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第二十五章 本拠地は酒色の国に
それぞれの思惑
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屋内で巻き起こった突風によって窓が割れ、その風は渦を巻いてガラスの破片を巻き上げる。
「あの悪魔が来なかったら、王様も俺もここで死ぬ……か。味方の善意に殺されちゃ死んでも死にきれねぇな」
無数のガラス片を孕んだ竜巻はスライムに向かい、表面に浮いた目玉を切り付けた。
「よしよし、真空にして……」
スライムが風の渦の中心に入ると伸びた触手が切り刻まれる。
手を突き出して風を操るアザゼルの眼と鼻から血が流れる。
まともな天使の加護受者も寿命が短いのに、堕天使の魂の入れ物となった人間の身体がその力に耐えられるはずもないのだ。
「げほっ…………嘘だろ、もう少し……育てば、作り替えてやれるから、後ちょっと、もってくれよ……ごほっ、ぅ……ぇ……」
咳と共に血を吐き、小さな身体は崩れ落ちる。
「おー……さま。大丈夫、一人守るくらい……大丈夫」
ヘルが死ねば魔王の妻というおいしい役割は自然と消える。何より、あのキマイラや頭のおかしい彼の兄に殺される。
アザゼルは無理矢理に上体を起こし、粘液を撒き散らすスライムを睨む。そしてその奥に立つ、もはや悪魔と呼べる吸鬼を見つける。
「ダンピール! やられてなかったのか、良かった。早く守ってくれ!」
ヴェーンは先程よりも大きくなった翼に吊られるように腕と足を垂らし、頭を傾けてしまっていた。
「……血」
その姿が霧と消える──アザゼルの前に再形成される。
「な、なんだよ、ダンピール……? だよな」
「…………血を」
「これ以上吸ったら王様死んじまうよ! お、俺のなら床にぶちまけてる! それ舐めてろ!」
ヴェーンはアザゼルの腕を掴み、力任せに持ち上げる。
「いっ、痛い痛い痛いっ! ちぎれるっ! 離せ!」
もう片方の手で顔を掴み、首に牙を突き立てる。
「や、やめ…………ぁ、や……やめろ、俺も、これ以上血を流したら……」
抵抗する力は次第に薄れ、アザゼルの手足は痙攣を起こす。ヴェーンはアザゼルをヘルの上に投げ、扉を開けて新たに入って来た者を睨む。
『はぁーい、ダンちゃん。呼んだぁ~?』
「……血を、寄越せ。血を……」
目に悪い濃いピンク色の髪と瞳、額の右側だけに生えた三本角、肌に浮かぶハートモチーフの刺青。異様に露出の多い格好をして甘ったるい声で話す。
ヴェーンはそんな悪魔──アシュにも飛びかかる。
『おっと、積極的だねぇ。珍し~い』
アシュは容易くヴェーンの首を掴み、霧と化すことすら許さない。
『は~い、大人しくしてたら、後でご褒美あげるからねぇ~』
そう言ってヴェーンの口をこじ開け、舌をねじ込む。
『ん~、イイ魔力溜めちゃって、生意気だゾ!』
ぐったりと動かなくなったヴェーンを後方に投げ捨て、ヘルとアザゼルを跨いでスライムに向き合う。
「……酷ぇな、魔力ほとんど吸い取りやがった」
『そりゃこの国の吸鬼はアシュちゃんに上納する為に生きてるんだからぁ~、って、あれ、生きてたの~?』
「アシュメダイ、アシュメダイか……聞いたことがある。お前、かなり強い悪魔だろ」
『やだ~、そんなことないよぉ~』
辛うじて意識を保っていたアザゼルと会話をしながら、後ろ歩きでスライムの元へ向かう。べちょっとぶつかり、無数の触手とその先に生えた目玉がアシュを捉える。
『ふふっ……触手かぁ~、イイよねぇ。でもねぇ~、アシュちゃん、今はその気分じゃないかなぁ~』
アシュの眼が妖しく輝く。ハート型の瞳孔が無数の目玉と視線を交わす。
『アシュちゃんが動くからぁ~、どろどろちゃんは動かないでねぇ~?』
スライムはピタリと動きを止め、アシュは艶やかな笑みを浮かべたまま触手の中を抜け、手をひらひらと揺らして部屋に入っていく。
アザゼルはその様をポカンと眺めていた。
