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第十七章 滅びた国の地下に鎮座する魔王

特異な術

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サタンの前にトールが歩み出た、いや、押し出された。兄がトールの背後にに回り込み背を押したのだ。

『……それがお前の答えか?』

『ええ、代理を立てます』

兄の爽やかな笑顔にサタンは眉を顰め、呆れたように目を閉じた。トールは状況を理解できない様子で、説明を求めて無表情のまま兄を見つめた。

『よろしく神様』

兄はそんなトールの肩をぽんと叩く。

『何をすれば?』

『……そうだね、ハンマーでも振り回せば?』

兄の言葉にトールは槌を握り締める。予備動作に入る前にサタンは炎を纏い、分身を身代わりにした。
炎で作られた分身は風圧で消し飛び、飛び退いたサタンは魔獣を生み出し詠唱を始める。
槌に潰される魔獣を見て、僕なら味方にできるのに、なんて考えて心が痛む。

『ヘル、ほらおいで』

血飛沫を浴びて肉塊を眺めていると、兄に手を引かれる。構築された魔法陣は清涼な輝きを放ち、その光に照らされた兄は素晴らしい人に見えた。
僕は兄の手を握り返し、僕だけを見続ける瞳を見つめた。

『帰ろ』

兄は僕をぎゅっと抱き締め、魔法陣に飛び込んだ。
魔法陣が空間転移の類のものだと予想していたミカは兄のローブにしがみつき、魔法陣の効力が分からなかった僕は呆然と抱かれていた。
魔法陣に触れた途端吸い込まれるような感覚を味わい、遠くなっていく魔界の景色を他人事のように眺めた。
その中にアルを見つけるまで、僕は気が付かなかった。兄は僕が放心状態にあったのを利用して、僕とアルを引き離したのだと。
アルに手を伸ばしたところで、もう届かない。けれど僕は手を伸ばした。やはり、無駄に終わった。

『よしよし、成功成功。やったよヘル、戻ってきた』

「…………ぁ、る……」

『ふふ、どうかな。見直してくれた?  僕は最高のお兄ちゃんだろ?  僕だけがヘルを助けてあげられるんだ、僕だけがヘルの味方なの、分かるよね?  ヘルには僕だけが必要。だからもう二度とあんなこと言わないでね』

兄は僕を抱き締めたままクルクルと回る。
ミカの翼は太陽の光に洗われ、純白へと戻る。

『もどった……?  や、やった!  やったぁ!』

喜色満面の二人とは正反対に、僕の顔は真っ青だ。
アルと離れた、魔界に置いてきてしまった、あんな場所で一人きりにさせてしまった。

『ふふ……どうしたの、ヘル。ぼうっとしちゃって。疲れたのかな?  魔力濃度も一気に下がったし……少し眠った方がいいかもね。明日、お兄ちゃんと遊ぼ』

「あ、ぁ……に、にいさま、アル……アルが」

『……アル?  なぁに、それ。お兄ちゃんそんなの知らないなぁ』

優しい微笑みのまま、深淵のような瞳が僕を脅す。それ以上話すなと。
柔らかい髪が風に揺れ、兄は鬱陶しそうに髪を耳にかけた。

『ヘル?  どうしたの』

分かりきっているくせに何を聞こうと言うのか。
だが、とりあえずは兄の機嫌を取らなければ。僕が兄への媚び方を考えていると、ミカが剣を振り上げた。

『さて、と。だっしゅつできたことだし、魔物使いのたましいを、もらわないと』

不快な金属の擦れ合う音、防護結界はミカの剣を一時的に止めている。とはいえ最強の天使の剣だ、結界にはヒビが広がっている。

「ミ、ミカ?  何で?  僕……君に」

ちゃんと媚を売った、しっかり褒めた、嘘を並べて良い気分にさせた。

『かわいい、っていってくれたよね。うれしかったよ、だから……てんかいでは、いいあつかいにしてあげる』

「そんなっ……」

無駄だったのか。
天使に気に入られて見逃されようなんて、甘かった。好かれていれば何でも言うことを聞いてもらえるなんて、大間違いだ。

『……服従』

防護結界が割れると同時に、ミカの剣が勢いよく地に落ちた。ミカは再び振り上げようとするが、剣は地面に縫いつけられたまま動こうとしない。

『創作魔法その二、重力操作だよ。生意気な奴を無理矢理跪かせるのに使うんだ。でも加減が難しいから人間に使うと悪趣味な絨毯みたいになっちゃうんだよね。流石天使だ、なんともない』

