魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

ムーン

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第十七章 滅びた国の地下に鎮座する魔王

多発する緊急事態

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目を覚ます、が、何も見えない。体全体がベタベタと粘液に覆われている。その液体は酸っぱい臭いがした。
僕はアルの腹を枕にして寝ていたはずだ。岩場も気にしないフリをして身体を横たえていたはずだ。
今、僕はぬめった柔らかい床に寝転がっている。

「……アル?」

名を呼んで、床に沿って手を這わせる。

『ヘル!  無事か?  ああ、済まない。しくじった』

姿は見えないが声は聞こえる。
感触も確かにある。アルのものと思われる毛皮は生温かく湿っていた。

「ここ、どこなの?」

『蛇の体内だ』

「……は?  へび?」

理解出来ない答えに素っ頓狂な声を返す。

『逃げ切れなかった。済まない、本当に済まない。済まない……』

謝り続けるアルを慰めながら、一つずつ状況を整理する。
アルの腹を枕に眠って、そして蛇の体内で起きた。
駄目だ、整理するほど情報を持っていなかった。

「蛇……って、どういうこと?」

まずは状況を集めなければ、と下を向いているらしいアルの顔を上げさせる。

『悪魔に目を付けられたようでな。貴方の力を狙ったらしい女に貴方を渡せと言われて、断ったら呑み込まれた』

「出られないかな?」

『突き破れ、と?』

「んー……まぁ、そうだね。出来る?」

体内ならそのうち溶かされてしまいそうだ。僕の力が目的ならそうなる前に吐き出すだろうが、その時にはもう逃げられる状況ではなくなっているだろう。

『それは少し、難しいな』

「そっか……」

暗闇の中アルを片手に抱き、もう片方の手を肉壁についた。
生々しい感触が、昔に溶かされたであろうモノ達の匂いが、確かな脈動が、吐き気を煽る。体内でも魔物使いの力は通じるのだろうか。
声、魔眼、二つの条件は揃えられる。
体内で叫べば聞こえるだろうし、眼の方は認識できずとも視界にさえ入っていればいい。魔力の方向を絞り増幅させるだけだ、発動時に魔眼の重要度はそれほど高くない。

「吐き出せ?  いや、どこかに運ばせた方がいいかな……」

何を命令するか迷っていた、その時。手首に激しい振動を感じ、迷いは中断された。
お菓子の国でメルに貰った角飾り、腕輪として使っていたそれが震えているのだ。

『………ん、きこ…る!  ……り…!』

「メル?  メルなの?  どうかしたの?」

あまり構っていられる暇もないのだが。
あちらも緊急事態らしいと感じ取り、声を聞き取ろうとする。

『だーりん!  聞こえてる!?  聞こえてるのね?』

あちらに僕の声は聞こえていないようで、何を言おうと反応はなかった。酷くノイズがかかったその声からは必死さが伝わってくる。

『大変なの!  セネカが暴走しちゃって……今はお菓子食べさせて気を逸らしてるけど、このままじゃ人を食べかねないの!  それに最近『暴食の呪』が強くなってきてて、国民同士でも共食いを始めそうなのよ……だーりん!  お願い、助けて欲しいの!』

途切れ途切れの声を拾い、繋げてみるとこのような内容になった。確かに大事になっているようだが、今お菓子の国に行くことはできない。人界にすら居ないのだから。

「あー、メル?  悪いけどこっちも大変で、しばらく無理かも。こっちが解決したら行くからさ、頑張って待ってて」

聞こえているのかは分からないが、一応返しておく。すぐには行けない旨と行く気はあることを示すと、腕輪の震えは止まった。

『向こうも問題が起こったらしいな』

「うん……それもかなり酷いのがね」

『やはり、ここ数百年でバランスが崩れてきているな。原因は分からんが……』

「そういえば会った時そんなこと言ってたね。でも、今は考えてらんないよ」

世界が滅ぶだとかそうなる前に世直しだとか、そんな事を言っていたが、アルはずっと僕の子守りをしている。それではお菓子の国が緊急事態に陥るのも無理はない。つまり僕のせいだ。僕がいなければメルも王女の座で怠惰を貪っていられただろうに。

