上 下
226 / 909
第十八章 美食家な地獄の帝王

それは罪悪感か

しおりを挟む
男が彷徨いているかと思うと迂闊に食料庫を出る訳にもいかない。兄を呼んでもいいが、あの男も呪いの被害者なのだから、出来ることなら死んで欲しくない。
扉に耳を当て、外の様子を伺うが何も聞こえず参考にならない。

『にゃんにゃにゃるにゃー、にゃにゃるにゃーん』

「……その歌、何?  可愛い」

『オリジナルー』

こんな状況でも朗らかなのは無知が故か。僕は心に微笑ましさと苛立ちを同居させながら、片方だけ顔を出させた。

「へぇ……そうなんだ」

『一緒に歌う?』

「いや、止めておくよ。君が歌うなら可愛いけど、僕が歌っても……気持ち悪いだけだよ。僕みたいなのがにゃーにゃー言っても、不快感しか生まないよ」

『あははっ、かもねー!』

パタパタと揺らされる足が前に立つ僕のふくらはぎを蹴っていることには何も言わない。痛くもないし、これで怒っては流石に大人気ない。
何を叱ればいいのかなど大人らしい大人に教育されたことのない僕にはよく分からない。

「……えっと、ナイ君でいい?  ナイちゃん?  君…………男の子?  女の子?」

『どっちに見える?』

「正直、どっちにでも」

『えぇー……じゃあ、ちゃん付け気持ち悪いから君でお願い』

ナイは不服そうな顔でそう呟く。
性別なんて分からないくらいに美しい顔をしているし、体型では判断がつかない幼さだ。そう言ったら言ったで気持ち悪がられるのだろう。

「じゃあって……まぁいいや。えっと、ナイ君」

『うん、何?』

「えっと、このローブはね、あのおじさんから見えなくなる魔法がかかってるんだ。だからここを出たら僕から離れないでね」

僕はナイをローブの下に隠し、そっとドアを開く。目に見える範囲には男はいない。とりあえずの安心を手に入れ、ふぅと息を吐いた。

『あ、ねぇねぇアレ使えない?』

「え?  どれ?」

小さな手が指したのは調理台だ。ナイがはみ出てしまわないようにゆっくりと歩を進め、もう一度聞く。

「どれ?」

『それ!』

「……これ?」

『そうそう』

壁に掛けられていた小刀を手に取り、ナイに見せると嬉しそうに頷いた。幼い子供がこんな物騒なものを……いや、命の危機を感じているのなら分からなくもない。
指で弾いても金属音は鳴らない、どうやら硬いお菓子らしい。けれどしっかりと研がれて鋭く尖っているので、安物の包丁よりはずっと切れ味が良さそうだ。

「危ない気もするけど……まぁ、念の為」

そう自分に言い聞かせ、小刀を右手に握らせる。何かあればこれを使って守らなければ。
何を守るのか?  ナイに決まっている。何の力もない小さな子供だ、僕が守らなければ。

「……大丈夫、何も起こらない、大丈夫」

『探し物は?  いいの?』

「え、あ、ああ、そうだったね。探そうか」

『何探してるの?』

僕の足にしがみついて、僕を見上げて小首を傾げる。その仕草は確かに可愛いのだが、深淵そのもののような黒い瞳には本能的な恐怖を感じてしまう。

「んー……地下、かな?  ナイ君は知らない?  この国の人が太ったら連れて行かれるところ」

呪いが強くなったことと悪魔は関係ないなどと言ってはいたが、自分の呪いが他者に弄られたとあれば、何かしらの行動は起こすはずだ。それでメルを疑われてはいけない、先に説明しておいても良いだろう。
それに兄も地下を目指していた。魔法が何を探知しているかは知らないが、今のところ情報は地下を示している。

『うーん……あ、知ってるよ』

「え、本当!?」

『うん、少し前に見たんだ。悪魔が大きな人を連れて行くの。お城の裏の方だったよ』

メルは「地下だということは分かるが細かい場所は誰も知らない」と言っていたが、幼子というのは大人には気が付かないものをよく見ているものだ。僕は自分の運の良さを褒めながら、ナイの頭を撫でた。

