上 下
245 / 909
第十九章 植物の国と奴隷商

食事は行儀良く

しおりを挟む
安心したように、そして憔悴したように、ベルゼブブは前髪をかき上げる。触角も巻き込まれて後ろを向いてしまう。

『聞いてませんよ、あんなの……』

「どうしたの?」

『アレ、神性でしょう?  全く……あんな、強力な……』

深いため息を吐いて立ち上がると、いつもの社交的な笑みが戻っていた。だがその小さな額は晒したままだ。

『それがアルですか?  人じゃないじゃないですか』

口は微笑んだまま、瞳だけが不機嫌にアルを見つめる。

「人なんて言ったっけ」

『言いましたよ、って』

「そうだっけ……まぁ、アルは合成魔獣だよ」

『見れば分かります』

少し疲れたようなベルゼブブは僕に対して厳しくなった。いや、元の性格が見え隠れしていると言うべきだろうか。

『お初にお目にかかります、合成魔獣のアルさん。私はベルゼブブ、どうぞお見知り置きを』

『ベルゼブブ様!?  な、何故……貴方様のような方がこんな所に…………ヘル?』

「ああ、何か……何だっけ」

ベルゼブブは袖を捲り上げ、僕の名が刻まれた腕を見せた。何度見ても慣れない火傷痕は彼女の腕には相応しくない醜さだ。

『使い魔になると契約したんですよ、仮ですがね。となると……アルさん、貴方は先輩ですね』

『つ、使い魔……ヘル、貴方はとんでもないことをしているのだぞ、分かっているか?』

「あんまり」

『だろうな……』

アルはベルゼブブの顔色を伺いながらそっと僕の隣に腰を下ろした。落ち着きのないアルを見ているのは楽しくて、口を隠して少し笑った。
アルと再会できたのは嬉しいが、兄の狙いが分からない。僕とアルを引き離したのは兄だ、それなのに今度はアルを連れてきた。何を考えているのか全く分からない。
僕の言葉を聞いて激怒して、アルを殺しに行ったのなら分かるのだが。何故、アルを置いて自分は去ったのだろうか。
僕が会いたがっていたから、好きだと言ったから、それは理由にならない。それで兄が動くはずがない。

「……ねぇ、アル。にいさまに何かいつもと違うところとかなかった?」

『いや、特には思い当たらんな』

「にいさまがアルを連れてくるなんて、ありえない……まさか、幻覚じゃないよね?」

『私は本物だぞ、ほら』

「…………もふもふ」

柔らかな銀色の毛に手を這わせれば指の跡がつく。文字が書けそうだな、なんて思ったり。

「でも、本当に……おかしいよね?」

『改心した、とか…………自分で言っておいてなんですが違うと思います』

どこからか持ってきた豪奢な櫛で髪をとかしながら、ベルゼブブはじっとアルを見つめる。幻かどうかは強力な悪魔の彼女なら分かるだろう。何も言わなかったということは、目の前のアルは本物だということ。

『こうして会えたんだ、何を憂うことがある』

「…………まぁ、そうなんだけど」

『そんなに兄が気になるのか?』

「…………ううん、大丈夫。アルに会えたんだから、それでいい」

気になる。当たり前だ。
不自然な行動を起こして消えた、嫌な予想をして当然だ。最悪暴れたとしても、トールが追いかけてくれたから国を一つ滅ぼすような事はないとは思うけれど。
だが、そんな不安をアルに話したくはない。僕は兄の一件から他者を気遣う発言は危険だと学習していた。

『それより、どこに行くか決めておいた方がよいのでは?  この娯楽の国で遊びたいのなら構いませんが』

「うーん……それなんだけど、その前にさ……部屋ぐちゃぐちゃだよね?  大丈夫かな、家主さん怒らない?」

『私がいますから』

「…………何か、可哀想」

上には逆らえない、という訳だ。まだ見ぬ家主に同情した。
どうにか誤魔化せないかと部屋を見回していると頭に柔らかいものがぶつかる。薄桃色の巻き毛の球体……いや、コウモリだ。

