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第二十五章 本拠地は酒色の国に

昔話

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『黒』に最後に会ったのは科学の国。あの時も彼女は僕を助けに来てくれた。「大好き」とか「愛してる」とか言ってくれて、生命を削って僕を守ってくれた。
そろそろ彼女に恩と愛を返さなければ。

『何万年の間で恋人の死を何十回も見守ったくせに、一万年前の彼女は酷かったんですよ。泣き喚いて、なんで一人にしたって私達を責めて、自分も責めて、心身ともにボロボロになってしまって……』

ベルゼブブは淡々と一万年前の出来事を語る。僕には想像もつかない年月だが、彼女にとっては当たり前の過去の話なのだ。

『……天界に貴方様の魂があると知って、私達は天界に総攻撃を仕掛けました。しかし統率を失い仲間割れも起こっていて…………結果は負けです』

「…………そうだったんだ」

『ええ、ですが私達が騒いでいたその隙に……あの邪神が××××様に取引を持ちかけた。彼女は名を奪われ全てを忘れ、弱りに弱って人界に堕ちました。その時なんですよ、私があの邪神を食べたのは。神魔戦争に負けて魔界に結界が張られた上に私も力を失って人界に半封印状態。悪魔は劣勢も劣勢で、本当に嫌な時代でしたねぇ……ま、今も当時に比べればマシってだけで、かつてには程遠いんですが』

魔界に張られた結界か、それがなければより多くの悪魔が人界に出てこられるのだろうか。出てきたところで魔力が薄い人界では大して力を振るえないけれど、全盛期はどうやってその問題を解決していたのだろう。

「……ねぇ、神様が人間の信仰から力を得るならさ、悪魔は何から吸ってるの?」

『魔力ですか?  魔界では空気中に満ち満ちているので、それだけで生きていけますけど、より力が欲しいなら他の悪魔や人間を喰ったり人間との契約で小銭稼ぎしたり、まぁ色々と』

「と、共食いするんだ」

『しますねぇ』

あまり聞きたくなかった情報だ。しかし、これから先悪魔を多く仲間に引き入れるのなら知っておかなければならない、知らない間に仲間が減っていましたなんて未来、訪れてはならない。

「…………魔界、かぁ。魔界ってどうやったら行けるの?」

『魔力をぶつけて結界に自分が通れるだけの穴を開けるんです。ですから通ってすぐの悪魔は弱かったりしますよ、穴を開けるのに魔力使ってますし魔力少ない方が穴は小さくて済みますからね』

「……こっちからは開けれるの?」

『出来ないこともないですけど……開けたいんですか?』

「…………ううん、最終手段。魔界に逃げれば天使は追っかけてこれないからさ」

『そうですか。お腹空くんでアレはやりたくないですから、最終手段は取らないでくださいね』

魔界に逃げたとしても魔界には僕の食べる物がない、逃げ込んだとしても一時しのぎだ。やはり今のところは兄の魔法で身を隠しているのが一番の策か。
根本的な解決策を見出せず落ち込む僕の膝に温かい何かが擦り寄る。恐る恐る手を伸ばせば柔らかい毛に触れ、アルが戻ってきたのだと分かる。

『おかえりなさい先輩、何ありました?』

『空き部屋はかなりの数があり、一人一部屋でも十分な数でした。バスルームは三つ、トイレは六つ、キッチンは二つ、冷凍室に食料庫は一つずつ、それに隠し通路と隠し部屋もありました』

『……アシュメダイのペットのくせに良い家住んでますねぇ』

アルの毛並みを楽しみつつ、報告を聞き流す。どうせ僕は一人で移動できないのだから、部屋の位置や数なんて何となくで分かっていればいいだけだ。

『後で館内図でも作らせますかね、迷いそうです』

「……何階建てだった?」

『三階、それに地下が二階だ』

「へぇ……広いなぁ。僕どこで寝ればいいの?」

『ここの隣室だ。家の中心付近だから、何かあったら叫べば誰か来るだろう。私が常に傍に居るがな』

僕はグロルをソファに降ろし、その部屋に連れて行くようアルに頼んだ。無数の手に支えられ前を歩いているらしいアルに着いていく。
絨毯では聞こえなかったアルの足音が廊下に響く。爪が板に擦れてカチャカチャと音を立てていて、どこか可愛らしい。