「ありがとう。じゃあそこに行かないと……あ、いや、場所だけ教えてくれる?」

ナイを危険な場所に連れて行きたくはない。場所だけを聞いて兄に伝えるか、メルの所にナイを預けて僕だけで行くかしなければ。いや、メルの所にはセネカがいる。安全とは言えない。そもそもこの国に安全な場所など存在しない、幾重もの魔法が仕込まれたこのローブの中以外には。

『近道があるよ?  ちょっと狭いけど』

「よく知ってるね……ここに住んでるわけじゃないんだよね?」

『散歩してたから』

「…………城の中を?」

僕の小さな声での質問は聞き取れなかったのか、ナイは何も言わずローブの隙間から手を出し、ドアを指差す。

『あっちだよ』

「……分かった。僕から離れないでね」

ローブの前をしっかりと閉め直し、ドアを開ける。
廊下に踏み出した瞬間、何かに吹っ飛ばされた。それはドアが開いたのを見てか走ってきた男だった。
柱に背中を打ち付け、肺の空気が追い出される。
呼吸を整えながら、フードを被り直し……ナイがいない。立ち上がって見渡せば、反対側の壁に背を預け倒れていた。
僕が吹っ飛ばされたのだから、ナイはそれ以上の衝撃をあの小さな体で受け止めたに違いない。名前を叫ぶと瞬きをしながら顔を上げ僕を見た。大きな怪我はないようだと安堵する。

「いた。見つけた。いた」

巨体を揺らす男がナイに向かって走る、大口を開けて。僕は最悪の事態を避けるために男に体当たりを仕掛けた。体格差など考えずに、小刀を両手に握り締めて。

大きな腹に深々と突き立った小刀は、もう柄の部分しか見えていない。男は言葉にならない声を上げながら痛みに悶え、それでも収まらない食欲を滾らせた。ギラついた目がナイを捉える、ローブの魔法で僕の声も姿も見えていないのだ。

「ぁ……ちが、僕は、そんな……刺そうなんて」

男に危害を加えようなんて思っていなかった、ただナイを守りたかっただけだ。

『ヘル君!  これ、さっき取ってきたの!』

ナイの声に現実に引き戻される、人を刺したという現実に。そして今なお危機は去っていない現実、男はまだナイを食そうとしている。
ナイが僕の足元に滑らせたのは、今僕が男に突き刺した小刀よりも大きな物だった。