すぐに戻ってきたアシュの手にはタンクがあった。中の液体をスライムに浴びせて、タンクを放る。
「ぅ……臭い、何だこの臭い…………灯油?」
『せぇ~かぁ~い。ランプ用かなぁ~? 別の用かもぉ~』
アシュは胸元から葉巻を取り出し、その先端を見つめて火を灯した。それをゆっくりと吸い、煙を吐く。
『ふぅ…………そろそろ、ばいばぁ~い』
一息で半分ほど吸って葉巻を指で弾く。床に落ちた葉巻は灯油に引火し、スライムを燃え上がらせた。スライムは身動き一つせず焼かれていく、アシュはその様を眺める。
『火は綺麗だよねぇ~、落ち着くって言うかぁ~なんて言うかぁ~』
「……家事になったりしねぇだろうな」
『ならないならない。火は得意分野じゃないけどアシュちゃんも少しくらいは操れるしぃ~?』
炎の色は次第に弱まり、消えていく。後に残ったのは灰と床の焦げ跡のみ。何が燃えたかなど当事者以外には分からない。
「得意分野じゃない、ね。の割に扱い上手いみたいだが?」
『……魔界から出られないサタン様、食べていないと身体が崩れるベルゼブブ様。死にかけのくせに天使の口車に乗って殺されたレヴィアタンに、面倒臭がりで死に損ないのベルフェゴール。マンモンはそいつらよりはマシだけど、やっぱり弱い』
「…………お前、どうやってその魔力保ってんだよ……」
『吸鬼の類は人間から魔力を吸い取るの。なら、そいつらから吸ったら効率いいと思わなぁ~い? この国はぁ、アシュちゃんのぉ、食料庫なの!
ベルゼブブ様も似たようなことやってたけど、アレは効率が悪過ぎる。一回食べたら終わりだし、どんどん減ってく。でもアシュちゃんのやり方ならぁ~、ご飯はどんどん増えるのぉ~!』
「ははっ……魔界と大して変わらないんじゃねぇの」
『そんなことないよぉ~、俗界ってだけで一割も出せないんだから!』
ケラケラと笑うアシュにアザゼルは不気味さを覚える。危機は去ったはずなのに異様な緊張感が漂っていた。
その緊迫した雰囲気をかき消すようにスライムの灰が巻き上がり黒い影を形作った。その影は燕尾服を着た美しい人間に変わる。
『……随分と確率の低い未来を選びましたね』
『あ~、アスタロト様ぁ~? こんにちはぁ~』
『貴女の魔力放出とショゴスの燃滓のおかげで実体化出来ました』
アスタロトはアシュに一礼し、アザゼルの前で屈む。ヴェーンに咬まれた首の傷はアスタロトが触れると跡形もなく消え去った。
「…………ありがとよ」
魔力も分け与えられ、アザゼルは角と翼を消した。傷も塞がり元の可愛らしい女の子の姿へと戻る。
『砂漠の国に行ったのは……ふむ、彼らが行った場合は…………えぇと、彼らは無傷で戻るでしょう、何もイレギュラーが無ければ、ええ。ですが……魔物使い、彼の知り合いは一人消えます』
「……どういう意味だ? 誰か死ぬのか?」
『…………あくまでも今最も可能性が高い未来であり、確定事項ではありません』
アザゼルはヘルを仰向けに転がし、その腹の上に飛び乗る。
『彼を起こして連れて行けば不確定要素が増え、最悪の場合炎が召喚されますよ。あの炎が喚ばれれば国の民は焼かれ、それに怒った神々が帰還し、またそれに反応して創造神が……』
「あーぁーあー分かった分かった! 言わねぇよ!」
『…………そうですか』
アスタロトは少し残念そうに呟き、立ち上がる。アザゼルはそれを不審に思いながらもヘルを起こすことに注力した。
『アースーターロートーっ、さまぁ~? 少しいーぃー? ダンちゃんなんだけどぉ、魔物使いの血をたぁっくさん飲んじゃったみたいでぇ~、これ、どうだと思う~?』
『……そうですね。半吸血鬼や吸血鬼と言うよりは、悪魔。いえ、悪魔と言うのも早計。変異体ですね』
『定義や名前なんて興味ないよぉ~』
『…………特に問題はありません。死にはしませんし、貴女の魔眼が効かなくなることもありません。不能になることも……ね』
『……ならいいや! ありがとうアスタロト様!』
アシュはそう言って手を振り、ヴェーンを引き摺って開け放たれていた扉から出て行った。アスタロトはため息をつき、透けていく身体を再びアザゼルに向け、恭しくお辞儀をした。
