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第十七章 滅びた国の地下に鎮座する魔王
不定形と戦神
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神降の国、城門前。
神具使いも、天使も、神も獣人も去った後の、寂しい地。
数分前に繰り広げられた攻防により草木はすっかりなぎ倒され焼き払われていた。
焦げ茶色の大地の窪み、そこには水が溜まっていた。虹色の輝きを放つ、真っ黒い粘着質な液体が。
液体は急速にその体積を増やし、立体を描き始めていた。
そんな液体の真横に雷が落ちる。空には雨雲一つなく、澄み渡る青が広がっているというのに。
『エア、エア? 大丈夫か?』
雷光は人の形となり、液体に声をかける。
『……り-li……だ、ァ……れ、a?』
蛇が鎌首をもたげるように、液体は細長く伸び口をきく。見た目だけなら誰もが気味の悪い色のスライムだと判断しただろうが、声を発した事により異常な生き物だと判った。
『俺だ。トールだ。覚えているか? お前に縛魂石をやった神だ』
『とー………ゥ?』
『再生は滞りないようだが、イマイチ戻らんな』
液体は既に体積を雷が落ちた時に比べて二倍以上に増やしていた。
『衝、g……デ、と…………脳、再生……ぇ、も』
『吹っ飛ばされた衝撃で意識が飛んだ? それで寝惚けてるのか。何、問題はない。魂は元々人間だ、休息を欲するのは当然のこと。気絶ついでに惰眠を貪るのもたまには良いだろう。いくら組み換え可能な体になって、理論上の永久器官を作ったとて魂に染み付いた癖はそう取れないものだ』
うんうんと頷きながら、トールは思いつきの理論を繰り出す。トールは何が言いたいのか? 俺が見張っていてやるから好きなだけ寝ろ、と言いたいのだ。けれどそれは伝わっていないし、伝わったとしても従わないだろう。
『……ぅと、オ……ぃka、ケぇ』
『何? 弟が攫われた? だから追いかけたい? 先に言え、俺が取り返してきてやる。で、どこにいる?』
『…………戻、セ』
『何だ、俺は信用できないのか? 違う? どこか分からないから探知魔法を使いたい? そうか……なら、仕方ないな』
暇つぶしに素振りをしていた槌を腰に引っ掛け、トールは右手を掲げ、集中する。
『静電気は好きか? アレと似ている。何、すぐ済む』
『……り? ァ……ま、テ』
電気治療も、ショック療法も、静電気も、落雷も、トールにとっては同じだった。
雲まで届くほどの閃光、地上から生える稲光に人々は恐れおののいたことだろう。
並の落雷の数百倍の雷を一度に受け、液体は蒸発寸前にまでなっていた。だが、そこから急速に増殖し、人型をとった。
『……どうもありがとう、聡明な雷神様。おかげで目が覚めたよ』
『正直に礼を言われると照れる』
トールは表情を一切変えることなく、少し俯いて頭をかく仕草をした。
『皮肉ってものが分かんないのかな、僕の弟より頭悪いんじゃ……』
『頭が悪い?』
エアが漏らした本音に素早く反応し、槌を振り上げる。
『あぁいや、弟を連れ去った奴が、ね』
『ああ、だろうな。人攫いは総じて頭が悪い、後に起こることを予測しない』
槌を腰に引っ掛け、トールはうんうんと頷く。
『攫われたってのも語弊があるけど……ま、いいか』
今の体では意味が無いというのに、エアは体をほぐすような仕草をする。染み付いた癖とはこの事だ。
首を回しながら手のひらに魔法陣を浮かべる。
『探知、対象、クラインローブ』
『クラインローブ?』
『ヘル……僕の弟に着せたローブだよ、あの子のは小さいからね』
魔法陣は手のひらの上でクルクルと回り、形を変え、矢印を表した。
『……下? どういう事だ』
矢印は下を示している。当然だ、ヘルは魔界の最深部に落ちてしまったのだから。