「これ、で……これで、何を……しろ、って」

銀色に僕の顔が映る、人を傷つけることに怯えた僕の顔が。そして、刃の向こうには腕を掴まれ持ち上げられたナイが見えた。

「……大丈夫、守る、それを刺せば……守れる」

僕は男の腕に刃を突き立てた。男はナイを落とし、血が溢れ出る腕を咥えた。自分の血ですら馳走に見えるのか、本当に最低な呪いだ。

『ヘル君、ヘル君』

「大丈夫、大丈夫……守るから、ちゃんと」

落とされて怪我をしていないか、なんて考える頭もない。僕はただ震える手で刃物を握り締めていた。

『ねぇヘル君、心臓の場所知ってる?』

「……え?」

ナイは僕の足を支えに立ち上がり、男を指差して言った。

『胸の真ん中、少し左、握りこぶしくらいの大きさ。だから……あの人なら、もう少し腕を上げて真っ直ぐ歩けばいいよ』

「……な、何言ってるの。殺せっていうの?  僕に、あの人を」

『殺さないの?』

「え……ゃ、でも、だって、あの人は、呪いのせいで、あの人は普通の人間で、いつもは……きっと、あんなんじゃ、なくて」

傷口をしゃぶるのに飽きた男が顔を上げ、僕を──いや、ナイを見つめる。飢えた瞳で。

「……来るな!」

僕の手はもうこの武器を離してはくれないから、こっちに来たら刺してしまうから、来ないで。ローブの魔法も忘れて、男には聞こえない警告を叫んだ。

「来るなってばぁ!」

『……ヘル君!』

「あ、ぁ、ぅあぁぁあぁああぁっ!」

目を閉じて、真っ直ぐに腕を伸ばして、一歩踏み出した。
ずぶりと刃が肉に沈む感触、手にかかる生温い液体、どしゃと大きな物が落ちた音。

『ヘル君、ヘル君』

「……やだ、嫌だ、嫌だ…………もう、やだぁ……」

僕はその場に座り込んで、頭を振って駄々をこねた。涙を零しながら、目を閉じたまま、ぬるぬるとした感触を忘れたくて手を擦った。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

地獄の手違いで殺されてしまったが、閻魔大王が愛猫と一緒にネット環境付きで異世界転生させてくれました。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作、面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 高橋翔は地獄の官吏のミスで寿命でもないのに殺されてしまった。だが流石に地獄の十王達だった。配下の失敗にいち早く気付き、本来なら地獄の泰広王(不動明王)だけが初七日に審理する場に、十王全員が勢揃いして善後策を協議する事になった。だが、流石の十王達でも、配下の失敗に気がつくのに六日掛かっていた、高橋翔の身体は既に焼かれて灰となっていた。高橋翔は閻魔大王たちを相手に交渉した。現世で残されていた寿命を異世界で全うさせてくれる事。どのような異世界であろうと、異世界間ネットスーパーを利用して元の生活水準を保証してくれる事。死ぬまでに得ていた貯金と家屋敷、死亡保険金を保証して異世界で使えるようにする事。更には異世界に行く前に地獄で鍛錬させてもらう事まで要求し、権利を勝ち取った。そのお陰で異世界では楽々に生きる事ができた。

前世で八十年。今世で二十年。合わせて百年分の人生経験を基に二週目の人生を頑張ります

京衛武百十
ファンタジー
俺の名前は阿久津安斗仁王(あくつあんとにお)。いわゆるキラキラした名前のおかげで散々苦労もしたが、それでも人並みに幸せな家庭を築こうと仕事に精を出して精を出して精を出して頑張ってまあそんなに経済的に困るようなことはなかったはずだった。なのに、女房も娘も俺のことなんかちっとも敬ってくれなくて、俺が出張中に娘は結婚式を上げるわ、定年を迎えたら離婚を切り出されれるわで、一人寂しく老後を過ごし、2086年4月、俺は施設で職員だけに看取られながら人生を終えた。本当に空しい人生だった。 なのに俺は、気付いたら五歳の子供になっていた。いや、正確に言うと、五歳の時に危うく死に掛けて、その弾みで思い出したんだ。<前世の記憶>ってやつを。 今世の名前も<アントニオ>だったものの、幸い、そこは中世ヨーロッパ風の世界だったこともあって、アントニオという名もそんなに突拍子もないものじゃなかったことで、俺は今度こそ<普通の幸せ>を掴もうと心に決めたんだ。 しかし、二週目の人生も取り敢えず平穏無事に二十歳になるまで過ごせたものの、何の因果か俺の暮らしていた村が戦争に巻き込まれて家族とは離れ離れ。俺は難民として流浪の身に。しかも、俺と同じ難民として戦火を逃れてきた八歳の女の子<リーネ>と行動を共にすることに。 今世では結婚はまだだったものの、一応、前世では結婚もして子供もいたから何とかなるかと思ったら、俺は育児を女房に任せっきりでほとんど何も知らなかったことに愕然とする。 とは言え、前世で八十年。今世で二十年。合わせて百年分の人生経験を基に、何とかしようと思ったのだった。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた

りゅう
ファンタジー
 異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。  いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。  その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】

永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。 転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。 こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり 授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。 ◇ ◇ ◇ 本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。 序盤は1話あたりの文字数が少なめですが 全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。

ユーヤのお気楽異世界転移

暇野無学
ファンタジー
 死因は神様の当て逃げです!  地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

処理中です...