『ヘルシャフト君久しぶりー!』

コウモリは青年の姿に変わり、僕の手を握った。澄んだ青空を閉じ込めたような瞳に映されると自分の矮小さがよく分かる。

『どれくらいぶりかなぁ、元気だった?  あ、早速だけどさ……その、血を……貰いたいなぁ』

「別にいいですけど、あんまり吸わないでくださいね」

服を引っ張って首筋を露出させる。頭を傾けて血管が強調されると、セネカの目は穏やかさを失う。

『吸血なら女性の姿の方がイイと思いますよ?  適当な相手に色仕掛けも仕掛けられますし』

『女の子になると男が苦手になっちゃうの!  色仕掛けなんて出来るわけないよ』

『淫魔として致命的ですよそれ……牛が草アレルギーって言うようなもんですよ』

針が刺さるような一瞬の痛み、それは即座に快楽に変わる。甘い吐息を漏らして、セネカの頭を首に押し付けてしまう。

『……吸鬼のあの特性、羨ましいんですよね』

『羨ましい、とは?』

『ほら、吸血も吸精も、相手に快楽を与えられるでしょう?  ですから、抵抗されない。羨ましいです。私も目に入った人間がみんな「食べてくださーい」って走ってくるようになる力が欲しいです』

『は、はぁ、便利そうですね……?』

遥か格上の相手に返事の難しい話を振られて、アルの声はいつもより高い。

『狩りの楽しみなんざ要らないんです、野蛮じゃないですか。追っかけて喜ぶなんてそんな馬鹿みたいな、ああ、馬鹿ですね。疑いようもなく馬鹿です』

『……何か、そのような方に恨みでも?』

『別にそういうわけではないですよ。ああそうそう、関係ありませんがサタンには嗜虐趣味があります。狩りも好きでしょうね』

牙が首筋を離れた後もしばらくは目眩と切なさが残る。
もう少し、もう少しだけ、吸って欲しい。そんな感情が噛まれている間ずっと続く。
冷静になって考えてみれば恐ろしい。自ら命を差し出してしまうのだから。

『あ、終わりました?  そうだヘルシャフト様、私には食べさせてくれないんですか?』

「……髪でいい?」

『もちろん!』

髪を何度か梳き、手に絡まった毛を舐めとる。自分の髪を食べているところを見るのはいい気分ではないが、血や肉を要求されるよりはマシだ。

「アルは何食べたい?」

『わ、私は貴方を食べたりなど!』

「あ……いや、そうじゃなくてさ、この家冷蔵庫が充実してて、何か作ろうかなって」

『……紛らわしい言い方はやめてくれ』

「紛らわしかったかな」

アルになら血をあげてもいいと思っている。いや、どうせならアルに食べられたい。それくらいは考えているが、本人が嫌がるのなら仕方ない。

『言い方というより、流れですかね?』

「……早く食べてよ、口から髪出さないでよ」

細長く棘の生えた舌が僕の髪を絡める光景は何よりも不快感を煽る。

『入れてるんですよ、急かさないでください』

「食べながら喋っちゃダメだよ」

そう言うとベルゼブブは素直に黙り、髪を飲み込んだ。

『私としたことが……こんな品性下劣な……』

「変なショックの受け方してる」

『ベルゼブブ様は悪魔の中でも貴族系統の方だからな』

「何その系統」

『貴族系統、獣系統、性格や見た目でそう呼ばれているだけだ、系譜がある訳では無い』

「ふぅん……」

上級悪魔には貴族系統の者が多そうだ。マルコシアスは獣かな。サタンはきっと貴族の方だ。

『どんなに下世話な話をしていようと、マナーは大切にしますよ私は』

「うん、食事マナーは特に大事だからね。破ると机に顔を叩きつけられるし」

『そんなことされたことありません』

「え……そ、そうなんだ。まぁ、王様だもんね。そりゃないよね……」

これが貴族と平民の差か。気を落としながらも食事を作るために冷蔵庫を開けた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

お花畑な母親が正当な跡取りである兄を差し置いて俺を跡取りにしようとしている。誰か助けて……

karon
ファンタジー
我が家にはおまけがいる。それは俺の兄、しかし兄はすべてに置いて俺に勝っており、俺は凡人以下。兄を差し置いて俺が跡取りになったら俺は詰む。何とかこの状況から逃げ出したい。