それを知らない二人はただただ首を傾げる。
『さぁ……この辺りに地下都市なんてあったかな』
『掘るか』
トールは槌を構え、矢印を見つめるエアの顔を覗き込む。
『いや、追跡する。何かを追うなら行った道を辿るのが一番確実だよ』
『道が分かるのか?』
『ん、待ってね……我は全てを欲す、全てを知り、全てを制す、我の元に示せ!』
エアの前に浮かんだ魔法陣は人の頭ほどの大きさに広がり、その中心に地図のような記号の集まりを映した。
それはアルが飛行した道筋を完全に再現していた。
『よし、出来た。あとはこれを辿ればいつか着くはずだよ。ヘルに着せたローブには治癒も蘇生も防護もかけてあるから、しばらくは無傷が保てるし、何かあっても十分間に合う』
空間転移は完全に勝手が分かっている場所でなければ座標が狂う危険がつきまとう。地下という未知の場所へは直接出向くしかない、地図で分かる場所まで転移してから行くべきか……などとエアは地図を操作し始める。
『海を越えているな』
『まぁ今なら羽も生やせるし。あ、でも箒の方が早いかな。いや、この大陸まで転移すれば海なんて越えなくても……』
『なぁエア、箒は雷より速いのか?』
『え? いや、そんなことないと思うよ。魔法でも雷魔法は速攻系だし。あ、でも光魔法の方が届くのは速いのかな、でもやっぱり破壊力は雷魔法の方が……』
『そうか、なら俺が飛ぶ。地図を出しておけ』
『……は?』
トールは帯電する──いや、違う。トール自身が雷となっている。眩い光を放ちながら、トールはエアを片手で担ぎ空を走った。
『ここで左折……っと、曲がりすぎた、修正』
『……トま、れ』
『エア? 溶けてるぞ、ちゃんと人型を保て』
『……誰の、せい、だと』
彼らが走る様を見た人間がいたのなら、間違いなく驚き、そして恐怖しただろう。落ちてくるはずの雷が雲の真下を縦横無尽に走り回っているのだから。
『着いた』
トールは瓦礫を踏み壊して着地し、 粘着質な液体を投げ捨てる。液体は即座に体積を増やして目を生やし、辺りを見回した。
『……着いた? うわ、何ここ』
偵察が終わると目は液体に溶け、代わりに頭が出来上がる。そこから首、胴が作られていく。
『瓦礫しかないな、弟は本当にここにいるのか?』
『そのはずだけど……ヘルー! ヘルー? ヘールー! お兄ちゃんだよー、出ておいでー!』
鈴の音を響かせながらエアは自らを人型に調整する。液体と化していた手足が粘性を増し肉へと変わっていく。
『そういえばエア。お前、何の魔物になったんだ? スライムの亜種か?』
『どうだろうね、見た目は似てるけど。僕、魔物なんて興味無いからあんまり知らないんだよ』
『鳴き声が綺麗だよな』
『……嬉しくないな、僕元々人間だからね? 人は鳴かないからね、褒め方には気を使ってよ』
エアは魔法陣に視線を注ぎ、トールに後頭部を見せたまま会話する。
『気を使う…………綺麗な声をしているな』
『うん、そもそも君に褒められても嬉しくないや、悪いね』
『……俺、神だぞ』
『神だろうと悪魔だろうと、僕は僕と弟以外に興味ない……ん?』
エアは遠くに建っていたはずの塔らしきものが近づいてくるのに気がついた。瓦礫の山をかき分け、黒い塊がずるずるとこちらに向かってくる。
『アレ何かわかる?』
『いや全く』
『神のくせに』
『え……いや、俺は、そういう神ではなく、戦神で……あ、ロキなら分かるぞ、多分』
『戦神だからって言い訳するんだ?』
『……確かめてくる』
『行ってらっしゃい』
神を顎で使えるなんて! と、エアは自分の優秀さを改めて実感し、自分が世界を征するのはもはや権利ではなく義務なのだと確信した。
エアはトールを見送ると世界征服の妄想を始める。あらゆる生物が自分に傅き、助言を乞う。エアの妄想の中でエアは王ではなく、もはや神に近かった。
『ふふっ……ふははっ、良い暮らしさせてあげるからね、ヘールー……早く出ておいで……』