『こんな、ものっ!』

僅かに剣が浮かぶ、斜め下から振られた剣は再び結界に阻まれる。

『防護結界は常時展開してまーす、なんてね。さて次は……拘束』

ミカが立つ瓦礫の山に魔法陣が四つ浮かぶ、魔法陣からは奇妙な色の繊維が吹き出し、編まれて綱となる。

『これは創作魔法その四、魔力で自由自在に動く糸を作るんだ。元々はヘルを縛るためのものなんだけど……強度高いからこんな風にも使えるんだよね。流石僕、便利な魔法創るよ。流石天才』

兄は嬉しそうに魔法の説明をして僕の反応を伺う。憧れの表情でも作ろうか、「にいさますごーい」なんて言えばいいのか。

『じゃ、そろそろ行こっか。ヘルはどこに行きたい?』

アルの居る場所、そう即答したい。
だがそれはおそらく叶わない、兄がアルを嫌っていることは明らかだし、アルは今魔界の底にいる。だから僕は、魔界で聞いたメルからの頼みを思い出した。

「……お菓子の国、がいいな」

『へぇ?  可愛いところ選ぶねぇ。いいよ、そこに行こう。そこなら天使も簡単には来れないだろうしねぇ』

嫌らしい笑みをミカに向けた後で、僕には優しく微笑む。ミカは悔しそうに結界を引っ掻き、剣をゆっくりと振るった。重さを増した剣は結界にすら当たらないまま地に沈む。
ミカは剣を捨て、真っ白い炎を繰り出した。それを見て兄は笑みを消し慌てて詠唱する。

『防護結界属性追加!  水と魔の性質を与える!』

一瞬にして魔法陣が書き換えられ、青黒い色を灯す。だが、結界は少しずつ歪み、溶けていく。

『すっごい熱……溶けちゃいそう。ま、無駄だけど』

魔界を脱出した時と同じ魔法陣が足元に現れる。このままお菓子の国に転移する気なのだろう。
ミカは兄の狙いを察し、結界を溶かして手を伸ばす。だが、その手は僕達には届かなかった。
悔しそうに口元を歪めるミカの姿が小さくなり、そのうちに僕の視界は黒く塗りつぶされた。
次に見えるのはおそらくお菓子でできた家々。アルがいない不安を誤魔化すために、不安の原因にしがみつく。目を閉じて、空間転移魔法特有の浮遊感が消えるのを待った。



誰もいない瓦礫の山、遠くに揺れる竜の影。ミカは軽くなった剣を背負い、閉じていく魔法陣を恨めしそうに眺めた。

『おかしのくに……たしか、ていおうがいたはず。まかいよりは、うごきやすいだろうけど、あれには、あいたくない。あれは、ちゃんとくにをみはってるし……それにしても、まほうがあんなにやっかいだなんて。やっぱり、そとのやつらのかいせきも、すすめないと……』

独り言を呟きながら考えをまとめ、結論に達する。魔物使いの魂の捕獲は神の命令ではない、独断だ。一度天界に戻り、命令を取り下げよう。
これ以上悪魔を刺激すれば神魔戦争が勃発しかねない、サタンはしばらく別の神性に気を引かれてくれるだろうから、今は大丈夫。
残る課題は魔法についてだ。魔法は神が創ったあらゆる法則を無視する、外から飛来した特殊な術。天使にも悪魔にもまともに対抗策がない。
とにかく解析を進めなければ──

天使への抹殺命令を取り下げさせるというヘルの狙いは違う形で叶うことになった。
それが誰にとっての幸運かは、まだ分からない。
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