『ああ、早急に脱出せねばな。取り敢えず吐き出させてくれないか?  あとは私が飛ぼう』

僕の心境など露知らず、アルは脱出だけに集中する。流石はアルだ、いつでも正しい行動を取る。

「飛べるの?  羽、ベタベタだよ?」

濡れていては飛べないだろうと思っていた、ミカにもそう言った。けれどその認識は間違いだったらしい。

『魔界だからな、魔力濃度が段違いだ。いつもより速く飛べるぞ』

「……よく分からないけど、飛べるなら良かった」

アルに跨り、意識を集中する。
ミカのことが少し気になったが近くに居なければどうすることも出来ない。
蛇の魔力を侵す事だけに集中する。右眼に鋭い痛みが走り、点と点が線で繋がる感覚が例えようもない快楽を脳に与える。

「 吐 け 」

暗闇の壁が蠢く。気持ちの悪い液体に押されながらアルは走り、ようやく見えた光に向かった。
細長い舌を踏み、牙に触れないように屈んでアルの首を抱き締める。勢いよく飛び出したアルは魔界の赤黒い土に着地し、一瞬も止まらず走り出す。

「出口分かるの?」

『分からん、だがとにかく上に行けばいい』

そう言われて空を見上げる。空、いやよく見れば土だ。
洞窟のように天井も壁も同じ土で出来ている。上から垂れ下がった赤く光る鬼灯に似た果実が魔界の微かな灯りになっていた。

『魔界は階層分けされた地下だ。結界が張ってあるから真上を突き破るのは難しい。だから、所謂階段を探さなければならない』

「階段……」

『見た目は全く違うがな、機能はほぼ同じだ。見かけたら教えてくれ』

「見た目違うなら見ても分かんないよ……多分」

姿勢を低く保ったまま、首だけを回してを探す。だが、どこまでも薄暗い魔界では目で見える範囲が狭すぎた。見ても分からないどころか見えもしない。
睨むように目を凝らしていると、地響きに似た音が魔界中に響き渡った。振り返ると、先程僕達を呑み込んでいたらしい大蛇が追ってきていた。大きな声を上げ、鎌首をもたげ、その縦長の瞳孔が僕を捉えた。

「……アル!  横に飛んで!」

僕の指示通りにアルは動き、直後、真横に蛇の頭が落ちた。硬い地面を穿ち、口先を埋めた蛇は瞳だけで僕を見た。

『もう、あんまり乱暴に動かないで!  落ちちゃうじゃない!』

黒いドレスを着た女がその細腕で蛇の頭を軽く叩いた。その女の顔はどこかで見たような……ああそうだ、メルに少し似ている。

『どうして逃げるのよ。別に、食べようとかは思ってないのよ?  追いかけるの面倒なんだから逃げないで!』

「よく言うよ、丸呑みしておいて……」

『仕方ないじゃない!  逃げるんだから!  大人しくついてきてたら呑ませなかったわよ!』

「……どうしたいの?」

女性らしい高い声にはヒステリックさを感じる。母に似ている……苦手な部類の声だ。

『欲しいのよ』

「だから!  その後どうするのかを聞いてるんだよ!」

『……欲しいだけよ?  私の物にしたいだけ』

女は当然のようにそう答える。
先のことなど考えていない、考えていなさ過ぎて僕の質問にも戸惑った。
ああ、これは、絶対に捕まってはいけない部類の人間だ。僕はそう直感する。
いや、人間ではなく悪魔か?  角や翼は見当たらないが。まぁこの際どっちだって変わらない。

「アル、逃げて、絶対追いつかれないように」

『分かっている』

会話は不毛だ。僕はそう判断してアルを走らせた。

『魔界で私から逃げられるわけないじゃない、バカね』

そんな声が聞こえた気がしたけれど、僕は振り返らなかった。
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