玉座の横、床にぺたんと座り込んだ弟。自分を尊敬の目で見上げる可愛い玩具。
エアは暇潰しだったはずの妄想に入れ込み、外界を断絶していった。
神具使いも、天使も、神も獣人も去った後の、寂しい地。
数分前に繰り広げられた攻防により草木はすっかりなぎ倒され焼き払われていた。
焦げ茶色の大地の窪み、そこには水が溜まっていた。虹色の輝きを放つ、真っ黒い粘着質な液体が。
液体は急速にその体積を増やし、立体を描き始めていた。
そんな液体の真横に雷が落ちる。空には雨雲一つなく、澄み渡る青が広がっているというのに。
『エア、エア? 大丈夫か?』
雷光は人の形となり、液体に声をかける。
『……り-li……だ、ァ……れ、a?』
蛇が鎌首をもたげるように、液体は細長く伸び口をきく。見た目だけなら誰もが気味の悪い色のスライムだと判断しただろうが、声を発した事により異常な生き物だと判った。
『俺だ。トールだ。覚えているか? お前に縛魂石をやった神だ』
『とー………ゥ?』
『再生は滞りないようだが、イマイチ戻らんな』
液体は既に体積を雷が落ちた時に比べて二倍以上に増やしていた。
『衝、g……デ、と…………脳、再生……ぇ、も』
『吹っ飛ばされた衝撃で意識が飛んだ? それで寝惚けてるのか。何、問題はない。魂は元々人間だ、休息を欲するのは当然のこと。気絶ついでに惰眠を貪るのもたまには良いだろう。いくら組み換え可能な体になって、理論上の永久器官を作ったとて魂に染み付いた癖はそう取れないものだ』
うんうんと頷きながら、トールは思いつきの理論を繰り出す。トールは何が言いたいのか? 俺が見張っていてやるから好きなだけ寝ろ、と言いたいのだ。けれどそれは伝わっていないし、伝わったとしても従わないだろう。
『……ぅと、オ……ぃka、ケぇ』
『何? 弟が攫われた? だから追いかけたい? 先に言え、俺が取り返してきてやる。で、どこにいる?』
『…………戻、セ』
『何だ、俺は信用できないのか? 違う? どこか分からないから探知魔法を使いたい? そうか……なら、仕方ないな』
暇つぶしに素振りをしていた槌を腰に引っ掛け、トールは右手を掲げ、集中する。
『静電気は好きか? アレと似ている。何、すぐ済む』
『……り? ァ……ま、テ』
電気治療も、ショック療法も、静電気も、落雷も、トールにとっては同じだった。
雲まで届くほどの閃光、地上から生える稲光に人々は恐れおののいたことだろう。
並の落雷の数百倍の雷を一度に受け、液体は蒸発寸前にまでなっていた。だが、そこから急速に増殖し、人型をとった。
『……どうもありがとう、聡明な雷神様。おかげで目が覚めたよ』
『正直に礼を言われると照れる』
トールは表情を一切変えることなく、少し俯いて頭をかく仕草をした。
『皮肉ってものが分かんないのかな、僕の弟より頭悪いんじゃ……』
『頭が悪い?』
エアが漏らした本音に素早く反応し、槌を振り上げる。
『あぁいや、弟を連れ去った奴が、ね』
『ああ、だろうな。人攫いは総じて頭が悪い、後に起こることを予測しない』
槌を腰に引っ掛け、トールはうんうんと頷く。
『攫われたってのも語弊があるけど……ま、いいか』
今の体では意味が無いというのに、エアは体をほぐすような仕草をする。染み付いた癖とはこの事だ。
首を回しながら手のひらに魔法陣を浮かべる。
『探知、対象、クラインローブ』
『クラインローブ?』
『ヘル……僕の弟に着せたローブだよ、あの子のは小さいからね』
魔法陣は手のひらの上でクルクルと回り、形を変え、矢印を表した。
『……下? どういう事だ』
矢印は下を示している。当然だ、ヘルは魔界の最深部に落ちてしまったのだから。
それを知らない二人はただただ首を傾げる。
『さぁ……この辺りに地下都市なんてあったかな』
『掘るか』
トールは槌を構え、矢印を見つめるエアの顔を覗き込む。