『ここだ』

「近いね。さっきの部屋はリビングだよね?  食事はどこで食べるの?」

『ここでも先程の部屋でも構わんが、ダイニングルームは向こうの……まぁ、そう離れてはいない。食事が出来たら案内しよう』

「……うん、ありがと、アル」

ベッドらしい物に腰を降ろし、天蓋を支える柱に手を添える。あの無数の手は足元でジェルと化し、ぷよぷよとした感触で僕の足裏を楽しませてくれている。
しばらくの隠れ家にして十分過ぎる、いっそここに永住したい。そんな思いを込めて後ろに倒れる──と、誰かに触れた。

「ご、ごめんなさっ……だ、誰?  ここ僕の部屋……」

振り返るが、当然何も見えない。暗闇の中に手を伸ばせば、誰かに掴まれる。短く悲鳴を上げ、アルを求めてもう片方の手を振り回す。

『…………兄君、ヘルは今目が見えないのだから、触れるのならその前に声をかけてやれ』

『……声がないと誰か分からないの?  お兄ちゃんなんだから分かるよね?  分からないの?  ヘル、どうなの?』

「あ……にいさま?  なの?」

『…………分からないの?』

「分かんないよ……見えないし、喋ってくれないと…………僕、魔力とかも感じられないんだよ」

兄は少し苛立っている様子だ。アルが居るし、暴力を振るわれることはもう無いとは思っているが、やはり恐怖で手や声が震えてしまう。

『……本当にそうかな?  集中すれば分かるよ。声以外の音、呼吸音や周囲の物と擦れる音、匂い、触感、そんなものから推測できない?』

「…………無理だよ、そんなの」

『誰も彼もが優しくしてくれると思う?  ゆっくり話しかけられる状況ばかりだと思う?  努力でどうにかなる問題だ、早く何とかしろよ、僕の弟だろ?  出来るよねぇ?』

『兄君!  あまり怖がらせるな!』

この家の外に出て、知らない人に腕を引かれたら──きっと僕はその人を兄かフェルだと思って何の疑いもなく着いていく。アルが傍に居てくれているはずだし、フェルが付けたスライムも居るし、そんな事態にはならないとは思うが、念の為という意味なら兄の要求はもっともだ。

「……にいさま。手、握って」

『うん?  いいよ』

「…………僕より少し大きくて、指を重ねたらちょっと痛い。全体的に骨ばってて、肌は……僕より滑らかかな、爪は、ちょっと長め」

『……っ、ふふっ…………よしよし。よく分かってるね、流石僕の弟。アル君は大丈夫だろうから、フェルやあの悪魔、神様の手も一応覚えておいで』

鼻に兄の手を寄せ、匂いを嗅ぐ。けれど僕の鈍い嗅覚では何も拾えない。

『あぁ、体臭とかは無いよ?  人間に寄せてるだけの生き物だし、このスライムっぽいの自身はとっても臭いから消してるんだ。ヘルが覚えるべきなのは僕が着てるローブ。長いし重ねてあるから擦れ方が特殊で普通の服とは音が違うと思う。僕しばらくこのベッドでゴロゴロするから聞かせてあげられないけど、また今度覚えて?』

「あ……うん」

ぼすん、とベッドに倒れる音。兄は宣言通りこのベッドで怠惰を貪るつもりらしい。寝転がった兄に背を叩かれたし、「覚えておいで」と言われたばかりだし、今ここで僕も横になる──というのは悪手だろう。

『ヘル?  どこへ行く』

「えっと、家の中見て回りたいんだけど……」

『む、そうか。よし、乗れ』

「んー、せっかくだし歩くよ。少しは慣れないと」

アルは「珍しい」と笑って、扉を開けて廊下に出る。またカチャカチャという可愛らしい足音が聞こえてくる。
手に支えられ、引かれるがままに足を動かす。目が見えなくても移動に不便はない、いい弟を持ったものだ。

『階段だ、平気か?』

爪先が段差に触れる。足探りで一段上り、手すりを掴む。そのまま同じ要領で上って行くと、安心したらしいアルの足音が早くなった。

『あと一段だ』

アルの声が聞こえるよりも早く最上段で足を上げ、少しよろめく。無数の手が僕を支え、アルも問題無いと見てまたカチャカチャと音を立てる。
目を失ったからこそ、僕はたくさんのモノに守られていると実感出来た。
やはり僕はダメな奴だ。今度は足や腕を失えばもっと構ってもらえるかな、そんな考えを浮かべるなんて。
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