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第二十五章 本拠地は酒色の国に

潜伏

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ベルゼブブに知恵を借りたいのに、彼女は少しも僕の話を聞いてくれない。心はとっくに号泣しているのに、眼孔からは一滴も零れない。

「お、おい待ってくださいベルゼブブ様。お、俺は王様と婚約してますぜ!?」

『おかしな敬語をやめなさい堕天使!』

ベルゼブブも正しく使えているとは思えない。そう言ってやりたくなったが、面倒臭さの方が勝った。

『ま、私はヘルシャフト様なんざ願い下げですが……』

「ならどいて下さいよ、俺が膝に座りますんで」

『ヘルシャフト様は私のメインディッシュなんですよね。貴方に渡す部位なんかありませんよ?』

「えっ喰うの。ぁ、いや……た、食べる前に一発……」

『嫌ですよ純潔じゃないと美味しくありません!』

逃げ出したいと願って背もたれに身体を預けると、そのままゆっくりと通り抜けてソファから降ろされた。無数の手に支えられてアルの上に乗ると、再び目隠しが巻かれた。

『傷口出してるのはよくないからね。見た目的にも……』

巻いてくれているのはフェルらしい。声で判断するのも慣れてきた、それにしてもフェルは不快な声をしている。

『頭領はん目ぇどないしはったん?』

『魔眼が暴走しちゃうから取ってるんだ』

『そーなん、不便やなぁ。頭領はん、うち誰か分かりはる?』

頭の上から降ってくる落ち着いた声。女性にしては幾分か低めなその声には聞き覚えがある。

「茨木だよね?  声である程度分かるよ。酒呑は?」

『あの小鳥みたいな子の魔力たーんと吸ってなぁ。酔っ払って寝てしもうたわ』

「ふぅん……?」

小鳥みたい、とはまた可愛らしい喩えだ。虫だとか蝿だとか言われることの多いベルゼブブにとっては嬉しいのではないか?

「ねぇ、ベルゼブブ。そろそろ落ち着いた?  真面目な話したいんだけど……」

『我儘ですねぇ。仕方ありません、何ですか?』

「我儘って…………まぁいいや、あのね、ちょっと問題があってさ」

僕はベルゼブブと別れてからの事を全て話した。
特に、アザゼルが天使に狙われていて、それが飛び火して僕もまた狙われるようになったという事に重きを置いて。
この先どうして行くか、ひとまずの隠れ家がないか、知恵を出してもらいたいのはこの部分だ。

『整理しましょうか。まず、ヘルシャフト様は現在盲目。で、そのスライム……和解したんですか?  なんで弟扱いするのか理解に苦しみますが…………弟君が全力でサポートしていて、私共が歩行などを補助する必要は無い、と』

「うん、なんか手がいっぱいあって……あ、どんなふうに見えるの?  この手」

『お馴染みの黒い塊から伸びた触手の先端が手になってるんです。気持ち悪いですね』

先端だけがフェルの青白い手になっているのだろうか、確かに気持ち悪い。

『はい続き。兄君とも和解気味で、月の魔力の耐性獲得ですって?  よくやりましたね、素直に尊敬です。で、先輩は変わりなし。生き返る度にパワーアップしなさいよ』

『……申し訳ございません』

「謝らなくていいよ、アル。居てくれるだけで嬉しいから」

『はーい人前でイチャつかない、ムカつきます。で、犬神は損傷あり、修理は可能と。外来種……は関わりたくありませんコメントは控えささていただきます。んで新しく拐ってきたのがグロル改めアザゼル、アザゼル改めグロル……?  ま、そこの幼女ですね』

アルの上に横向きに座って、不安定だけれどフェルに支えられて、ベルゼブブは真面目に僕と話してくれている。
僕は今とても幸せだ。僕の傍に居てくれる人が大勢居る。この幸せの為なら、僕は何だって出来る。そう、今なら人を殺すのだって──