『いや、追跡する。何かを追うなら行った道を辿るのが一番確実だよ』
『道が分かるのか?』
『ん、待ってね……我は全てを欲す、全てを知り、全てを制す、我の元に示せ!』
エアの前に浮かんだ魔法陣は人の頭ほどの大きさに広がり、その中心に地図のような記号の集まりを映した。
それはアルが飛行した道筋を完全に再現していた。
『よし、出来た。あとはこれを辿ればいつか着くはずだよ。ヘルに着せたローブには治癒も蘇生も防護もかけてあるから、しばらくは無傷が保てるし、何かあっても十分間に合う』
空間転移は完全に勝手が分かっている場所でなければ座標が狂う危険がつきまとう。地下という未知の場所へは直接出向くしかない、地図で分かる場所まで転移してから行くべきか……などとエアは地図を操作し始める。
『海を越えているな』
『まぁ今なら羽も生やせるし。あ、でも箒の方が早いかな。いや、この大陸まで転移すれば海なんて越えなくても……』
『なぁエア、箒は雷より速いのか?』
『え? いや、そんなことないと思うよ。魔法でも雷魔法は速攻系だし。あ、でも光魔法の方が届くのは速いのかな、でもやっぱり破壊力は雷魔法の方が……』
『そうか、なら俺が飛ぶ。地図を出しておけ』
『……は?』
トールは帯電する──いや、違う。トール自身が雷となっている。眩い光を放ちながら、トールはエアを片手で担ぎ空を走った。
『ここで左折……っと、曲がりすぎた、修正』
『……トま、れ』
『エア? 溶けてるぞ、ちゃんと人型を保て』
『……誰の、せい、だと』
彼らが走る様を見た人間がいたのなら、間違いなく驚き、そして恐怖しただろう。落ちてくるはずの雷が雲の真下を縦横無尽に走り回っているのだから。
『着いた』
トールは瓦礫を踏み壊して着地し、 粘着質な液体を投げ捨てる。液体は即座に体積を増やして目を生やし、辺りを見回した。
『……着いた? うわ、何ここ』
偵察が終わると目は液体に溶け、代わりに頭が出来上がる。そこから首、胴が作られていく。
『瓦礫しかないな、弟は本当にここにいるのか?』
『そのはずだけど……ヘルー! ヘルー? ヘールー! お兄ちゃんだよー、出ておいでー!』
鈴の音を響かせながらエアは自らを人型に調整する。液体と化していた手足が粘性を増し肉へと変わっていく。
『そういえばエア。お前、何の魔物になったんだ? スライムの亜種か?』
『どうだろうね、見た目は似てるけど。僕、魔物なんて興味無いからあんまり知らないんだよ』
『鳴き声が綺麗だよな』
『……嬉しくないな、僕元々人間だからね? 人は鳴かないからね、褒め方には気を使ってよ』
エアは魔法陣に視線を注ぎ、トールに後頭部を見せたまま会話する。
『気を使う…………綺麗な声をしているな』
『うん、そもそも君に褒められても嬉しくないや、悪いね』
『……俺、神だぞ』
『神だろうと悪魔だろうと、僕は僕と弟以外に興味ない……ん?』
エアは遠くに建っていたはずの塔らしきものが近づいてくるのに気がついた。瓦礫の山をかき分け、黒い塊がずるずるとこちらに向かってくる。
『アレ何かわかる?』
『いや全く』
『神のくせに』
『え……いや、俺は、そういう神ではなく、戦神で……あ、ロキなら分かるぞ、多分』
『戦神だからって言い訳するんだ?』
『……確かめてくる』
『行ってらっしゃい』
神を顎で使えるなんて! と、エアは自分の優秀さを改めて実感し、自分が世界を征するのはもはや権利ではなく義務なのだと確信した。
エアはトールを見送ると世界征服の妄想を始める。あらゆる生物が自分に傅き、助言を乞う。エアの妄想の中でエアは王ではなく、もはや神に近かった。
『ふふっ……ふははっ、良い暮らしさせてあげるからね、ヘールー……早く出ておいで……』
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