「…………悪魔って気味悪ぃ奴等ばっかりだな」
悪魔達がそれぞれの住処に帰って、アザゼルはほぅと胸を撫で下ろした。
「あの悪魔が来なかったら、王様も俺もここで死ぬ……か。味方の善意に殺されちゃ死んでも死にきれねぇな」
無数のガラス片を孕んだ竜巻はスライムに向かい、表面に浮いた目玉を切り付けた。
「よしよし、真空にして……」
スライムが風の渦の中心に入ると伸びた触手が切り刻まれる。
手を突き出して風を操るアザゼルの眼と鼻から血が流れる。
まともな天使の加護受者も寿命が短いのに、堕天使の魂の入れ物となった人間の身体がその力に耐えられるはずもないのだ。
「げほっ…………嘘だろ、もう少し……育てば、作り替えてやれるから、後ちょっと、もってくれよ……ごほっ、ぅ……ぇ……」
咳と共に血を吐き、小さな身体は崩れ落ちる。
「おー……さま。大丈夫、一人守るくらい……大丈夫」
ヘルが死ねば魔王の妻というおいしい役割は自然と消える。何より、あのキマイラや頭のおかしい彼の兄に殺される。
アザゼルは無理矢理に上体を起こし、粘液を撒き散らすスライムを睨む。そしてその奥に立つ、もはや悪魔と呼べる吸鬼を見つける。
「ダンピール! やられてなかったのか、良かった。早く守ってくれ!」
ヴェーンは先程よりも大きくなった翼に吊られるように腕と足を垂らし、頭を傾けてしまっていた。
「……血」
その姿が霧と消える──アザゼルの前に再形成される。
「な、なんだよ、ダンピール……? だよな」
「…………血を」
「これ以上吸ったら王様死んじまうよ! お、俺のなら床にぶちまけてる! それ舐めてろ!」
ヴェーンはアザゼルの腕を掴み、力任せに持ち上げる。
「いっ、痛い痛い痛いっ! ちぎれるっ! 離せ!」
もう片方の手で顔を掴み、首に牙を突き立てる。
「や、やめ…………ぁ、や……やめろ、俺も、これ以上血を流したら……」
抵抗する力は次第に薄れ、アザゼルの手足は痙攣を起こす。ヴェーンはアザゼルをヘルの上に投げ、扉を開けて新たに入って来た者を睨む。
『はぁーい、ダンちゃん。呼んだぁ~?』
「……血を、寄越せ。血を……」
目に悪い濃いピンク色の髪と瞳、額の右側だけに生えた三本角、肌に浮かぶハートモチーフの刺青。異様に露出の多い格好をして甘ったるい声で話す。
ヴェーンはそんな悪魔──アシュにも飛びかかる。
『おっと、積極的だねぇ。珍し~い』
アシュは容易くヴェーンの首を掴み、霧と化すことすら許さない。
『は~い、大人しくしてたら、後でご褒美あげるからねぇ~』
そう言ってヴェーンの口をこじ開け、舌をねじ込む。
『ん~、イイ魔力溜めちゃって、生意気だゾ!』
ぐったりと動かなくなったヴェーンを後方に投げ捨て、ヘルとアザゼルを跨いでスライムに向き合う。
「……酷ぇな、魔力ほとんど吸い取りやがった」
『そりゃこの国の吸鬼はアシュちゃんに上納する為に生きてるんだからぁ~、って、あれ、生きてたの~?』
「アシュメダイ、アシュメダイか……聞いたことがある。お前、かなり強い悪魔だろ」
『やだ~、そんなことないよぉ~』
辛うじて意識を保っていたアザゼルと会話をしながら、後ろ歩きでスライムの元へ向かう。べちょっとぶつかり、無数の触手とその先に生えた目玉がアシュを捉える。
『ふふっ……触手かぁ~、イイよねぇ。でもねぇ~、アシュちゃん、今はその気分じゃないかなぁ~』
アシュの眼が妖しく輝く。ハート型の瞳孔が無数の目玉と視線を交わす。
『アシュちゃんが動くからぁ~、どろどろちゃんは動かないでねぇ~?』
スライムはピタリと動きを止め、アシュは艶やかな笑みを浮かべたまま触手の中を抜け、手をひらひらと揺らして部屋に入っていく。
アザゼルはその様をポカンと眺めていた。
すぐに戻ってきたアシュの手にはタンクがあった。中の液体をスライムに浴びせて、タンクを放る。
「ぅ……臭い、何だこの臭い…………灯油?」
『せぇ~かぁ~い。ランプ用かなぁ~? 別の用かもぉ~』