雑用係の回復術士、【魔力無限】なのに専属ギルドから戦力外通告を受けて追放される〜ケモ耳少女とエルフでダンジョン攻略始めたら『伝説』になった〜

霞杏檎
ファンタジー
「使えん者はいらん……よって、正式にお前には戦力外通告を申し立てる。即刻、このギルドから立ち去って貰おう!! 」 回復術士なのにギルド内で雑用係に成り下がっていたフールは自身が専属で働いていたギルドから、何も活躍がないと言う理由で戦力外通告を受けて、追放されてしまう。 フールは回復術士でありながら自己主張の低さ、そして『単体回復魔法しか使えない』と言う能力上の理由からギルドメンバーからは舐められ、S級ギルドパーティのリーダーであるダレンからも馬鹿にされる存在だった。 しかし、奴らは知らない、フールが【魔力無限】の能力を持っていることを…… 途方に暮れている道中で見つけたダンジョン。そこで傷ついた”ケモ耳銀髪美少女”セシリアを助けたことによって彼女はフールの能力を知ることになる。 フールに助けてもらったセシリアはフールの事を気に入り、パーティの前衛として共に冒険することを決めるのであった。 フールとセシリアは共にダンジョン攻略をしながら自由に生きていくことを始めた一方で、フールのダンジョン攻略の噂を聞いたギルドをはじめ、ダレンはフールを引き戻そうとするが、フールの意思が変わることはなかった…… これは雑用係に成り下がった【最強】回復術士フールと"ケモ耳美少女"達が『伝説』のパーティだと語られるまでを描いた冒険の物語である! (160話で完結予定) 元タイトル 「雑用係の回復術士、【魔力無限】なのに専属ギルドから戦力外通告を受けて追放される〜でも、ケモ耳少女とエルフでダンジョン攻略始めたら『伝説』になった。噂を聞いたギルドが戻ってこいと言ってるがお断りします〜」

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

Sランク昇進を記念して追放された俺は、追放サイドの令嬢を助けたことがきっかけで、彼女が押しかけ女房のようになって困る!

仁徳
ファンタジー
シロウ・オルダーは、Sランク昇進をきっかけに赤いバラという冒険者チームから『スキル非所持の無能』とを侮蔑され、パーティーから追放される。 しかし彼は、異世界の知識を利用して新な魔法を生み出すスキル【魔学者】を使用できるが、彼はそのスキルを隠し、無能を演じていただけだった。 そうとは知らずに、彼を追放した赤いバラは、今までシロウのサポートのお陰で強くなっていたことを知らずに、ダンジョンに挑む。だが、初めての敗北を経験したり、その後借金を背負ったり地位と名声を失っていく。 一方自由になったシロウは、新な町での冒険者活動で活躍し、一目置かれる存在となりながら、追放したマリーを助けたことで惚れられてしまう。手料理を振る舞ったり、背中を流したり、それはまるで押しかけ女房だった! これは、チート能力を手に入れてしまったことで、無能を演じたシロウがパーティーを追放され、その後ソロとして活躍して無双すると、他のパーティーから追放されたエルフや魔族といった様々な追放少女が集まり、いつの間にかハーレムパーティーを結成している物語!

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

【しっかり書き換え版】『異世界でたった1人の日本人』~ 異世界で日本の神の加護を持つたった1人の男~

石のやっさん
ファンタジー
12/17 13時20分 HOT男性部門1位 ファンタジー日間 1位 でした。 ありがとうございます 主人公の神代理人(かみしろ りひと)はクラスの異世界転移に巻き込まれた。 転移前に白い空間にて女神イシュタスがジョブやスキルを与えていたのだが、理人の番が来た時にイシュタスの顔色が変わる。「貴方神臭いわね」そう言うと理人にだけジョブやスキルも与えずに異世界に転移をさせた。 ジョブやスキルの無い事から早々と城から追い出される事が決まった、理人の前に天照の分体、眷属のアマ=テラス事『テラスちゃん』が現れた。 『異世界の女神は誘拐犯なんだ』とリヒトに話し、神社の宮司の孫の理人に異世界でも生きられるように日本人ならではの力を授けてくれた。 ここから『異世界でたった1人の日本人、理人の物語』がスタートする 「『異世界でたった1人の日本人』 私達を蔑ろにしチート貰ったのだから返して貰いますね」が好評だったのですが...昔に書いて小説らしくないのでしっかり書き始めました。

生活魔法は万能です

浜柔
ファンタジー
 生活魔法は万能だ。何でもできる。だけど何にもできない。  それは何も特別なものではないから。人が歩いたり走ったりしても誰も不思議に思わないだろう。そんな魔法。  ――そしてそんな魔法が人より少し上手く使えるだけのぼくは今日、旅に出る。

処理中です...