者も連れてきてください!  多分パニックですよこれ!』

視界の端に銀色が揺れる。ベッドにそれが飛び乗って、僕の視界は銀色の柔らかい毛に埋め尽くされる。

『ヘル、私はここだぞ。ほら……落ち着いて、大丈夫だ、大丈夫……』

「アル、アル?  アルなの?  アルだよね?」

『ああ、私だ。それ以外に何に見える?』

「アル……アル、アル、アル……いた。見つけた、居た、来た……」

アルの首に腕を回して、無理に引っ張りながら抱き締める。苦しくないだろうか、なんて気にする余裕は今の僕にはなかった。
ただ、ただ、恐かった。

『ヘル……少し、痛い。毛を掴まないでくれ』

「恐い……こわいよ、暗い、冷たい……寒い、寒いよ、恐い…………アル、いるよね?  ここにいるんだよね?」

『私はここに居る。離れたりもしないさ』

『……どうなってんですか?  コレ。私は先輩にヘルシャフト様が風呂で頭打ったとしか聞いてませんよ』

ベルゼブブは医者に詰め寄りながら、言外に「何とかしろ」と含んでアルに聞いた詳細を再び話す。

「…………鎮静剤です」

『あぁどうも……って、待ちなさい!  どこ行く気ですか、こんなもん渡されても困りますよ!  扱い方なんて知りませんし……もっとちゃんと診てください!』

「頭部への強い衝撃による一時的記憶混濁、興奮。その他の異常は見受けられませんし、傷の手当以外に私に出来ることはありません」

医者は冷静にそう告げ、ベルゼブブの手を払おうと腕を振る。だが、そう簡単にベルゼブブの手を剥がせる訳もなく、医者は深いため息をつく。

『やっぱり、こんな街に居るような医者じゃダメですね。深き者共の医者なんて絶対に嫌でしたから人間の医者を探しましたのに、こんなヤブだなんて』

「頭を打ってますから、しばらくは安静に……それでは、失礼します。お大事に……」

諦めたベルゼブブは医者の腕を離し、ベッドに腰掛ける。苛立ちを紛らわせる為に足を揺らし、空腹を紛らわせる為にルームランプをお菓子に変えて齧った。
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