アシュは胸元から葉巻を取り出し、その先端を見つめて火を灯した。それをゆっくりと吸い、煙を吐く。
『ふぅ…………そろそろ、ばいばぁ~い』
一息で半分ほど吸って葉巻を指で弾く。床に落ちた葉巻は灯油に引火し、スライムを燃え上がらせた。スライムは身動き一つせず焼かれていく、アシュはその様を眺める。
『火は綺麗だよねぇ~、落ち着くって言うかぁ~なんて言うかぁ~』
「……家事になったりしねぇだろうな」
『ならないならない。火は得意分野じゃないけどアシュちゃんも少しくらいは操れるしぃ~?』
炎の色は次第に弱まり、消えていく。後に残ったのは灰と床の焦げ跡のみ。何が燃えたかなど当事者以外には分からない。
「得意分野じゃない、ね。の割に扱い上手いみたいだが?」
『……魔界から出られないサタン様、食べていないと身体が崩れるベルゼブブ様。死にかけのくせに天使の口車に乗って殺されたレヴィアタンに、面倒臭がりで死に損ないのベルフェゴール。マンモンはそいつらよりはマシだけど、やっぱり弱い』
「…………お前、どうやってその魔力保ってんだよ……」
『吸鬼の類は人間から魔力を吸い取るの。なら、そいつらから吸ったら効率いいと思わなぁ~い? この国はぁ、アシュちゃんのぉ、食料庫なの!
ベルゼブブ様も似たようなことやってたけど、アレは効率が悪過ぎる。一回食べたら終わりだし、どんどん減ってく。でもアシュちゃんのやり方ならぁ~、ご飯はどんどん増えるのぉ~!』
「ははっ……魔界と大して変わらないんじゃねぇの」
『そんなことないよぉ~、俗界ってだけで一割も出せないんだから!』
ケラケラと笑うアシュにアザゼルは不気味さを覚える。危機は去ったはずなのに異様な緊張感が漂っていた。
その緊迫した雰囲気をかき消すようにスライムの灰が巻き上がり黒い影を形作った。その影は燕尾服を着た美しい人間に変わる。
『……随分と確率の低い未来を選びましたね』
『あ~、アスタロト様ぁ~? こんにちはぁ~』
『貴女の魔力放出とショゴスの燃滓のおかげで実体化出来ました』
アスタロトはアシュに一礼し、アザゼルの前で屈む。ヴェーンに咬まれた首の傷はアスタロトが触れると跡形もなく消え去った。
「…………ありがとよ」
魔力も分け与えられ、アザゼルは角と翼を消した。傷も塞がり元の可愛らしい女の子の姿へと戻る。
『砂漠の国に行ったのは……ふむ、彼らが行った場合は…………えぇと、彼らは無傷で戻るでしょう、何もイレギュラーが無ければ、ええ。ですが……魔物使い、彼の知り合いは一人消えます』
「……どういう意味だ? 誰か死ぬのか?」
『…………あくまでも今最も可能性が高い未来であり、確定事項ではありません』
アザゼルはヘルを仰向けに転がし、その腹の上に飛び乗る。
『彼を起こして連れて行けば不確定要素が増え、最悪の場合炎が召喚されますよ。あの炎が喚ばれれば国の民は焼かれ、それに怒った神々が帰還し、またそれに反応して創造神が……』
「あーぁーあー分かった分かった! 言わねぇよ!」
『…………そうですか』
アスタロトは少し残念そうに呟き、立ち上がる。アザゼルはそれを不審に思いながらもヘルを起こすことに注力した。
『アースーターロートーっ、さまぁ~? 少しいーぃー? ダンちゃんなんだけどぉ、魔物使いの血をたぁっくさん飲んじゃったみたいでぇ~、これ、どうだと思う~?』
『……そうですね。半吸血鬼や吸血鬼と言うよりは、悪魔。いえ、悪魔と言うのも早計。変異体ですね』
『定義や名前なんて興味ないよぉ~』
『…………特に問題はありません。死にはしませんし、貴女の魔眼が効かなくなることもありません。不能になることも……ね』
『……ならいいや! ありがとうアスタロト様!』
アシュはそう言って手を振り、ヴェーンを引き摺って開け放たれていた扉から出て行った。アスタロトはため息をつき、透けていく身体を再びアザゼルに向け、恭しくお辞儀をした。
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