『私は似非万魔殿の魔力を全て喰らって一時的に超パワーアップ、連鎖的に鬼共もちょっとパワーアップ、ってとこですね』

「戦力……どうかな?」

『いいんじゃないですか?  天界に喧嘩売られたら壊滅ですけど、天使数人が来るだけなら余裕で追い返せます』

「じゃあ……隠れ家、無いかな。こことか色彩の国はまずいと思う。魔力隠しててもしっかり調べられたら……ダメ、だよね?」

兄に目線をやりたいが、その目がない。どこに居るのかも分からないで、ただ首を回した。

『魔力だけじゃなくて透明化とかもあるけど、天使にどんな奴が居るか分からないし、念には念を入れて隠れた方がいいと思うね』

その動作の意味を兄は汲み取ってくれた。

『流石に顔を合わせたらバレますが、天界からの捜索は誤魔化せていると思います。しかし、空間転移の痕跡などは消していないでしょう?  案外とそこから足がつきますよ』

『なるほどね。今度からは気を付けるよ。で?  隠れ家あるの?  八人と一匹が隠れられる場所』

『天使が居らず痕跡を追っても立ち入らない場所ですか…………魔界が一番安全ですけど、不便ですしねぇ。食べ物とか寝床とか……私がいても他の悪魔はこっそり食べようとするでしょうし』

ベルゼブブの声色は珍しくも悩んでいるように聞こえた。兄はわざとらしくため息を吐く。兄のため息や舌打ちは苦手だ、何かを求められているのに果たせていないようで、責められているようで、焦ってしまって、怖くて怖くて、呼吸が不規則になっていく。

『酒食の国はどうや?』

ガラガラと瓦礫を蹴飛ばす音が聞こえる。この眠そうな低い声は酒呑だろうか。

『あの国には監視役天使が居ます。監視役が居ないということが第一条件なんですよ』

『天使なんか居らんかった。俺が行った時にはな』

『はぁ……?  そんな馬鹿な、いつ行ったんです?』

『神降の国に行く前やから……まぁ、一ヶ月も経ってへんで』

『そんな馬鹿な……』

酒食の国に常駐している天使と言うと──レリエルか。彼女も僕から見ていい人だったけれど、オファニエルもラファエルも僕に刃を向けた今、天使は天使だという理由だけで信用するべきではない。

『行った方が早いと思うけど?』

『そうなんですけどねぇ。あの国には上級悪魔も居ますし……ふぅん、迷ってても仕方ありません、一応行きますか』

『よし、じゃあ空間転移。みんな集まって。痕跡を消すように細工して……』

『あ、座標教えますんでそこ行ってください』

兄はベルゼブブから僕には何使うのか分からない数字を聞き、魔法を発動させた。光が見えないから浮遊感と空気の変化でしか分からないけれど。

『……家の中?  いや、店?』

『アシュメダイの本邸のはずですけど、居ますかねぇ』

風を感じないと思っていたが、どうやら室内らしい。アシュメダイには前に会った、目のやり場に困る格好をした少女の姿をしていたと覚えている。

『…………静かに。何か聞こえます』

ベルゼブブの一言に全員が口を噤む。何だか怖くなって、僕はフェルの腕を掴んだ。
どこからか声が聞こえる。苦しそうに息を切らせているような、何か痛みにでも耐えているような、そんな女の声だった。

『あー……すいません、ちょっと話してきますんで、お子様達の耳塞いでおいてください』

『へぇ?  下品な事ばっかり言ってるくせに、そういうところ良識あるんだ』

『私はいつでも上品でしょう?  帝王ですからね』

ベルゼブブの足音が遠ざかる。声はどんどんと大きく、高く、継ぎ目もなくなっていく。

「……ね、ねぇ、何が起こってるの?  誰か……酷い目に遭ってるんじゃ」

『聴覚奪取…………ヘル、何か聞こえる?』

突然何も聞こえなくなった。叫んでみても、自分の声すら聞こえない。本当に声を出せているのかも分からない。何も見えず何も聞こえず、半狂乱になって手を振り回す。
胴に長い何かが巻き付く。僕の頭を誰かが抱き締める。怖くて仕方ない。誰が何をしているのか分からない、自分の存在すらも曖昧だ。

『……返還っと。ヘル、大丈夫?』

「…………ぁ、にいさま?  にいさま……何があったの?  怖い、怖いよ……」

音が戻ってくる。けれど、不可解な女の声やその直後の無音など、恐ろしい出来事があり過ぎて、僕は怯えたままだった。

『兄君、やり過ぎではないか』

『やれって言われたからやっただけだよ。それで?  蝿さん、どうだったの?』

元気の無い軽い足音、ベルゼブブが戻って来たらしい。

『…………お茶を用意してくれるそうなので、客間に行きましょう』

『疲れてる?』

『アシュメダイと話すのは疲れるんですよ。ほら、行きましょ』

全員が歩き始め、足音が混じって誰が傍に居るのか分からなくなる。
ここに来てから恐ろしい事ばかりだ。僕はアルに抱き着いて癒しを求めた。
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