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第十八章 美食家な地獄の帝王

魅了の術の魅力

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こちらの事情と守って欲しい事柄を話すと、メルはすんなりと受け入れてくれた。了承するだろうとは思っていたが彼女がここまで物分りのいい人物だとは知らなかった。

『分かった。だーりんのことだーりんって呼んじゃダメなのね。初対面で、名前も知らないのね』

「うん、お願い」

『大丈夫、ワタシも家族にはいい思い出ないもの』

僕が話したのは兄のこと。
兄がどういう人物なのか、どう動けば敵視されないのか、それを話した。だーりんなんて呼ばれていては良くない結果になるのは目に見えている、兄は僕に親しい者を嫌うのだから。
だからメルには他人のフリをしてもらい、僕は兄が帰ってくるまでクローゼットの中に隠れていたことにする。

「じゃあ、にいさま帰ってくるまで僕ここにいるから」

『う、うん……そこまでなの?』

「そこまでなんだよ」

『分かった……うん、大変ね』

甘い香りのするクローゼットの中。暗闇は時間感覚を失わせた。手足を折り曲げじっと待っていると、外から話し声が聞こえ始めた。

『…………君、誰?』

兄の声だ、兄が帰ってきたのだ。僕と話している時よりもずっと低い声、警戒しているのではなく不機嫌なのだと僕には分かる。

『あら、こんにちは。私はこの国の王女よ、メロウ・ヴェルメリオ、メルって呼んで?  格好イイおにーさん』

『へぇ?  この国は淫魔が王族やってるんだ』

『どうして……いえ、よく分かったわね』

兄はメルが悪魔だと見抜いた、それも細かな区分まで。それはやはりあの魔力を見る事が出来る眼球の刺青の力なのだろう。

『まぁね。ところで、ヘル見なかった?』

『ヘル……?  知らないわ』

『ふぅん、へぇ、そう。人の匂いには敏感なはずの淫魔がヘルを見つけてないの? そっかそっか』

クローゼットが勢いよく開かれ、兄の手が僕の腕を掴んだ。力任せに引きずり出され、床で膝を打つ。

『……あらあら、そんなところに人が居たのね。気づかなかったわ』

メルは驚いて目を見開きつつも、声は乱さなかった。

『こんな分かりやすいところに居たのに?  ふぅん……』

兄は僕の髪を掴んで立ち上がらせた。僕は頭皮の痛みに耐え、兄の手首に両手を添えて冷たい瞳を見上げた。髪を離した兄の手は額に移る。頭の中心に小さな痛みを感じ、思い出す。兄は他人の記憶や感情をある程度覗くことも出来ると。

『まぁ、逃げなかったから別にいいけど』

頭痛が酷くなる。割れるように、貪られるように、痛い。これが頭の中を覗かれる感触なのか。思わず声が漏れ、痛みに耐え切れず兄の手を引き剥がすと兄は満足そうな笑みを浮かべる。僕が抵抗したのにも関わらず嬉しそうな兄には違和感を覚えた。

『いい子は嘘なんて吐かないよ?  この国の王女様は悪い子だねぇ。ねぇヘル、ヘルはいい子だよね?  お兄ちゃんに嘘なんて吐かないよね?』

僕はまだ何も話していない。他人のフリをするとは決めたが、まだ行動に移してはいない。隠れていたのはその下準備、実行はまだ。思考だけなら罪にはならない。

「ま……魔法の国が滅ぼされてすぐに、この国に来て、その時に知り合った」

『それで?』

「そ、それだけ。あ、今は、その、呪いが強くなった原因を調べようって……」

『ふぅーん……まぁいいか、及第点』

僕の頭くしゃくしゃと撫で、兄はメルに向き直る。その瞳は明らかな敵意に満ちていた。

『さて、嘘吐きな王女様?  呪いが強くなったって何?  人を家畜化してるってのは知ってたけど、呪って?』

『家畜化なんて……いえ、その通りね。この国は食料庫だもの。かけられた呪いは『暴食の呪』、食欲増進の効果がある。よく太ったら、いつの間にか消えてしまう』

「消える……?」

『言葉通りよ、手下にでも攫わせてるんだと思う。見たことはないし、どこに連れて行くのかも分からない。地下ってことは分かるんだけど』

『……でもさ、それ、僕関係ないよね?』

話を遮って、兄は僕の手を引いて家から出ようとする。そんな兄の腕を掴んで止めたのはすっかり顔を青くしたメルだった。

『ま、待ってよ!  おかしいのよ、本当に……きっと、術者の意志じゃない!  もし術者が異常を感知して出てきたら、一番に疑われるのはワタシなの!』

術者の意思じゃない?  呪いを強めたのは地獄の帝王の──ベルゼブブではない?
それなら僕にも何か出来るかもしれない。いや、そんな強大な悪魔の呪いに手を出すような輩に僕が対抗出来るのか?  駄目だ、事態がどう転んでも僕に付きまとう不安は消えはしない。

『だったら何?』

『お願い、助けて』

『嫌だよ、何でそんなことしなきゃなんないの?  それも無償で』

兄は心底鬱陶しそうにメルに侮蔑の視線を送る。
メルは決して引き下がらず兄の腕を強く引いた。

『お金なら好きなだけあげる、王女だもの……それくらいできるわ』

『金、ね。僕はもうすぐこの世界の王になるから、そんなの要らないよ』

『この世界の王……!?  それ、詳しく聞かせて』

メルは兄の前に回り込み、目を輝かせる。見たことのないメルの表情に僕は寂しさを覚えた。

『うわ、何急に』

『お願い、聞かせて。ワタシ……ワタシも、それがしたくて、復讐したくて』

加減を知らない兄は苛立ちも相まってか僕の手首をギリギリと締め上げる。痛みを忘れるためにも僕は過去に思いを馳せ、メルの夢とやらを思い出した。諦めたものと思っていたのだが。

『何だよ……気持ち悪いな。僕は誰よりも優れてるんだから、僕が征服するのは当然だろ?  愚民を管理してやるのは天才の権利……いや、義務だ。感謝してもらわなきゃね』

『そう、アナタ、強いのね?』

『君のお願いなんて聞いてやんないよ?』

『…………とっておきの魔術を教えてあげる、って言ったら?』

空中に空間転移の魔法陣を描いていた兄の手が止まる。兄にあるのは僕への執着心と全てへの征服欲、そして知的好奇心だ。兄はその三つだけで成り立っていると言っても過言ではない。

『人間のアナタには悪魔の術なんて知る方法ないでしょ?  人間の術だけじゃ面白くないわよね?  悪魔が使う術、知りたいでしょ』

『……どんなものかだけ聞いておこうかな』

見事に知的好奇心を刺激された兄は少し身を屈めメルと目をしっかり合わせた。

『魅了よ』

『へぇ、淫魔らしい。やめておこう、魅了なんてしなくても力でねじ伏せればいい』

予想通りの反応だ、兄は愛情なんて求めた事すらないだろう。兄の征服欲求を満たすのには丁度良い術だと思うのだが、兄は恐怖支配をお望みのようだ。

『どんな人だってアナタを好きになるのよ?  アナタは嘘が分かるんでしょ?  上辺だけの愛なんて虚しいだけよ』

『上辺だけだからこそ滑稽で面白──待て、どんな人でも?』

兄の表情が強ばる。先程までの嘲笑は消え、真っ直ぐにメルを見つめた。
僕はその兄の態度に驚愕する。どんな人間でもかと聞くなんて、まるで使いたい人間が存在しているような言い方だ。兄に好きな人なんているわけない、好意という感情があるのかすら分からない。
僕は兄に家族愛を求めているけれど、それは無知ではなく愚かなのだ。存在しない事が分かっていながら求めているのだ。

『それは……同性でも、血縁者でも、って意味?』

『え?  ええ、効くわ。どんな人でもアナタが好きになる』

『好き、にも色々あるよね?  欲情するの?  それとも人間性に惚れる的なもの?  あとは……依存、とか?』

『そのあたりは調整出来るわ、友愛も恋愛も家族愛も自由自在、アナタを好物として認識させることだって出来る』

兄は一瞬僕を見て、口の端を歪める。血縁者で生きている者なんて僕しかいない、まさか兄は僕に使うつもりなのか?  そんな馬鹿な、僕が兄に使いたいくらいなのに。

『なら……ヘルに、本当に、心の底から、大好きだって言ってもらえるの?』

『……え?  あ、ええ、耐性はなさそうだし、出来ると思うわ』

兄は嬉しそうに──本当に嬉しそうに、僕の肩を掴んで早口に言った。

『ヘルは僕に大好きなんて言うけどさ、アレ嘘だもんね?  僕が怖いから、痛いことされたくないから言ってるだけだもんね。ああ、この嘘はいいんだよ?  僕が分かってて言わせてるんだから……でも、本当になるんだ』

兄はまたメルに向き直り、詰め寄る。

『なんでもする。術者?  を殺せばいいの?』

『こ、殺す!?  い、いえ、呪が強くなったのには術者は関係ないと思うから……原因を探って解決してほしいの』

『分かった、元に戻せばいいんだね?  そうしたらその術を教えてくれるんだね?』

『え、ええ』

『嘘じゃないよね?』

『……ええ、アナタは嘘が分かるんでしょ』

兄はメルの額に手を当てた。真偽が分かった兄は大声で笑った。息が切れるほどに笑い、倒れ込むように僕に覆いかぶさる。恍惚として僕を抱き締め、言葉にならない言葉を繰り返していた。
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